(178) “あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。”

社会に大きなインパクトを与えるような活動も、大抵の場合『ほんの小さな1歩』から始まるものです。マザー・テレサは「貧しい人々の役に立ちたい」という願いを神様から与えられ、たった1人でインドのカルカッタへ出かけ、誰も関心を払わないような道端で倒れて死にかかっている人々に手を差し伸べました。彼女は社会から忘れ去られた取るに足りない人に、ひたすら自分の心と思いの限りを注ぎ尽くしたのです。彼女は自分のちっぽけな働きがやがて世界中の注目を浴びるなどと思いも寄りませんでした。彼女の心の中には「神の愛に応えたい」という純粋な気持ちだけがあったのです。 もし大きな夢や目標を抱いて毎日を過ごしているのでなければ、私たちが行なっている1日1日の営みはあまりにちっぽけで虚しく感じられるに違いありません。しかしその「小さな営み」がやがてもたらそうとしている『大きな完成』を見つめていることができるなら、たとえ今していることがどんなに小さくても、私たちの心はワクワクしてくるのです。 3人の人々がそれぞれレンガを積み上げていました。1人目の人に尋ねました。「何をしているのですか?」 するとその人は不機嫌そうに答えました。「見りゃあ分かるだろ。レンガを積んでるんだよ!」 2人目の人に尋ねました。「何をしているのですか?」 彼はニヤリとして答えました。「1時間千円さ。結構いい稼ぎだろ?」 3人目の人に尋ねました。「何をしているのですか?」 するとこの人は興奮しながら目をキラキラ輝かせて答えました。「立派な城を建ててるんだよ。これはその大切な土台の1部分なのさ!」 私たちの日々の営みはあたかもこのレンガを1つずつ積み上げているようなものです。大切なのは、その行為そのものではなく、「どこへ向かって(何を見つめて)それを行なっているのか」ということです。あなたは3人目の人のような心を躍らせる「人生の偉大な目標(ゴール)」を持っていますか?それを与えることができるのは、あなたをこの世界に送り出された『天地創造の神』 ただ1人なのです。

2015年8月9日 「シンプルな人生」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「シンプルな人生」     (09/08/2015) ◆人生は複雑で大変? *何故人生がこんなにも複雑で大変に感じるのか?    実は「自分でそうしてしまっている」から。 ・必要以上にいろいろなことをし、またいろいろな人々(自分を含め)を喜ばせようとしているから。 ◆「シンプルな人生」のカギ ・実は2000年前にも同様の悩みを抱えた人がイエスのもとに来て尋ねた。「1番大切なことは何ですか?」 イエスはお答えになった。[マルコ12:29-30]  『たった1人の方』のために人生を使えばよい。[ヨハネ4:34] ・「イエスは生涯独身だったからそれができたのだ」という人もいる。ならば少なくとも独身者はそうするべき。 ◆既婚者の責任 ・イエスは「神を愛せよ」のみことばを旧約聖書から引用した。[申命記6:4-9] すなわち『家族を持つ人にとっての最重要事項』は、「神を愛すること」をまず自分自身が深く心に刻み、 そしてそれを同様に子供たちの心と思いにもしっかりと刻みつけること。 ◆家庭礼拝のススメ ・「家族全員で共に神の前に出ること」は神が親に委ねた責任。できるだけ早くスタートさせる。 ・家庭のリーダー(通常は父親)がみことばを選び、解説し、家族全員で覚える。週1回で十分。 ✯独身者には『神を第1とした選択』が、家庭持ちには「子供たちに『神を第1とすること』を教えること」が最重要!   Outline of the sermon     “Make your life simple!”     (09/08/2015) ◆Do you feel “Life is hard and too complicated”? *Why do Read more…

JCF25周年おめでとう!

2015年7月26日、サウスシティC3教会1階メインチャペルにて『JCF25周年記念礼拝』が行われました。当日は120人を越える人々が集まり、JCFの25年間の歩みを共に振り返りました。礼拝後はJCFスタート当初のレシピそのままに美味しいカレーライスが振舞われ、皆満足顔でした。参加してくださった方々、またお祈りくださった方々、本当にありがとうございました。そして何よりも、ここまで導いてくださった神様、本当にありがとう!!!

