2011年10月2日 『人の視点』と『神の視点』

説教あらすじ 「『人の視点』と『神の視点』」    (02/10/2011) ◎[ヨハネ6:22-29] *今日は、私たちが陥りがちな、人生に対する誤った態度を、3つの角度から学ぶ。 ①[26節] 「しるしを見たこと」と「パンを食べて満腹したこと」は、どう違うのか? ・『パン』 = 「自分にどういう利益があるか」に注目。  ・『しるし』 = 「イエスとはどういう方か」に注目。 ◆イエスを自分のために利用しようとするのではなく、イエスが『誰』であって『どこから』『何のために』来られ、 そのために自分はどうすれば良いのか、を問わなければならない。 ②[27節] 「なくなる食物のために働く」のと「永遠のいのちに至る食物のために働く」のは、どう違うのか?  ・『なくなる食物』=自分の必要のために、自分の力で。  ・『永遠に至る食物』=他者の必要のために、神と共に。     ・人は誰でも「価値あることのために働きたい!」という願望を持っている。                  [Ⅱコリント4:18]     ・「何をして生きるか」以上に、「何のために」また、「どうやって(誰と)」それをするか、の方が重要である。 ③[28-29節] 「神のわざ(複数形)のために何をすべきか?」 vs 「『信じること』が神のわざ(単数形)」 ・神が求めておられるのは、「神のために何かをしてくれる人」ではなく、「神がなさろうとしていることを受け止 めてくれる人(器)」である。(『神のわざ』をするのは、私たちではなく、神ご自身!)すなわち、神の眼差しを じっと見つめて、彼から発せられるパスをしっかりキャッチする準備のある人。[Ⅱ歴代誌16:9] ★「あなたの人生は、あなたが中心ではありません。」(「人生の5つの目的」の最初の言葉)  ◆あなたの人生の主役を神に明け渡して、 「神がご自身のわざを現すために、あなたの人生をどのように用いるか」 に注目しましょう!  Outline of the sermon  “Men’s point of view and God’s point of view.”  (02/10/2011) ◎[ John 6:22-29]  *This passage tells us our wrong attitudes to look Read more…

2011年9月25日 恐れるな!

(今回のオーディオはありませんのでご了承ください。) 説教あらすじ 「恐れるな!」    (25/09/2011) ◎[ヨハネ6:16-21] *今日は『恐れ』について、3つのポイントで考える。 ①『恐れ』はどこからやってくるのか? ・主に、実際に起こっていない[イマジネーション]の世界で。(悪魔は「思いの中」に種を蒔く) ・「恐れの感情」が、わざわいをおびき寄せることがある。 ・人類が体験した最初の『恐れ』。[創世記3:10] ➝ 悪魔の誘惑に心を開き、神を締め出したとき。 ・人はしばしば『得意分野』で神を見失う。[19節] ②『恐れ』に打ち勝つには? = キリストを人生の舟に迎えること。[21節] ◆[Ⅰヨハネ4:4] キリストを通しての神との関係だけが、『恐れ』を締め出すことができる。  ・自分の側(善行・努力など)に拠り所を見出している間は、決して恐れから逃れられない。すべては神から の一方的な恵みによることを、よくよく知らなければならない。 ③『恐れ』の中で、神を見失わない秘訣。[19節]  ・弟子たちは恐れのあまり、イエスを見てさえ恐れた。 ➝ イエスの解決方法 =ご自身の『みことば』[20節] ◎神のことばに満たされていなさい![イザヤ43:1-2] ◆「こんなだらしない自分は、神に見捨てられてしまうのでは…」と恐れる人もいる。    神が嘆かれるのは、私たちの「弱さ・だらしなさ」ではなく、「神の『完全な愛・一方的な恵み』を私たちが疑うこと」。 Outline of the sermon  “Fear not!”   (25/09/2011) ◎[ John 6:16-21]  *Let’s think about “Fear” at 3 points. ① Where does ‘Fear’ come from ? ・Most of the Read more…

