2021年1月24日 「『善』と『悪』の見分け方」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『善』と『悪』の見分け方」(24/01/2021) [マルコ 3:1~6] ◆律法にかなっているのは?[4節]  ・ユダヤ社会の律法理解では、「安息日の労働」は禁じられており、「病人の治療」は『労働』とみなされていた。  ・イエスは「労働か否か」というあやふやな基準ではなく、「善を行う(いのちを救う)こと」か、それとも「悪を行う(殺す)こと」かという『絶対的基準』で彼らに迫った。しかし彼らは「黙って」、ただイエスの行為のみに関心を払った。 ◆イエスの「怒り」と「嘆き」 [5~6節]  ・パリサイ人たちにとって『善』とは「律法を(自分たちの基準で)守ること」であるにもかかわらず、イエスが安息日に   人を癒した結果、律法に逆らって「イエスを殺すこと」を計画し始めた。このように「自分たちの都合に合わせて『善悪』、そして『神』や『律法』までも定義しようとする態度」 に、イエスは深い「怒り」と「嘆き・悲しみ」を抱いた。  ・神が求めておられるのは、「形だけの良い行い」ではなく、『関係』である。相手(それが『神』であっても「人」であっても)に直接尋ねることもせずに、自分の経験や勝手な思い込みによって「良い行い」をしようとしても、それは神を喜ばせない。神が喜ばれるのは、私たちが「ご自身との『愛の関係』」、また「人々との『愛の関係』」に生きること。 ✰今日のキーワード: 『関係』は 『善行』に先立つ ◎学びを深めるための質問  ①パリサイ人たちは「律法を守ること」に関して、どのような点において間違っていましたか?  ②一般的に言われる『善行』と、イエスが教えられた『善を行うこと』には、どのような違いがありますか?  ③なぜ『関係』は『善行』に先立つのだと思いますか? 真の意味の『善行』を行うには、何が必要でしょう? Outline of the sermon    “How to distinguish ‘good’ from ‘evil’.”   (24/01/2021) [Mark 3:1~6] ◆Which is lawful?[Verse 4]  ・In Jewish society, they forbid any labor on the Sabbath.  And “healing Read more…

2021年1月10日 「安息日は何のため?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「安息日は何のため?」(10/01/2021) [マルコ 2:23~28] ◆「安息日にしてはならないこと」とは?[23~24節]  ・ここでパリサイ人が指摘しているのは、「他人の畑の麦を勝手に食べること」ではなく、「手で揉み出す」という行為が『労働(刈り入れ)』に当たる、というもの。  ・イエスがダビデの行為を引用(25~26節)したのは、「飢えている人に食物を拒む律法はない」ことを示すため。 *大切なのは、『律法を守る』ことよりも、『人を生かす』こと。 ◆安息日は「人のため」に設けられた [27~28節]  ・安息日は、人を「束縛するため」ではなく、「休ませ、リフレッシュさせるため」、そしてまた私たち人間が「真の神とは誰であり、自分は何のために造られたのか」ということを確認するために設けられた。  ・神は「人の最善のため」に、様々な規定を定められた。「人を規定するため」ではなく、「人のために、(安息日を含む)他のものを規定する」のが、神である主(イエス)。 私たちは『神が備えてくださっている最善』を、「神への信仰と愛によって」用いることを期待されている! ✰今日のキーワード: 大切なのは 『人』 ◎学びを深めるための質問  ①『安息日』は何のために設けられましたか? あなたはそれにふさわしく『安息日』を過ごしていますか?  ②神は何故人に『律法』を与えたのでしょう? 私たちがしばしばそれを見失ってしまうのは何故だと思いますか?  ③あなたの周囲を見回して、『神様が備えてくださっている最善』を見つけ、リストアップしてみましょう。 Outline of the sermon    “What is ‘the Sabbath’ for?”   (10/01/2021) [Mark 2:23~28] ◆What is “unlawful” on the Sabbath?[Verses 23~24]  ・Here the Pharisees pointed them out not about “eating Read more…

