2021年10月31日 「子どものように」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ        「子どものように」       (31/10/2021) [マルコ 10:13~16] ◆子供の特徴   ・『子供』は遠慮がなくしつこい。また率直かつ大胆であり、純粋で疑うことをしらない。『大人』として接するにはある意味「恐ろしい」存在。ところがこれらは「神を大いに喜ばせる要素」でもある。   ・ダビデは「子供のように」神に対して率直に心の思いを打ち明けることができた。[詩篇109:6~12] 彼は、「自分は神の前に100%受け入れられている」という確信をもって、何の不安もなく自分自身をさらけ出したのである。 ◆「子供のように」神の国を受け入れる [15節]   ・イエスはここで、「私たちが『神の国の民』としてどのような態度で生きるべきか」を教えようとしておられる。子供たちの自然な振る舞いが大人たちを戸惑わせるように、「神の国の民の自然な振る舞い」は『この世』を戸惑わせるはず。もしそうでないとしたら、「この世と調子を合わせよう」としているのかもしれない。[ローマ12:2]   ・また、私たち大人が「子供たちの自然な振る舞い」に戸惑ってしまうのは、私たちの中にある『プライド』や『保守的な姿勢』が原因。イエスは初めから『捨て身』だった。そしてその「イエスの捨て身の愛」によって私たちは父なる神にありのままを受け入れられている。だから今週も「子供のように」大胆に神に近づいて行こう! ✰今日のキーワード: さらけ出す ◎更に深い学びのために  ①弟子たちが子供を追い払おうとしたのは何故でしょう? またイエスはどうしてそれを止めたのだと思いますか?  ②私たちが神に近づこうとする上で『子供たち』から学べるのはどのような点か、互いに話し合ってみましょう。  ③神の前に自分自身を「さらけ出す」ために障害となっているものは何ですか? 互いに分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon      “Become like a little child.”     (31/10/2021) [Mark 10:13~16] ◆Characteristic of a little child.   ・“Little child” is unreserved and persistent.  They are open, bold and pure.  And Read more…

2021年10月24日 「結婚関係の意味」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ        「結婚関係の意味」       (24/10/2021) [マルコ 10:1~12] ◆『離縁状』の役割 [2~5節]   ・『離縁状』の由来は申命記24章。これは「夫の権利のため」というよりも、「離縁された女性の再婚」のため。   ・[6~9節] イエスがここでおっしゃりたかったのは「離婚は罪だ」ということではなく、「結婚は創造のみわざの初めから神が定めた素晴らしい祝福である」ということ。しかし、人に『自由意志』をお与えになった神は、ご自身の願いに反する『離婚』という現実が起こることも考慮され、『離縁状』という対応策をも備えてくださった。 ◆『結婚』の真の意味 [10~12節]   ・マタイの福音書には、イエスのこの言葉に対する弟子たちの反応が書いてある。彼らには「男が妻に対してそ こまで献身するなんて…」というマインドセットがあった。しかしイエスはその模範を示された。[エペソ5:31~32]  ・「結婚関係」は夫と妻との間の『献身』によって結ばれている関係。そしてそのイニシアティブを取るのは『夫』。キリストが私たちの「喜びや痛み」を自分のことのように感じてくださるからこそ、私たちも彼の愛に応えたくなる。同様に、夫が妻の「喜びや痛み」を自分のことのように受け止めるなら、妻もその愛に応えられるようになる。「キリストの愛による豊かな人間関係」こそが、人々に『神の愛』を証しする最強の武器である。[へブル13:4] ✰今日のキーワード: 『関係』への誠実さ ◎更に深い学びのために  ①パリサイ人たちの企みはどんなことでしたか? イエスの応答に対して彼らはどのように感じたと思いますか?  ②今日の内容から『結婚関係』ということに関してどんな発見がありましたか? 互いに分かち合ってみましょう。  ③神が求めておられる「関係への誠実さ」とはどのようなものでしょう? 自分の中に足りないものは何ですか? Outline of the sermon    “What is‘Marriage’really for?”   (24/10/2021) [Mark 10:1~12] ◆“Certificate of divorce”. [Verses 2~9]   ・Jesus was not saying, “Divorce is sin”.  Instead, he was saying, “Marriage is Read more…

