2013年6月2日 「『真理に属する者』の使命」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「『真理に属する者』の使命」  (02/06/2013) [ヨハネ18:33-40]  ◆イエスに対するピラトの尋問   ・ピラトは「イエスが有罪かどうか」を取り調べるというよりも、「自分が裁くべき相手かどうか」を探っていた。   ・33~34節の会話に注目。ここに「自分の生き方に確信のある者」と、そうでない者の差が見られる。 ピ ラ ト イ エ ス 立場 ローマ総督。国家権力を負っている。 真理を証するために生まれた。[37節] 判断基準 相手の出方を見ながら判断する。 状況に関わらず、真理を貫く。    ・ピラトはイエスに何の罪も認めなかった。[38節] しかし『真理』を知らなかったため状況に流されて誤った判     決を下し、「反逆罪で捕らえられていた危険人物バラバを釈放する」という最悪の結果を生み出した。    ・『真理』こそが、物事を正しく判断させ、かつ実行させる力を持つ。[ヨハネ8:32, Ⅱコリント13:8] ◆では、真理に従っていれば、すべて物事が順調に運ぶ?    No!   ・私たちは「願いがすぐに叶うこと」を『神の祝福』と捉えがちだが、それは誤り。真の『神の祝福』は、多くの困難    があるにも関わらず「真理を貫き通すために最後まで戦い抜く力」が注がれること。〈ウィリアム・ウィルバーフォース〉 ◆あなたにとって『真理』とは何ですか?   ・私にとって『真理』とは、「すべての人は、イエス・キリストを通して神との個人的な関係の中に生かされる時、『自己最高の    人生』を生きることができる」 ということ。 そして私の使命は、この真理を「ことばと行い」とによって人々に示すこと。  ☆あなたは「真理に属する者(37節)」ですか? もしそうなら、「真理に属する者」としての使命を持ち、それに生き    ていますか?   Outline of the sermon       “Mission for those on the side of truth.”      (02/06/2013) Read more…

2013年5月26日 「神のわざが成し遂げられるために」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「神のわざが成し遂げられるために」  (26/05/2013) [ヨハネ18:28-32]  ◆ローマ総督とユダヤ人たちとの関係(ローマは支配下の各地域に『地方総督』を置いていた) ローマ総督 ユダヤ人 お互いに対して ユダヤ人は扱いにくい 異邦人とは関わりたくない [28節] イエスに関して 自分たちで解決して欲しい [31節] 死刑にして欲しい [31節]   ・ユダヤ人たちがわざわざこの『過越の祭』の時期を選んだのは、彼らの目的達成のために都合が良かったから。しかしそこには、それらをはるかに越えた神の摂理が働いていた。(『過越の祭』と『イエスの代償』の関係) ◆『預言の成就』とは?[32節]   ・聖書の預言は必ずしも「神を敬う人々の手によって」だけでなく、「不信仰な人々の手によって」も成し遂げられ    る。イエスが「十字架にかけられる」ことも、イエスが仕組んだわけではない。[使徒13:27-28]   ・神は「預言成就のために私たちを操る」ようなことはしない。むしろ「どうなるのかをあらかじめ知っておられる    が、あえて手出しをしない」。しかしその1つ1つに人知を超えた神の摂理が働いている。[詩篇139:1-6] ◆「私たちの祈り」と『神の最善』   ・神は「限られた知識の中でささげる私たちの祈り」にさえも答えてくださる。しかし本来神は「宇宙的スケール」    の中で、私たちのための『圧倒的な最善』を用意しておられる。「OOを~してください」と祈るより、むしろ「あな    たが私のために用意しておられる『最善のご計画』の中に、私を招き入れてください」と祈る者になろう。       Outline of the sermon         “To see God’s plan fulfilled.”        (26/05/2013) [John 18:28-32]  ◆   Conflict between Roman Read more…

2013年5月19日 「洗礼 - 愛の表現」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「洗礼 ― 愛の表現」   (19/05/2013) ◆なぜ「洗礼を受けること」に抵抗があるのか?   ・「聖餐式は受けるが、洗礼は受けない」という人がいる。しかし実際はどちらも神の前に同様の意味を持つ。 (イエスを主と告白する者に対する「特権」であり「命令」)   ・『洗礼』は聖餐式と違って、1生に1度きり。「もう後戻りできない」というイメージがある。『結婚式』に似ている? ◆『結婚』との共通点   ・もし洗礼式が結婚式に似ているなら、「主イエスを受け入れること」は「プロポーズを承諾すること」に似ている。 「愛しているから結婚する」のではなく、「結婚したから愛するのです」。(三浦綾子)   ・「私たちは愛し合っている」という気分ではなく、「私は何があってもこの人と生きる」という決断が重要。    そのために『自由意志』が与えられている。(強制されるべきではないし、『お試し』もない) ◆信仰生活は楽じゃない   ・結婚生活(愛し続けること)に戦いがあるのと同様に、信仰生活にも戦いがある。[Ⅱテモテ3:12]    しかしイエスは言われた。[ヨハネ16:33]  常に「一緒に戦ってくださる方」がいる。 ◆結婚生活と信仰生活の違い  ・それは、相手が主イエスである、ということ。彼は決して裏切ることもあきらめることもない。  ・人間同士なら「どちらかが100%悪い」ということはない。けれど、もし主イエスとの関係が壊れるとしたら、   原因は100%こちら側にある。しかしそれでも、主イエスは私たちを責めることなく、じっと待っていてくださる。 ☆今日洗礼を受ける皆さん。あなたがたは「人生最高の決断」をしたのだということを忘れないで!     Outline of the sermon     “Baptism ― An expression of love”   (19/05/2013) ◆ Why some people hesitate to get baptized?   ・They are happy to take 「Communion」 Read more…