(177) “ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼(息子)を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。”

聖書は『ただ1人の神』について語りますが、しばしばそれは読み手である私たちが抱くイメージによっていろいろに様変わりします。ある人は『神様』と言えばすぐに「雲の上におられる白いヒゲの柔和なおじいさんで、何でもお願いを聞いてくれる」と思い描きますが、別のある人は『神様』と聞くと反射的に「怒りっぽい大王で、手にムチを持っていて、いつも私たちを見張っていて、失敗するとバチをあてる」とイメージします。 しかし聖書が私たちに伝えようとしている『神様』はそのどちらとも違います。イエス・キリストはまさに私たちのそのような誤解を解くためにこの世界に来られ、その教えと生き様とを通して『正しい神のイメージ』を私たちに伝えようとされたのです。彼が伝えた神のイメージ、それは言うなれば『愛に病む父』です。 神は私たち人間をお造りになられました。それは私たちが神との「愛の関係」を保ちつつ、この地上に増え拡がって行くためです。ところが私たち人間は「自分の益」に心を奪われ、神を見失い、他の人々への思いやりも忘れて「自分のこと」に終始するようになってしまいました。そのような私たちの様子をご覧になり、私たちの生みの親である『天の父』は日々心を痛めておられるのです。 神の求めておられるのが、単なる『従順な子供』としての私たちではなく「私たちとの愛の関係」であるため、神はそれを「無理強いする」ことができません。ただひたすら私たちがその愛に気づいてご自身の許に帰ってくるのを「待ち続ける」しかないのです。この『神の愛』に応えるためにあなたにできることは「一生懸命『良い子』を演じること」ではなく、この天の父の愛に向かって振り向いて「今までお待たせしてごめんなさい。これからはぜひ一緒に生きて行きますから、どうぞよろしく!」と言うことなのです。

2015年8月2日 「正しい神のイメージ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「正しい神のイメージ」     (02/08/2015) ◆神のイメージ ①柔和なヒゲのおじいさん(どんな願い事も叶えてくれる。いて欲しいときだけいてくれる) ②ムチを持った怒りっぽい大王(いつも私たちの行動を見張り、ちょっとでもミスをすると罰を与える) *聖書に描き出されている神のイメージは『愛に病む父』。 ・私たち1人1人をこよなく愛し、私たちからも愛されることを望んでいる。 ・『愛による関係』を望んでいるが故に、強制することができない。ひたすら待ち続ける父。[ルカ15章] ◆罪に対するイメージ ①罪を感知できない ― 何が罪だか解らないし、自分のどこがいけないのか、自覚がない。 ②自分で何とかしたい ― 罪の自覚はあるが、自分の責任なのだから、自分で解決しようとする。 ③あきらめ ― 「自分はどうせデキが悪い」とあきらめている。悩みたくないから放っておいて欲しい。 *「神の正しいイメージ」が「罪に対する正しい理解」へと導く。 「自分の今の状態が、神を苦し(悲し)ませている!」 ・そして『神の痛み』を理解するなら、その解決のために「神の側から差し出された和解」をも受け入れられる。 ◆「神の子」としてのイメージ  「良い子でいる限り大丈夫」? ・『神の子』とされているかどうかは、「私たちの立派さ」によるのではなく、「私たちの内に主イエスがおられる  かどうか」による。[ヨハネ1:12]  そしてイエスの約束は、「決して離れず見捨てない」。[へブル13:5] ・『神の子として生きる』というのは、「見放されないためにどうしたら良いか?」ではなく、「決して見放されない からこそ、どう生きたら良いか?」ということ。 ✯クリスチャン・ライフは、「いつも神を笑顔に保ち、その笑顔に笑顔で応えていくこと」   Outline of the sermon   “Have a right concept of God!” Read more…

(176) “私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。”

神が人間に与えた最も『神秘的な能力』の1つは、恐らく「自由意志による選択能力」でしょう。神は人間をお造りになった時、ご自身の好みに合わせて動く「ロボットのような存在」を造ることもおできになりましたが、敢えて私たちのような『気分屋』で「その場の雰囲気に流されやすい」非常に危なっかしい存在として人間をお造りになりました。 私たちは1日の中で、様々な『思い』を持ちながら生きています。「もうそろそろ起きなきゃ…」とか、「お昼は何を食べようかな?」とか、「この仕事をどうやって定時までに終わらせられるだろう…」などなど。そのうちのほとんどの思いはたわいのないものですが、いくつかは私たちに大きな精神的プレッシャーを与えるものもあります。私たちは「自分の思いは、自分ではコントロールできない」と思いがちですが、決してそんなことはありません。実は神様はそのために私たちにこの神秘的能力である『自由意志』をお与えになったのです。私たちは日々繰り返される「自分の意志による選択」によって私たちの人生(人格)を形造って行くことが許されているのです。私たちは「その場しのぎ」の選択繰り返すことによっていわゆる『逃げの人生』を送ることもできますし、「しばらく後に得られるであろう大きな利益」を期待しつつ、敢えて忍耐を働かせて「正直で正しい選択」を繰り返していくこともできます。そしてこの『正しい選択』を助けてくれるのが、「神の言葉」である『聖書』であり、またその聖書が私たちに教えてくれる「私たちの神は善き父である」と信じる信仰なのです。 『正しい選択』は、初めのうちは多くの忍耐を必要とされるかもしれませんが、それを繰り返し行なっていくことによって習慣化し、より自然な形で正しい道を選び取っていけるようになるものです。この「繰り返し行なうことによって習慣にすることができる」というのもまた、神が人間に与えた『神秘的な能力』に違いありません。