2021年10月17日 「神の国の価値観」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ        「神の国の価値観」       (17/10/2021) [マルコ 9:38~50] ◆神の目に尊く映る人々 [38~41節]   ・ここでのヨハネの発言は「自分たちに属しているか否か」を問いている。しかしイエスは「キリストに属しているか否か」、そして「それらの人々にどう接するか」を神はご覧になるとおっしゃった。これが『神の国』の視点。   ・実際には「御名だけを唱えて悪霊を追い出すこと」を警告する聖書箇所もある。それらは『行為』だけに気を取られて「イエスとの関係」を軽んじる姿勢を問題視している。神は「うわべ」ではなく『心』をご覧になるお方。「何をしているか」ではなく、「誰に対して(どんな心で)行っているか」が重要。⇒ [コロサイ3:23] ◆何が神を悲しませるのか? [42~43節]   ・ここからのキーワードは、「わたしを信じる者をつまずかせる」。すなわち「人をキリストとの関係から遠ざけるもの、また遠ざけようとする行為」に対する神の断固たる見解が描写されている。[へブル12:1b~2a, 4]   ・[49~50節] ここで言う『塩気』とは、「キリストとの親密な関係」。「人がキリストから引き離されること」を神は嫌う。私たちも「神の家族がキリストから引き離されそうになっている」のを見たら、全力でその人を助けよう。[ローマ14:15] 『真の友』とは、自分の役に立つ存在ではなく、「自分にキリストを思い起こさせてくれる人」。 ✰今日のキーワード: 『塩気』を保つ ◎更に深い学びのために  ①「神の目に尊く映る人々」とは、どのような人々ですか? それは『この世の価値観』とどのように異なりますか?  ②ここで言う『つまずかせる』とは、どんなことでしょう? 過去にそういう体験があれば、分かち合ってみましょう。  ③神はどのようなことを悲しまれるのですか? そうならないために、私たちはどう気をつければ良いのでしょう? Outline of the sermon    “The value of God’s kingdom.”   (17/10/2021) [Mark 9:38~50] ◆Those who God is pleased. [Verses 38~41]   ・God is pleased those who “belong to Read more…

2021年10月10日 「イエスの名のゆえに」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「イエスの名のゆえに」     (10/10/2021) [マルコ 9:30~37] ◆弟子たちの思い [30~32節]   ・イエスは再びはっきりと『受難の予告』をなさった。しかし弟子たちは理解できなかった。何故? 恐らく彼らの中には『イエスが死ぬ』ということを認めたくないというマインドセットがあったに違いない。⇒ [33~34節]   ・この世において「偉くなること」は「自分の思い通りに事を運べるようになる」ということを意味する。しかしイエスはここで「『神の国』においてはそうではなく、むしろ『仕える者になること』である」と教える。 ◆イエスの期待 [35~37節]   ・『子供』は「取るに足りない存在」の象徴。人の目には取るに足りない存在でも、それらを造られた神にとってはすべてが『かけがえのない存在』。イエスがここで弟子たちに知らせようとしておられるのは「目の前にあるものを『キリストとの関係』に基づいて取り扱う」ということ。主イエスが私たちに期待されていることは、「ご自身との関係のゆえに、ご自身が切望しておられることに共感し、それを地上で体現してくれる存在」として生きること。   ・[Ⅱコリント2:15] 私たちは「この世を主イエスに託され」ている。何をしても自由だが、主イエスの顔に泥を塗るようなことはしたくない。まずは『主イエスの愛に応える心』が自分の内に豊かに育まれることを待ち望もう! ✰今日のキーワード: 人々は私の内に誰を見るのか? ◎更に深い学びのために  ①何故弟子たちは『受難予告』を理解できなかったのでしょう? 彼らの思いを占めていたものは何でしたか?  ②『偉い人』という概念は、「この世」と「神の国」とでは、どのように違いますか? 何故そうなのだと思いますか?  ③「キリストの名のゆえに受け入れる」、また「主にあって行動する」とは、どのようなことだと思いますか? Outline of the sermon    “To live in the name of Jesus.”   (10/10/2021) [Mark 9:30~37] ◆Mind of the disciples. [Verses 30~32]   ・Why didn’t disciples understand what Jesus was Read more…

