(191) “隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか?”

ある小学校の運動会で、子供たちが元気よく入場行進をしています。ふと1人の母親が自分のカワイイ1人息子の行進する姿を見て、彼だけが他の子たちと手足が逆になっているのを見つけて思わず叫びました。「ちょっと見てください。ウチの子以外は全員、手足を逆に動かしちゃってますよ!」 私たちは自分の事は棚に置いて、ついつい他の人の過ちや失敗を批判してしまいがちです。自分では「相手の間違いを正してあげようという善意のつもり」でも、実は相手のことを深く傷つけてしまっていたり、ひいては周囲の人々を自分から遠ざけてしまうきっかけにもなりかねません。 では、どうしたら良いのでしょうか?まず第1に、他の人を批判しやすいタイプの人は「自分のやり方・考え方が1番正しい」と思い上がっているのだということを自覚しなければなりません。その上で「あなたの立派さの故ではなく、ただご自身の恵み深さの故にあなたを受け入れてくださる神」を知ることです。そしてその神様に次のように祈りましょう。 「神様。私の高慢の罪をお赦し下さい。そして、あなたが私に対して恵み深いように、私も他の人々のことを『さばきの目』ではなく、『恵みの目』によって見つめ、また受け入れることができるように助けてください。」

2015年12月6日 「内なるキリストを目覚めさせて!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「内なるキリストを目覚めさせて!」   (06/12/2015) ◆パウロの祈り [エペソ1:17-19] ・「・・・知ることができるように」  何を?      『神から与えられているもの』と、『その価値』 *神から与えられている最大の『宝』 = イエス・キリスト [コロサイ2:3, 9-10] イエスの模範(「イエスがなさったように」がカギ) ◎御父(神)の栄光を現すため ― 人々が「神の愛と力」を体験するため ◆『私たちのガンバリ』ではなく・・・ [Ⅱコリント4:7] ・熱心なクリスチャンほど「一生懸命」に奉仕するが、『神の力』が現されるために必要なのは次の2つ。 ①信仰(御父への深い信頼) ・「あなたが私を通してなさりたいことなら、私の好みに関らず何でもなさってください!」という態度。 ②聖霊 [Ⅰコリント2:12] ― イエスと聖霊はワンセット。聖霊が私たちをイエスに結び付ける。 ・聖霊はあなたから主導権を委ねられるのを待っておられる。 ◆内なる方を目覚めさせる ・「クリスチャンって堅苦しそう・・・ 個性がなくなるのでは?」 イエスを信じ、イエスと共に生きるなら、「皆同じようになる」のではなく、キリストのからだの各部分として 「神の栄光を現す」という『同じ目的』のために、1人1人が違った役割を担うようになる。 ・聖霊の活性化スイッチを入れる(目覚めさせる) [Ⅱテモテ1:6] もしあなたの『内なる方』が、悪魔によってこの世への興味に埋もらされ眠っているなら、目覚めさせよう!   Outline of the sermon          “Awake Christ Read more…

(190) “すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”

聖書の巻頭にある『創世記』という書物に、神が6日間で全世界をお造りになったくだりが出ていますが、神はその6日目の最後に人間をお造りになり、そして「7日目に休まれた」と書いてあります。すなわち人間にとっては第1日目は『休日』だったわけです。 日本人は一般的に『勤勉』です。それは良いことですが、しばしばそれが高じて「働きすぎ」になる傾向があります。毎日夜中まで残業したり、土日も休まず働いたり…、あたかも「休むことは無駄である」とか、休息をとることに後ろめたさを感じているかのようにも見えます。こちらニュージーランドに来たワーキングホリデーの若者の中にも、時々「日本の忙しさから逃れて精気を回復するために来た」はずなのに、仕事場の事情で『12連勤(12日間連続して休みなく働くこと)』などを余儀なくされている人がいたりします。本当に残念なことです。 こんな話があります。ある日2人の木こりが「1日のうちにどちらがよりたくさん木を切り倒せるか」を競うことにしました。1人は少し年をとっているが熟練した木こりで、もう1人はまだ若くて未熟ではありましたが体力にはめっぽう自信がありました。若い木こりは夜明けから日が暮れるまで休まずに斧をふるい続け、1日の終わりまでに25本もの木を切り倒しました。「これだけ切り倒せば、アイツに負けるはずがない。きっと今頃スタミナを使い尽くしてぶっ倒れているに違いない。」 一方熟練した木こりは「1時間ごとに10分間の休憩時間」を取りながら働きました。当然斧を使うのに費やした時間は若者よりもずっと少なかったわけですが、何と彼は1日の終わりまでに40本もの木を切り倒していたのです。若者は愕然として言いました。「こんな馬鹿な!アンタは俺よりも力がないばかりか、1時間ごとに10分もの休みを取りながら働いていたのに、俺の倍近くもの木を切り倒してしまうなんて?!」そこで熟練した木こりは答えました。「私は10分間の休憩時間に2つのことをしていたのさ。1つはゆっくり休んで体力を回復させること。もう1つは歯が鈍くなりつつある私の斧を十分に研ぎ直すことだよ。」 神は私たちを「休みなく働くように」とはお造りになりませんでした。私たちが与えられた才能や潜在能力を十分に発揮するためには「心身共に休養が必要」なのです。今日もイエス・キリストは私たち1人1人を招いて言われます。「わたしの許に来て十分に休息を取り、また『真の自分自身』を取り戻して、もう1度出て行きなさい」と。

