2024年8月18日 「福音を説く(5)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(5)」    (18/08/2024) *以前にも話したが、神は私たちの思いを遥かに超えた方だから、私たちの知恵や努力によっては悟ることができない。しかし、神は私たちにご自身の事を知って欲しいと願っておられ、また私たちの「心をご覧になる方」だから、私たちが『本気で』真理に飢え渇き、神を探し求めるならば、私たちにご自身を現わされる。 ◆『御子イエス』に現された、神の性質 [へブル1:3]  ①神の力と権威[マタイ8:23-27]  ②心をご覧になる方(罪を赦す権威)[マルコ2:5-8]  ③愛と憐れみ[マタイ8:1-3] ④イスラエルに対する執着[ルカ13:34]  ⑤ご自身の証言[ヨハネ14:8-9]  ・これだけイエスを通して『神の性質』がはっきり現されたのにもかかわらず、イエスを「まことの神の子」と信じる者は少なかった。主な理由は「神が人の姿で現れるはずがない」という先入観と、もう1つは… [マタイ16:13-17] ◆なぜ「信じる人」と「信じない人」がいるのか?  ・イエスは「父が引き寄せてくださらなければ…」とおっしゃった。[ヨハネ6:44] 神は「本当に見ようとする者」にしか見出すことができないようにしておられる。[マタイ13:13-17] しかし「熱心に捜す者は見つける」とも約束しておられる。[箴言8:17,エレミヤ29:12-14]  ・神は私たちの救いを望んでおられる。[Ⅰテモテ2:4] だからあきらめずに福音を宣べ伝えよう![ローマ10:9-14] 今日の要点 「分かったら、信じる」のではなく、「信じれば、分かる」! ◎更に深い学びのために  ①私たちは『御子イエス』を通して、神のどのようなご性質を垣間見ることができますか?  ②なぜ神は、私たちが「本気で求めよう」としない限り、私たちにご自身をお示しになろうとしないのでしょう?  ③「熱心に伝道したからといって、相手が信じるわけではない」のに、なぜ福音を宣べ伝えるべきなのですか? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (5)”  (18/08/2024) *We cannot understand “who God is” unless He Read more…

(584) “主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。”

 まず質問です。もしあなたがある企業の人事課で働いており、新規に採用する社員を1人だけ選ぶための面接をしているとします。最終面接に残ったのはとても対照的な2人の人物でした。1人は能力的には「即戦力」として働ける技術を持っている若者ですが、経歴を見ると、これまでいくつもの会社を数カ月で解雇になっており、見るからに態度も悪そうです。もう1人は最近まで銀行員として20年以上働いてきた中年の男性で、ずっと介護してきた母親を最近看取り、長年の夢であった希望の職種である当企業に思い切って応募してきたという、技術的には1から指導しなければならないど素人。さあ、あなただったらどちらの人材を採用しますか?  もちろん、その時の会社のニーズにも大きく左右されることでしょう。「即戦力」を必要としているのか、はたまた「育てるのに多少の時間はかかっても、忠実に働いてくれる人材」が欲しいのか?もし経済的に余裕があるならば、両者とも仮採用して、しばらく様子を見るということもできるかもしれません。しかし状況が許さないとすれば、一体どちらの人材を採用することが適当なのでしょうか?  1つ言えることは、「技術ならばある程度『教育』によって養うことができるけれど、性格は簡単には変えられない」ということです。『責任感』『時間厳守』『礼儀作法』『仕事への情熱』『愛社精神や同僚との関係』などなど、単なる『能力』以外にも、共に働く人材に求められる要素は数多くあります。私なら「後者の人材」を選ぶような気がします。  私たちをこの世に送られた神様は、この地上において私たちと共に成し遂げたい多くの「みわざ」をお持ちです。ではそのために私たちが「1日も早く技術を磨くこと」をお望みでしょうか?いいえ、むしろ神様は私たちの内側に「ご自身のわざを担うべき品性」を培うことに熱心なお方です。聖書はその「第1の資質」として『神を恐れること』を挙げています。この『恐れる』とは「怖がる」ということではなく、「畏れ敬う」という意味です。神の「神たるご性質」を正しく理解し、心からの尊敬と信頼を置くこと、神は私たちの内にそのような態度が培われることをまず第1に願い、日々関わってくださるのです。