2021年9月26日 「信仰=明け渡し」

礼拝全体の様子をYouTubeで観るhttps://youtu.be/f791o_PFLps 説教あらすじ      「信仰 = 明け渡し」     (26/09/2021) [マルコ 9:14~29] ◆真の『信仰』とは? [19,22~24節]   ・弟子たちは以前イエスに「悪霊を追い出す権威」を与えられて遣わされたが、当時はただ純粋に「イエスに与えられた権威」に拠り頼んでいたのかもしれない。「経験を積むこと」は信仰の歩みにマイナスに働くこともある。  ・24節の父親の告白は矛盾しているようにも聞こえる。ここで『信じる』というのは、「神のみわざを期待する」というよりも、むしろ「自分の悟りに頼ることをやめる」ということ。[箴言3:5] ◆悪霊に打ち勝つ力 [28~29節]   ・この弟子たちの質問は、私たちもぜひ尋ねたいことではないか?イエスは「祈り(と断食)によらなければ…」と言われた。真の『祈り』は、「自分主体の行為」ではなく、「神の力・愛・権威に依存しようとする、信仰による営み」。言い換えれば、「自分自身の『こうなって欲しい』『こうなるべき』という思いを明け渡す」こと。  ・『断食』は「ハンスト」とは違う。断食の経験がある人なら分かるが、肉体的に本当に弱められる。この「己の弱さを知り、自分に頼れなくなること」が『祈り』に力を与え、悪魔に対抗する『神の力』を呼び込む。[ヤコブ4:6b~7]  神は「高ぶる者」と共に働くことはできない。そして神以外に悪魔に打ち勝てる存在はない。 ✰今日のキーワード: 『私』ではなく『キリスト』 ◎更に深い学びのために  ①イエスは、弟子たちや人々のどのような点を『不信仰』だと嘆かれたのだと思いますか?  ②弟子たちにはどうして、この悪霊を追い出せなかったのでしょう?  ③今日の箇所から、「主にあって『信仰と祈り』をもって歩む」ということに関して、どんなことが学べましたか? Outline of the sermon   “‘Faith’ is ‘surrender to God’.”   (26/09/2021) [Mark 9:14~29] ◆What is real “Faith”? [Verses19,22~24]   ・Jesus deplored disciples’ “unbelief”.  What is the key for “believing”?  This father said to Read more…

