メッセージ
2011年4月24日 イエスこそが神殿
(今回は試験的にディーンさんがノートパソコンでメッセージを録音してくれました。どうぞお聞きください。) 説教あらすじ「イエスこそが神殿」(24/04/2011) ◎[ヨハネ2:18-22] *相変わらず「見えるもの」に執着するユダヤ人 [18節, Ⅰコリント1:22-23] ◆「しるし」を見ても、信じない人と信じる人とがいる。 ・民衆やリーダーたち [マタイ27:39-42, 28:11-13] ・使徒トマス [ヨハネ20:24-29] *それでも信じないのは何故?➝ ①初めから「信じない」と決めている。 ②御利益を求めているのであって、「真理」を求めていない。 それでも、私たちは「信じる」ことを期待されている。[ヨハネ20:30-31] ◆[19-21節] イエスご自身が神殿(父の家) ・私たちはこのイエスを通して、父なる神と出会う。 ・私たち自身が「キリストのからだ」[Ⅰコリント12:27] どういう意味?➝ [Ⅰヨハネ4:12] 私たちがキリストの愛を知り、互いにできることを出し合って 仕え合うとき、そこに神との出会いがある。 ◆イエスの「よみがえり」は、何を示すのか? ①「イエスこそ正真正銘の『神のもとから来られたひとり子』だ」ということ。 ② 私たちの代価は、完済された。(聖書の時代の大工さんの習慣) ③ キリストが語られたことは、すべて本当だった。(『ベン・ハー』の著者の証し) ・私たちは『迷信』ではなく、確かな『事実』を信じている。 ★ 今日もキリストは生きておられ、私たちを招いている。 「信じない者にならないで、信じる者になりなさい!」 考えてみましょう ・何故「信じる人」と「信じない人」がいるのですか? ・「イエスのよみがえり」は私たちに何を意味するのでしょう?
メッセージ
2011年4月10日 神のみわざを見極めるために
(2月22日のクライストチャーチ地震後、現在臨時礼拝場所で集っているため、メッセージ録音器具がありません。メッセージのあらすじは以下のとおりです。) 説教あらすじ「神のみわざを見極めるために」(10/04/2011) ◎[ヨハネ2:1-11] *ここから「神がみわざをなさる時の4つの原則」を学ぶ。 ① 「神の時」がある [4節] ・ギリシャ語の『時』―「クロノス」と「カイロス」 「クロノス」:流れ、また刻まれていく時間。(clockの語源) 「カイロス」:神の主権によって定められる『時』(完全なタイミング) ・神は自分勝手に「時」を操っているのではなく、私たちへの愛故に、時を見守り、待っておられる。 [Ⅱペテロ3:9] ◆[マタイ16:2-3] ・神が今、何のために『時』を整えておられるのかを見極め、行動を起こそう! ② 神は人をお用いになる [5-9節] ・「水を汲むこと」は人にもできるが、「水をぶどう酒に変えること」はできない。しかし、この重労働 に携わった者にしか「神の力あるわざを目の当たりに体験すること」はできない。 ・彼らにとっての真の試練はこの「重労働そのもの」ではなく、「何故それをしているのか分からない」 ということ。しかし「主が言われたから…」という『信仰の従順』があってこそ、奇跡が起こる。 ◆ 神お1人ですべてができるが、あえて神は「私たちと共に」それをなさることを望まれる。 ③ 神のわざは最上級 [10節] ・神は『ピンチヒッター』でも『尻ぬぐいしてくださる方』でもない。彼がわざをなさる時、私たちは 思わず「こんなことなら、初めから神様に出番を与えておけば良かった!」と叫びたくなる。 ・しかし『時(カイロス)』がある。神は「私たちの都合に合わせる方」ではなく、「最善のことを最善 の時になさる方」。[ヨハネ7:6] ➝ 何故? ④ 神がわざをなさるのは『ご自身の栄光』のため [11節, イザヤ42:8] ・神は私たちが『わざ』に注目することを望まれない。(サタンや人々に注目させないため) ◆『神のわざ』は、神ご自身の私たちに対する愛、そしてそのみことばが真実であることを証しするため。 [マルコ16:20] ★イエスは今日も「私たちと共に働く」ことを願っておられる。そして、それと共に「すべての良きものは彼から来ることを私たちが決して忘れることがないように」と切に願っておられる。 考えてみましょう ・『神のわざ』とは、どのようなものですか?・私たちはどのようにして「神と共に働く」ことができますか?
