2014713 「イエス・キリスト以外に救いはない!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「イエス・キリスト以外に救いはない!」   (13/07/2014) *今回の『大原則』は、「イエス・キリスト以外に救いはない!」[使徒4:12] ⊚何故そう言い切れるのか? ①イエスだけが、すべての『メシヤ預言』を成就された方だから。[ヨハネ5:39]   ・『メシヤ到来』に関しては、旧約聖書の多くの箇所で詳しく預言されている。(1つの例:[イザヤ53:4-6])    そして、これらすべてがあてはまる存在は、イエス・キリストのみ![ヨハネ14:6] ②イエスだけが、神と私たちとの仕切りの壁(罪と死)を打ち壊されたから。[ローマ4:25]   ・イエス・キリストだけが、私たちと神との間の唯一の『仲介者』。[Ⅰテモテ2:5-6]   ・イエスだけが唯一「罪なき人」としての生涯を全うされた。[Ⅰペテロ2:22-24] ※ ここまでは、「人としてこの地上を歩まれたイエス」に注目したが、ここからがキリストの本来の姿。 ③イエスこそが、すべての造られたものに対する『最高権威者』。[マタイ28:18]   ・地上での使命を果たし終え、今やキリストは栄光のうちに君臨しておられる。[ピリピ2:6-11]    それは、もともと持っておられた栄光。[ヨハネ17:5, コロサイ1:15-17]   ・「イエスを受け入れない者」は、『最高権威者』に反逆することになるので、もはやさばきを免れない。 ④イエスは、この栄光を帯びて、再びやって来られる。[ヘブル9:28]   ・イエスは、地上におられた時「わたしを信じて歩む生涯には試練が伴う」とおっしゃった。確かにその通り!    しかしやがてすべてが精算される日がやってくる。これこそキリストに従う者にとっての究極の望み。この    終わりの時に全てが公平に裁かれる。[マタイ25:31-34] ⊚私たちの目標は「この世でいい目を見ること」ではなく、この『最高権威者』の側に立って生きること。 ✯イエス・キリストこそが、唯一・永遠の救い主!   Outline of the sermon “Salvation is found in no one else but Jesus!” (13/07/2014) Read more…

(131) “神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。”

 聖書によると、死後も含めて私たちが永遠の時をどんな場所で過ごすかは「私たちが何を信じているか」によって決まり、私たちがどのような豊かさの中で過ごすかは「私たちが今をどのように生きているか」にかかっているようです。どちらにしてもはっきりしていることは「私たち自身の態度」が重要であって、決して私たちの人生の成り行きを「誰かのせい」にすることはできない、ということですね。  今日という日にあなたが下す決断や選択は、そのままあなたの将来(死後も含めて)に決定的な影響を及ぼすことになります。あなたの退職後や死後の人生を左右するものは、年金や生命保険ではなく、今日のあなたの生き様なのです。よく言われるように「過ぎ去ったことは今更悩んでも仕方ないけれでも、今後のことは自分の態度次第で変えていける」わけです。  神様が私たち1人1人に望んでおられることは、私たちがまずイエス・キリストによる救いを信じることによって「神からの永遠の祝福」を受け取り、もはや将来に関して何の心配もせずに『今』という時を神と共に精一杯生きるようになることです。私たちがそのように一瞬一瞬を全力を尽くして歩んでいく時、神は私たちが思いもかけないような有形無形の祝福をこの地上の人生においても後の世においても『報い』として与えてくださるのです。