2021年1月3日 「脱・律法主義」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「脱・律法主義」 (03/01/2021) ◆人は何故律法主義に陥りやすいのか?  ・「今年の目標」なるものを立てるのは良いが、それに縛られて自分自身を追い込み、達成して優越感に浸ったり挫折して落ち込んだりする。それが本当に神の望んでおられる生き方なのだろうか?  ・主イエスは、しばしば律法学者たちの「形式的な信仰」を痛烈に批判した。[マタイ23:25~26] それは人間的な力で自分を向上させようとし、「内なる神の働き」をないがしろにしていたから。  ・私たちも『律法主義』に陥ると「御霊による喜び」が失われ、伝道も実を結ばない。人々は『本物』を求めている。 ◆イエスと私たちの何が違うのか?  ・「正真正銘の『本物』」は、主イエスただ1人。私たちと主イエスとの違いは「神との関係の深さ」にある。    イエスは「天の父が良いお方であること」をよく知っており、他の何よりも「御父との親密な関係」をいつも求め、そしてその『御父との交わりの中に生きる喜び』を私たちにも体験させるために、十字架への道を忍ばれた。  ・「天国の素晴らしさ」は、「妨げられることなく、いつもこの『御父&御子との親しい交わり』の中に浸れること」。 今年のJCF年間聖句: [詩篇34:8] ✰今日のキーワード: 神様に魅了される ◎学びを深めるための質問  ①自分のことを「ダメなクリスチャン」だと感じることはありますか? それはどんな時ですか?  ②あなたにとって『天国』とはどんな場所ですか? どんな点で『天国』へ行くことが楽しみですか?  ③「神が良いお方であること『味わう』」ために、神があなたにどんなことを望んでいるのか、祈り求めてみましょう。 Outline of the sermon    “Get out of ‘Legalism’.”   (03/01/2021) ◆Why do we tend to be “legalistic”?  ・There is no harm to “set a goal” but it harms us Read more…

2020年12月27日 「脱・習慣的信仰生活」

説教をYouTubeで観る 説教あらすじ 「脱・習慣的信仰生活」(27/12/2020) [マルコの福音書 2章18~22節] ◆何のための『断食』か? [18~20節]  ・ヨハネの弟子たちは「師であるヨハネの死」を悼んで断食をしていたが、パリサイ人たちは「宗教的習慣」として週に2度断食していた。新約聖書では『断食』はいつも「主への祈りや礼拝」と結び付けて行われている。「宗教的習慣」として特定の形で行うものではなく、個人個人の「神との関係」において、「時・理由・方法」を選んで行う。  ・イエスはご自分を『花婿』と表現し、のちに来る「ご自身と教会(人々)との新しい関係」に関して暗示している。 ◆新時代の到来 [21~22節]  ・「新しいもの」と「古いもの」とを一緒に用いることはできない。古い「宗教的習慣」に捕らわれていると、イエスによってもたらされる「ただ1度のいけにえによる完全な罪の赦し」を理解することはできない。  ・今の時代に生きる私たちも、「個人的なイエスとの明確な出会い」を体験したなら、必ず生き方が変わるはず。 *『新しい年』が来ようとしている。「形式的・習慣的にイエスに仕える」のではなく、 1人1人がそれぞれの「創造的・ユニークな形」で、主イエスに仕えよう! ✰今日のキーワード: 新しい皮袋 ◎学びを深めるための質問  ①断食をしたことがありますか? どういう理由・方法でしたか? 断食を通して新しく学んだことは何ですか?  ②あなたが主イエスと出会ってから、「新しくされた」と実感できることは、どんなことですか?  ③2021年を迎えるに当たって、神様から受けているチャレンジがありますか? もし無いなら、求めてみましょう。 Outline of the sermon    “Get out of ‘customary Christianity’.”   (27/12/2020) ◎[Gospel of Mark 2:18~22] ◆What is “fasting” really for? [Verses 18~20]  ・“Fasting” is not just “a religious Read more…