2011年9月18日 2種類の『知性』

説教あらすじ 「2種類の『知性』」   (18/09/2011) ◎[ヨハネ6:1-15] ◆[1-4節] ・イエスに従って行く者に2通りいる。 ①「神のわざ」を追い求めるタイプ ②「神の真理」を求めるタイプ [4節] 『過越の祭り』について  ・今日は詳しく学ばないが、これは人々が「神の約束のことば」と「子羊の血」の力に信頼して、災いから免れ たことを記念する祭り。今日の私たちも同様に「神の真理のみことば」と「イエスの十字架」に信頼するべき。 ◆「2種類の知性」がある。➝ 『知性』と『神』とは相容れないものではない。[使徒17:27,マルコ12:29-30]   ①神を締め出す知性  ②神を見出させる知性 神を締め出す知性 神を見出させる知性 観察対象 選り好み・『常識』のスクリーン  [7節] 手当たり次第・ありのまま  [8-9節] 追求方法 データ重視・損得勘定  [マタイ14:15] リスクを恐れず、徹底追求 結論 人間の万能性に期待 人間の限界を認識 反応 自分の利益のために利用  [14-15節] その事実・法則を尊重し、従う  [ルカ5:8] ◆イエスは、私たちの内にあるものを探られる。[6節]   ・イエスは、私たちが『真理』を求めているか、それとも「自分に都合の良いことだけ」を求めているかを試す。   ・多くの人が神を認めようとしないのは、「神がいたら都合が悪い」から。すなわち「自分が自分の人生の神」 でいたい。これこそ、聖書が指摘している『罪』。しかし、神を知ることこそ『知性』の基本。[箴言1:7] ★あなたは『知性』においても、神を愛しますか? ◎[John 6:1-15] ◆[Verse 1-4] ・There are 2 types of people following Christ.  ①Seeking “Work Read more…

2011年9月11日 神からの栄誉

説教あらすじ 「神からの栄誉」   (11/09/2011) ◎[ヨハネ5:39-47] *今日はここから、3つのポイントで学ぶ。 ①聖書は初めから終わりまで『キリスト』を指し示している。[39-40節] ・聖書が終始私たちに指し示しているのは「守るべき教え」ではなく、「神ご自身について」そして「神との関係 の回復について」である。そしてまさにキリストは「神とはどういう方なのか?」[ヨハネ14:9]、「神との関係の回 復への道は?」[ヨハネ14:6]を示し、その回復を実現なさるために、この地上に来られた。 ②私たちが本当の喜びを得られない原因。[ヨハネ15:11] *イエスが持っていた喜びの秘訣とは? [41節] 「人からの栄誉を受けない」とは、「人からの栄誉を受ける必要がない」の意味。  ・イエスは「人からの評価は、自分の価値を上げも下げもしない」ことをよくわきまえていた。   しかし、私たちはいつも「他人による評価」に一喜一憂してしまう。 何故?➝ 『認められたい』から。  ・私たちは「自分の価値」を見出すために、様々な手段を講じる。(例:知識・財産・有名知人・ハク・流行…)    ➝ 常に『優越感と劣等感』『興奮と虚脱感』の間を行ったり来たり…。(「人間は考える葦?」) [43-44節] イエスは、私たちを神と結びつけ、私たちが「神の愛による絶対評価」に目覚め、 その価値観に生きるようになるために来られた。 ◎『神の絶対評価』とは… ①「神の作品としての絶対的価値」 ②神の愛着の故の「測定不能の価値」 ③「モーセの律法」が与えられた理由。 [45-46節]  ・律法の本質は、人は「正しい行いをすることによって、神に認められる」のではなく、「神との正しい関係の中 で生かされていないと、正しく生きられない」ことを人々に分からせること。 ・「モーセが書いたのはわたしのこと(46節)」とイエスが言われたのは、律法もキリストも「私たちが神に注目す るようになるため」に存在し、どちらも『神の愛と義』を象徴している、ということ。 イエスが十字架にかかられたのは、この『神の愛と義』を明確に表現したものである。 Outline of the sermon “The praise from God” (11/09/2011) ◎[ John 5:39-47]  *Here are 3 points to learn. ① The Bible indicates “Christ” from Read more…

2011年9月4日 自分に関する証言

説教あらすじ 「自分に関する証言」   (04/09/2011) ◎[ヨハネ5:31-38]  ◆ある人物を知るために手がかりとなるものは?  ①自分の証言  ②他の人の証言  ③その人の業績(履歴) ◆イエスも、ご自分のことを知らせるために、次のことを示された ①自分の証言 [31節]    ・主観的であり、十分な証拠にはならない。 ➝ その人の人柄はつかめても、『真実』はつかめない。 ②他の人の証言 [33-35節]    ・参考にはなるが、1面でしかない。相対的評価。ほとんどの場合、一時的。    ・個人の好みなどがあるので、やはり『真実』ではない。 ③その人の業績 [36節]    ・客観的で、しばらく残るので、①②よりも優れているが、表面的なので、その人の実質が見えない。 ④父なる神の証言 [32, 37節]    ・創造主による「真実な絶対的評価」。隠れているものもすべて見通す。    ・私たちの『業績』を見るのでなく、ありのままを見、私たちの「信仰による選択」を重視する。 ★あなたは、自分に関するどの証言を拠り所にしますか? 聖書は次のように告げています。 [イザヤ43:4] [Ⅰサムエル16:7] [ヨハネ11:40] [イザヤ41:10] [ヘブル13:5]  Outline of the sermon “Testimony about ourselves” (04/09/2011) ◎[ John 5:31-38]   ◆ Some clues to know a person.   ① His own Read more…