2014年7月6日 「『信仰・救い・行ない』の関係」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ       「『信仰・救い・行ない』の関係」   (06/07/2014) *聖書の教えの中には『真理』とも呼ぶべきいくつかの大原則がある。[ヨハネ8:31-32] 今日はそのうちの1つ。 ◆「私たちは、神の一方的な恵みの故に、信仰によってのみ救われる」[エペソ2:8]   ・『恵み』という語はよく用いられるが、この言葉をパウロ以上に理解していた人はいないのでは?[ローマ11:6]   ・では、ただ「信じて」だけいれば、行いはどうだっていいのか?落第する者はいないのか?[ヘブル12:14-15]    「恵みから落ちる者」がいるのだから、しっかりガンバらなきゃいけない?では「恵みから落ちる者」とは誰か?          [ガラテヤ5:4] 「行いによる救い」を求める者こそ、「恵みからの脱落者」! ◆「信仰・救い・行ない」の関係   ・しかし、聖書は「行いのない信仰は死んでいる」とも言っているのでは?[ヤコブ2:19-26]    この箇所から得られる結論は「行いが信仰にいのちを与える」ではなく、「生きた信仰が行いを生み出す」。   ・この「生きた信仰」というものは「神との生きた関係」を通して育まれ、そのような「神との関係」は、神の一方的    な恵みによって与えられた「イエス・キリストの身代わりの死」を信じる信仰によってのみ生まれる。   ・「生きた(本物の)信仰」は、「生きた行ない」によって人々に証される。[マタイ12:33] ◆生きた信仰による歩み   ・この世には、悪魔が蒔いた雑草がいっぱい。私たちは意識してこれらの雑草を取り除く必要がある。これらを    抜き取るには「努力」以上に『信仰による決断』を要する。勇気をもってこの決断をさせるのが『生きた信仰』。 [Ⅱペテロ3:18] ✯キリストに向き、キリストに近づき、キリストをもっと深く知り、キリストの恵みを体験しながら成長しよう!   Outline of the sermon     “‘Faith’, ‘Salvation’ and ‘Good Works’”  (06/07/2014) * There are some “Principal teachings” Read more…

(130) “私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。”

イエス・キリストの使徒パウロは、結婚もせず家庭も持ちませんでしたから、死んだ後にいわゆる『資産』と呼べるものを何1つ残しませんでした。しかし実際には、彼が残してくれた偉大な財産によって、私たちは今日に至るまで大いに助けられています。その財産とは、聖書の中に残された彼の手紙であり、彼が宣べ伝え、多くの人々をキリストにある救いへと導いた『福音の力』です。  実を言うと、今これを読んでいるあなたの今日の生き様も、目に見えない形で周囲の人々に何らかの影響を残しているのです。例えば誰もいない部屋に踏み込んだ時、そこに何とも言えない芳しい残り香が感じ取れるように、人生にもたらされる祝福も、知らず知らずのうちにあなたから発せられ、また受け継がれているものなのです。  「自分には大した貯金もないし、立派な土地や家屋もない。子供たちには何も大したものを残してやれない!」と思うでしょうか?その通りです。私たちが『遺言書』にリストアップすることができるようなもので、後の世に『大した影響』を与えるようなものはほとんどありません。しかし「夫や妻、そして子供たちをどのように愛したか」「仕事仲間や近所の人々にどのような誠実さをもって接したか」そのようなあなたの日々の人生に対する態度は、あなたがこの世を去ったはるか後にも、暗闇に光る松明のように輝き続けるのです。そしてこれらのあなたの財産には、それらを獲得するためにあなたが日々支払い続けた尊い金額がきっと刻まれているに違いありません。

2014年6月22日 「キリストが受け入れてくださったように」

メッセージをダウンロードして聴く [ローマ15:7]  ①キリストが(受け入れてくださった)    ・キリストは私たちがまだ罪人であった時、「ありのまま(罪あるまま)の状態」で全く無条件に受け入れてくださっ     た。「悔い改めてから」でもない。    ・私たちがキリストと出会って変えられるのは、「受け入れられるため」ではなく、「受け入れられたから」。  ②神の栄光のために(受け入れてくださった)    ・神はご自身の栄光のために人間を造られた。人は本来『神の愛』『神の知恵』『神の聖さ』を互いに表現し、共     に神を喜び讃え合うために造られた。ところが、人が神から離れたことにより、これらすべてが失われた。    ・人がそのありのままの状態でキリストに受け入れられていることを体験する時、言い表せない喜びと平安を     味わう。彼は何も要求しないし、責めることもしない。無視しても文句1つ言わない。この真実の愛に触れる     時私たちは、彼の愛する者を愛し、彼の好まないものを捨てないではいられなくなる。  ③(キリストが受け入れてくださったように)互いに受け入れる    ・私たちがキリストに深く受け入れられていることを体験し、キリストとの関係の中で生かされるようになる時、     (私たちは1人1人ユニークに造られているので)それぞれがある種の人々に強く惹きつけられるようになる。神は     それらの人々を受け入れるようにとあなたを招いておられるのである。    ・この時、決して「急ぎすぎない」ように注意!「内なる聖霊の働きかけ」を抑えきれなくなるまで待とう。 ✯まずキリストを求め、彼との日々の交わりの中に生かされよ!そしてそこから生まれるものに従って進もう!   Outline of the sermon       “Just as Christ accepted you.”    (22/06/2014) [Romans15:7]  ① Christ(accepted you).    ・Christ accepted us just as we were Read more…

