2025年4月6日 「『神から出ているもの』に目を留める」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ  「『神から出ているもの』に目を留める」  (06/04/2025) [ピリピ人への手紙4章8~9節] ◆『世』において「神から出ているもの」を見つける(8節)  ・この世は私たちの心を落ち込ませるもので満ちているが、そんな中にもキラリと光る美しいものがある。何故ならこの世界は全能の神によって造られ、私たち人間も愛に満ちた神によって造られたから。  ・信仰に熱心なあまり、「イエス・キリストを伝えることのみが重要で、この世の事になど関心を持つべきではない」というのは、誤り。キリストを深く知り、キリストと共に日々を歩んでいるなら、必然的に『世の現状』に関心を持ち「美しいものを見て神を賛美し、不正や悲惨さの中で変化を起こそうとする」はずである。 ◆『神の人』において「神から出ているもの」を見つける(9節)  ・パウロは、単に「神が造られたもの」だけでなく、「神によって新しくされた自分自身」を通しても、神が現れ出てくださっていると確信していた。それ故人々にそれを見つけるようにも勧めた。  ・パウロは新約聖書の多くの部分を書き著した。それ故「パウロから見聞きしたことを実行する」とは、すなわち「みことばを体現する」ということに他ならない。主イエスも「わたしが~したように」とおっしゃった。キリストに従う私  たちが互いに求めるべきことは、「私を見ないで、キリストを見なさい」ではなく、「私を通して、キリストを見なさい」なのである。神は私たち[を通して]、ご自身を世に現されるのである。 今日の要点: 『神の輝き』を持つものを探す ◎更に深い学びのために  ①神様が造られたこの世界を見渡した時、どんなところに「神から出ているもの」を見出すことができますか?  ②これまでの人生で、自分で直接的に「ここで神が働いておられる」と感じた経験があれば分かち合いましょう。  ③「神から出ているもの」が、互いの日々の生活を通して輝き現れて行くように、互いのために祈り合いましょう。 Outline of the sermon    “Watch what are from God.”    (06/04/2025) [Philippians 4:4~7] ◆Watch what are from God in “this world”. (Verse 8)  ・There are “God’s beauties” in this world even though it is filled with Read more…

2025年3月30日 「『神の恵み』に思いを馳せる」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「『神の恵み』に思いを馳せる」    (30/03/2025) [ピリピ人への手紙4章4~7節] ◆クリスチャンはひと味違う!(4~7節)  ・ここには「いつも」(4節),「すべての人に」(5節),「何も・あらゆる場合に」(6節)など、『無制限』を表す言葉が立て続けに登場する。命令形で書かれてはいるが、これらはすべて「神によってのみ成就されること」である。  ・例えば「主にあって喜ぶ」とは、「キリストとの関係の故」「キリストの十字架によって『神の子』とされた故」「キリストが、ご自身の『花嫁』として選んでくださった故に」ということ。考えれば考えるほど喜びが湧き上がってくる! ◆驚くべき恵み(4節)  ・どうやったら「何も思い煩わない」でいられるのか?そもそも私たちはどうして思い煩うのか?実は「思い煩い」は神からの『祈りへの招き』である。言い換えるなら、『思い煩い』は「物事を『恵みの神』抜きで考えている結果」。  ・「あらゆる場合に、『感謝』をもってささげる祈りと願い」とある。『感謝』というのは、「神の恵み」に焦点を当てることによって湧いてくる。これが、『神の恵み』というものに慣れ過ぎてしまって「当たり前」のように感じてしまっていると、たちまち『感謝』が失われてしまう。私たちが神から受けているものに『当たり前のもの』など何もない!  ・ここでは「願い事が必ず叶う」とは約束されていない。しかし「キリスト・イエスにある平安」は保証されている。『神の恵み』に思いを馳せる時、「思い煩い」は消え、『神の平安』が心に満ちるのである。[ローマ8:31-39] 今日の要点: 『神の恵み』を数えよう! ◎更に深い学びのために  ①自分がクリスチャンになる前となった後を比べてみて、「物事の捉え方」の変化に思いを馳せてみましょう。  ②どんなことを思い煩ってしまうことがありますか? その時のあなたの「思いの中心」はどこにありますか?  ③キリストと出会った後で経験した「人生の3大恵み」をリストアップし、天の父の恵みに感謝をささげましょう! Outline of the sermon     “Ponder on ‘God’s grace’.”     (30/03/2025) [Philippians 4:4~7] ◆Christian life is outstanding!(Verses 4~7)  ・Here are some unlimited words like; “always, everyone, anything, and in everything”.  Our life in Christ is outstanding because Read more…

