(最初の45秒間沈黙がありますので予めご了承ください。)

説教あらすじ「『さばき』と『永遠のいのち』」(05/06/2011)

◎[ヨハネ3:16-21]

 

*「クレジットカード」と「私たちの人生」の共通点。➝ [ヘブル9:27] このさばきをどうやって免れるか?

 

[16節] 神の「ひとり子(イエス)」という言葉は何を示すか?

確かに神のもとから来られた方神のご性質(愛・力・聖さ)そのままを表現する方他に代わりはない

・神はその『愛』のゆえに、イエスを「与えられた」。「レンタル」ではない。

・それは私たちに「さばき」から「いのち」へ移る道を備えるため。

 

 

[17-18節] 「さばき」というと『裁判』を思い浮かべるが、ここでいう「さばき」は、次の点で違う。

  いわゆる「さばき」 聖書がいう「さばき」
さばくのは 裁判官 自分自身
さばかれるのは (行為そのもの、またその背後にある動機) 心の態度(神への扉を開くか否か)

*ヘビースモーカーの「焼け石に水」の話 ➝ 「今、神のもとへ立ち返るかどうか」の選択にかかっている

 

 

[19-20節] 「光」=神との交わりの中  「やみ」=悪魔の支配下   ※私たちはこのどちらかにいる。

・悪魔は無理矢理力ずくで私たちを地獄へ引きずり込むわけではない。ただ私たちの心に「悪の種」を蒔くだけ。

この種を育てるのは他ならぬ私たち。そして「やみ」はそのための栄養分となる。

 

 

◆ もう1度 [16節] 「永遠のいのち」とは、何か形あるもの(心臓とか…)ではなく、人生そのもののこと。

・それは「イエスを信じて生きることを選び取った瞬間」から与えられており、「死ぬときにバトンタッチされるもの」

ではない。

・それは「死」や「さばき」を越える、「私たちが日々神と共に歩む人生そのもの」。[ヨハネ5:24]

「永遠のいのち」には、「完全な罪の赦し」と「日々の歩みを助け導く聖霊の力」が含まれており、「永遠のいのち」を持つ者のすべての罪は神の前に忘れ去られ、また神にあって成された良きわざは、すべて神の前に覚えられている。これが「光の中に生きる者」の祝福。[21節]

 

★ あなたはもう「光の中」を歩んでいますか? それともまだ「やみの中」ですか?

それを決定づけるのは、「今日のあなたの決断」なのです。➝ [ヨハネ20:27]

 

 

 

考えてみましょう

・いわゆる「さばき」と、聖書がいう「さばき」とは、どこが違いますか?

・悪魔が蒔いてくる「悪の種」から、私たちはどのようにして自分を守ることができるでしょう?


Junko

じゅんこです。1990年のChristchurch JCFの創始時からJCFに参加しています。現在はめったにクライストチャーチにも行かなくなりましたが(遠いところに住んでいるので)、ウェブサイトの運営にかかわるというかたちでJCFに参加し続けています。8人の子どもを引き連れている日本人ママをクライストチャーチ周辺で目撃したら多分わたしですので気軽に声かけてくださいね~!

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