(129) “その聞いたみことば(聖書のことば)も、彼らには益になりませんでした。みことばがそれを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。”

どんなに良い材料が揃っていても、その『媒体者』がいなければ、正しい結果は期待できません。例えば、どんなに立派な小麦粉を用いても「イースト菌」がなければ美味しいパンは作れないし、どんな立派な火種があっても「空気」が周りになければ火は燃えません。同じように、どんなに素晴らしい聖書の言葉を聞いたとしても、それらのことばが『信仰』によって私たちの心に結び付けられないなら、それは人生に益をもたらすことはできないのです。  どんなに美味しい食べ物でも、それを机の上に放っておくなら、ただ腐っていくだけです。良質の食べ物は健康な肉体の中に取り入れられてこそ、大きなエネルギーとなって実を結ぶのです。聖書の言葉も同じです。「ただ聞くだけ」ではなく、「そこに働く神の知恵と力とに信頼して、その教え通りに従って」ぜひ実生活の中に生かして行ってください。『信仰』とは、単に聖書のことばに知的に同意したり、口先だけで「神様、信じます」と言うことではありません。「私にご自身のひとり子さえも与えてくださった方は、今日も私に真実を尽くしてくださっている。だから、私も彼の言葉に誠実に従って生きよう!」 という具合に、あなたの日々の生き様に影響をもたらすものなのです。そのようなあなたの真摯な態度に応えて、神様はきっとご自身の大いなるみわざを現してくださることでしょう。イエス・キリストはおっしゃいました。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」と。

(128) “怒っても罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。”

喜び・憂い・怒りなど、私たちの持っている感情はすべて神から与えられたものであり、基本的には良いものです。私たちは正しいものが損をしたり、弱いものが虐げられたりしているのを見るとき、怒りがこみ上げてくるのを感じます。これは、この地上に正義がもたらされるためにどうしても必要なものです。  ところがこの『怒り』を自分で制御できなくなってしまうようになったら、それは危険信号です。自制されない怒りは人間関係を破壊し、事の真実を見失わせ、神を悲しませる結果を生みます。『家庭崩壊』『幼児虐待』『殺人』『戦争』などなど。では、どのようにして私たちはこれらの「行き過ぎた怒り」から自分を守ることができるでしょうか?  第1に「怒りを表現する前に、少し間をおく」ことです。ほとんどの場合『怒り』の原因は「出来事そのもの」というよりもむしろ「それに対する認識や感情」です。私たちはよく「あの人があんなことを言ったから」とか「こんなことをされたから」などと言いますが、実際はあなたが「自分でその言動をどう理解したか」に原因があるのです。もしあなたの感情が他の人から言われたりされたりしたことにいちいち影響されていたら、まるであなたは周囲の人の奴隷のようです。そうではなくて、むしろ「ちょっと待って。今のはどういう意味?」とか、「私が誤解しているかもしれないから、もう1度良く説明してくれる?」と尋ね返す余裕を持ってください。  2番目は「怒りを溜め込まない」ことです。私たち夫婦は結婚してまもなく1つの約束事をしました。それは「もし喧嘩をしたとしても、寝る前までに必ず和解する」という約束です。『怒り』や『相手に対するわだかまり』をそのままにしておくと、ぐっする眠ることもできないし、2人の間の溝はドンドン深まっていきます。「どちらが悪かったかをはっきりさせること」よりも、「ともかく和解すること」のほうがずっと重要なのです。  怒りからは決して『平安』は生まれません。かえって『怒りの香り』は悪魔を引き寄せるのです。私たちの生活から『過ぎた怒り』を締め出して、悪魔を失業させてしまいましょう!