(189) “すべてのことについて感謝しなさい。”

あなたは素直に物事を喜べる方ですか?それとも疑り深くてすぐに喜べないタイプでしょうか? 『感謝の心』というものは、単に「喜べることが起こった時に用いるもの」というだけではなく、それ以上のものです。すなわち『感謝の心』はあなたの中に「更に優れた喜びをもたらすための門」を開くのです。 『感謝の心』はあなたの心を良いリズムに保ち、あなたの中にあるストレスを軽減し、肉体的な健康を促進し、思考回路をクリアにします。また医学的にも『感謝の心』は脳や体内にエンドルフィンを放出させ、人体に活力を与えると言われています。肉体のどのような働きにおいても同様ですが、この『感謝の心』も使えば使うほど発達します。何も『筋トレ』のような大変さはありません。ただ単純に「思いの焦点」を変えればよいだけです。老人施設で暮らすある老婦人は神にこう感謝したそうです。「ああ神様、私に丈夫な『2本の歯』を与えてくださって本当にありがとう。そのうち1本を上にそしてもう1本を下に与えてくださってとても感謝です。しかも何とその2本はちょうどピッタリ噛み合うのです!」 あなたにもし家族がおられるなら、ぜひ毎日の食卓で1人1つずつ「今日出会った感謝なこと」を分かち合うようにしてみてください。このように『感謝の心』を育てることにより、家族皆が生き生きと人生を送れるようになり、そしてそれは周囲の世界にも影響を与えていくのです。ある作家はこのように書きました。「あなたがもし孤独を感じている人や落胆している人に『ほんの小さな感謝の気持』を伝えることができたら、この世界の幸福度はグンと上がるに違いありません。だってあなたがつい忘れてしまいがちなその『小さな感謝』が、それを受け取った人には『一生の宝物』になるかもしれないのですから。」

2015年11月22日 「イエスについて行く」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「イエスについて行く」       (22/11/2015) ◎[ルカ9:23]                                     自分 ・先週「イエスは私たちの内におられる」と学んだ。           イエス  肉 図式すると                         聖霊          悪霊 神の国     この世 ◆信仰による選択 [Ⅰコリント10:23] ・私たちは『自由意志』によって「神の国の支配」に生きることもできるし、悪霊主導の「この世の支配」に生きるこ ともできる。これは私たちの『救い』を失わせることはないが、「神との親密な交わり」には大いに関係がある。 ◆神の関心事 = イエス・キリスト ・神が私たちの態度に関して最も関心があるのは、「ひとり子イエスをどう扱っているか?」 ①彼を「受け入れるか否か」で、『救い』が決まる。 ②彼を「愛するか否か」で、神との関係の質が決まる。[ヨハネ14:21] ◆『みことば』と『神の臨在』 ・毎日「赤ん坊がミルクを求めるように」みことばを読みあさる。 ・『最低週3日』は、「みことばを学ぶ(クリスチャンとの交わりの)機会」を持つ。 ✰「1人の方を愛するため」には、多くのことに『No』と言わなければならない。 このことのために犠牲が払えないとすれば、それはあなたの愛に問題がある。   Outline of the sermon          “Following Jesus.”     (22/11/2015) ◎[Luke 9:23]                                     Self ・Last Sunday we Read more…

(188) “お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。”

『家庭内暴力』というものが問題視され始めて久しいですが、様々な対応がなされているにも関らず、発生件数やその激しさは日に日にエスカレートしています。一体何が原因なのでしょうか? 私が子どもの頃に比べて、現在の日本社会(に限らず世界全体でも…)が遂げた大きな変化は次の2つでしょう。それは「物質的豊かさ」と「人間関係の希薄さ」です。そしてこの2つは関連性があります。最も典型的な例が、『少子化』に伴って子供たちが家庭において兄弟関係の醍醐味を体験する機会が減った上に、「物を与えられて放っておかれること」を通して親からさえも『人間味のこもった愛情』を体験しにくくなっている現状です。そのような子供たちが大人になって結婚しても「豊かな夫婦関係を築くこと」は非常に困難であり、また生まれてくる子供を「人間らしく愛情深く育てていくこと」は更に無理があるのです。 人は誰でも豊かに生きる上で『生きた模範』また『正しく愛された経験』が不可欠です。家庭内暴力がエスカレートしてしまうのは、人生にとって必要不可欠なそれらのものを味わう場(本来なら『家庭』)が失われているからです。 イエス・キリストは十字架の上で虫の息になりながら「父(神のこと)よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、自分で分からないのですから。」と祈られました。イエスが祈られたように、まさに私たちは自分で自分の人生をダメにしてしまっていることが分かっていないのです。そしてその根本的な原因は、私たち人間が「私たちを創造し、今日も私たちを愛しておられる神」を見失ってしまっていることなのです。 神は私たちがもう1度「神との壊れた関係」を修復することができるようにと、ご自身の側から『和解の使者』であるイエス・キリストを遣わされました。このイエスの十字架によって現された『自らをささげて赦す愛』を受け入れる(自分で体験する)ことによってのみ私たちは、人間が本来与えられている「愛に基づいた豊かな関係」を築いていくことができるのです。