2020年12月13日 「イエスが来たのは…」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「イエスが来たのは…」(13/12/2020) [マルコの福音書 2章13~17節] ◆登場人物紹介 [14~16節]  ・「アルパヨの子・レビ」:『マタイ』?『ヤコブ』?   ・「取税人や罪人たち」:人々の間でさげすまれていた。  ・「パリサイ人」:『パリサイ』はヘブル語で「分離する」。律法に従わない人々(異邦人や罪人たち)からの分離。   *イエスは罪人たちと「共に食事を」していた。神のみこころは『分離』ではなく、『共にいる(インマヌエル)』こと。 ◆わたしが来たのは… [17節]  ・「医者を必要とするのは…」は、当時のことわざ。「わたしが来たのは…」が示しているのは、    『正しい人』:自分を「正しい」とするパリサイ人たちを指す。    『罪人』:パリサイ人たちが言うところの「罪人」だけではなく、パリサイ人たち本人をも指している。  ・イエスは『罪の赦し』のために来た。(「奇跡を行うため」ではない!) たとえ今の状態が「きよく」なくても、神に渇き神を求めてイエスの許に来る者は、この『罪の赦し』を受けるにふさわしい。[使徒10:15]  ・そして実は私たちも、イエスによって「罪人の許」に遣わされている![ヨハネ20:21~23] ✰今日のキーワード: 罪人を招くために ◎学びを深めるための質問  ①パリサイ人たちとイエスとでは、どんなところが違いますか?どうしてそのような違いが生じるのでしょう?  ②あなたはパリサイ人とイエスとのどちらに似ていますか? また、どうしてそう思うのですか?  ③あなたはイエスによって誰の許へ遣わされていると思いますか? その「イエスの召し」にどう答えますか? Outline of the sermon    “Jesus came to call who?”   (13/12/2020) ◎[Gospel of Mark 2:13~17] ◆Those who are on the scene. [Verses14~16]  ・Levi son of Alpaeus: Is Read more…

2020年12月6日 「なりふり構わぬ信仰」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「なりふり構わぬ信仰」(06/12/2020) [マルコの福音書 2章1~12節] ― 「罪の赦し」と「病の癒し」  ・[1~4節]「背景」:この『家』は恐らく「シモンとアンデレの家」。当時のパレスチナの家は通常ひと間で、屋根は毎年張り替える簡易な造り。そのため屋根に上がる階段もある。  ・[5節]イエスは「彼らの信仰を見た」。「神に向かって行こうとする、行いを伴った信仰」は『罪の赦し』に値する。  ・[6~8節]一方、律法学者たちは、罪の赦しを宣言するイエスの言動を「神への冒瀆」と考えた。イエスのなさる「奇跡的なみわざ」や「心の中を読む取る力」がイエスが神から遣わされていることを示していたのに、彼らは「自分たちの神学(思い込み)」に支配されていた。  ・[9~11節]イエスの目的は『罪の赦し』であり、病の癒しは単にそれに伴うしるしでしかなかったが、ご自身に『神の権威』が与えられていることを頭の硬い律法学者たちにも分からせるために『癒し』も行った。  ・[12節]群衆は「イエスをあがめた」のではなく、「神をあがめた」。彼らは「力あるわざ」の真意を理解していた。  ・[へブル11:6] 「神を求め、神に近づく」 これこそ『悔い改め』。神はこのような人々に心を惹かれ、彼らの罪を赦し、その信仰に喜んで報いてくださる。 ✰今日のキーワード: 神は『信仰』を見る ◎学びを深めるための質問  ①イエスはどんなことから「彼らの信仰を見た」のでしょう? また、どうして『罪の赦し』を宣言したのでしょう?  ②群衆に見えて、律法学者たちには見えなかったものは何ですか? どうしてそのようなことが起こるのでしょう?  ③神はあなたのどのような『信仰』をご覧になっていると思いますか? また、どうしてそう思うのですか? Outline of the sermon    “Faith without regard for appearances.”   (06/12/2020) ◎[Gospel of Mark 2:1~12] ― “Forgiveness of sins” and “Healing”.  ・[Verse 5] Jesus “saw their faith” and the faith Read more…

