(187) “何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心(思い)の一新によって自分を変えなさい。”

私たちは「自分のためにならない欲(誘惑)」からどうすれば解放されるのでしょう?例えばある人が体重を減らすために大好きな甘い物を我慢するとします。その人が一生懸命「甘い物を食べちゃダメ。甘い物を食べちゃダメ。甘い物を食べちゃ…」と繰り返せば解放されるのでしょうか? いいえ、むしろそれは逆効果でしょう。なぜなら私たちが何かに対して頻繁に思いを向けるほど、それからの誘惑が強くなるからです。誘惑から解放されるためには、むしろ「他のより優れたもの」に思いの『向きを変える』必要があります。私たちの敵は「甘味処」にあるのではなく「私たちの思いの中」に住んでいるからです。たとえ甘い物を買いに行かないために1日中家の中に閉じこもっていたとしても、私たちは相変わらず1日中「大好きな甘いもの」のことを考え続けることができてしまうのです。 イエス・キリストは、私たちの「罪を赦すため」だけでなく、私たちを「罪の誘惑から解放するため」にもこの世に来てくださいました。彼は地上での生涯を通して私たちに「何よりも魅力的で崇高なもの」すなわち『神との関係の中で生きること』を身をもって示してくださいました。病んでいる者には癒しを、悩む者には平安を、憎しみの中には赦しと和解をもたらされました。それは彼を通して『神の愛』を体験した私たちが、その愛に魅了され、その同じ愛を人々の間で流していく者とされるためです。 あなたはもうこの愛に出会いましたか?もしまだなら、世のハイペースで疲れきったあなたの思いを、このイエスに向けてみませんか?

2015年11月8日

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「まことに、まことに、…」       (08/11/2015) [ヨハネ5:24~25] ― 大切な『真理』を伝える時にイエスがしばしば用いたフレーズ。 ◆イエスとイエスのことば ・イエスが「神から遣わされたお方(神の子)である」と信じ、その権威の下に彼のことばを受け入れる。 → 父なる神による承認。[マタイ17:5] ◆死からいのちへ [25節] ・『死』とは、神から離れ「人間本来の生き方」を失っていること。 「聞く者は生きる」ということは、「当人の選択次第である」ということ。 ◆『いのち(人間本来の生き方)』とは? [ヨハネ1:1-5, 14] ・イエス・キリストこそ『神のことば』そのもの。この方をしっかりと握って生きる時「いのちの光」を持つ。 光の性質(4~5節) ― ①自分のいる所を明らかにし、 ②安心と暖かさを与え、 ③行く先を示す。 恵みとまこと(14節) ― 『救い』は「自分の努力」によるのではなく、『真理』に目が開かれること。 *人生の主導権は『自分』ではなく、「すべてを治めておられる『神』」にある。この方に委ねて生きる時、彼は 一方的な恵みによって私たちを救い出す。ここに真の自由がある! ・この『神主導の人生』こそ、まさしくイエスが私たちに生き様をもって示したこと。[ヨハネ5:19] そしてイエスは、私たちも同様に生きることを期待しておられる。[ヨハネ20:21]   Outline of the sermon          “Very truly I tell you …”     (08/11/2015) [John 5:24~25] ― Jesus Read more…

(186) “それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。”

上記のことばは『人間関係』に関して聖書に登場する最初のことばです。ここから次の2つのことが分かります。 第1番目は「『夫婦関係』というものがこの世の人間関係の中で最も基本であり、重視されるべきものであり、また最大限の努力をして守るべきものである」ということです。日本では夫婦の間で子どもが生まれると夫と妻がお互いを「お父さん」「お母さん」と呼び合うことが通例になっています。これは日本の家庭社会が『子供中心』に回っているということを如実に表しています。しかし聖書に照らし合わせてみるならば、この考え方は誤りです。「豊かな夫婦関係」あっての「子育て」であり、夫と妻は常にお互いが『最優先の存在である』ことを心に深く刻んでおくべきでしょう。 第2番目は「『豊かな夫婦関係』は夫と妻双方のたゆまぬ努力なしには育たない」ということです。夫婦関係はある意味『草花』のようです。心を込め手をかけて育てないと枯れてしまいます。しかもそれは「相手を変えようとする努力」ではなく「相手のために自分が変わろうとする努力」です。何度か離婚の悲しみを味わったある有名俳優は次のように言いました。「もう『自分にふさわしい相手』を探す努力はやめにします。その代わり『相手にふさわしい自分』になる努力を始めることにします。」 多くの夫婦が結婚生活を保つのに苦労している最大要因は「夫婦間の意見の衝突を上手に解決できない」ことです。どんなに気の合う夫婦でも、毎日顔を合わせるのですからどうしても『意見の衝突』が起こります。そして多くの場合「何とか自分を正当化しよう」としたり「言い争うのが嫌だから、心の奥にしまっておこう」としたりします。これは夫婦関係だけではなく、あらゆる人間関係をも壊すもとになります。 現代のような競争社会では「勝利すること」が善とされます。ですから意見が衝突した時にも「最終的な勝ち負け」を意識してしまうのです。しかし「誰かが勝利すること」は逆に「敗者を生み出すこと」にもつながることを忘れてはいけません。特に『夫婦関係』においては「一方が勝利すること」は「関係としての敗北」を表しています。夫婦間の衝突が起こった時は、「どちらかの勝利」を目指すのではなく、「たとえどちらか(自分?)が負けた」としても「夫婦としての向上(更に強い結び付き)」を目指すことが本当の勝利なのです。