2021年9月19日 「しるし」は後から

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『しるし』は後から」(19/09/2021) [マルコ 9:2~13] ◆イエスの栄光の顕現 [2~8節]   ・ここでイエスはご自身を「天的な存在」として3人の弟子たちに現わされた。「モーセとエリヤ」は、『律法と預言者』の代表。[マタイ22:40] イエスは「他の2人と同等」なわけではなく、『特別なひとり子』である。   ・これらの出来事(しるし)は、8章後半のペテロによる「あなたはキリストです!」という告白に基づいて現された。彼のこの『信仰告白』を、御父は「特別なしるし」によって確証して下さったと言える。『しるし』は後に来る。 ◆預言の成就 [11~13節]   ・イエスが『メシヤ』であると理解した弟子たちは、律法学者たちの「エリヤがまず現れるはず」とのことばに混乱したが、イエスは「バプテスマのヨハネこそが、そのエリヤであったこと」をほのめかす。[マラキ4:4~6,ルカ1:17]   ・私たちは「全てが理解できたら信じる」とか、「しるしを見たら信じる」などと言うが、それらは「この世の考え方」であって、『神の国の原理』ではない。『真の理解やしるし』は後から来る。弟子たちは多くのことを理解できなかったにもかからわず、イエスに従い続けた。私たちも「しるしを見るまで信じない!」という態度ではなく、神が思わずも興奮して「しるしによって確証したくなるような信仰」によって、大胆に神に従って行こう! ✰今日のキーワード: 「しるし」は後から ◎更に深い学びのために  ①「モーセとエリヤ」が現れたことにはどんな意味があるでしょう? また、彼らは何を話していたと思いますか?  ②どうして神様は『しるし』というものを、私たちの「信仰の決断」の『前』ではなく、『後』に送られるのでしょう?  ③神様からの『しるし』(SignまたはConfirmation)に関する体験談があったら、積極的に分かち合いましょう。 Outline of the sermon    “Faith precedes confirmation.”    (19/09/2021) [Mark 9:2~13] ◆Jesus revealed his glorious figure. [Verses 2~8]   ・Moses and Elijah appeared and talked with Jesus.  They are the representatives for Read more…

2021年9月12日「イエスを誰だと言うか?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「イエスを誰だと言うか?」(12/09/2021) [マルコ 8:27~9:1] ◆イエスを誰とするか? [29~33節]   ・「イエスが誰であるか」という認識と、「イエスに対してどういう態度で生きるか」ということとは深い相互関係がある。『キリスト(メシヤ)』の原意は「油注がれた者」であり、旧約聖書では「祭司・王・預言者」などに用いられた。ユダヤ人たちは、この「ローマ支配から解放してくれる『王』」として『キリスト』を待ち望んでおり、ペテロも例外ではなかった。しかし実際は、イエスは「地上での王国」ではなく「永遠の神の王国」をもたらす『キリスト』だった。 ◆「キリストにある」自分 [34~38節]   ・イエスはサタンが人類を「偽りの満足」にいざなおうとしているのを知っておられた。そこで敢えて厳しい言葉で「真の最善な歩みから引き離そうとする誘惑」を、ご自身に従おうとする者たちから断ち切ろうとしておられる。   ・「自分のいのちを救おうとする」とは、「自己実現のために神を利用しようとする生き方」。一方「イエスのためにいのちを失う」とは、「神の計画実現のために自分を差し出す生き方」。『自己最高の人生』は「神主導」でこそ実現する。この「自分を捨て」とは、「キッパリと捨てる」という人生を賭けた決断。[へブル12:1~2] 「どっちつかずの人生」ではなく、主イエスにフォーカスした「キリストの名を帯びた者にふさわしい生き方」 をしようではないか! ✰今日のキーワード: キリストにある自分 ◎更に深い学びのために  ①あなたは、イエスを誰だと言いますか? また、それは何故ですか?  ②サタンは人々の願いをかなえることがありますか? もし「ある」とすれば、それはどんな場合だと思いますか?  ③神が私たちに望んでおられるのはどんな人生ですか? また、それはどのようにすれば実現するのでしょう? Outline of the sermon     “Who do you say Jesus is?”     (12/09/2021) [Mark 8:27~9:1] ◆Recognize who Jesus is. [Verses 29~33]   ・Your attitude toward Jesus depends on “who you say he Read more…

