◎[ヨハネ3:31-36]
*「私は神の存在は信じるが、イエスによる救いは信じない」という人々がいる。
そもそも彼らの言うところの『神のイメージ』はどこから来るのだろうか?
◆ [31-33節]
・もし神が、聖書のいうように「万物の創造主」なら、当然私たちの知識や想像を超えた存在。そのような神を
認識するためには、神の側からご自身を知らせてくださらなければならない。(それが聖書)
・更に、もし神が聖書のいうように「人格のある方」であるなら、言葉や現象だけでは測り知ることができない。
「人格的な現れ」が必要である。それ故、「神と共におられた方が、神から見聞きしたことを証言するために、
天から下って来られた」。[ヨハネ1:18]
◆ 私たちの選択
・『自分のイメージ』を正しいとするか、『イエスの証言』を正しいとするか。
・『イエス』という人物に関する3つの可能性 (①ウソつき ②気違い ③神のもとから来られた方)
あなたは、自分の主張を押し通すために、神を『偽り者』としますか?[Ⅰヨハネ5:9-10]
◆ 神は『最愛の御子』を遣わされた [34-36節]
・神が他の天使などではなく『御子(イエス)』を遣わされたのは、イエスが無価値だからではなく、「最も愛する
存在」だから。それ故神は「このイエスを受け入れた人々」を無視することはできない。神が私たちをご覧にな
るとき、私たちの内に御子イエスをお捜しになる。
・神は私たちがこの地上で「どれだけ財産を築いたか」「どんな名声を博したか」「どれほどの成果を上げたか」
などには興味はない。ただ、私たちがこの「神からの最良の贈り物であるイエス」をどれほど喜び、どれだけ
の時間や労力をイエスと共に費やし、どのようにイエスの『あかしのことば』に耳を傾け、それに聞き従ってい
るか、に興味がある。
・神はこの御子イエスと共に『他のすべてのもの』を私たちに与える用意がある。[ローマ8:32] ただ、それらを与
えることが、私たちのイエスに対する思いを少しでも薄れさせてしまうようなら、与えたくない。
・私たちの思いがいつもイエスのもとにあるようにと、神は「イエスの名によって」聖霊を送られた。[ヨハネ14:26]
聖霊が私たちと共におられるのは、「わざを行わせるため」以上に、私たちが『キリストの花嫁』として日々イ
エスを深く愛し、彼と共に「最高の喜びに満たされた人生」を歩ませるため。
◆ [コロサイ3:17]
・「何かを受けるため」ではなく、「(イエスの内に)すでに与えられているモノを見つけて用いるため」に、感謝を
もって神に祈ろう。そして、イエスがあなたの周りに招き寄せてくださる人々の間でそれらを用いることによっ
て、イエスが体験しておられる喜びを共有しよう!
考えてみましょう
・神は何故「最愛の御子」を私たちにお与えになったのでしょう?
・「すべてを主イエスの名によってする」とは、どういうことですか?
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