2015年11月1日 「キリスト者の関心事」

ゆうこさんの証をダウンロードして聴く メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「キリスト者の関心事」       (01/11/2015) *キリスト教は『宗教』ではなく『(神との)関係』。  『宗教』の関心事は「どう生きるか?」  ではクリスチャンは? ◆私たちの第1の関心事は「神はどういうお方なのか?」 そして「どのようにしてもっと神と親密になれるのか?」 ・みことばは次のように私たちを招く。[詩篇34:8] [ピリピ3:12] [ヨハネ15:9] ◆神との親密さを築くために = ①ペースダウン ②『詩篇』や『福音書』を読む ③聖霊のささやきに耳を傾ける ・朝ごとに、「今日も共にいてくださることを感謝します。私もあなたを見つめて歩みます。」 とスタートする。 スモールグループでの分かち合いのために 一般の宗教とキリスト教との違いは、どんなところでしょう? ②神との関係を更に親密なものとするために、今日からどんなことができますか?   Outline of the sermon       “Christians’ interests.”  (01/11/2015) *Christianity is not “religion” but “relationship” with God.  “Religion” seeks ‘how Read more…

(185) “キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。”

イエス・キリストは、十字架にかかる前の晩のいわゆる『最後の晩餐』の席で、目前に迫っている恐ろしい出来事に備えさせるためか、12弟子たちに次のようにおっしゃいました。「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」 誰もが『変わることのない平安』を求めています。何故でしょう?それはこの世界があまりにも「変わりやすく」「移ろいやすい」からに違いありません。昨日まで新しいと思っていたことが、今日はもう古いと言われてしまう。昨日までは味方だと思っていた人が、手のひらを返したように敵に回ってしまう。そのような世界に生きている私たちは『変わることのない本物』を欲しているのでしょう。 多くの人々は「お金」「地位」「安定した生活」などに『平安』を見出そうとします。「これさえ手に入れれば、きっと幸せになれる。安心できる。」と思うわけです。しかしひとたびそれらのものを手に入れると、やがて襲ってくるのは『物足りなさ(「もっと欲しい」と思う気持)』でしかありません。私たちの外側にあるものは、決して私たちに恒久的な平安をもたらしません。 ある時『平安』というテーマの絵画展が開かれ、その中の1つの作品に注目が集まりました。その作品には画面いっぱいに荒れ狂う嵐の光景が描かれていました。しかしよぉく見ると、その中央付近に描かれている一本の木の枝に鳥の巣があって、その巣の中で一匹の親鳥が大きな翼を拡げてひな鳥たちを囲んで嵐から守っているのです。ひな鳥たちは外の嵐がうそのように安心しきって憩っています。 『真の平安』とはそのようなものです。たとえ周囲の状況がどうであれ、「わたしは大きくて力強い守りの中にいる」と確信して日々を生きることができるということ。これがイエス・キリストが言われた「この世が与えるのとは違う、わたしの平安」というものなのです。

