(30) あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう。

あるお金持ちが波止場を散歩していると、1人の漁師が舟の上でのんびりとくつろいでいるの見かけました。いかにも仕事を怠けているかのように見えるその漁師に向かって、彼はこう話しかけました。「何で漁にも出かけずに、そんなところでくつろいでいるんだ?」漁師は答えました。「いや、もう今朝のうちに十分魚が捕れたんでね。」金持ちは続けました。「だったら、もう1回出かけて行って、もっとたくさん捕まえてくればいいじゃないか。」今度は漁師が逆に尋ねました。「そんなに余計に捕まえてどうするのさ?」金持ちは答えました。「そうすれば、もっとお金が稼げて、もっと大きな舟が買えて、そうしたらもっと大きな魚を捕まえられるようになって、ドンドン儲かるじゃないか!」漁師は再び尋ねました。「そんなにお金を貯めてどうするのさ?」金持ちは鼻を鳴らしながら言いました。「もちろん、そうすればのんびりとくつろいで、俺みたいに毎日楽しく暮らせるだろ?」漁師は答えました。「じゃあ、俺が今こうしてのんびりとくつろいでいて、何が悪いんだい?」 心の安らぎや満足感というものは、2つのモノを手に入れることからやって来ます。1つ目は「優れた関係」そしてもう1つは「優れた人生の目的」です。 私たちがこの地上で持ちうる『関係』の中で最も優れているのが、この天地を造られた『神』との関係です。そして次に大切なのがあなたの『家族』との関係。この2つの関係をどのように建て上げていくかが、あなたがこの地上での人生の終わりに近づいたときに、大きくモノを言います。 また、「優れた人生の目的」も、あなたを造られた『神』と出会うことからやってきます。神はあなたを、偉大な目的に従って、この地上に送り出されました。それを見出したとき、あなたは何故自分がそのことに以前から興味があり、そのための十分な能力を持っていたかに初めて納得がいくのです。 アメリカ開拓史の中で、次のようなユーモラスな話があります。ある男がアメリカ大陸へ移民を志していた頃、次のようなウワサを耳にしました。「どうやら、アメリカって所は、道がすべて黄金で舗装されているそうだ。」彼はこの「黄金の舗装道路」を見るのを楽しみにしながら、アメリカへ渡りました。ところが、道は黄金どころか、舗装さえされていなかったそうです。彼は「皆が楽しみにしてやってくるアメリカの道路がこんなのでは良くない」と言って、道路を舗装する仕事をライフワークにした、ということです。 あなたはもう自分の『ライフワーク』を見つけましたか?もしまだなら、まず「神との関係」を築き上げてください。神はあなたを最高の『ライフワーク』へと導くことのおできになる方です。

(29) 神はへりくだる者を正しい道へと導く。

こんな人に会ったことはありませんか?どこに行くにも杖を持ち歩いて、分かれ道に出くわすたびに、その杖を高く放り投げ、その杖の先が向いた方が『神様が導いている道』と信じて進んで行く。何て信心深いことでしょう! さて、ある時1人の男性が、この「杖を持った人」がある交差点で、何回も繰り返して、上方に杖を放り投げ、落ちてはまた拾い上げて放り投げているのを見て、尋ねました。「一体何をしているんだい?」 その人は答えました。「見て分からないかい?神様がこの杖の向く方向によって、私の行くべき道を示してくれるのを待ってるんだよ。」 「なるほど、それは分かったけど、じゃあどうして、そうやって何回も放り投げているのさ?」 その人は答えました。「だって、何回やっても、杖が間違った方を指すからさ。」 この話と、あなたの人生とは、どこか共通点がありませんか?「神様がいるなら導いて欲しいけど、あくまで私がやりたい通りにさせてくれるなら…」 神様に伺いを立てながら、その答えが自分の気に入るか否かで、その助言に従うかどうかを決めるなら、一体どちらが『神様』なのでしょう?水が高いところから低いところへと流れるように、神様からの祝福も、心を低くする者へと流れ込んでくるのです。「今まで自分のやりたいように生きてきて、うまく行かなかった」というアナタ!思い切って、神があなたのために備えてくださっている道を求め始めてはいかがでしょうか?