メッセージ
2011年4月3日 神の前に出るために
(2月22日のクライストチャーチ地震後、現在臨時礼拝場所で集っているため、メッセージ録音器具がありません。メッセージのあらすじは以下のとおりです。) 説教あらすじ「神の前に出るために」(03/04/2011) ◎[ヨハネ1:43-51] *この箇所から、3つのことを学ぶことができる。 ① 神の見方と人の見方は違う[44節] ◆イエスが選んだ弟子たちは、無学な田舎者が多かった。[使徒4:13] ・神の前に、家柄や学歴などは問題ではない。[Ⅰサムエル16:7] ◆ナタナエルは、イエスがメシアだとは信じられなかった。[46節] ・これは当時の指導者たちの間でも同じ。[ヨハネ7:50-52] ◆イエスの目には、たとえ指導者たちであっても「救いを必要としている罪人」であり、姦淫の女でさ えも「自分の命を引き替えにしても惜しくない存在」。 *私たちもこの方との「個人的な出会い」を通して、彼と同じ目で人々を見られるようになろう。 ② イエスの心は「神を畏れ敬う者」に引き寄せられる[47-48節] *この「いちじくの木の下」で何があったかは分からないが… ◆『ほんとうのイスラエル人』という描写から予測できる「ナタナエルの人物像」[ルカ2:25] ・母国イスラエルの回復を願い、神の名がおとしめられているのを嘆いていた人物。 ◆日本の現状を見て、私たちにできることは「何故このようなことが起こったのか?」を追求すること ではなく、「身を低くして、主のあわれみに訴えかける」こと。[Ⅱ歴代誌7:14] ③ イエスは、ご自身を求める者に報いてくださる[マタイ6:6] ◆イエスは私たちの「隠れた小さな祈り」に応えてくださると共に、私たちには思いもよらないような 大いなるみわざをも備えておられる。[50節] ・神にとっては「応えられない大きすぎる祈り」も「見逃してしまうような小さすぎる祈り」もない。 ★神を欺くことも、神の前で自分を取り繕うこともできない。ありのままで神の前に出、心を注ぎ出して祈ろう。もし心に責められることがあるなら、「イエス・キリストの十字架による和解」を受け入れよう。 考えてみましょう ・あなたが「神と同じ視点」を持つことを妨げているものは何ですか? ・日本のためにとりなすために、私たちはどのような心で神の御前に出るべきでしょうか?
メッセージ
2011年3月20日 神の慰め
(2月22日のクライストチャーチ地震後、現在臨時礼拝場所で集っているため、メッセージ録音器具がありません。メッセージのあらすじは以下のとおりです。) 説教あらすじ「神の慰め」(20/03/2011) [Ⅱコリント1:3-5,8-10] *サタンは休まず働いている。彼はいつもウソつき[ヨハネ8:44]。彼の代表的な2つのウソは… ①「あなたは立派で強い」[箴言16:18] ②「あなたはダメ人間」[ローマ14:4] ◎神が愛であるなら、何故私たちがこのような試練に会うことを許されるのか? ◆完全な答えはないが、次の2つのことは言える ①自分自身ではなく、神により頼む者とされるため [9節] ・神なしに立ち続けることのできる人は、誰もいない。 ・神が立たせることのできない人は、誰もいない。 *イエスはいつも私たちの脇に立っておられる。そして彼の願いは、私たちも彼と共に立つこと。 (「盲導犬・ハッピー」の話) *イエスにとっては、あなたと共に生きることこそ喜び。あなたの能力や、周囲の人がどう思うか などは問題ではない。ただあなたのことだけを見つめておられる。あなたはそれを『見る』こと はできないが、その現実を『信じる』ことはできる。 ②神からの『真の慰め』を体験し、他の人々を慰める者とされるため [4節] *これは何も「あなた自身が強くて立派な者とされて、周囲の人々を助けることができるようにな る」ということではなく、あなたの内に働く「神との生きた優しい関係」が、あなたと関わる人々 を癒していく、ということ。 (「盲導犬・ハッピー」の話の続き) ◆あなた個人が人々を癒すのでも、神ご自身が勝手になさるのでもない。「あなたとイエスとの 生きた関係」を人々が見るとき、それが人々の癒しのきっかけとなっていく。 ★イエスは今日もあなたと共に立たれる。たとえ私たちが不真実でも、彼はいつも真実を尽くされる。 あなたには見えなくても、イエスの目はいつもあなたを見つめている。 イエスに頼り、彼と共に人々の所へと出て行こう! 考えてみましょう ・神は何故、私たちが試練に会うことを許されるのでしょう? ・私たちはどのようにして、人々の慰めのために用いられていくのですか?
