2013年9月8日 「『恵み』とは?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ           「『恵み』とは?」       (08/09/2013) ◆『恵み』とは?   ・『恵み』はクリスチャンにとって特に重要。[エペソ2:5] ◆「恵み」に対するつまずき   ・聖書の教える『恵み』は、この世の視点から見ると「公平」ではない。     ①「ぶどう園労働者のたとえ」(マタイ20:1-16)  ②「放蕩息子の兄」(ルカ15:25-32)   ・この世は「恵みでないもの」で満ちている。(学校・職場・社会・家庭、そして教会も・・・) ◆現代の教会が直面している危機   ・教会が『恵み』を見失ってしまったら、もはや教会ではなくなってしまう・・・   ・イエスはどんな方だったのか?(詳しくは来週)    ①イエスはこの世の外から来られたので、「この世の価値観」に侵されていなかった。    ②イエスは造り主だったので、罪人たちの中にさえ『神のかたち』を見出された。 ◆「ただで受けた」者が「ただで与える」 [マタイ10:8]   ・[マタイ5:45-48] 天の父の『完全な』性質 = 相手に関わらず「最善」を与える ー これこそが『恵み』!     これは「この世のパターン」に真っ向から勝負を挑む。[ローマ12:2]      『心の一新』 ― 自分の「常識・思い込み・道徳」ではなく、「神がキリストにおいてしてくださった通りに」。 クリスチャンライフとは、「神の無条件の恵みと赦しを受け取って生きること」であり、 また「その無条件の恵みと赦しを、他の人々に提供していくこと」 ✯『恵み』によって死に、『恵み』によって生かされましょう!   Outline of the sermon    “What is ‘Grace’ all about?”  Read more…

(93) “わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。”

「『人生成功のカギ』をあなたは持っていますか?」 こう尋ねられると恐らくある方々は「そんなものがあるのならぜひ手に入れたい!」と思うでしょうし、別の方々は「そんなものあるわけない。あれば誰も苦労しない。」とおっしゃるでしょう。しかし、私はそれを持っています。そして今日はそれを皆さんにお分かちします。 人生成功のカギ その1.「本当の成功とは何か」を理解する ・『成功した人生』とは、どのようなものでしょう?「周囲の人々から認められたり羨ましがられたりすること」でしょうか?それは単に『人気のある人生』なだけです。『真に成功した人生』とは、「自分の日々の歩みに対して心からの喜びと充実感を味わっている」ということです。そしてより高次元の目標を抱いて生きる人は、より高次元の喜びを体験することができます。 人生成功のカギ その2.「目標設定」のために、まず神に祈り求める ・「生きるための目標」を設定することは悪いことではありません。実際「目標なしの人生」はあたかも「帆のないヨット」のようで、環境に流されるだけです。しかし「目標となるものならどんなものでも良い」というわけでもありません。私たちを造られた神は、私たち1人1人のためにユニークでエキサイティングな計画をお持ちです。それは私たちが自分で思いつくどんな『グッドアイディア』にも優っています。 人生成功のカギ その3.「昨日の自分よりも、今日の自分」 ・種は1日で花を咲かせたり実を実らせたりはしません。しかしちゃんと面倒を看るなら確実に日々成長・発展していきます。神様はあなたに初めから花や実を与えることはしません。ただあなただけに育てられる『種』を与えます。あなたはそれが何であるかを見極め、そこから目をそらさず、日々心を込めて育てて行かなければなりません。他の人の成長を共に喜ぶことは良いことですが、自分の成長と比較して羨んだり落ち込んだりすることは愚かなことです。比較するなら、他の人ではなく、昨日の自分にしてください。 私は神様からこれらのカギを教えていただいてから、毎晩寝る前にこう思えるようになりました。「神様、もし私のたましいが今夜取り去られ、2度と目覚めることがなかったとしても満足です。今日は人生で最高の1日でしたから。でももしまた明日の朝目覚めるとしたら、心から感謝します。明日は私の人生の中で最高の1日となりますから。」