20151115 「内におられる方」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「内におられる方」     (15/11/2015) *イエス・キリストは(信じる者と)「共におられる方」というよりは、むしろ「内におられる方」である。 ◆『内におられる』とは?                                                 [Ⅰヨハネ4:4] ・私たちは主イエスを「心の内に」迎え入れた。[黙示録 3:20] ・イエスは「私たちの内に」来られ『いのち』となられた。[Ⅰヨハネ 5:11-12] ・イエスは『聖霊』として来られた。[ヨハネ14:16-18] ・聖霊は「私たちの内に」住んでおられる。[Ⅰコリント 3:16] ・イエスは「決して離れず、見放さない」と約束された。[ヘブル13:5] ◆「内におられる」と「共におられる」の違い 利点 ・「絶対に離れない」という保障   ・『保険』ではなく、『いのち』そのもの。 欠点 ・私たちの不信仰によって制限される。 ― カギとなるのは『明け渡し』。 ◎祈りが変わる ― 「お願い」から「宣言」へ [ヨハネ11:41-43] スモールグループでの分かち合いのために イエスが「内におられる」のと「共におられる」のとでは、どう違いますか? ②「内におられるイエス」を日々実感して生きるためには、どうすれば良いと思いますか?   Outline of the sermon     “The one who is in you.”  (15/11/2015) *Jesus Read more…

(187) “何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心(思い)の一新によって自分を変えなさい。”

私たちは「自分のためにならない欲(誘惑)」からどうすれば解放されるのでしょう?例えばある人が体重を減らすために大好きな甘い物を我慢するとします。その人が一生懸命「甘い物を食べちゃダメ。甘い物を食べちゃダメ。甘い物を食べちゃ…」と繰り返せば解放されるのでしょうか? いいえ、むしろそれは逆効果でしょう。なぜなら私たちが何かに対して頻繁に思いを向けるほど、それからの誘惑が強くなるからです。誘惑から解放されるためには、むしろ「他のより優れたもの」に思いの『向きを変える』必要があります。私たちの敵は「甘味処」にあるのではなく「私たちの思いの中」に住んでいるからです。たとえ甘い物を買いに行かないために1日中家の中に閉じこもっていたとしても、私たちは相変わらず1日中「大好きな甘いもの」のことを考え続けることができてしまうのです。 イエス・キリストは、私たちの「罪を赦すため」だけでなく、私たちを「罪の誘惑から解放するため」にもこの世に来てくださいました。彼は地上での生涯を通して私たちに「何よりも魅力的で崇高なもの」すなわち『神との関係の中で生きること』を身をもって示してくださいました。病んでいる者には癒しを、悩む者には平安を、憎しみの中には赦しと和解をもたらされました。それは彼を通して『神の愛』を体験した私たちが、その愛に魅了され、その同じ愛を人々の間で流していく者とされるためです。 あなたはもうこの愛に出会いましたか?もしまだなら、世のハイペースで疲れきったあなたの思いを、このイエスに向けてみませんか?

2015年11月8日

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「まことに、まことに、…」       (08/11/2015) [ヨハネ5:24~25] ― 大切な『真理』を伝える時にイエスがしばしば用いたフレーズ。 ◆イエスとイエスのことば ・イエスが「神から遣わされたお方(神の子)である」と信じ、その権威の下に彼のことばを受け入れる。 → 父なる神による承認。[マタイ17:5] ◆死からいのちへ [25節] ・『死』とは、神から離れ「人間本来の生き方」を失っていること。 「聞く者は生きる」ということは、「当人の選択次第である」ということ。 ◆『いのち(人間本来の生き方)』とは? [ヨハネ1:1-5, 14] ・イエス・キリストこそ『神のことば』そのもの。この方をしっかりと握って生きる時「いのちの光」を持つ。 光の性質(4~5節) ― ①自分のいる所を明らかにし、 ②安心と暖かさを与え、 ③行く先を示す。 恵みとまこと(14節) ― 『救い』は「自分の努力」によるのではなく、『真理』に目が開かれること。 *人生の主導権は『自分』ではなく、「すべてを治めておられる『神』」にある。この方に委ねて生きる時、彼は 一方的な恵みによって私たちを救い出す。ここに真の自由がある! ・この『神主導の人生』こそ、まさしくイエスが私たちに生き様をもって示したこと。[ヨハネ5:19] そしてイエスは、私たちも同様に生きることを期待しておられる。[ヨハネ20:21]   Outline of the sermon          “Very truly I tell you …”     (08/11/2015) [John 5:24~25] ― Jesus Read more…