2025年3月23日 「主にあって」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「主にあって」   (23/03/2025) [ピリピ人への手紙4章1~3節] ◆『主にあって』とは?(1節)  ・パウロは彼の手紙の中で「主にあって」「キリストにあって」という表現を40回以上も使っている。彼にとって『クリスチャン』とはまさに「キリストにあって歩む者」であった。「キリストにある歩み」とは、「自分はこう思う、こうしたいから…」ではなく、「私の主イエスが望んでおられるから」という理由で選択・行動する、言わば『愛による選択』。  ・主イエスは「わたしがあなたがたを愛したように(ヨハネ13:34)」とおっしゃった。つまり「主にあって歩むこと」は、キリストの愛を個人的に受け取り、日々経験しているのでなければできないこと。その愛とは、十字架で身代わりに死なれた愛、すなわち「この世のものを用いて自分を喜ばせることを放棄した愛」である。[ヨハネ15:5] ◆一致できない理由(2~3節)  ・ピリピの教会にさえも、一致できないでいる人々がいた。彼らはパウロと共に「福音のために戦った人たち」であった。この点では一致できていたのなら、きっと一致できないでいたのは些細なことであったに違いない。パウロ  はここでも「『主にあって』同じ思いになれ」と言っている。「同じ思いになれない」のは、『自己実現』にこだわるから。つまり「キリストが主」ではなく、『自分』が主人公になってしまっているのである。パウロは「自分は世に対して  十字架にかけられた(ガラテヤ6:14)」と言った。互いに協力し合い、助け合いながら「主にある歩み」をして行こう! 今日の要点: 「キリストにあって」 選択する ◎更に深い学びのために  ①「キリストにあって」とは、どんな意味ですか? またパウロはどうしてこの表現を多用したと思いますか?  ②[ヨハネ15:5]でイエスが言われた「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」とは、どういうことでしょう?  ③どんなものが「キリスト者の一致」を妨げますか? また、どのようにしてそれらを避けることができますか? Outline of the sermon     “In the Lord.”     (23/03/2025) [Philippians 4:1~3] ◆What is “in the Lord” like?(Verse 1)  ・In his letters Paul used the expression like “in the Lord” “In Christ” over 40 Read more…

2025年3月16日 「パウロの信仰に倣う」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「パウロの信仰に倣う」   (16/03/2025) [ピリピ人への手紙3章17~21節] ◆『キリスト者』とは?(17~19節)  ・ここで「キリストの十字架の敵」と言われているのは、次の2つのグループが考えられる。   ①律法を守ることを強調するユダヤ人クリスチャンたち  ②この世の快楽に興じている未信者たち  ・そもそも『クリスチャン』とは誰なのか?『クリスチャン』という呼称は「自称」ではなく、周囲の人々が「あの人たちは『キリスト、キリスト』ばかり言っている、『キリスト野郎』だ!」と評したことから始まった。『神の国』と「この世の  習慣」とに二股かけたような歩みをしている者ではない。私たちはどうであろうか? ◆まだ見ていないものを待ち望む(20~21節)  ・「待ち望んでいる」は、まだ見ていないから。イエスは「見ないで信じる者は幸いだ」とおっしゃった。『信仰生活』が「神との関係に生きること」であるなら、『信仰』とは言わば「神(キリスト)に対する信頼」である。そしてそれは日々培われるものでもあり、「将来を託す」という面もある。そして「相手をどれくらい信頼しているか」は、万が一裏切られた時に「どれだけガッカリするか」によって計ることができる。  ・パウロは正にこれを経験した。彼は自分の歩みが間違いだと気付いた時、どれほどの挫折を経験したことだろ  う。そこから立ち直った彼が「私に倣う者となってください(17節)」と言った。恐れず更に神に信頼して行こう! 今日の要点: どこを見ているかを吟味する ◎更に深い学びのために  ①『クリスチャン』とは、どんな意味ですか? その意味では、あなたは『クリスチャン』だと言えますか?  ②「まだ見ていないものを信じて待ち望む」ということは、どのようなリスクが伴うでしょう?  ③パウロが「私に倣う者となってください」と言った時、彼の心の中にはどのような思いがあったと思いますか? Outline of the sermon    “Let’s imitate Paul!”    (16/03/2025) [Philippians 3:17~21] ◆Who is “A Christian”?(Verses 17~19)  ・What kind of people are “enemies of the cross of Christ”? Possibly we can think of the Read more…