2024年8月11日 「福音を説く(4)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(4)」    (11/08/2024) *先週は「誘惑者である悪魔」、そしてその悪魔のわざを打ち破るために来られた「神の子イエス」について確認した。そしてこの『神の愛』に対するふさわしい応答が「信頼と従順によって現わされる『私たちの愛』」であることも。 ◆『いのち』とは? [ヨハネ10:10,14:6,ローマ6:23]  ・『盗人』というのは、まさしく『悪魔』のこと。そしてイエスは「いのちを豊かに与えるため」に来られた。この『いのち』というのは単に「生物学的ないのち」のことではなく、主イエスご自身、すなわち「神との親しい関係の中で生きる人生」のこと。これが主イエスの与える『救い(永遠のいのち)』であり、神の一方的な恵みによって与えられる。 ◆『いのち』があるのと無いのとでは、どう違うのか?  ・『いのち』とは、「いのちの源である『神』とつながっている」こと。このいのちが無いのは、電源につながっていない電気器具のように「存在しているだけ」。本来の役割を果たすことができない。では「私たちの本来の役割」とは?  ・私たちは『神の作品』。[エペソ2:10] 神の目的にふさわしく造られている。この『良い行い』というのはいわゆる「善行」のことではない。「良いお方」が私たち1人1人にふさわしく用意してくださったわざだから『良い行い』。  ・イエスは単に「神との関係を修復するため」に来ただけでなく、ご自身が『いのちそのもの』。[Ⅰヨハネ5:12] 彼はご自身を歓迎する者の人生に入って来られ[黙示録3:20]、決して私たちから離れることはない。[へブル13:5] 今日の要点 『永遠のいのち』とは、神との交わりの中でキリストと共に生きる「興奮の人生」 ◎更に深い学びのために  ①イエス・キリストを通して神が与える『いのち』とは、どのような『いのち』ですか?  ②神が私たち1人1人に与えておられる『本来の役割』とは? また、それをどうやって見出すことができますか?  ③イエス・キリストを『救い主』と信じて生きることは、そうしないで生きることと、具体的にどのように違いますか? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (4)”  (11/08/2024) *Last week we learnt how much God loved us so that we Read more…

(583) “この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。”

 皆さんは、どんな人になら「心から信頼する」ことができますか?正直な人?愛情深い人?力の強い人?経済力のある人?恐らく多くの人は、相手を信頼する上で、その人の『能力』以上に『誠実さ』を重視するのではないでしょうか?ただ、1つの難しさは、いわゆる『善意の人』ほど「八方美人的」になってしまう傾向があり、そういう人は複雑な人間関係の中で「板挟み」になりやすく、結局約束を守れなくて相手をガッカリさせてしまうことが起こったりするのが世の常です。  それでは、一体どんな人が「信頼に値する」のでしょうか?もしかしたらそれは「自分に対して特別な思い入れを持ってくれている人」なのかもしれません。たとえその人が「皆に信頼されるタイプの人」でないとしても、自分の事だけは『特別扱い』してくれる。たとえ他の人をガッカリさせることはあったとしても、お互いの間だけは信頼を保ち続けることができる。そんな人を1人でも持っているなら、その人はきっと安定した心で日々を暮らせるに違いありません。  私たちを造られた「天の父なる神」は、私たち人類を『十把一絡げ』で愛しておられるわけではありません。1人1人に心をかけ、『特別に愛して』くださっているのです。そしてこのお方は「愛と善意」に満ちておられ、全知全能であられ、しかも決してあきらめることもないお方なのです。彼は「必ず約束を守ることのできるお方」であり、「自分自身を偽ることのできないお方」です。それ故このお方は「私たちからの『信頼』」を常に求めておられます。  身近に「心から信頼できる存在」がいる人(私と妻の関係のように…)はとても幸いです。しかしたとえそのような存在が1人もいなかったとしても、天地万物の創造主である『神』は、あなたにとって「信頼に足るお方」なのだということを、ぜひ覚えていてください。