2015年10月25日 「信仰の3段階」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「信仰の3段階」       (25/10/2015) [ヨハネ8:30~32] ― この箇所から『信仰』には3段階あることが分かる  ①イエスが「神の子・救い主」であると信じる[30節] ・これは『ゴール』ではなくて『スタート』。キリスト者としての「信仰生活の醍醐味」もここから始まる。  ②イエスのことばにとどまる[31節] ― 弟子の歩み ・「自分の経験やこの世の常識」と「神のことば」とがくい違った時に、前者に対して『No』と言い、後者に対して 『Yes』と言って従う。 ◆『真理』に根ざした歩み = 『アーメン』な歩み → [34節] ・何故イエスはここで『罪』を持ち出したのか? ・『罪』とは何も「邪悪なこと」に限らず、「的を外れていること」。すなわち『神の真理(価値基準)』からズレている。 たとえ社会の常識に沿っていても、「神の国の価値基準」から外れていたら、それは『罪』。[ヨハネ17:15-17] ◆ローマ総督ピラトの決断 [ヨハネ18:37-38] ・ピラトは「真理であるキリスト」を目の前にしていたにも関らず、それをつかみそこねて「この世の流れ」に押し流 され、自分の身に滅びを招いた。 私たちは『真理』に対する態度をはっきりさせなければならない!  ③「真理に歩む習慣」から来る『真の解放』を味わう [32節] ・「やみが光に打ち勝てない」のと同じように、「この世の常識は、決して『神の国の真理』に打ち勝てない」。   ✰「天国に行く信仰」にとどまらず、『神の国の基準』に従って生きることによって、 周囲に影響を与えていく信仰者となりましょう!     Outline of the sermon           “3 Steps Read more…

(184) “風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。”

冒頭の聖書のことばは、何も『農民の心得』について語っているわけではなく、平たく言えば「理想的な状況が整うのを待っていたら、いつまで経っても仕事は進まない」というわけです。神を信じる者の歩みも同じことが言えます。 最近ある牧師が面白いことを言っていました。「『信仰』の反対語は、『不信仰』ではなく、『恐れ』である」と。すなわち、「心から神に信頼しているなら、逆境においても恐れず大胆に進んでいける」というのです。なるほどな、と思いました。『大胆であること』と『浅はかであること』が似てて非なるものであると同様に、『忍耐強いこと』と『臆病であること』も一見見分けるのが難しいですが、根は全然違います。真の『信仰』は、待つことが難しい時にも忍耐を可能にし、また前進が難しい時でも大胆な1歩を踏み出させてくれます。 三重苦を克服した人物として有名な『ヘレン・ケラー』はこんな言葉を遺しています。「どれほど万全を尽くしたところで『完全な環境』などというものはあり得ない。もしあなたが人生を『素敵な大冒険』として味わっていないとしたら、あなたは真の意味で『人生』を味わっていないのである。」 私たちの人生に『試練』や『挫折』が存在するのは、神が私たちを打ちのめそうとしておられるのではなく、かえって私たちが神ご自身を更に深く求め、その信仰を成長させるようにしておられるのです。恐れに対して『No』と言い、神の招きに対して『Yes』と答えながら、この『素敵な大冒険』進んでいきましょう。

2015年10月18日 「ペテロの信仰」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「ペテロの信仰」       (18/10/2015) ◆今回の一時帰国中のハイライト ◎関東・関西地区での「クライストチャーチ帰国組同窓会」  ◎グローバル・リターニーズ・カンファランス  ①大阪(チャペルこひつじ)での同窓会 ・同窓会は少人数(12人)だったが、親密な交わりが与えられ、互いの必要のために祈ることができた。 ・よしこちゃんが「帰国者クリスチャンとしての葛藤」を具体的に分かち合ってくれた。 (同窓会の後、京都にあるよしこちゃんの出席教会にて「海外邦人宣教」について話すことができた。)  ②宇都宮(坂本ひかる宅)での同窓会 ・2泊3日のじっくりとした交わり。初対面同士もたくさん。部分参加を含めて30人近くが集まった。 ・JCFで歌われている賛美、みことばの学び、グループでの分かち合いと祈り。 ・峰町キリスト教会の礼拝に出席。礼拝後、一緒に餃子を食べに行った。グループの継続した交わりを期待。  ③グローバル・リターニーズ・カンファランス(GRC) ・3年に1度行われている、世界各地で主イエスと出会い日本に帰ってきた『帰国者クリスチャン』の集い。 ・富士の裾野での3泊4日のカンファランスに、400人以上が集まった。みちえさんもビックリ。 ・例年より多かった『オセアニア・グループ』。何人かは「スモール・グループ・リーダー」として奉仕。 ◎『帰国者クリスチャン』に対する大きな期待 ― ①多くの若者たち  ②教団・教派を超えている ◆One Step Further.(2つの体験がきっかけ) *ペテロの信仰 [ルカ5:1-6,マタイ14:24-29] ・自分の常識とは違っても「信仰によって」行動を起こす。(Listen and obey.)   Outline of the sermon           “Peter’s faith.”      (18/10/2015) ◆Highlight of our trip to Read more…