2012年2月5日 信仰とヒューマニズム

メッセージをダウンロードして聴く          説教あらすじ 「信仰とヒューマニズム」       (05/02/2012) ◎[ヨハネ8:1-11]  ◆「オリーブ山」[1節]:ゲッセマネの園がある。イエスがエルサレムにいた時には、好んで『祈り場』として用いた。 ◆[2~5節] ・場所は『宮』だったので、本来なら「姦淫の現場で捕らえられた女」を連れてくるべき場所ではない。 ◆「イエスを告発する理由を得るため」 [6節]  ①もし「見逃してやりなさい」と言うなら、「モーセの律法に反する」と告発できる。  ②もし「石打ちにしなさい」と言うなら、「勝手に死刑にしてはならない」というローマの法を犯すことになる。 ◆[6~9節]   ・ここで「イエスが何を書いていたか」は問題ではない。彼はこの行為によって人々の注目を女から自分へと移 し、更に「あなたがたのうちで罪のない者が…」の語によって、彼らの意識を自分自身の内側へと移させた。 ◆[10~11節]   ・「婦人よ」は、母マリヤにも用いた、愛を込めた語りかけ。パリサイ人はこの女を『道具』のように用いたが、 イエスにとっては、その罪を代わりに負おうとしている『迷える子羊』。 人々が真に取るべき優れた反応は、 自分をこの女と同一視し「私も赦されるべき存在です!」とイエスの許にとどまることだった。 *そう、私たちは「自分は赦されるべき者である」と自覚しなければならない!  ・「自分には人を責める資格など無い」と考える人はいる。しかしそれは人間関係における妥協策(ヒューマニズ ム)でしかない。しかし「赦されるべき者」という自覚は、自分と神との関係(信仰)から来る。それはこの女同様、 自分たった1人で、あなたのすべてを知った上であなたを赦されるキリストの前に立ってこそ初めて分かる。 ★あなたも「赦されるべき者」です。あなたはこの『赦し』を日々イエスから受け取っていますか?     Outline of the sermon     “Faith and Humanism.”    (05/02/2012) ◎[John 8:1-11]  ◆「The Mount of Olives」[Verse 1]: This is where the Gethsemane garden is.  Jesus’ favorite place for prayer. Read more…

2011年12月04日 知識と信仰

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「知識と信仰」       (04/12/2011) ◎[ヨハネ7:25-36] *ここに5種類の人々が登場している。 ①エルサレムのある人たち [25-27節] -いろんなことを知っているらしい。   ・イエスの反応 [28-29節] 「わたしは、あなたがたが知らないことも知っているよ。」   ・人々の反応 [30節] 自分のプライドの故に「カチン」ときた。➝ [Ⅰコリント8:1-2] ②群衆 [31節] - イエスを信じた。「自分よりも優れたもの」を見たから。(但し、以前として『奇跡』に依存) ③祭司長・パリサイ人 [32節]   ・イエスを捕らえようとした。(群衆の様子を見て、「自分たちの立場が危うくなる」と感じたから。) ④ユダヤ人たち [35-36節] ①の人々とほぼ同じ。   ・イエスについて互いに論じたが、イエスご自身のもとへは行こうとしない。    (自分たちの理解を越えたことに遭遇しても、神を求めず、自分たちの知識の範囲内で理解しようとする) ◆①~④の人々を観察して分かること。 ・「どれだけのことを知っているか?」ということよりも、「それらが何のためにあるのか?」を知っておくこと の方が重要。➝ [箴言1:7] ⑤イエス [28-29節]     ・神に基づいて「自分が何者であるか」を理解していた。神との関係を無視しては、自分の存在理由なし。これは危険 なように見えて、実は最も安全。「神がお許しにならない限り、危険なことは起こらない」と知っているから。[30節] ★まず「主を恐れる(神がすべての源)」ことを知ろう。 そしてその「初めの知識」を土台に、自分の知識や判断・行動を積み上げていこう!  Outline of the sermon      “Knowledge & Faith”      (04/12/2011) ◎[John 7:25-36] ①The people of Jerusalem. [Verse 25-27] -They Read more…