2024年8月4日 「福音を説く(3)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(3)」    (04/08/2024) *神は私たちの『絶対的な信頼』をお求めになる。しかしそれを好まない悪魔は、私たちの邪魔をする。 ◆悪魔の誘惑 [創世記3:1-6]  ・ここで蛇(悪魔)は木の実を用いて「3つの領域」において人を誘惑している。(6節) ①食べるのに良さそう  ②目に慕わしい ③賢くしてくれそう 現代でも私たちが神を見失い『罪』に陥るのは、同様の誘惑による。  ・神が私たちの傾向性を知っていながら同様にして導かないのは、「ご自身の性質に反する(ヤコブ1:13)」から。神は私たちが『ご自身の似姿』として「誘惑に勝利し、正しいものを選ぶ生き方」をして欲しいと望んでおられる。 ◆神の方法  ①神は私たちが「欲に負けてばかりいたら身を滅ぼすことを学べる」と知っている。神は私たちの成長を待つ。  ②神は『人』を「見えないものにも目を留めることのできる特別な存在」としてお造りになった。それ故あえてリスクを冒してでも、私たちに『優れた選択』をすることを期待して忍耐される。[Ⅱコリント4:18]  ③神は私たちが「神を愛する故の選択」をする余地を敢えて残された。[Ⅰヨハネ2:15-17]  ・神が御子イエスを遣わされたのは、悪魔のわざを打ち壊すため(Ⅰヨハネ3:8)であり、私たちに対する愛を明らかにされる(ローマ5:8)ため。それ故、神に対する唯一の正しい応答は「信頼と従順によって現わされる『愛』」。 今日の要点 「信頼と従順」によって、『神の愛』に応答する。 ◎更に深い学びのために  ①悪魔が私たちを誘惑してくる「3つの領域」とは何ですか? あなたの弱点は特にどの領域でしょう?  ②神の方法は、悪魔の策略とどのように違いますか? また、それはどうしてだと思いますか?  ③神は私たちのどのような『応答』を欲しておられるでしょう? それはあなたの今日の歩みにどう影響しますか? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (3)”  (04/08/2024) *God desires our “absolute trust” which the devil absolutely Read more…

(582) “感謝の心を持つ人になりなさい。”

 ベトナム戦争の時代に、アメリカ空軍にチャールズ・プラムというパイロットがいました。彼はとても優秀な戦闘機パイロットでしたが、その76回目の出動の時にとうとう敵地でミサイルに撃ち落され、命からがらパラシュートで脱出して、その後の6年間を敵の捕虜として過ごしました。彼は戦後釈放され、帰国後アメリカ空軍にて若いパイロットたちに講義するようになりました。  ある日チャールズが妻と2人でレストランで食事をしていると、近くのテーブルで食事をしていた男性が彼を見かけて声をかけてきました。「もしやあなたは、ベトナムで戦闘機パイロットをなさっていたプラムさんではありませんか?」 チャールズは「はい、そうですが」と答えました。男性は感動した面持ちで続けました。「やっぱり!あなたはいつも『キティ・ホーク』という空母から出動されて、多くの功績をあげた後、とうとう撃ち落されましたよね?」 チャールズは驚いて尋ねました。「一体どういうわけで、あなたはそんなに詳しく私のことをご存知なんですか?」 その男性は答えました。「実は当時私は『キティ・ホーク』で戦闘機のパラシュートを設置する仕事をしていて、あの日もプラムさんのパラシュートを整備したんです。今ここでこうしてお会いできたということは、あのパラシュートはちゃんと役割を果たしたんですね!」  チャールズは帰宅した後、その晩は興奮して眠れませんでした。その男性のことが頭から離れなかったのです。「私は彼が『キティ・ホーク』で働いていた様子を全く知らない。きっと船上で何度もすれ違っていたはずなのに、挨拶すらした覚えがない…」 チャールズは、船内の奥の方で黙々とパラシュートを整備し、ちゃんと機能を果たすかどうかを何度もテストし、祈りを込めて機体に装着している名もない多くの「パラシュート整備士たち」のことに思いを馳せるようになりました。そして若いパイロットたちに講義する時、毎回「キミたちは、自分のパラシュートを整備してくれている人の名前を知っているか?」と尋ねることにしたのです。  私たちの日々の生活も、多くの人々の助けと協力で成り立っています。その中には名前も知らない、挨拶をしたこともない人がいるかもしれません。「しなければならない事」に追われてばかりいないで、1日に何度かは立ち止まって周囲を見回し、今日生かされていること、今の役割に全力を注げることを感謝してみませんか?