2011年8月21日 『フルサイズの人生』を生きる

説教あらすじ 「『フルサイズの人生』を生きる」 (21/08/2011) ◎[ヨハネ5:19-30] *ほとんどの人は『フルサイズの人生』を生きていない。それはなぜか? ◆人の行動の主要な動機   ①「願望(~したい)」  ②「義務感(~しなければならない)」  ③「使命感〔価値観〕(~すべき)」     ・『フルサイズの人生』のためには、①②③が揃わなければならない。それを可能にするのが『愛の関係』。 ◆イエスは、私たちに『フルサイズの人生』を送らせるために来られた。[ヨハネ10:10]    ・だからこそ、イエスは私たちに、最高の教えとして「愛の律法 [ヨハネ15:12]」を与えられた。それ故、私たちが     『フルサイズの人生』を生きるためには、まずこの「愛の関係」を人々との間に築く術を知らなければならない。 ◆イエスと御父との関係はどうだったのか?[19節]    ・イエスは本当に「自分からは何もできな」かったのか? 決してそんなことはない。      では、なぜこのような発言をしたのか? ➝ 御父との「完全な愛の関係」の故に、そう決めていた。    ・御父もイエスに対する完全な愛と信頼の故に、そのみこころを余すところなく示した。[20節]      そして御父は今日、私たちとも同様の関係を築くことを求めておられる。[例:創世記18章17節] ◆イエスの御父に対する信頼の根拠は?    ①御父は良い父だと知っていたから。[21節]   ②御父は『気分屋』ではないと知っていたから。[22節] ◆[25節] 『死人』とは? = 「まことの命の源」である父なる神とつながっていない人。 ★イエスの宣言[24節]と 2つの質問:   ・神との関係を回復し、「人々との愛の関係」を基盤とした『フルサイズの人生』を生きたいですか?   ・神に「彼にはこのことを秘密にしてはおけない!」と言われるような者になりたいですか? Outline of the sermon “Living our lives to the full.” (21/08/2011) ◎[ John 5:19-30]  * Why don’t most of us live our Read more…

2011年8月14日 ありがちな勘違い

説教あらすじ「ありがちな勘違い」(14/08/2011) ◎[ヨハネ5:8-18] *この箇所から、私たちの信仰生活に起こりがちな「3つの勘違い」を見てみよう。  ①「安息日を守らなければならない」[10節]   ・この教えのルーツは、モーセの十戒 [出エジプト記20:8-11] また天地創造のわざ[創世記2:1-3]  ◆本来『安息日』は「万物の完成を祝う日」であり、また「神が、人との交わりを楽しむ日」  ②「律法は絶対である」     ・律法それ自体は正しく良いものだが、それよりも重要なのは、それを定めた神ご自身。[ローマ1:25]  ③「『神の教え』に従わなければならない」     ・ユダヤ人たちは「神の教え」を良く研究・分析したが、その根底にある「神の心」を理解しなかった。       一方イエスはいつも「みこころ」を知り、それを行うことに関心があった。[ヨハネ4:34]    *どうやって「神の心」を理解できる?― 信じた者に与えられる『御霊』によって。[Ⅰコリント2:11, 14-16]      神が私たちに聖霊をお与えになるのは、偉大なわざを行わせるためではなく神の心を理解させるため。 ◆[ガラテヤ5:16-18] 肉=生まれながらの性質(自分の力で神を喜ばせたい!)  *神は既にあなたを100%喜んでいる。彼の願いはその喜びを私たちと共有すること。[ヨハネ15:11] ★今日も神は私たちを招く。「わたしはあなたに『わたしの霊』すなわち『キリストの心』を与えた。キリストがわたしと心を1つにして歩んだように、あなたもわたしと心を合わせて、共に歩もうではないか。」 考えてみましょう   ・私たちの信仰生活に起こりがちな勘違いとは、どのようなものですか?  ・神が私たちに願っておられることは、どんなことですか? そのために私たちはどんなことができますか?  Outline of the sermon “Frequent misunderstandings.” (14/08/2011) ◎[ John 5:8-18]  *Today we will see 3 misunderstandings which we often fall into.  ①「Do not Read more…

