説教あらすじ「恵みとまことに満ちた方」(30/01/2011)

◎[ヨハネ1:14-18]

[16節] 神は豊かさに満ちた方。そしてそのひとり子を受け入れた者は、その豊かさに生きることができる。

それは一体どういうことか?

[14節] キリストの栄光は恵みとまことに満ちているということ。少し矛盾しているようにも見える。

・恵み = 融通を利かしてくれる。 ・まこと(真実)= 融通が利かない

◆ 神にとっては…

『まこと』「約束を必ず守る」ということ。

・神は聖書のすべての約束を必ず守る。もちろん私たちにも、約束を守ることを期待する。

『恵み』:たとえ私たちが約束を破っても、それを赦してくださり、しかも、相変わらず私たちに対す

る約束を守り続ける、ということ。

[17節]「恵みとまこと」はイエス・キリストによって実現した。

*この神の「恵みとまこと」のご性質の究極的表現が「イエス・キリストの十字架」。

・神はその『まこと』の故に私たちの罪と妥協なさらなかった。しかしその『恵み』の故に、そ

の罪に対する罰を私たちにではなく、ご自分のひとり子に負わせたのである。

・「キリストの十字架は、神の愛の象徴」と言われるが、それだけではない。そこには「罪を負

う者は、たとえひとり子であろうとも裁きを免れない」という神の厳しさもある。

◆ ここでは「モーセの律法」「イエス・キリスト」とが対比されている。

・律法は文字(ことば)によって表現されるが、それがすべてではない。人が自分の心をことばによって

表現するように、神もその『心』を律法の中に表現された。だが当時の人々はそれを理解しなかった。

それ故神は「ご自分の心そのまま」の表現として、イエス・キリストを遣わされたのである[18節]。

イエスのことばや行ない1つ1つに『神の心』が表現されている。そしてこれらのイエスのことばに

応答することが「神の心への応答」となるのである。

◆ ある時イエスがこんな話をされた。[マタイ21:28-31]

・何故兄は「行きます」と言ったのに、行かなかったのか? ➝ 「ことば」は聞いたが、『心』を聞き

取らなかった。

・何故弟は「悪かった」と思ったのか? ➝ 「ことば」と共に『心』をも聞き取っていた。

★ 神の豊かさの中を歩みたいですか?「恵みとまことに満ちた者」となりたいですか?

イエス・キリストを通して「神の心」に触れながら生きる時、あなたは変えられていくのです


Junko

じゅんこです。1990年のChristchurch JCFの創始時からJCFに参加しています。現在はめったにクライストチャーチにも行かなくなりましたが(遠いところに住んでいるので)、ウェブサイトの運営にかかわるというかたちでJCFに参加し続けています。8人の子どもを引き連れている日本人ママをクライストチャーチ周辺で目撃したら多分わたしですので気軽に声かけてくださいね~!

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