2011年9月11日 神からの栄誉

説教あらすじ 「神からの栄誉」   (11/09/2011) ◎[ヨハネ5:39-47] *今日はここから、3つのポイントで学ぶ。 ①聖書は初めから終わりまで『キリスト』を指し示している。[39-40節] ・聖書が終始私たちに指し示しているのは「守るべき教え」ではなく、「神ご自身について」そして「神との関係 の回復について」である。そしてまさにキリストは「神とはどういう方なのか?」[ヨハネ14:9]、「神との関係の回 復への道は?」[ヨハネ14:6]を示し、その回復を実現なさるために、この地上に来られた。 ②私たちが本当の喜びを得られない原因。[ヨハネ15:11] *イエスが持っていた喜びの秘訣とは? [41節] 「人からの栄誉を受けない」とは、「人からの栄誉を受ける必要がない」の意味。  ・イエスは「人からの評価は、自分の価値を上げも下げもしない」ことをよくわきまえていた。   しかし、私たちはいつも「他人による評価」に一喜一憂してしまう。 何故?➝ 『認められたい』から。  ・私たちは「自分の価値」を見出すために、様々な手段を講じる。(例:知識・財産・有名知人・ハク・流行…)    ➝ 常に『優越感と劣等感』『興奮と虚脱感』の間を行ったり来たり…。(「人間は考える葦?」) [43-44節] イエスは、私たちを神と結びつけ、私たちが「神の愛による絶対評価」に目覚め、 その価値観に生きるようになるために来られた。 ◎『神の絶対評価』とは… ①「神の作品としての絶対的価値」 ②神の愛着の故の「測定不能の価値」 ③「モーセの律法」が与えられた理由。 [45-46節]  ・律法の本質は、人は「正しい行いをすることによって、神に認められる」のではなく、「神との正しい関係の中 で生かされていないと、正しく生きられない」ことを人々に分からせること。 ・「モーセが書いたのはわたしのこと(46節)」とイエスが言われたのは、律法もキリストも「私たちが神に注目す るようになるため」に存在し、どちらも『神の愛と義』を象徴している、ということ。 イエスが十字架にかかられたのは、この『神の愛と義』を明確に表現したものである。 Outline of the sermon “The praise from God” (11/09/2011) ◎[ John 5:39-47]  *Here are Read more…

2011年9月4日 自分に関する証言

説教あらすじ 「自分に関する証言」   (04/09/2011) ◎[ヨハネ5:31-38]  ◆ある人物を知るために手がかりとなるものは?  ①自分の証言  ②他の人の証言  ③その人の業績(履歴) ◆イエスも、ご自分のことを知らせるために、次のことを示された ①自分の証言 [31節]    ・主観的であり、十分な証拠にはならない。 ➝ その人の人柄はつかめても、『真実』はつかめない。 ②他の人の証言 [33-35節]    ・参考にはなるが、1面でしかない。相対的評価。ほとんどの場合、一時的。    ・個人の好みなどがあるので、やはり『真実』ではない。 ③その人の業績 [36節]    ・客観的で、しばらく残るので、①②よりも優れているが、表面的なので、その人の実質が見えない。 ④父なる神の証言 [32, 37節]    ・創造主による「真実な絶対的評価」。隠れているものもすべて見通す。    ・私たちの『業績』を見るのでなく、ありのままを見、私たちの「信仰による選択」を重視する。 ★あなたは、自分に関するどの証言を拠り所にしますか? 聖書は次のように告げています。 [イザヤ43:4] [Ⅰサムエル16:7] [ヨハネ11:40] [イザヤ41:10] [ヘブル13:5]  Outline of the sermon “Testimony about ourselves” (04/09/2011) ◎[ John 5:31-38]   Read more…