2011年8月7日 『神のみわざ』のプロセス

説教あらすじ「『神のみわざ』のプロセス」(07/08/2010) ◎[ヨハネ5:1-9] *これは単なる「1人の病人が癒された」というだけの話ではない。 ◆イエスは目的を持ってこの回廊を歩いていた。   ・イエスは人々の「目に見える症状」だけではなく、「魂の癒しの必要」を捜しながら歩いていた。 ◆「よくなりたいか?」[6節]   ・普通は病人にこんなことは尋ねない。しかしこの病人にはそれを再び想起させる必要があった。   ・この病人には、もう1つの病(他者依存)があった。[7節] ◆「起きて、床を取り上げて歩きなさい!」[8節]   ・この言葉には次のような意図がある。      「あなたの人生を、他者に支配させてはならない。わたしの言葉に耳を傾けなさい。」   ・この病人はイエスの言葉を心の耳をもって聞き、それに従い、そして癒された。 ◆「神のわざ」のプロセス ◎目に見えるわざを行う前に、神はまず私たちの内側をご自身のみことばによって整える。[ピリピ2:13]     ・そのみことばによって、そのみこころに従って「志を立てさせ」「事を行わせる」。     ・「肉体の健康」よりも「魂の健康」の方が重要である。 ◆最も重要なこと  ・それは「まず静まって『神のことば(語りかけ)』に心の耳を傾けること。 ★神には「どうしてもあなたと一緒にやりたいこと」があるのです! 考えてみましょう ・イエスはこの病人に何と語りかけましたか? またそのことばにはどういう意味がありますか? ・あなたは日々イエスのことばに耳を傾けていますか? もし、いないなら、それはどうしてなのでしょう? Outline of the sermon “Procedure of ‘God’s Work’” (07/08/2010) ◎[John 5:1-9]   * This is not just ‘another healing story’!     ・Jesus was there looking for Read more…

2011年7月24日 しるしは、『原因』か?『結果』か?

(今回はオーディオがありませんのであしからず。) 説教あらすじ 「しるしは、『原因』か?『結果』か?」 (24/07/2011) ◎[ヨハネ4:43-54] *物事には『原因』がつきもの。その『原因』を無視して『結果』だけを追いかけるのは愚か。 ◆ [43-45節]  イエスはサマリヤから、故郷のガリラヤへ行かれた。    ・44節と45節のつながりがおかしい。これは、故郷の人々がイエスを「歓迎した理由」に原因がある。それは、 「イエスがエルサレムで行っていたしるしを見たい!」という好奇心。イエスは「しるしを求めてご自身に近づく 者」を喜ばない。 ➝ [ヨハネ2:23-24] 大切なポイント:イエスの行う『しるし(力あるわざ)』は、私たちの信仰にとって『原因』なのか『結果』なのか?    ①もし、しるしが、私たちの信仰を呼び起こす『原因』であるなら、私たちは終始「しるし(わざ)」ばかりを追い求 める者となる。 ②しかし、もし、しるしが『結果』だとしたら、私たちはその『原因』を探る者となり、それが「神が共におられるこ と」だと見出すことができる。[ヨハネ10:37-38] ・イエスが地上で多くのしるしを行われたのは、それに遭遇した人々に、「わざそのもの」ではなく、 その源である方(父なる神)を求めさせるため。 ◆ [46-49節]  この王室の役人は『しるし』に執着していた。 ・彼にとっては「イエスがどなたであるか?」はどうでも良かった。言い換えるなら、息子の病気を治してくれる なら、相手は悪霊でも何でも良かった。 ・「しるし(現象)」にすっかり心を奪われていたこの役人を、イエスは「目に見えないもの(ことば)」だけを与えて 追い返した。[50節] それはこの役人が「しるし」ではなく、「その源である方」に心を開く者とされるため。 ◆ では「みわざを求める故に神に近づくこと」は、悪いことなのか?     ➝ 理由がどうであれ「神に近づくこと」は良いこと。問題は、その人が「本当に神ご自身を神としている」のか それとも、「みわざ」が偶像になってしまっているのか。 その判別は神がなさる。 ・きっかけがどうであれ、その人が「神に近づいて」いくなら、神はその人の心に働きかけることができる。 ◆ 私たちの神は『良い父』。恵みと愛とに満ちておられる。それ故「みわざに固執する者」の祈りにさえも応えてくだ さる。しかし、イエスが真に求めておられるのは、「しるしの有無」に関わらず、イエスのことばに耳を傾け、彼と 共に働いておられる、力と愛に満ちた『まことの父』に、私たちの心がしっかりとつなげられていくこと。そのよう に歩む者の人生には、「神の力あるわざ」は結果としてついてくる。 考えてみましょう ・「しるし(神の力あるわざ)を『原因』とする信仰」と「『結果』とする信仰」とでは、どのような違いがありますか? ・あなたの、「神の力あるわざ」に対する信仰的姿勢は、どのようなものですか?