2013年9月1日 「真理はあなたを自由にする」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「真理はあなたを自由にする」     (01/09/2013) ◆タイタニック号はなぜ沈んだか?   ・『真理』には、「真に不動のもの」と、「私たちが単にそう思い込んでいるだけのもの」とがある。   ・イエスは私たちにいのちを与えに来た『真理』だが、悪魔は「偽りの真理」によって私たちを欺く。[ヨハネ10:10, 8:44] ◆『本当の真理』の特徴 [ヨハネ8:31]   ・もし不自由さ(恐れ・イライラ・中毒など)を感じているなら、「真理ではないもの」に捕らわれているのかも・・・   ・「悪い習慣、罪からの解放、自由」を与えるのは、努力・意志の力・修行ではない!      「真理を知り、その真理にとどまること」(まじめなクリスチャンほど、だまされやすい)   ・行動を変えるだけでは、ダメ。(クモの巣をはらうだけでなく、クモそのものを取り除く) あなたの『信念』を探る。 無意識の中にある『真理』をチェックする方法    ①行動・態度   ②感情   ③考え・セルフトーク   ④信念・結論    ⑤このことに対する神の見方(みことば)   ⑥チャレンジ *ステップ1:あなたの立ってる『真理』をチェックする。(それは今も有効?あなたの敵or味方?みことばと一致してる?) *ステップ2:それがもし「本当の真理」ではないなら、勇気を持って、新しい『本物の真理』と置き換える。   ・やってみて驚かされたのは、30年以上クリスチャンとして「みことばに従おう」として生きてきたのに、    自分が本当に信じていることがかなり聖書とずれていたこと。   ・新しい価値観で生き始めると、たとえそれが真理でも、身に付くのに時間がかかる。 自然になるまで続けてください![ガラテヤ6:9]     Outline of the sermon    “The truth sets you free.”   (01/09/2013) ◆Why did the Titanic sink? Read more…

(92) “主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。”

英語では『神』を表す単語が2つあります。1つは「God」、そしてもう1つは「god(s)」です。最初のアルファベットが大文字か小文字かだけの違いですが、実際には決定的な違いがあります。日本語で言うなら、前者は『人間を造った神』であり、後者は『人間が造り(考え)出した神』と言い分けることができるでしょう。前者は世界で唯一であり、後者はいくらでも存在します。 人間は自分の好みや必要に応じて、様々な神を考え出します。「困ったときには助けてくれるけど、普段は決して口出ししない神」「祈りをかなえてくれたり、約束を守ってはくれるけど、間違いを諌めたり、訓戒したりしない神」「どんなことでもできるけど、あくまでこちらの許可の範囲内で、こちらの都合に合わせてくれる神」などなど。 聖書が私たちに啓示している神(God)は、これらの人間的なイメージにはとても納まりきりません。真の神は完全に聖く、全能であり、かつ私たちの心の奥の奥までご存知の『恐るべきお方』です。聖書は、このことを恐れて生きることこそまことの知恵である、と教えます。 『恐れ』には私たちに必要なものと不必要なものとがあります。事故を恐れて安全運転をしたり、病気を恐れて体力づくりをしたりすることは必要です。しかし、失敗を恐れて新しいことにチャレンジすることをあきらめたり、人を恐れて自分の意見をはっきりと言えないことは、私たちの人生をダメにします。「不健康な恐れ」は、私たちを不安にさせ、生きる喜びを奪い、萎縮させます。しかし、それとは反対に「真の神を恐れて生きること」は、私たちをこれらの『不健康な恐れ』から解放し、生きる意義や喜びを満喫させ、人間に本来与えられた「神の栄光を現す人生」へと導いてくれます。 私たちは『自分で造り出した神』に希望を置いている(言い換えるなら、自分自身を神よりも上に置いている)間は、この『まことのいのち』を見出すことはできません。人生のカギを握るのは、『god』ではなく『God』なのです。