2020年11月29日 「キリストの心に近づく」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「キリストの心に近づく」(29/11/2020) [マルコの福音書 1章35~45節] ― 「イエスの心にあった2つのこと」に注目。 ◆『御父』を求める [35節]   ・イエスの1日はいつも「御父を求めること」から始まった。そしてイエスの自意識&存在意義は「御父のみこころを成し遂げること」だった。[ヨハネ4:34] 私たちも朝ごとに「お父さん、今日は私と一緒に何をなさりたいですか?」と問いかけながら1日をスタートしよう! ◆『福音』を伝える [36~38節]   ・イエスは「御父のみこころ」を『自分』が知るだけではなく、『人々』にも知ってもらいたかったそのためには何としても人々に「神との関係の回復」を体験してもらう必要があった。そのための「福音宣教」。   ・「病人の癒し」や「悪霊の追い出し」などは、『御父のあわれみ(神の国の到来)』を証拠づけるしるしに過ぎない。   ・[40~45節] イエスは「証拠としてのみわざ」が人々の不必要な興味を引き起こすと分かってはいても、内側からあふれ出る『御父のあわれみ』をとどめようがなかった。私たちに必要なのも、この『キリストの心』。 ✰今日のキーワード: 主イエスの心 ◎学びを深めるための質問  ①イエスの「御父を求める心」を自分のことばで表現してみましょう。あなたの心にそれに近いものを感じますか?  ②イエスの「福音を伝える動機」は何でしたか?福音を伝えようとする時、あなたはどんなことを考えていますか?  ③「キリストを慕い求める心」と「人々にキリストを伝えようとする気持ち」には、どのような関わりがあるでしょう? Outline of the sermon    “Come close to Jesus’ heart.”   (29/11/2020) ◎[Gospel of Mark 1:35~45] ― There were 2 things in the heart of Jesus. ◆Seeking his Father. [Verse 35]   ・Jesus Read more…

2020年11月22日 「御国の権威によって」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「御国の権威によって」(22/11/2020) [マルコの福音書 1章21~34節]                霊的世界の権威構造 ◆悪霊とは?   ・サタンに従った『堕天使』。「全知・全能」ではないが、人間よりは優れている。   ・神とその権威・力をよく知っており、自分に向けられることを恐れている。   ・私たちは「聖書の知識」や「信仰深さ」ではなく、「神の権威の下に身を置くこと」によって悪霊に立ち向かう。 ◆イエスの権威 [22,27節]   ・律法学者は「教えを教えとして教えるだけ」。しかし、イエスの権威は「神から委託」されていた。[ルカ1:30~33]   ・神の権威を用いること = 『神の国の到来』を示すこと。[マタイ12:28]   ・[34節]イエスが主に行ったのは、神の権威による『教え』『病人の癒し』『悪霊の追い出し』。そしてこれらを弟子たちにも行わせるために遣わした。[ルカ9:1~2]   ・復活後のイエスの権威。[マタイ28:18~19a] ⇒ 私たちも「弟子を造るため」に、この権威を委託されている! ✰今日のキーワード: 弟子を造る ◎学びを深めるための質問  ①『悪霊』とはどんな存在ですか? また『悪霊』に対抗するために気を付けるべき点は何ですか?  ②イエスは地上の人生において主にどのようなことをされましたか? それは何を意味していましたか?  ③あなたの「弟子としての歩み」に、主イエスはどのようなことを期待しておられると思いますか? Outline of the sermon     “Authority of the kingdom.”    (22/11/2020) ◎[Gospel of Mark 1:21~34]  Structure of “spiritual world”. ◆“Evil spirits”, what are they?   ・“Fallen angels” Read more…