2014年12月7日 「やり直しのきく人生」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「やり直しのきく人生」    (07/12/2014) [コロサイ 4:10~18] ◆人は1人では生きられない ・この短い箇所に9人もの人々の名前が登場する。ここから分かることは「パウロは決して1人ではなかった」と いうこと。パウロは彼らのことを『同労者』と呼んだ。パウロの大きな働きの陰には、多くの協力者がいた。 ◆『マルコ』という人物[10節] ・パウロは1度はこのマルコに見切りをつけたことがあった。[使徒15:36-40]  しかし、神はマルコをあきらめな かった。やがてマルコは(恐らくバルナバの助けにより)4福音書の1つを遺すほどに成長した。 ◆パウロも脱落しかけた! ・実はパウロも「神によって『やり直し』のチャンスを与えられた者」の1人。キリスト者を迫害し、殺したことさえ あるパウロを、神はあきらめなかった。キリスト者の間で恐れられていたパウロを、神はバルナバによって 交わりの輪に加えてくださった。[使徒9:26-27] ・またその後ユダヤ人から追われ故郷のタルソに身を潜めていたパウロを、神は再びバルナバによって 歴史の表舞台に連れ出した。[使徒11:22-26] 神は2度でも3度でも「やり直しのチャンス」をお与えになる方。 ◆次の2つのことに心を留めよう! ①神はあなたに「あきれない」し、あなたを決して「あきらめない」。だから、 たとえ転んでも何度でも起き上がって、再び歩き出そう! ②神があなたをあきらめないように、あなたも(バルナバのように)何度でも赦し、 新しいチャンスを与える者になろう!   Outline of the sermon     “You can start over again!”  (07/12/2014) [Colossians 4:10~18] ◆Nobody can live Read more…

(150) “機会を十分に生かして用いなさい。”

私たちはついつい「過去の失敗を思い返すこと」を繰り返しがちです。「もっとああすれば良かった…」「あんなこと言わなければ良かった…」などなど。あたかも、何度も思い返せば取り消せるかのように。 日本のことわざに「後悔先に立たず」と言われるように、過去の失敗を修正することは決してできません。しかし、神は私たち1人1人に『現在』というものを与えてくださっています。面白いことに『現在』という言葉は英語で『プレゼント』と言います。まるで神様が私たちにこの『現在』を新たなスタートのために贈り物として与えてくださっているかのようではありませんか!取り返しようのない過去にいつまでもこだわりすぎて、せっかく神様が与えてくださっている『現在』の絶好の機会を見逃してしまわないようにしましょう。 「新たなチャンス」というものは、しばしばそれが去ってしまった後にその価値が認められるものです。だからこそ私たちは毎日しっかりと目を開いて、それが手に届くうちにしっかりと捕まえなければなりません。チャンスはあらゆる方向から、いろいろな形をとってやってきます。決してワンパターンではありません。それを見つけてしっかりと掴むための1つの秘訣は「後ろのことに捕らわれない」ということです。神はご自身に信頼する者に『第2のチャンス』『第3のチャンス』を与え続けてくださる方なのです。

JCFクリスマス礼拝 2014

今年も『JCFクリスマス礼拝』が下記の通り行われます。 日時:2014年12月14日(日)午後2時~ 場所:コロンボ・ストリートとムアハウス・アベニューの角(PAK’nSAVEの隣り) 内容:クリスマス・キャロル,スライド上映「賢者の贈り物」,ゴスペル・クワイヤーなど 集会の後に、豪華アフタヌーン・ティーがあります。入場は無料です! お問い合わせは『しぶけん』まで(027-6789-766)

(149) “何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。”

ある社会学者の話によると、『仕事』に対する人間の見方は3通りあるそうです。 第1番目は、「『仕事』は『仕事』と割り切るタイプ」。すなわち「単なる生きるための糧を得る手段にすぎない」と考えるわけです。この場合働く側はその職場において「受けること」にフォーカスをおいているので、しばしば不満に陥ることがあります。 第2番目は、「自分のキャリアに重点を置くタイプ」。すなわち『自己向上』と重ね合わせて努力していくわけです。この場合それなりに熱心に仕事に取り組むわけですが、順境の時はともかく、逆境に(すなわち仕事が思うように進まなく)なると落ち込み、自分自身の存在価値さえ危ぶまれてしまいます。 第3番目は、「『召命観』をもって仕事に取り組むタイプ」。すなわち「私はこの仕事をするために生まれてきたのだ」という強い確信をもって働く人々です。「召命観をもって働く」ということは、別な言い方をすれば「あなたにその仕事をさせるために『誰か』があなたを呼んだ」ということです。その『誰か』とは、あなたをお造りになられ、あなたの人生に至高の計画を持っておられる神様のことです。そしてもし神様がその仕事をさせるためにあなたを呼んだのなら、その仕事には「他の人々を祝福するための大いなる目的」があるはずなのです。 医者には「病人が回復するのを助ける」という重大な使命があるのと同様に、清掃業者には「世の中をきれいにする」という尊い使命があります。この『召命観』というものは、どんな職業についている人をも重要視させる力があります。1週間のうちの40時間をもかけて取り組んでいるあなたの大切な営みに、あなたはどのような意義を見出していますか?