2013年4月28日 「あなたはイエスを誰だと言いますか?」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ      「あなたはイエスを誰だと言いますか?」  (28/04/2013) [ヨハネ18: 12-27]  ◆3度「イエスを知らない」と言ったペテロ。[17,25~27節]   ・更に詳しい記述。[ルカ22:60-62]   ・イエスが予告された時の場面。[ヨハネ13:36-38]   ・イエスは以前こう言われた。[マタイ10:33] イエスは何故こんな「子供の仕返し」みたいなことを言われたのか? ◆イエスと大祭司とのやり取り。[19~24節] (アンナスとカヤパの関係 [12~13,15節])   ・イエスはアンナスとの会話では多くを語っているが、大祭司カヤパの前では黙して語らず、たった1つの質問を     されたときにのみ答えている。その質問とは・・・ [マタイ26:62-64]   ・この「イエス・キリストこそが、神のもとから遣わされたひとり子・救い主だ」ということが、他の何にもまさって    重要な真理であり、信頼に値すること。(神が何よりも私たちに知ってほしいこと) ◆なぜペテロは退けられなかったのか?   ・では、ペテロは失格だった? ― No.理由は、[マタイ16:13-18](3福音書とも「ペテロの告白」として述べている)   ・裏切ったのは、ペテロだけではない。大祭司の知り合いで、身の安全が保証されていたヨハネ以外の弟子は、    皆イエスを見捨てて逃げてしまった。このペテロの挫折は、更にキリストに近づくために欠かせない経験。   ・聖書は「ヒーロー列伝」ではない。信仰の偉人たちの失敗談を包み隠さず述べている。(アブラハム、ダビデ・・・)    それは、神は「自信満々の人」ではなく、「私たちの弱さ」を通して働かれることを教えるため。[Ⅱコリント12:9]    実際キリストを求め、近く歩むほど迫害を受ける。だがそこには彼らしか味わうことのできない神の深い憐れみ・     慰めがある。パウロはその手紙で「弱さの中に現れる神の恵み」を語る直前にこう証した。[Ⅱコリント11:23-29] ◆パウロは迫害の真っ只中にいたローマのクリスチャンたちにこう言っている。[ローマ10:9] ☆「あなたはイエスを誰だと言いますか?」     Outline of the sermon         “Who do you say Jesus is?”        (21/04/2013) [John 18: 12-27]  ◆   Peter Read more…

2013年4月21日「エゴー・エイミ」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ          「エゴー・エイミ」       (21/04/2013) [ヨハネ18: 1-11]  *この部分での「ヨハネの福音書ならでは」の特徴が2つある。    ①「ゲッセマネの祈り」[マルコ14:36]の描写がない。  ②「ユダによる口づけ」の場面がない。 ◆なぜ「ゲッセマネの祈り」の描写がないのか?   ・この「ゲッセマネの園(オリーブ山の一部)」はイエスのお気に入りの場所だった。[1~2節,ルカ21:37, 22:39-40]    いつもイエスの側にいたヨハネは、もしかしたらイエスのこのような祈りをひんぱんに見ていたのかもしれない。   ・[11節] も、ヨハネだけの表現。ヨハネは確かに「ゲッセマネの祈り」を知っていた。しかし、彼にとってはむしろ この「心の定まったイエスの姿」が、より印象に残ったに違いない。 ◆イエスの主体性   ・「ユダの口づけ」は、暗がりの中で人々にイエスを見分けさせるため。しかしこの場面では、むしろイエスは自ら    「あなたがたが捕らえようとしているのは、他ならぬこのわたしだ!」と名乗り出ている。[4~5節]   ・「それはわたしです(エゴー・エイミ)」という表現は、ヨハネの福音書にしばしば登場する。イエスは人々に真理を    示すのに「哲学的な教え」ではなく、ご自身を指し示した。(「わたしが『いのちのパン』『世の光』『道・真理・いのち』」など)   ・私たちは『神』をイメージする時、ほとんどの場合「自分の都合に合わせた理想」に基づいて造り上げる。しかし    神の真の姿(性質)を知るためには、イエスを見なければならない。また、聖書を読む時、つい「道徳的な教え」    「幸福の秘訣」などに注目するが、イエスは言われた。[ヨハネ5:39-40] 聖書は本来イエスに注目させるため。 ☆今日もイエスは、私たち1人1人に向かって次のようにおっしゃっている。 『エゴー・エイミ』「あなたがずっと求めてきたもの、『それはわたしです』。」       Outline of the sermon            “Ego eimi.”            (21/04/2013) [John 18: 1-11]  *We can find 2 remarkable events missing Read more…