2015年7月26日 JCF25周年記念礼拝

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2015年7月19日 「『新しく生まれた者』として」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「『新しく生まれた者』として」     (19/07/2015) [ヨハネ3:1-8] ◆新しく生まれる [2~4節] ・私たちは『しるし』の中に神の働きを見出そうとするが、神の働きは「目に見える状況の変化」ではなく「新しい 創造」。まず『霊的(神の)領域』で始まったことが、やがて『目に見える(この世の)世界』に現れる。[ルカ10:20] ◆「水と御霊」によって生まれる [5~6節] [マタイ3:11] ・『水』:ヨハネが水で授けた「悔い改め」のバプテスマ。 「自分主権」から「神主権」、「見えるもの中心」から「見えない世界中心」へ ・『御霊』:イエスの御名の権威によって注がれる「聖霊による」バプテスマ。 ◆御霊の好むところ [8節] (『風』と『霊』は、原語では同じ) ①「イエス・キリストの父なる神」の主権を認めるところ [マルコ14:36] ②「神の子供たち」が真実に愛し合うところ [Ⅰヨハネ4:11-12]   スモールグループでの分かち合い ①「新しく生まれる」とは、どういうことですか? ・あなたは新しく生まれていますか? また、どうしてそう思いますか? ②御霊はどのようなところを好まれますか? ・「御霊の働きを見る者」とされるよう、互いのために祈りましょう。   Outline of the sermon   “Live your life as ‘a new creation’.”   (19/07/2015) [John Read more…

(175) “私を大いに祝福し、私の地境を広げてくださいますように。”

私たちが神に何かを祈る時、「災いを与えてください」とは祈りませんよね?普通は「私を祝福してください」と祈るはずです。そこまでは良いのですが、私たちは自分のための祝福や成功を祈りはしますが、「環境が変わること」や「新しいことに挑戦すること」は好みません。『現状維持』が好きなのです。 神は私たち人間を愛しておられます。そしていつでも私たちを祝福したいと願っておられます。神は私たち1人1人を通してご自身の『栄光』(神の優れたご性質)を表現したいと望んでおられるのです。それによって全世界が神の偉大さを知るようになるためです。ですから私たちが「大いに祝福されること」が神のみこころなのですが、それを手にする人々は多くありません。何故でしょうか?それは、神がご自身の『大きな祝福』を携えて「この祝福を受け取るために今抱えているちっぽけなものを手放す勇気のある者はいないか?」と探し回る時、その『今抱えているちっぽけなもの』を捨てて大胆に神に向かって名乗りをあげる者があまりいないからです。 聖書に「信仰がなければ神に喜ばれることはできない」と書いてあります。『信仰』とは、まだ見ていないものを深く確信して大胆に行動を起こすことです。私たちはあまりにも『目に見えるもの』に捕らわれすぎてしまって、神が与えようとしている「私たちの思いを超えた祝福」を信じられないでいるのです。ですから私たちはこう祈るべきです。「神様、あなたが私のために用意してくださっている『大いなる祝福』を受け取ることができるように、私に信仰によって新しい1歩を大胆に踏み出させてください!」

(174) “愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し…”

どんなに親しい間柄にも『意見の食い違い』はつきものです。本当の意味での『豊かな人間関係』というものは、「自分の本心を隠して相手に合わせること」ではなく、むしろ「相手を恐れずに自分の本心を正直に打ち明けること」から始まります。ここで非常に大切になるのが「『意見の不一致』や『口論』を正しく解決することのできる能力」です。 ちょっとした口論が原因で夫婦関係や親子関係、そして親しい友人関係に亀裂が入ってしまうことがよくあります。どうしてなのでしょう?それは「口論のフォーカスを『元々の原因』から『相手の人格』へと移してしまうこと」に大きな原因があります。例えばよくあるパターンは「全くアナタはいつもそうなんだから!」とか「お前のそんなところは、お前のお袋にそっくりだ!」などという捨てゼリフで口論を終わらせようとすることです。そうではなく、むしろ「夕食に遅くなる時は、ちゃんと連絡して欲しいわ。せっかく出来たてのお食事を食べさせてあげたかったのに…」、または「昨夜のパーティの時、皆の前でキミに言われたことに、ボクはとても傷ついたよ」というように、問題の焦点をはっきりさせた発言をするのです。どちらの場合も双方に『怒り』『悔しさ』『驚き』などがあることに変わりはありませんが、少なくとも言われた方は「何をどう反省し、どのように自分の行動を変えたらよいのか」が分かるので、関係を成長させるきっかけがずっとつかみやすいのです。 大切なことは「口論に勝利すること」ではありません。「不一致の原因を突き止め、それを共に克服し、お互いの関係を成長させること」です。そして相手をおもいやる『愛の心』をもって、あなたの怒りの原因を正確に伝えるならば、あなたの言葉は相手にとってずっと受け入れやすいものとなるのです。