2014年11月23日 「目をさましていよう!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「目をさましていよう!」  (23/11/2014) [コロサイ 4:2~9] *『祈り』とは? ― それは「神の国とのコネクション」。パスワードは『イエス・キリスト』。 ◆目をさまして祈る [2節] ・肉体的に目覚めていても、神に心を向けていなければ、霊的には眠っている。[エペソ1:18-19] 『神の力』は、 心の目が開いている者を通して発揮される。だからいつも神のみわざに対してアンテナを伸ばしているべき。 では「お願い」は祈りではないのか? ◆2種類の祈り   ①「状況を変えるため」の祈り [3節] ・『病の癒し』『必要の満たし』など、「神のわざをこの地に呼び起こすため」に願う祈りがある。 ・パウロは「福音のために門戸が開かれるように」と祈った。私たちも同様に祈るべき。   ②「不利な状況の中で、神と波長を合わせるため」の祈り [4節] ・今の状況の真ん中で働いておられる神のわざにアクセス! ・閉ざされた状況・束縛の中でも、福音は宣べ伝えられる。[Ⅱテモテ2:9] この状況の中でオネシモは救われた![9節,ピレモン9~10節] ◆『祈り(神の国へのアクセス)』は自分自身のためだけでなく、周囲の人々のためでもある [5~6節] ・私たちの特権(祝福)は、他の人々を祝福するために用いる時、その真価を発揮する。 ✯まず自分で十分にこの「祈りによる神とのアクセス」を満喫し、その祝福を周囲にも分かち合っていこう!   Outline of the sermon     “Being watchful and pray!”  (23/11/2014) [Colossians 4:2~9] *“Prayer” Read more…

2014年11月16日 「イエスをじぃ~んとさせよう!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「イエスをじぃ~んとさせよう!」  (16/11/2014) [コロサイ 3:18~4:1]  ◆「愛されてる」と実感したい! ・イエスは「わたしが愛したように互いに愛し合いなさい」とおっしゃったが、ある人々は「でも私はイエスに愛さ れているという実感がない!」と言う。ではどうやったらそのような『実感』が得られるのか? ・「いかに愛されているか」の理解は「いかに愛される資格が無いか」の理解度に比例する。そして「いかに愛さ れる資格が無いか」の理解は「キリストを通して現された神の愛の深さ」の理解度に比例する。[エペソ3:17-19] ◆「信仰による」愛の表現 ・私たちクリスチャンの「愛する歩み」は『実感』ではなく、『信仰』に基づいている。 ・この世の法則は「Give & Take」。だから「どちらが先に与えるか」でモメる。天の御国の法則は「信仰によって」 先に愛を表現する。「愛する理由のない人」に敢えて愛を表現する時、その信仰に応えて神が愛を注がれる。 ◆どのようにして「信仰によって」愛を実践するか?   ①イエスをじぃ~んとさせる [23~24節] ・「相手がそれに相応しいから」ではなく、「主がそれを望んでおられるから」。ただこの理由で行動を起こす時 神の愛が動く。私たちが「主が愛されたように」愛する時、そこに『神の国(神の支配)』が満ちる。   ②まず「家庭における人間関係」から [18~21節] ・家族を優先することを恥じてはならない。(でも『家庭礼拝』もしてね。) もしすべての家庭でこの箇所のような 人間関係が実践されたなら、社会的な大革命が起こる。これこそ神がこの地上に望んでおられる『奇跡』。 ✯家庭で、またあらゆる人間関係において「イエスをじぃ~んとさせること」を求めて、この週も歩んで行こう!   Outline of the sermon     “Let us touch Jesus to his heart.”  (16/11/2014) [Colossians Read more…

(148) “私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。”