2021年9月5日 「信仰を働かせる」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「信仰を働かせる」(05/09/2021) [マルコ 8:22~26] ◆実物教育   ・ここでの癒しは、7章の終わりの記事同様、他の癒しの記事と比べ特徴的。①癒しが段階的であり、②途中でイエスが質問している。これは他に類がない。イエスの特別な意図(弟子たちへの『実物教育』)がうかがえる。   ・この盲人を「村から連れ出した」とあるが、きっと弟子たちは一緒にいたに違いない。舟の上でイエスに叱られた弟子たちは「自分たちには弟子の資格がないのでは?」と落ち込んでいたことだろう。そんな彼らをイエスは「今は分から(見え)なくても、徐々に分かる(見える)ようになる」[ヨハネ13:7]と励まそうとしていると思われる。 ◆信仰を働かせる [24~25節]   ・イエスの癒しのわざの多くは「床を取り上げて歩け」とか、「手を伸ばしなさい」などの『行動を促す言葉』が伴っている。そしてイエスは「あなたの信仰があなたを癒した」とおっしゃった。『信仰』とは単なる受け身的な態度ではない。生きた信仰は『行動』に駆り立てる。[ヤコブ2:17~18]   ・今回の癒しのわざを通してイエスは弟子たちに「神があなたの周囲でなさっているわざを、霊の目を開けてしっかりと見なさい!」と教えたかったのだろう。そしてこの『実物教育』は今日の私たちのためでもある。 ✰今日のキーワード: 信仰の活用 ◎更に深い学びのために  ①「自分の信仰の足りなさ」に落ち込んだことはありますか? そこからどのようにして回復しましたか?  ②「神のわざ」に関して、以前は分からなかったのに、今は分かるようになったことがあれば分かち合いましょう。  ③あなたの日々の歩みの中で、「もっと信仰を働かせるべき余地がある」と思えるのは、どんな分野ですか? Outline of the sermon        “Work of faith.”        (05/09/2021) [Mark 8:22~26] ◆Actual education.   ・Here Jesus took a special process for healing such as: ①Gradual, ②Asking a question.  This shows that he had a Read more…

2021年8月29日 「信仰の目」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「信仰の目」 (29/08/2021) [マルコ 8:11~21] ◆信仰の性質 [11~12節]   ・パリサイ人たちは「イエスを試そうとして『しるし』を求めた」。サタンも荒野において「イエスを試そうとして『しるし』を求めた」。それ故このようなパリサイ人たちの態度に対し、イエスは(霊において)深くため息をついた。   ・一見「しるしを求めること」は信仰的な行為に思えるが、たとえ『しるし』を見ても、信じない者は信じない。ある意味『しるし』は私たちが「自発的に信じること」の妨げとなる。これは神の願う信仰のスタイルではない。 ◆「信仰の目」を養う [15~18節]   ・ここで「パリサイ人やヘロデのパン種」とは、『この世からの不敬虔な影響力』を象徴している。この世は私たちを「目先の必要」によって惑わし、神に求めさせる。そして「思い通りにしてくれない神なんか要らない」という結論へと導く。この場面でも、『霊的な話題』をしているイエスに対し、弟子たちは「目先の必要」に固執している。   ・弟子たちが悟るべきだったのは、必要なのは「パン」ではなく『イエス』なのだということ。『優れた信仰』は「神との出会いの経験の積み重ね」によって育まれる。[詩篇103:2] 『12』や『7』は神を想起させる数字。ここでイエスがおっしゃりたかったのは「どのような場面でも、そこに関わっておられる神の御手を見よ!」ということ。 ✰今日のキーワード: 神の御手捜し ◎更に深い学びのために  ①どうして「しるしを求めること」が「信仰的な目を養うこと」の妨げになることがあるのでしょう?  ②あなたが陥りやすい「この世のパン種」は、どんなことですか? それに対しどんな対策が考えられますか?  ③あなたが見つけたことのある「日々の生活の中での神の御手」について、互いに分かち合いましょう。 Outline of the sermon        “Our spiritual eyes.”        (29/08/2021) [Mark 8:11~21] ◆Nature of faith. [Verses 11~12]   ・“Seeking signs” sounds like “faithful”, but actually not.  Regardless of signs, those who believes will Read more…