(28) これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、

それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。 『タイタニック号』の事件をご存じですか?1912年に「決して沈むことのない安全な船」としてイギリスからニューヨークへ向かった豪華客船が、まさにその初めての航海の途上で北極海に沈没し、およそ1500名の乗客が死亡したという、実に傷ましい事故です。当初の調べでは、沈没の原因は、巨大な氷山に衝突した衝撃でできた、たった1つの大きな穴が原因ということでしたが、その後の詳しい調べによって、「1つの大きな穴」ではなく、「無数の小さな切り込み」すなわち「一見無視されそうな、致命傷に至らないようないくつもの切り込み」が本当の原因だったことが判明したそうです。 私たちはこの『タイタニック号の事故』から、私たち自身の人生を『沈没』させないための、いくつかの教訓を学ぶことができます。 まず最初は、「そんなことは、自分には決して起こらない」という思い上がりは、危険だということです。次に、「『人生の危険』は、必ずしも何か大きな事件ではなく、日常の小さな事の中に隠れている」ということ。そして最後は、1日1日の失敗の中で学んだことや他の人からの忠告をキチンと『教訓』として生かしておかないと、やがて取り返しのつかない『沈没』に至ってしまう、ということです。 実は、タイタニック号にはもともと、すべての乗客を安全に避難させるために十分な数の『救命ボート』が装備されていたのですが、「見栄えが悪い」ということで、対面を気にする乗務員の手によって外されてしまっていました。私たちにも、人生の破船が起こったときのために、初めから『神様の助けの手』が差し伸ばされているのですが、「『神様を信じて生きる』なんて、弱い人たちのすること」などと言われることを恐れて、対面を気にするがあまり、せっかくの助けを得られないでいる人々がたくさんいます。今どうぞへりくだった心で、あなたの前に提示されている『神の助けの手』にあなたの手を伸ばしてみませんか?

(27) 正しい者は、7たび倒れても、また起き上がる。

「失敗は成功のもと」と良く言われます。しかし、すべての人が失敗の経験を生かして成長しているとは言えませんよね。いったいこの「失敗の経験を生かす秘訣」というのは、何なのでしょうか? ウィルマ・ルドルフは、22人兄弟の20番目として生まれた女の子でした。貧しい黒人家庭に生まれた彼女は、幼い頃に『ポリオ』にかかりましたが、その貧しさの故にまともな治療を受けることができず、後遺症のため、9才まで補助器具を付けなければ歩けませんでした。 12才になったとき、彼女は思い切って地元のバスケットボールチームに入るためのテストを受けましたが、落ちてしまいました。それでも彼女はへこたれず、その後も毎日練習し、翌年には合格してチームに加わることができました。高校でもバスケットを続けていた彼女は、ある日陸上競技のコーチに目を留められて、短距離走のトレーニングを受けることになりました。不屈の努力が報われて奨学金が与えられ、テネシー大学に進むことができた彼女は、1960年に何と短距離走走者としてオリンピックに出場することになりました。そこには世界記録保持者の『ジュッタ・ヘイン』がいたにも関わらず、ウィルマは100メートル、200メートル、そして400メートル・リレーすべてで優勝を遂げたのです。 今ではウィルマはすっかりお婆ちゃんになってしまいましたが、相変わらず世界中を巡りながら、次のように言って、子供たちを力づけているそうです。「あなたたちにだって、驚くべきことができるのよ。あきらめないで『いつかきっとできる!』という希望を捨てずに、日々自分のベストを出し切ってさえいれば。」  

2011年8月21日 『フルサイズの人生』を生きる

説教あらすじ 「『フルサイズの人生』を生きる」 (21/08/2011) ◎[ヨハネ5:19-30] *ほとんどの人は『フルサイズの人生』を生きていない。それはなぜか? ◆人の行動の主要な動機   ①「願望(~したい)」  ②「義務感(~しなければならない)」  ③「使命感〔価値観〕(~すべき)」     ・『フルサイズの人生』のためには、①②③が揃わなければならない。それを可能にするのが『愛の関係』。 ◆イエスは、私たちに『フルサイズの人生』を送らせるために来られた。[ヨハネ10:10]    ・だからこそ、イエスは私たちに、最高の教えとして「愛の律法 [ヨハネ15:12]」を与えられた。それ故、私たちが     『フルサイズの人生』を生きるためには、まずこの「愛の関係」を人々との間に築く術を知らなければならない。 ◆イエスと御父との関係はどうだったのか?[19節]    ・イエスは本当に「自分からは何もできな」かったのか? 決してそんなことはない。      では、なぜこのような発言をしたのか? ➝ 御父との「完全な愛の関係」の故に、そう決めていた。    ・御父もイエスに対する完全な愛と信頼の故に、そのみこころを余すところなく示した。[20節]      そして御父は今日、私たちとも同様の関係を築くことを求めておられる。[例:創世記18章17節] ◆イエスの御父に対する信頼の根拠は?    ①御父は良い父だと知っていたから。[21節]   ②御父は『気分屋』ではないと知っていたから。[22節] ◆[25節] 『死人』とは? = 「まことの命の源」である父なる神とつながっていない人。 ★イエスの宣言[24節]と 2つの質問:   ・神との関係を回復し、「人々との愛の関係」を基盤とした『フルサイズの人生』を生きたいですか?   ・神に「彼にはこのことを秘密にしてはおけない!」と言われるような者になりたいですか? Outline of the sermon “Living our lives to the full.” (21/08/2011) ◎[ Read more…

