説教あらすじ 「なりふり構わぬ信仰」(06/12/2020)
[マルコの福音書 2章1~12節] ― 「罪の赦し」と「病の癒し」
・[1~4節]「背景」:この『家』は恐らく「シモンとアンデレの家」。当時のパレスチナの家は通常ひと間で、屋根は毎年張り替える簡易な造り。そのため屋根に上がる階段もある。
・[5節]イエスは「彼らの信仰を見た」。「神に向かって行こうとする、行いを伴った信仰」は『罪の赦し』に値する。
・[6~8節]一方、律法学者たちは、罪の赦しを宣言するイエスの言動を「神への冒瀆」と考えた。イエスのなさる「奇跡的なみわざ」や「心の中を読む取る力」がイエスが神から遣わされていることを示していたのに、彼らは「自分たちの神学(思い込み)」に支配されていた。
・[9~11節]イエスの目的は『罪の赦し』であり、病の癒しは単にそれに伴うしるしでしかなかったが、ご自身に『神の権威』が与えられていることを頭の硬い律法学者たちにも分からせるために『癒し』も行った。
・[12節]群衆は「イエスをあがめた」のではなく、「神をあがめた」。彼らは「力あるわざ」の真意を理解していた。
・[へブル11:6] 「神を求め、神に近づく」 これこそ『悔い改め』。神はこのような人々に心を惹かれ、彼らの罪を赦し、その信仰に喜んで報いてくださる。
✰今日のキーワード: 神は『信仰』を見る
◎学びを深めるための質問
①イエスはどんなことから「彼らの信仰を見た」のでしょう? また、どうして『罪の赦し』を宣言したのでしょう?
②群衆に見えて、律法学者たちには見えなかったものは何ですか? どうしてそのようなことが起こるのでしょう?
③神はあなたのどのような『信仰』をご覧になっていると思いますか? また、どうしてそう思うのですか?
Outline of the sermon “Faith without regard for appearances.” (06/12/2020)
◎[Gospel of Mark 2:1~12] ― “Forgiveness of sins” and “Healing”.
・[Verse 5] Jesus “saw their faith” and the faith deserved “forgiveness of sins”. What kind of “faith” was that?
・[Verses 6~8] Teachers of the law felt that Jesus was “blaspheming”. They were experiencing miracles and power of reading their hearts Jesus was doing, yet they could not identify Jesus because of their wrong idea.
・[Verses 9~11] Jesus’ first priority was “forgiving sins”. Performing “healings” is only a sign showing that God has given him authority. Jesus healed this paralyzed man to witness who he is to the teachers of law.
・[Verse 12] The crowd “praised God” instead of “applauded Jesus”. They understood that it was “God” who gave Jesus the power of healing. They might be ignorant compare to the teachers of law but they knew the truth.
・[Hebrews11:6] “Coming to God and seek Him”, this is the attitude which pleases God. Today God is waiting not for “ones with full of knowledge” but for “those who earnestly seek Him” and rewards them.
✰Key word for this week: God sees our “faith”.
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