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2011年2月20日 真価を見出して!
説教あらすじ「真価を見出して!」(20/02/2011) ◎[ヨハネ1:35-42] *「長い間知っていたのに、その真価に気づいていなかった」ということが時々ある。そのために大きな 損をしてしまうことも…。今日はそんな大損をしてしまわないために、2つのポイントから学ぼう。 ① イエス・キリストの真価を見出すこと。[41節] ◆誰かを新しく知って行くには次のような段階がある。 (ⅰ)名前やわずかな情報(だれでも知っている) (ⅱ)もっと知っている人(会ったことのある人)から聞いた情報 (ⅲ)自分で更に調べる(ここで満足してしまう人もいる) (ⅳ)個人的に出会う(これで十分だと思わないで!) (ⅴ)共に歩む(「連れて行く」のではなく、「ついて行く」) *どんなものにも、外側から眺めているだけでは見出せない「大いなる価値」がある。 ② キリストにあって、自分の真価を見出すこと。[42節] *ペテロはこう言われて、どう感じたことだろう? (ⅰ)キリストと出会ったことによる変化を通して (ⅱ)キリストに従っていくことを通して、新しい自分を発見できる 『聖霊の力』がカギ ★外から眺めるだけで、その真価を見出さずにガッカリしたりあきらめたりするのではなく、ぜひこれら2つの真価を見出そう。そこには、思ってもみなかった次元の違う人生が待っているから! 考えてみましょう ・イエス・キリストは、あなたにとって、どのように価値ある存在ですか? ・イエス・キリストと出会ったことによって、あなたは、自分自身のどんな新しい価値を見出しましたか?
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2011年2月13日 イエスに関する証言
説教あらすじ「イエスに関する証言」(13/02/2011) ◎[ヨハネ1:29-34] ◆先週の2番目の質問 [25節] ➝ ヨハネの答え [31節]「イエス・キリストが明らかにされるため」 ・「ヨハネが『証言』している」という表現は、この章に3回出てくる。[19,32,34節] すなわち、ヨハネは「自分の使命は、イエスが神の子であると証言すること」と確信し、 そのために生き、そして死んだ。 ◆『証言』とは:主観的な意見の主張ではなく、見たり聞いたりした、ありのままの事実を語ること。 ・イエスの弟子たちも、この『証言』に命をかけた。[使徒4:18-20] ◎では、私たちはどうなのか? 今から2000年も前に、遠いイスラエルの地で、罪人として十字架に つけられて死んだイエスを、何故「神の子・救い主」と呼ぶのか? これは『証言』なのか?それとも単なる『自分の意見の主張』なのか? ◆私個人に関して言えば、次の3つのことを『証言』できる。 ①「私は自分が罪人であることを知っている」 ②「十字架にかけられるようなことを何もしていないイエスが、十字架にかけられた」 ・しかもそのことは、イエスが生まれるずっと前から預言されていた。[29節] ➝ [イザヤ53:5-8] ③「イエスを救い主と受け入れることで、人生が大きく変わった」 ・また、大きく変えられた人々をたくさん見てきた。 ★このイエスをあなたの救い主として受け入れるかどうかは、あなた自身の決断。 ただ、私としては、私自身に起こったことを「証言」せずにはいられない。 考えてみましょう ・あなたにとって「イエスが神の子である」と証言できる理由は何ですか? 説教あらすじ「イエスに関する証言」(13/02/2011) ◎[ヨハネ1:29-34] ◆先週の2番目の質問 [25節] ➝ ヨハネの答え [31節]「イエス・キリストが明らかにされるため」 ・「ヨハネが『証言』している」という表現は、この章に3回出てくる。[19,32,34節] すなわち、ヨハネは「自分の使命は、イエスが神の子であると証言すること」と確信し、 そのために生き、そして死んだ。 ◆『証言』とは:主観的な意見の主張ではなく、見たり聞いたりした、ありのままの事実を語ること。 ・イエスの弟子たちも、この『証言』に命をかけた。[使徒4:18-20] ◎では、私たちはどうなのか? 今から2000年も前に、遠いイスラエルの地で、罪人として十字架に つけられて死んだイエスを、何故「神の子・救い主」と呼ぶのか? これは『証言』なのか?それとも単なる『自分の意見の主張』なのか? ◆私個人に関して言えば、次の3つのことを『証言』できる。 ①「私は自分が罪人であることを知っている」 ②「十字架にかけられるようなことを何もしていないイエスが、十字架にかけられた」 ・しかもそのことは、イエスが生まれるずっと前から預言されていた。[29節] ➝ [イザヤ53:5-8] ③「イエスを救い主と受け入れることで、人生が大きく変わった」 ・また、大きく変えられた人々をたくさん見てきた。 Read more…
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2011年2月6日 2つの大切な質問
説教あらすじ「2つの大切な質問」(06/02/2011) ◎[ヨハネ1:19-28] *ここでヨハネは、私たちの人生にも関わる2つの重要な質問に答えている。 ①[22節]「自分は一体何者なのか?」 ◆私たちは特に有名な存在ではないかもしれない。しかし聖書の視点に照らし合わせるならば… ・神によって造られた最高傑作 ・神にこよなく愛されている者 ・神の子どもとされている ・罪赦され、そしてもう決して罪に定められることのない者 ・神の目に高価で尊い存在 ◆創造主である神との関わりにおいて『自分』を見出す者は幸いである。 ②[25節]「今していることを、何故しているのか?」(何のために生きているのか?) 一体どれだけの人が、この質問に確信をもって答えられるであろう? ・今あなたがそれをしているのは… 「お金のため?」「他にすることがないから?」「誰かに言われたから?」 ・「もしあなたの命があと3日と言われたら、何をしますか?」 あなたが今していることに強い信念を持っているのなら、「何も変わりません」と答えられるはず。 ◆ あなたは何故「学び」「子育て」「仕事」をしているのですか? 「神がそのことのために今、私を招いているから」と答えられる者は幸いである。 ★ ①と②の質問は、イエス・キリストを通して、神との豊かな関係の中に日々生きる者だけが 自信をもって答えることができる。 考えてみましょう ・あなたは自分を何者であると言いますか? ・あなたは何のために生きているのですか?