2013年8月25日 「聞いて、従う」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ           「聞いて、従う」       (25/08/2013) [ヨハネ 21:20-25](いよいよヨハネの福音書最終回) ⊚今日は、22節のイエスのことばに集中。  ◆「『イエスが私以外の人たちに何を望んでいるか』は、私には関係ない」 とは、どういうことか?  ①「自分に向かって語られているイエスのことば」にすべての注意を向け、それに従う。   ・私たちは「まず受け取る」ように造られた。[箴言20:12] (「まず行動」ではない!)    ・神はこちらのペースに合わせて語ってくれるわけではない。いつも『聞く耳』を持っていることが大切。   *イエスは私たちが「聞く」ことと「従う」ことの、どちらを望んでいるだろうか?[マタイ21:28-31]    ・やはり「従うこと」? そうではなく『聞き方』の問題。イエスを愛しているなら、心で聞けばちゃんと従う。  ②キリストが期待されるのは、私たちが「誰かのように生きること」ではなく、「いかに自分自身として生き    るか」ということ。   *「自分自身を生きる」のと、「自己中心的な生き方」はどう違うのか?     ・イエスの実例。彼こそ「自分らしく生きた」模範。自己中心のかけらも無かった。 「どれだけのことをしたか」が重要なのではありません。大切なのは、「どれだけ心をこめたか」です。 提案  ・1人の人(①配偶者 ②家族 ③JCFの誰か)を選んで、この1週間、見返りを期待せず、徹底的にその人のために生きてみましょう。1つ1つのことに精一杯心をこめて。       Outline of the sermon    “Listen, and Obey.”   (25/08/2013) [John 21:20-25](The last sermon from ‘Book Read more…

(91) “聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。”

「聖書は世界のベストセラー」と言われますが、なぜ聖書はそこまで人々に読まれているのでしょうか?最近映画の主人公にもなった、歴史上最も偉大なアメリカ大統領とも言われる『アブラハム・リンカーン』は、聖書に関して次のような言葉を遺しています。「聖書は神が人類に与えた最も偉大な贈り物である。私たち人間に必要なもののすべては聖書の中に書かれてある」 と。では、なぜ聖書が「神から与えられたもの」ということができるのでしょう? 第1番目には、「聖書の中に書かれた『預言』がことごとく成就している」という事実です。特にイエス・キリストに関する預言について言うなら、彼の誕生、生涯、そしてその十字架における死と復活に関しての数々の預言が成就しました。ある数学者の話によると、「聖書にある預言のうちの8つが1人の人物によって成し遂げられる確立は、日本の国土全体に1円玉をくまなく並べて、その中の1枚にだけしるしをつけ、1人の盲人が一発でそのしるしのついた1円玉を拾い上げるのと同じくらいの確立(すなわち、ほとんど不可能)である」ということです。ところが、イエス・キリストはたった1日で29の預言を成就しました。これは背後に「神の御手があった」としか言いようがありません。 第2番目は、その教えの崇高さです。「自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい」「あなたの敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」などの道徳規準の高いその教えは、現代多くの国々の(キリスト教国に限らず)憲法の模範として用いられています。あたかも、人間をお造りになり、その幸福を願っている大いなる愛に満ちた神によってもたらされたかのようです。 第3番目には、「聖書は歴史を通して多くの人々の人生に影響をもたらした」ということです。聖書は数えきれない人々に、生きる希望・人生の目的・逆境を乗り越える力・生活の知恵、そしてしばしば歴史を造り変えるような大志を抱かせ、それを実現してきました。 通常、電化製品その他の品物を購入すると、必ず『取扱説明書』なるものがついてきます。ベーシックな使い道ならあまり説明書を読まなくても何とかなるのですが、少々複雑な使用目的や、特にトラブルに陥った時には必ずこの『取扱説明書』が必要になります。実は神様が私たち人間をお造りになり、この世に送り出された時にも、私たちのために『取扱説明書』を用意されました。それがこの『聖書』なのです。 さあ皆さん、聖書を読むことなしに人生の荒波を越えていくのがどんなに危険か、分かってもらえたでしょうか?