私がまだ日本に住んでいた頃、人々に「教会にいらっしゃいませんか?」とお尋ねすると、「いえ、私は『宗教』には興味がありませんから…」というお返事をよくいただきました。 人々は『宗教』という言葉から主にどのような印象を受けるのでしょうか?「洗脳」「修行」「多額の寄付」などなど、思うにあまり良い印象がないように見受けられます。 英語で「Christianity is not “religion” but “relationship” with God.」ということわざがあります。日本語に訳すなら「『キリスト教』は『宗教』ではなく、『神との関係』である」というふうになるでしょうか?事実私たちクリスチャンは「聖書の教えを一生懸命に実践して、少しでも立派な人になろう!」という意識で日々を暮らしているわけではなく、「私たちをお造りになり、私たちを深く愛し慈しんでくださる『父なる神』との、言葉に言い尽くすことのできない『心と心の交流』」の中で日々生かされているのです。そしてまた、クリスチャンたちがその家族や友人を教会に招いたり、聖書に関して伝えたいと思ったりするのは、「熱心な布教活動によって信者を増やそう」としているわけではなく(いわゆる『宗教』はそのようにしているのかもしれませんが…)、この祝福に満ちた『神とのいのちの関係』を、愛する人々にも体験して欲しいと思うがあまり、つい誘ってしまうのです。それはあたかも「美味しいラーメン屋さんを見つけたから、今度一緒に行ってみようよ!」と誘っているようなものです。 ここニュージーランドでは、日本国内と違い、日本人の知り合いを教会にお誘いすると、半分以上の方々は何の先入観もなしに教会においでになります。そしてそのうちの多くの方々が、イエス・キリストを通しての『神との祝福に満ちたいのちの関係』へと導かれます。日本にいてこのコラムを読んでくださっている皆さんも、ぜひお近くのキリスト教会へ足を踏み入れてみてはいかがでしょうか?

(147) “いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。”

1隻の大きな貨物船が長い航海から帰ってきました。今回の航海は散々でした。どうしたわけか本来のスピードが出せずに、船荷を待つ取引先からは厳しい苦情を受け、船の持ち主からも「お前のお陰で大損だよ!」と怒鳴られるありさまです。船長は思い切ってこの船を大掛かりな整備に出すことにしました。するとどうでしょう。航海中には見ることのできなかった海面下に触れていた部分には、多くの不要物がビッシリとこびりついており、船の重量は本来の1.5倍にもなっていたのです!これらを完全に取り除くにはもちろん多くの時間と手間がかかりますが、背に腹は換えられません。数ヶ月の整備期間の後、この大きな貨物船は再び意気揚々と次の航海へと旅立って行くことができるようになりました。 さて、これは何も「船のお話し」ではありません。私たちも「身体の定期健診」だけでなく、『心の定期健診』が必要です。見えるところに問題がなくても、見えない部分に「不要物」がこびりついていることがあるのです。私たちは周囲の人々のアラ捜しは得意ですが、自分の事となると気付かないものです。もしあなたが『以前の業績』にばかりすがりつき、「神がこれからあなたと共に成し遂げようとしておられること」を見つめられなくなってきたら、それは危険信号です。 今少し立ち止まって、自分自身を吟味してみましょう。以前のような『心の切れ味』が失われてきていませんか?神様に対する愛や情熱が薄らいではいませんか?この世の流れに妥協してしまってはいませんか?つい批判的になったり不注意になったりしていませんか? もしこれらのことが思い当たるなら、きっと「普段目に付かない部分に『不要物』がこびりついている」に違いありません。それらを見つけるためにはもしかしたら「心を沈めて神様からのアドバイスに耳を傾ける」必要があるのかもしれません。神から委ねられていた使命を『自分の力・知恵』に頼りつつ成し遂げようとしていたのかもしれません。神はそんなあなたの心に溜まってしまった『不要物』をきれいさっぱり取り除き、再び新たな人生の航海へと送り出すことのできるお方なのです。

2014年11月9日 「『立場』から『実質』へ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ    「『立場』から『実質』へ」  (09/11/2014) [コロサイ 3:12~17]  ◆選ばれた・聖なる・愛されている者 [12節] ・これらは私たちの「生まれながらの性質」ではなく、「キリストを信じる信仰」によって与えられた『立場』。しかし 神は恵みの故に私たちをこの『立場』によって取り扱う。そして次第にそれらが私たちの『実質』とされていく。 ・この実質は「キリストを着た時」から内側に種のように宿る。[Ⅰヨハネ3:9] ただ実が結ばれるのには時間がかかる。 ◆私たちの内に成長する『実質』   ①キリストの忍耐 [13節] ・単に「嫌なことをされても我慢し、赦す」というのではなく、人々の成長をじっと待つ寛容さ。[ピリピ1:6] ・「結びの帯としての『愛』」[14節]とは、「自分よりも相手の益を優先する心」。相手の成長をただ待つだけで なく、自分自身を踏み台として相手に差し出し、相手のステップアップのために仕える。[ルカ23:34]   ②キリストの平和 [15節] ・「何も問題がない状態」ではなく、キリストの十字架の故に『神との完全な平和』が与えられていること。キ リストの身代わりの故に、私たちは決して捨てられることがない。[マタイ27:46]   ③感謝 (1)「キリストのことば」によって[16節] ・「聖書の言葉で互いにさばく」のではなく、キリストが人々を癒し建て上げたように、互いに励まし合う。 (2)「主イエスの名」によって[17節] ・父なる神がどのような方であるかを知っているが故に、状況によらず「信仰によって」感謝する。   Outline of the sermon     “Grow from ‘title’ to ‘character’.”  (09/11/2014) [Colossians 3:12~17]  ◆Chosen, Holy and Read more…