2011年11月27日 イエスと同じ土俵に立って

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「イエスと同じ土俵に立って」       (27/11/2011) ◎[ヨハネ7:14-24] ◆[14節] イエスは何を教えておられたのか?=「神の国について」「どう生きるかについて」       人々はしばしば理解できなかった。なぜ?➝ 立っている土俵が違ったから。[15~16節] ◆[17節] イエスの教えを理解できるかどうかは、その人の内にあるものが「自分の目先の利益」を追求しているか 「神のみこころが成し遂げられること」を追求しているか、で決まる。   ・ここでイエスは、自分と神とを区別している。イエスは地上に来られる時、その『神性』を捨てて『人』として 来られた。それは「神が初めに私たち人間に意図していた人生がどのようなものであったか」を示すため。   ・神はモーセを通して律法を与え、「どう生きるべきかを教えよう」とされたが、人は『神の心』を汲み取れなかっ た。イエスは『神の心』に基づいた「律法の真髄」を示すために来られ、その生き様を通して模範を示された。 ◆[21~23節] ・『安息日(律法)』は、何かを禁止するためのものではなく、「神と人とを愛して生きること」を学ばせるため。[マル コ2:27, ガラテヤ5:14]  では、何故私たちは誤解するのか?➝「行い(見えるところ)」を重視しすぎるから。 ◆[24節] 私たちはしばしば「うわべ(行い)」から正そうとし、努力して『善行』を行おうとするが、それが踏みにじら れると「せっかく善意でやったのに…」とつぶやく。しかし『真実の愛』から行ったなら、結果はどうでも良 いはず。その愛が本物かどうかは、それが報われないときにこそ試される。[マタイ6:3~4] ★イエスは、あなたが振り向いてくれるのを知っていたから、愛してくださったのではない!     Outline of the sermon  “Have the same point of view with Jesus.”  (27/11/2011) ◎[John 7:14-24] ◆[Verse 14]  What was Jesus teaching about? = “About the Read more…

2011年11月6日 罪を憎んで人を憎まず

         説教あらすじ 「罪を憎んで人を憎まず」       (06/11/2011) ◎[ヨハネ7:1-13] *今日の箇所は長いが、レッスンはたった1つ = 「神の愛に生きる」(罪を憎んで人を憎まず) ◆『世』という語に注目しながら、次の2つのみことばから、「イエスを通して現された神の愛の性質」を学び取ろう。  ◎[7節] : 「世(人々)の私たちに対する態度」は、「私たちの彼らに対する態度」によって決まる。     ・私たちが『世』と妥協しながら生きるなら、いわゆる「風当たり」は少ない。しかし、イエスは常に「神の義」に 立ち、『世』が罪を許容している誤りを指摘し続けたため、『世』に憎まれた。(UICSの証し) ◎[ヨハネ3:16] : 『神の愛』は、「状況」や「相手の出方」に関わりなく注がれる。[マタイ5:46-48]    ・48節で言っている『完全』というのは、「非の打ち所がない」ということではなく、「相手の態度や状況に 関わらず」ということ。このような姿勢(無条件の愛)は、まず「家庭」でこそ教えられ実践されていくべき。 ◆[11-13節] (いつの時代でも「人目を忍んだひそひそ話」はつきもの!)   ・『絶対的基準』なしに生きるなら、私たちは人目を恐れずには生きられない。「人を恐れること」から解放される ためには、「自分にとって絶対的な存在」を喜ばせるために、脇目もふらず、いつも最善を尽くすこと。   ・イエスはいつも『御父』を喜ばせることに集中していたので、人からの評価を問題にしなかった。[ヨハネ5:41,44] 私たちも同様に神に思いを向けて生きる時、『神の愛』が聖霊によって心から溢れ出るようになる。[ローマ5:5] ★「あなたの不完全さに関わりなく、トコトン愛してくださる方」を、あなたはもう知っていますか?   Outline of the sermon    “Hate sins but not sinners.”     (06/11/2011) ◎[ヨハネ7:1-13] *Though this paragraph is long, the essence is very simple. = “Hate sins but not sinners!” ◆ Read more…