2013年8月18日 「あなたはイエスを愛しますか?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「あなたはイエスを愛しますか?」    (18/08/2013) [ヨハネ 21:15-19]  ①イエスは私たちの痛みを知っておられ、それを「そっとしておく」のではなく、あえて明るみに出して癒される。 ◆イエスはペテロに3度「わたしを愛するか?」と尋ねた [17節]   ・これはペテロが3度イエスを否んだことに癒しを与えるため [ヨハネ18:17-18]  どちらにも『炭火』。[9節]    ・「神様なんだから、どうせ私の気持ちなんか分かりゃしない!」      そうではない![ヘブル4:15-16] ◆イエスの最初の質問「この人たち以上に・・・」 [15節]     [マタイ26:33-35]   ・ペテロの返事:「あなたがご存じです」[17節] 主が知っておられ、私たちは彼が『最善をなさる方』であると知っている ②私たちは「イエスの羊」である [17節,ヨハネ10:11-14]  ・イエスを己の主とした者は「イエスのもの」とされた。イエスは私たちを知り、常に心にかけておられる。[使徒9:4-5]  ・神の家族を迫害することは、イエスを迫害すること。逆に神の家族に善を行うことは、イエスを愛すること。 ③イエスのみわざを体験するには、私たちの『応答』が必要である [17節] ◆イエスは今日もあなたに尋ねる。「わたしを愛するか?」   ・イエスが尋ねているのは「できるかどうか」ではなく「その気があるかどうか」。 ◆イエスがペテロに告げた驚くべきことば [18~19節]   ・「イエスに従う」とは、必ずしも『身の安全』を保証しない。しかし、それを超える喜びと平安を保証する。 ☆「呼び出された」とは、「従うように招かれている」(Follow me)ということ。   Outline of the sermon    “Do you love Jesus?”   (18/08/2013) [John 21:15-19]  Read more…

(90) “すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし(イエス)のところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。”

引越しをしたことはありますか?結構大変な作業ですが、良い面もあります。それは「長いこと溜め込んでいた不用品を処理することができる」ということです。私が住むクライストチャーチでは、2年半前にあった大震災後、壊れかけた家の修復工事が進んでおり、最近も友人の家で工事が始まるというので、引越しを手伝ってきました。そうしたら、出てくるわ出てくるわ。数年前に行ったキャンプで残った食べ物や、消費期限のとっくに切れたコンタクト洗浄液。どこに行ってしまっていたか不明だった、ずっと以前に買いだめした缶詰類などなど。捨てたり、人にあげたりして、持ち物が半分くらい(ちょっと大袈裟か!)減ったようです。たまに引越しするのもいいかも。 「溜め込んだ不用品」は家の中だけではありません。私たちの心や思いの中にも、私たちの日々の向上にブレーキをかける『要らぬ重荷』がたくさん溜まっていることがあります。「誰にも分かってもらえない、という不安」「すべての人を喜ばせようとする徒労」「やってみる前にあきらめてしまう気持ち」「人との比較に疲れ果てている心」「皆から好かれていたいという欲求」。どれも何となく捨てがたい気がして、ついつい心のバッグに溜め込んで、いつの間にか人生に疲れ果ててしまうのです。 あるトラックの運転手が、重そうなリュックを背負った人が歩いているのを見かけたので、声をかけて後部座席に乗せてあげました。運転中にふと後ろを振り返ると、せっかくトラックに乗せてあげたのに、その人は車内でも相変わらずリュックを背負い続けていたそうです。さっさと降ろせばいいのに! イエス・キリストは、私たちの心の重荷を代わりに負ってくださるためにこの世に来られました。彼はありのままの私たちを愛し、受け入れ、かけがえのない尊い存在としてご覧になってくださいます。「どんな物を持っているか」「どれだけのことを成し遂げたか」は、彼にとっては問題ではないのです。ただ『神の視点から見た自分』だけが重要なのです。 あなたもこのイエスが運転するトラックに、私と一緒に乗りませんか?そして重荷を降ろして、イエスと共に歩む人生の醍醐味を満喫しましょう!