2024年7月28日 「福音を説く(2)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(2)」    (28/07/2024) [創世記1章26~27節,詩篇8章3~6節] ― 今日は『神と人との関係』がテーマ ◆人に対する神の思い入れ(執着?)  ・神は私たち人間を「ご自身の似姿」に造られた。すなわち、他のすべての被造物とはっきりと区別された。言わば『人』は「神の興味・関心の中心」なのだ!また神は人を「ご自身のみわざの代行者」としてお造りになり、他の被造物を人の手に任された。私たちはこの『使命』において、「神との正しい関係」の中にいる時のみ、最善の結果を得ることができる。 ◆何故人は神に頼るべきなのか?  ・神は私たちに「最大限の喜びと満足」を体験させるために、私たちに『絶対的な信頼』をお求めになる。問題は、私たちの側が「神はそのような信頼に足る『良いお方』であると信じられるかどうか」、という点。私たちは「疑う」のではなく、「ただ信じること」が求められている。[マルコ5:35-36] 先週は、「罪とは神に対する誤った態度である」と学んだが、『神に対する正しい態度』とは、「すべてが分かったわけでなくても、とにかく信頼して従う」こと。  ・人が神に信頼できないのは、「不信仰だから」というよりも、むしろ「神のことをよく知らない」から。先週学んだように、①聖書、②被造物、③イエス・キリスト を通して、もっともっと神のことを正しく深く知ろう![ホセア6:3] 今日の要点 『神に対する正しい態度』は、「全ては分からなくても、信じて従う」こと ◎更に深い学びのために  ①神は何故私たち人間に「執着」なさるのでしょう? 私たちは神にとってどんな存在ですか? そう言える根拠は?  ②神が私たちに『絶対的な信頼』をお求めになるのは、どんな理由からですか?  ③何故人は神にトコトン信頼することができないのでしょう? どうすればもっと神に信頼できるようになりますか? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (2)”  (28/07/2024) [Genesis1:26~27,Psalm 8:3~6] ― Today’s theme: “Relationship between God and mankind”. Read more…

(581) “全き愛は恐れを締め出します。”

 精神科医たちの調べによると、世の中には約2000種の『恐れの感覚』というものが存在するそうです。ところが大変興味深いことに、彼らの調査によると、私たちが生まれる時から備わっている『恐れ』というものは、「落下に対する恐怖」と「騒音に対する恐れ」の2つだけなのだそうです。すなわち、その他のすべての『恐れの感覚』というものは、私たちが人生の中で学んで行くわけです。ということは逆に言うなら、私たちは多くの恐れを「学ばないでも済む方法」もあるはずなのです。  私たちの人格は日々の経験や習慣などによって形成されますが、その『決定的な特徴』というものは(良いものであれ悪いものであれ)多くの場合ほんの数えられるほどの体験によって決定づけられるのです。そしてそれらの『特別な体験』は私たちの心に「自信や不安」「希望や臆病さ」「信頼感や恐れ」などの種を心の深い部分に植えつけるのです。  聖書は「恐れを締め出すのは『全き愛(私たちに対する創造主なる神の愛)』である」と教えています。『神の愛』は「無条件」であり「変わることのない」無限の愛です。そしてこの『愛の神』との関係が生み出すものこそ、「『恐れ』からの解放」なのです。この神への信仰を育むことが、「不要な恐れを捨てて行くプロセス」となるのです。言葉を換えるなら、「『神を正しく恐れること』さえ学べば、他のものを恐れる必要は無くなる」わけです。  聖書にある『神の約束』の中でも最も偉大なものの1つに次のようなものがあります。「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」。残念なことに「人の約束」は場合によっては破られてしまうことがあります。しかし『神の約束』は決して破られることはありません。神とはそういう方なのです。