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2011年1月30日 恵みとまことに満ちた方
説教あらすじ「恵みとまことに満ちた方」(30/01/2011) ◎[ヨハネ1:14-18] [16節] 神は豊かさに満ちた方。そしてそのひとり子を受け入れた者は、その豊かさに生きることができる。 それは一体どういうことか? [14節] キリストの栄光は「恵みとまことに満ちている」ということ。少し矛盾しているようにも見える。 ・恵み = 融通を利かしてくれる。 ・まこと(真実)= 融通が利かない ◆ 神にとっては… 『まこと』:「約束を必ず守る」ということ。 ・神は聖書のすべての約束を必ず守る。もちろん私たちにも、約束を守ることを期待する。 『恵み』:たとえ私たちが約束を破っても、それを赦してくださり、しかも、相変わらず私たちに対す る約束を守り続ける、ということ。 [17節]「恵みとまこと」はイエス・キリストによって実現した。 *この神の「恵みとまこと」のご性質の究極的表現が「イエス・キリストの十字架」。 ・神はその『まこと』の故に私たちの罪と妥協なさらなかった。しかしその『恵み』の故に、そ の罪に対する罰を私たちにではなく、ご自分のひとり子に負わせたのである。 ・「キリストの十字架は、神の愛の象徴」と言われるが、それだけではない。そこには「罪を負 う者は、たとえひとり子であろうとも裁きを免れない」という神の厳しさもある。 ◆ ここでは「モーセの律法」と「イエス・キリスト」とが対比されている。 ・律法は文字(ことば)によって表現されるが、それがすべてではない。人が自分の心をことばによって 表現するように、神もその『心』を律法の中に表現された。だが当時の人々はそれを理解しなかった。 それ故神は「ご自分の心そのまま」の表現として、イエス・キリストを遣わされたのである[18節]。 イエスのことばや行ない1つ1つに『神の心』が表現されている。そしてこれらのイエスのことばに 応答することが「神の心への応答」となるのである。 ◆ ある時イエスがこんな話をされた。[マタイ21:28-31] ・何故兄は「行きます」と言ったのに、行かなかったのか? ➝ 「ことば」は聞いたが、『心』を聞き 取らなかった。 ・何故弟は「悪かった」と思ったのか? ➝ 「ことば」と共に『心』をも聞き取っていた。 ★ 神の豊かさの中を歩みたいですか?「恵みとまことに満ちた者」となりたいですか? イエス・キリストを通して「神の心」に触れながら生きる時、あなたは変えられていくのです。
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2011年1月16日 『こんなはずでは…』を越えて
説教あらすじ「『こんなはずでは…』を越えて」(16/01/2011) [ヨハネ1:9-13] *何か(誰か)を「知っている」ことと、それ(その人)と実際に関わりをもって生きていることとは違う。 それは『信仰生活』についても同じことが言える。 ◆ [10-11節] 「この方」とは、イエス・キリストのこと。 ・イスラエルの人々は、ずっと以前から神を知り、その教えを守り、救い主(キリスト)を待ち望んで いた [マタイ2:1-6] にも関わらず、そのキリストであるイエスが現実に現れたら、受け入れなかっ た。[ヨハネ10:31-33] 何故? ➝ 自分たちが抱いていたイメージと違っていたから。 ・「神を見れば信じる」という人がいるが、実際は信じはしない。自分の勝手なイメージを追いかけて いるだけだから。彼らの神は、実際には自分に都合の良い存在でしかない。[ピリピ3:18-19] ・「神は信じられるが、キリストは信じられない」という人々も同じ。彼らは、神はあやふやな存在で あって欲しい。はっきりしてしまうと、あやふやな態度ではいられなくなるから。 ◆ 「こんなはずではなかった!」という経験はないだろうか?(『半額セール』などで) ・本当の『豊かな関係』は「こんなはずでは…」の向こう側にある。 ◆ 神は、人(イエス)となってこの世に現れ、ご自身をはっきりと分かる形で私たちに提示された。そして、 私たち1人1人に対する愛を惜しみなく注がれ、私たちと神との隔てとなっていた罪の壁を取り除くた め、私たちの身代わりとなって十字架にかかられ、3日目によみがえられた。 この姿は、あなたの抱いている『神のイメージ』とは異なっているかもしれない。しかし実際には、 このイエス・キリストを己の神として受け入れたことによって人生が全く新しくされた人々が、世界 中にあふれている。 ◆ 聖書は言う。[12-13節] ・受け入れるのも、拒むのも、あなたの自由。しかし「自分の抱いていたイメージとは違うから…」と いうような愚かな選択は避けよう。神ご自身が『神』なのであって、あなたが神なのではない。 ➝ [マタイ10:32-33] 《健太くんの証し》