2013年8月11日 「イエスに呼び出された者」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「イエスに呼び出された者」     (11/08/2013) [ヨハネ 21:1-14]  ◆ガリラヤに帰った弟子たち [1~2節]   ・あらかじめイエスから言われていた [マタイ26:32,28:10]  しかし、なぜガリラヤまで行く必要が?    ・肉体的には安全で楽。しかし霊的には危険(昔の生活に戻る誘惑)      事実そうなった![3節] ◆イエスとの再会 [4~6節]   ・ルカの福音書5章のストーリーを思い出させる。(イエスに選び出された思い出の場面)[ルカ5:10-11]   ・ペテロの奇妙な行動(7節・上着をまとって湖に飛び込んだ)    ①一刻も早くイエスに会いたい。  ②「イエスに呼び出された者」としての自覚の回復。 ◆イエスがガリラヤで待っていた理由    「初めの関係」への招き(3年半共に過ごしキャリアを積むうちに、余計な自信や知識、見栄がこびりついた)    ・イエスによる決定的な招き[マタイ4:19] ― 「フォロー・ミー」    ・あなたの「イエスと共に歩む人生」 は、どのように始まったのか?    ・『教会(エクレシア)』 = 「呼び出された者たち」 [ルカ19:30-31]「(ロバでさえ)主がお入用なのです」 ◆[ピリピ3:12-14]   ・「良くやった。良い忠実なしもべだ!」という御声をかけていただくため。   ・「何をするか」ではなく、「どこを目指しているか」が重要。     Outline of the sermon    “Those who are called.”   (11/08/2013) Read more…

(89) “わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。”

いつの時代にも、様々な占いがはやります。「星占い」「手相占い」「タロットカード」「水晶玉」などなど。何故このような『占い』がはやるのでしょう?それは「将来のことが分からないのが不安だから」ということではないでしょうか? 私たち人間は1秒先のことさえ分かりません。将来のための『計画』は立てますが、それが必ず実現するという保証はどこにもありません。それ故私たちは何とかして「将来の自分」を垣間見ようと占いに頼るのでしょうが、占いは将来を予測してはくれても、その「来るべき将来」のために今どう生きるべきか、を教えてくれはしません。 聖書は「将来の私」を教えてはいませんが、聖書が教える『神』は、私たちがもし彼に信頼するなら、私たちと「共に歩み」、私たちを「歩むべき道へと導く」と約束しています。言わば、聖書の神は、私たちの人生の『専属コーチ』になってくださるというのです。 ある人は「そんな、自分の人生のためにあれこれと指図されたくない。私の人生のことは私が自分で決める」とおっしゃるかもしれません。でも、そういう方でも「本を読んで学んだり」とか、「先輩にアドバイスをもらったり」とかはすることでしょう。神は何かをあなたに『無理じい』したりはしません。あくまであなたの『自由意志』を尊重します。彼はあなたの人生に祝福をもたらすための知恵は教えますが、それを選び取るかどうかの決断を下すのはあなた自身です。神はあなたを死とさばきから救い出すための『唯一の道であるイエス・キリスト』をお与えになりましたが、驚くべきことに、このイエスをあなたのための救いとして受け入れるかどうかの決断さえも、あなたにお委ねになりました。これでもあなたは「指図されたくないから、神なんて信じない」とおっしゃるでしょうか? 「デタラメな人生を送り、一生を無駄にしたい」などと心から願っている人など誰もいません。皆「有意義で豊かな人生を送りたい」と願っているはずです。そしてそれを与えるために、神はいつでも私たちの前に『スタンバイ』してくださっているのです。この神と関係を結び、そのアドバイスや導きを受けながら実り多き人生を送るかどうかは、今日のあなたの『決断』によっているのです。