2025年3月9日 「私たちのレース」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「私たちのレース」    (09/03/2025) [ピリピ人への手紙3章12~16節] ◆キリスト者のレース(12~14節)  ・この世におけるレースは「賞を勝ち取るために参加する」のだが、私たちの『信仰のレース』は「私たちに賞を得させるために、神が参加させてくださる」もの。すなわち「神がキリストにあって『選んで』くださった」。[イザヤ43:1b]  ・このレースを完走するためには、過去のものは助けにならない。ひたすら「前に向かって」進む。 *神が私たちに与えようとしておられるものは、後ろには無い! ◆私たちのゴール(14節)  ・では、この「賞・目標(ゴール)」とは何なのか?それは『キリストご自身』。[Ⅰコリント13:12] 言い換えるなら、神は「救いにふさわしくない私たち」をキリストにあって選び、「救いにふさわしい者(キリストのかたち)」へと造り変える。  ・2歳児の徒競走では父兄がゴールに立つ。なぜなら幼子は「ゴールや賞品」には興味はなく、大好きな家族の許  へなら喜んで走って行くから。イエスは「幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできない」とおっしゃっ  た。私たちも『主イエスご自身』を何よりも欲するのでなければ、このレースを心の底から楽しむことはできない。  ・私たちは「ゴールすることが決まっているレース」を走っている。しかしそのレースをより楽しく有意義なものとするために、更にこの『イエス・キリスト』というお方を知って行こう! 今日の要点: 一心に『キリスト』を目指す ◎更に深い学びのために  ①私たちの「信仰の歩み」と「レース」との共通点は何ですか? また「この世のレース」との相違点は何でしょう?  ②何故「神が私たちに与えようとしておられるもの」は、私たちの『後ろ』には無いのだと思いますか?  ③私たちのレースの終着点は何ですか? それは今のあなたにとって、どれくらい魅力がありますか? Outline of the sermon    “Our race of faith.”    (09/03/2025) [Philippians 3:12~16] ◆Our race.(Verses 12~14)  ・We participate in the race of this world to win the prize.  But for our Read more…

2025年3月2日 「主にあって喜ぶ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「主にあって喜ぶ」    (02/03/2025) [ピリピ人への手紙3章1~11節] ◆『主にある喜び』を妨げるもの  ・[2節]の「犬ども・悪い働き人・肉体だけの割礼の者」は同じ人々を指す。すなわち「信じるだけでは救われない。ある程度律法(特に『割礼』)を守ることが必要」と言う人たち。しかし「救いの条件」として『行い』を付け加える人たちは必ず「己れを誇ろう」とする。そこには『束の間の喜び』はあっても、神の国から来る『主にある喜び』を経験することは決してない。実際『割礼』は「救いの条件」ではなく、『神の民のしるし』として与えられた。今や『神の民のしるし』は、『割礼』ではなく、「己れに頼らず、キリストを誇る生き方」のことである。 ◆『主にある喜び』の源  ・パウロは自分の体験を通して、「律法を守ること」ではなく、『キリストを知ること』こそが「神に近づく唯一の道」であることを確信した。[ローマ10:4] また、キリストが死なれ「神の力によってよみがえられた」のは、単に「私たちの贖いのため」だけでなく、私たちも「自分に頼る」という己れが1度死ななければならないことを、身をもって示すためであったと知った。自我が生きている限りは、「肉の喜び」がいつも『主にある喜び』を見えなくさせている。  ・『主にあって喜ぶ』とは、「神がしてくださったこと(状況の変化)」を喜ぶのではなく、「神が私たちに施してくださっている『内なる変化』(日々増し加えられる神への愛と信頼)」を喜ぶことなのである。今日の要点: 『主にある喜び』を求め、また味わおう! ◎更に深い学びのために  ①『割礼』にはどんな意味があるのですか? 今はどうして『割礼』は必要ないのでしょう?  ②『主にある喜び』を妨げるものには、どんなものがありますか? どうしてそれらのものが妨げになるのですか?  ③パウロの証しから学べることは何ですか? あなたも同様の事を体験を通して学んだことがありますか? Outline of the sermon    “Rejoice in the Lord.”    (02/03/2025) [Philippians 3:1~11] ◆What hinders us from rejoicing in the Lord?  ・“Dogs, evildoers, those who mutilate the flesh”(Verse 2) all of these indicate same type of Read more…