2024年7月21日 「福音を説く(1)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(1)」    (21/07/2024) ◆福音を伝えるのは難しい?  ・多くのクリスチャンが福音を伝えようとする時に「難しい」と感じるであろうことは、「神様の存在は信じてもらえてもイエス・キリストの話になると分かってもらえない」ということ。では何故イエス様に結びつけるのが困難なのか?  ・恐らく1つのハードルは『罪』の概念。「どうしてキリストが私の身代わりに死ななきゃならないの?」というわけ。実はこれは「罪の概念の説明の仕方」に原因がある。『罪』というものを正しく理解してもらうためには、まずどうしても『神』というお方を正しく知ってもらう必要がある。 ◆どのようにして「正しい神のイメージ」を抱くか?  ・大抵の人の『神概念』は自己中心的。自分に都合の良いようにイメージを抱く。これは単に「人間の性質」というだけではなく、悪魔が私たちの「神のイメージ」を歪めようと働いているから。そのため私たちは神に対して「誤った態度」で接してしまう。この「神に対する誤った態度」こそ、『罪』の本質なのである!  ・『真の神』を「人間的な知恵や力」によって正しく知ることはできない。神ご自身からの『啓示』が必要である。つまり ①聖書、②被造物、③御子キリストなどを通して。これらから分かる『真の神』は、「天地万物の創造主」であり  「想像を超えた知恵と力に満ちた方」であり、「全てを支配される主権者」。これらによって神は栄光を現される。 今日の要点:『罪の本質』は、「真の神に対する誤った態度」 ◎更に深い学びのために  ①あなたが他の誰かに「福音を伝えよう」とする時、どのようなことに「難しさ」を感じますか?  ②私たちが抱きがちな「誤った神のイメージ」は、どのようなものでしょう? それはどんな理由によるのですか?  ③「正しい神のイメージ」はどのようなものでしょう? それらはどうやって知ることができますか? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (1)”  (21/07/2024) ◆Is it very hard to preach “the Gospel”?  ・Why many Christians feel difficult to Read more…

(580) “私たちの資格は神から与えられるものです。”

 「自分はそれにふさわしくない存在である」という感覚は多くの人が抱くものではないかと思います。一見『謙遜』にも聞こえるこの感覚は、言い換えるなら「自分はどんなに頑張っても、一定の基準に達することはできない!」という不健康な劣等感に根ざしています。多くの場合このような感覚は幼い頃に親や先生などの影響力を持つ立場の人々が、他の人たちとの比較によって誤った評価を下したことが尾を引いています。  私たちはどのようにしてこのような「誤った評価による不健康な自意識」から抜け出すことができるでしょう?次の2つのことを知ることが助けになると思います。  ①『創造主なる神』と出会うことなしに、自身の真価を見出すことはできない  ・この世における評価のほとんどは『相対的評価』であって、他の何かと比べることによって計られています。私たち自身も「他の誰か」と比べることによって一喜一憂するわけですが、それらは本当の自分の価値ではありません。本来私たちは神によって1人1人ユニークに造られているので、『相対的評価』ではなく、「神による『絶対的評価』」によって自分の価値を見出すことのできる存在なのです。  ②自身の真価を発揮するために、神から注がれる力によって、神のご計画と向き合う  ・神から離れた状態のままだと、私たちはいつも「自分が何か立派なことを成し遂げることによって自分の価値を見出そう」としてしまいます。それ故に失敗を重ねることが多く、劣等感にさいなまれることになるのです。神が私たち1人1人をユニークな存在として造られたのは、それぞれに「特別な何か」をさせるためにデザインされたのです。その『神のご計画』を探り、見出し、その計画を成し遂げるための「知恵や力」を神に求めつつ歩んで行くなら、誰とも比べる必要のない『自分の真価』を発揮しながら、大いなる興奮と喜びを持って生きることができるのです!