2014年6月15日 「神の国のエージェント」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神の国のエージェント」     (15/06/2014) *私たちの『セルフイメージ』は、「私たちがどんな『世界観』を持って生きているか」に大きく関係している。 ◆2つの世界観   ①下等なものがより高等なものへと進化する過程の中で人間が生まれた。それ故人間は更なる向上のために     努力を続けていく。      特徴:もっと良くなるかもしれないし、ならないかもしれない。とにかくいろいろと試す。[科学者的世界観]   ②神がすべての点で良いものを造られ、それを人間の手に委ねた。ところが人間と神との関係が壊れたために     すべてが堕落へと向かった。神は自分の手でそれを回復しようとはせず、まず私たちとの関係を修復するこ     とによって、私たちを通してそれらを回復しようとしている。      特徴:「もっと良くする」のではなく、「元通りの状態に回復させる」。[医者的世界観] ◆①と②との大きな違い    ①の場合は、「自分に何ができるか」が重要であり、合格・不合格がある。また『問題』を避ける傾向がある。    ②の場合は、「誰のために生きるか」が重要であり、『成績』より『忠実さ』を重視。『問題』に向かっていく傾向。 ◆イエスの世界観は?[マタイ9:10-12] ― イエスは私たちを「3つの働き」のために遣わされる。[マタイ10:5-8]    ①神の国のメッセージ [Ⅰペテロ2:9, 箴言1:7]      ・「神を恐れる」とは、「神以外の何者をも恐れない」ということ。[ローマ8:31]    ②『病人の回復』 [マタイ5:13-16] ・世界は病んでいる。私たちはそれらを回復させるために遣わされている。    ③病原菌(悪霊)を撃退 [エペソ6:12,ヤコブ4:6-7,Ⅰヨハネ4:4] ・病気の元(本当の敵)を見誤らないように。 ◆イエスが目指していたこと [ヨハネ4:34] ✯あなたは、この世のどんな病と闘うために遣わされていますか?   Outline of the sermon       “The agent of God’s Kingdom.”    (15/06/2014) *How Read more…

(127) “キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。”

ある牧師がこんなことを言いました。「地上のあらゆる場所に『万有引力の法則』が働いていて、他の力が働きかけない限り物質は必ず上から下に向かって落ちていくように、すべての人間の心の中には『自己中心性の法則』が働いていて、意識して他の人のために生きようとしない限り、私たちは自分が楽をしたり得をしたりするように行動するものである。」 確かにその通りですよね。私たちは知らず知らずのうちに「何かいいことないかなぁ。誰かうまい話持って来てくれないかなぁ。」と周りが自分のために動いてくれることを期待してしまう傾向があります。  イエス・キリストの生涯は、これとはまるで違いました。彼は病人や貧しい者をあわれみ、世間からつまはじきされていた人々と多くの時を共に過ごし、そして罪と死に縛られていた私たちを解放するために、身代わりに十字架で死なれました。彼の生涯はまさに「自分自身のため」ではなく、「他の人々に仕えるため」だったのです。そしておっしゃいました。「私があなたがたに仕えたように、互いに仕え合いなさい」。  多くの人々(クリスチャンの方々でさえ)は、「イエス・キリストは『特別な人(神の子)』だったのだから、そんなことができて当たり前だ!」とおっしゃいます。でもちょっと想像してみてください。イエスが十字架にかかる前の晩、有名な『最後の晩餐』の席で、イエスは弟子たちの足をお洗いになりました。天と地の創造者、私たちの神である方が、私たちの汚くて臭い足(弟子たちの中には漁師たちもいました!)を素手で洗ったのです。何という『謙遜』、何という『無私』なのでしょう!恐らく私たちは、私たちのクラスの先生、また上司などがそんなことをしてくれたとしても驚きあきれ、恐れ入ってしまうのではないでしょうか?(まあ、そんなことをしてくれる『先生』や『上司』など聞いたこともありませんが…)しかし仮にも『神の子』と呼ばれた方が私たちにそのような模範を示されたのだとしたら、私たちは今日から人生に対する態度を改めなければならないのではないでしょうか?