2025年2月23日 「尊敬に値する人」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「尊敬に値する人」    (23/02/2025) [ピリピ人への手紙2章25~30節] ◆エパフロディトがしたこと  ・今日の箇所を見る限りでは、この『エパフロディト』という人物は元々ピリピ教会の中心的メンバーで、パウロのための支援物資(献金?)を教会から託されてパウロに届けたようだ。また「パウロの友・同労者」として仕え、  何らかの事情で重病になったらしい。 ◆エパフロディトの心の内にあったもの(26,29~30節)  ・パウロは「彼のような人たちを尊敬しなさい」と勧めている。パウロはエパフロディトのどのような点を「尊敬に値する」と評価したのだろうか? 単に「福音のために命を懸けたこと」であろうか?  ・ここで語られているエパフロディトの特筆すべき点の1つは「自分が病気になったことを知った人たちの事を心配している」ということ。彼は「福音宣教の働きが滞ってしまう」というようなこと以上に、ピリピ教会の『人々』のこと  を案じていた。このことから、彼が「働き」よりも『人』を心に掛けている人物だ、という事が読み取れる。  ・『福音宣教』というと、つい「働きそのもの」や「人が救われる」という出来事に目が行きやすい。しかし、福音宣教の中心は「神と人々に対する愛」である。『尊敬に値する人』、それは「偉業を成し遂げた人」ではなく、「神と人とを愛する人」。そしてこれこそが、私たちが目指すべき生き方そのものではないだろうか? 今日の要点: 「タスク」ではなく、『人』 ◎更に深い学びのために  ①今日の箇所から、「エパフロディト」という人物について分かることを、互いに分かち合いましょう?  ②『人々』よりも、「成すべきこと」の方が大切に感じてしまうのは、どんな時ですか?  ③あなたにとって『尊敬に値する人』とは、どんな人ですか? それはどうしてですか? Outline of the sermon    “‘Someone who can be honored.”    (23/02/2025) [Philippians 2:25~30] ◆Who is Epaphroditus?  ・Epaphroditus seems to be a member of the church in Philippi, entrusted a gift for Paul.  He Read more…

2025年2月9日 「キリストにある一致」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「キリストにある一致」    (09/02/2025) [ピリピ人への手紙2章19~24節] ◆パウロとテモテ(リステラでの出会い,使徒16:1~3)  ・バルナバと別行動を取ることになったパウロは、『同労者』を切望していた。そんな時に出会ったのが『テモテ』。 テモテはパウロと共に宣教活動を初めてまもなく「マケドニアへの招き」を経験し、初めて足を踏み入れた地が、この『ピリピ』だった。ここで牢獄に入れられてしまったパウロのために、テモテはピリピの信者たちと必死の祈りをささげたに違いない。 ◆2人の信頼関係の基盤(20~22節)  ・パウロは「テモテは自分と『同じ心』で歩んでいる」と評している。これは何も「いつでも自分の味方をしてくれる」という意味ではなく、同じ『キリストの心』でということ。「1つとなること」は、「お互いを見つめること」によって起こるのではなく、「同じもの(同じ方)をいつも見つめていること」によって実現する。  ・JCFもそうだが、『教会』を構成するメンバーは1人1人が「ユニークで個性的な存在」である。それがどうやって『一致』できるのか?それは「同じことをすること」によってではなく、それぞれが自分自身の持ち味(賜物)を生かしつつ、それを「自分自身の益のため」ではなく、『神の喜び』という「共通の心」に押し出されて進んで行くことによってである。これこそが「キリストを表現しながら生きる」ということなのだ![Ⅱコリント5:14-15] 今日の要点: 「自分」ではなく、『キリスト』を取る ◎更に深い学びのために  ①パウロとテモテの出会いとは、どのようなものでしたか? 2人の宣教の旅路は簡単なものでしたか?  ②パウロはテモテのことを「どのような存在」と評価していますか?  ③私たちが「キリストのからだ」として、この2人のように『同じ心』で進んで行くために大切な要素は何ですか? Outline of the sermon    “‘Work out your salvation.”    (09/02/2025) [Philippians 2:19~24] ◆Paul and Timothy. (Acts16:1~3)  ・Paul was desiring someone who would be willing to work with him after separated from Barnabas.  Then he found Timothy Read more…