2011年8月14日 ありがちな勘違い

説教あらすじ「ありがちな勘違い」(14/08/2011) ◎[ヨハネ5:8-18] *この箇所から、私たちの信仰生活に起こりがちな「3つの勘違い」を見てみよう。  ①「安息日を守らなければならない」[10節]   ・この教えのルーツは、モーセの十戒 [出エジプト記20:8-11] また天地創造のわざ[創世記2:1-3]  ◆本来『安息日』は「万物の完成を祝う日」であり、また「神が、人との交わりを楽しむ日」  ②「律法は絶対である」     ・律法それ自体は正しく良いものだが、それよりも重要なのは、それを定めた神ご自身。[ローマ1:25]  ③「『神の教え』に従わなければならない」     ・ユダヤ人たちは「神の教え」を良く研究・分析したが、その根底にある「神の心」を理解しなかった。       一方イエスはいつも「みこころ」を知り、それを行うことに関心があった。[ヨハネ4:34]    *どうやって「神の心」を理解できる?― 信じた者に与えられる『御霊』によって。[Ⅰコリント2:11, 14-16]      神が私たちに聖霊をお与えになるのは、偉大なわざを行わせるためではなく神の心を理解させるため。 ◆[ガラテヤ5:16-18] 肉=生まれながらの性質(自分の力で神を喜ばせたい!)  *神は既にあなたを100%喜んでいる。彼の願いはその喜びを私たちと共有すること。[ヨハネ15:11] ★今日も神は私たちを招く。「わたしはあなたに『わたしの霊』すなわち『キリストの心』を与えた。キリストがわたしと心を1つにして歩んだように、あなたもわたしと心を合わせて、共に歩もうではないか。」 考えてみましょう   ・私たちの信仰生活に起こりがちな勘違いとは、どのようなものですか?  ・神が私たちに願っておられることは、どんなことですか? そのために私たちはどんなことができますか?  Outline of the sermon “Frequent misunderstandings.” (14/08/2011) ◎[ John 5:8-18]  *Today we will Read more…

2011年8月7日 『神のみわざ』のプロセス

説教あらすじ「『神のみわざ』のプロセス」(07/08/2010) ◎[ヨハネ5:1-9] *これは単なる「1人の病人が癒された」というだけの話ではない。 ◆イエスは目的を持ってこの回廊を歩いていた。   ・イエスは人々の「目に見える症状」だけではなく、「魂の癒しの必要」を捜しながら歩いていた。 ◆「よくなりたいか?」[6節]   ・普通は病人にこんなことは尋ねない。しかしこの病人にはそれを再び想起させる必要があった。   ・この病人には、もう1つの病(他者依存)があった。[7節] ◆「起きて、床を取り上げて歩きなさい!」[8節]   ・この言葉には次のような意図がある。      「あなたの人生を、他者に支配させてはならない。わたしの言葉に耳を傾けなさい。」   ・この病人はイエスの言葉を心の耳をもって聞き、それに従い、そして癒された。 ◆「神のわざ」のプロセス ◎目に見えるわざを行う前に、神はまず私たちの内側をご自身のみことばによって整える。[ピリピ2:13]     ・そのみことばによって、そのみこころに従って「志を立てさせ」「事を行わせる」。     ・「肉体の健康」よりも「魂の健康」の方が重要である。 ◆最も重要なこと  ・それは「まず静まって『神のことば(語りかけ)』に心の耳を傾けること。 ★神には「どうしてもあなたと一緒にやりたいこと」があるのです! 考えてみましょう ・イエスはこの病人に何と語りかけましたか? またそのことばにはどういう意味がありますか? ・あなたは日々イエスのことばに耳を傾けていますか? もし、いないなら、それはどうしてなのでしょう? Outline of the sermon “Procedure of ‘God’s Work’” (07/08/2010) ◎[John 5:1-9]   * This is not Read more…