2013年4月14日 「イエスのごとく生きる」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「イエスのごとく生きる」     (14/04/2013) [ヨハネ17: 24-26]  *「イエスの祈り」 最終回。 深い真理が含まれている。 ◆「わたしのいる所に一緒におらせてください!」 [24節前半]   ・「イエスのおられる所」とは?= 『神の御座の右』 [へブル12:2]   ・神が下さった『新しいいのち』は、キリストと共に天にある。それ故私たちは「天からの視点」でこの世の出来事を捉えないと、神のわざを体験できない。[コロサイ3:1-4] ◆私たちは「キリストと同様」 [Ⅰヨハネ4:17] ・私たちはキリストによって1度『天に属する者(死んだ者)』とされ、「天にある新しいいのちに生きる者」として この地に『天から』遣わされている者だ、ということを知らなければならない。 ・[25節] この世は(天からの介入がない限り)天にあるものを悟り得ない。それ故神は御子を遣わされた。[ヨハネ3:13] ◆「キリストのごとく」歩むために、私たちの何が新しくされなければならないのか?     ①行動?➝ No!  ②意識?➝ △  ③人生の主導権 ➝ YES!    ・神に対する『献身』。あくまで「自主的」な従順が必要。イエスでさえもこの『従順』を学ばれた。[へブル 5:8-9] ◆ヨブの物語    ・サタンは『愛』を信じない。それ故ヨブが神に従順なのは「何か理由があるから」と主張した。 そこで神は『賭け』に出た。サタンのするに任せ、手出しをせず、じっとヨブの「自主的な信仰」を見守った。 ・今日も神は、私たちの『愛』、「◯◯にも関わらず 信じて従う心」に賭けておられる! ☆イエスのごとく、この地にあっても『世』に同化することなく、『天に属する者』として、 自らの自由意志で、この地上の「従順のレース」を走り切りましょう!     Outline of the sermon    “We live just as Jesus lived.”     (14/04/2013) [John 17: 24-26]  *The last Read more…

2013年4月7日 「人となられた神」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「人となられた神」     (07/04/2013) [ヨハネ17: 20-23]  *ここから正真正銘「私たちのための祈り」 ◆中心ポイント [21節前半]   ・「御父とイエスとが1つであるように、私たちが1つとされる。それが『お互いを見つめること』によってではなく、『神とキリストとの関係』に依存することによって始まり、また完成される」ということ。 [23節前半] ◆「御父がイエスにお与えになった栄光」 = 『神の子』としての栄光 [22節]    ・神は「私たちとイエスとを天秤にかけた」のではなく、イエスの地上での生涯を通して「私たち1人1人とどんな 関係をもって生きることを望んでおられるのか」を示され、そしてそこに至るための道を備えられた。 ・ピラトや祭司長たちは「群衆の目」ばかり気にしていたため、真理を見失った。真理を見出す道は『人々』では なく、『神のまなざし』を常に意識し、しかも「子とされている」という事実をしっかり心に刻んでおくことにある。 ◆「神がイエスを遣わされた」とは?[21節後半,23節後半]   ①神はこの世(私たち)に関心があり、関わろうとしておられる。   ②「抑圧的な形」ではなく、「誰もが(警戒せず)優しい心で受け入れられる形」で来られた。   ③神はあくまで『私たちの自由意志(信仰)』を尊重される。 ☆神はイエスを通して、ご自分についての十分な情報をくださった。それにどう応えて生きるかは、あなた次第。     Outline of the sermon    “God became human.”     (07/04/2013) [John 17: 20-23]  *Now Jesus is praying exactly for us! ◆ Main point of this prayer.  [Verse 21a]   ・「All Read more…

2013年3月24日 「『この世』とのバトル」

メッセージをダウンロードして聴く マイクさんの証しをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「『この世』とのバトル」     (24/03/2013) [ヨハネ17: 14-19] ◆この世のものではない。[14節]   ・私たちは『神の子ども』として、イエス同様「この世のものとは相容れない」。しかしサタンはあらゆる手を尽くして我々を「この世と妥協させよう」とする。それ故イエスは「彼らが悪い者から守られるように」と祈られた。 [15節]   ・「神は良い方だから大目にみてくれる」のではない!神が『大目にみる方』だったら、十字架は必要なかった。「神は良い方」だから、いつでも私たちが『神の最善』の中に招き入れられることを期待しておられる。 ◆『真理のみことば』によって、聖め別たれる。[17節]    ・イエスが私たちをこの世から取り出すためのツール = 「神のことば」(真理) ・イエスこそ「生ける神のことば」(この世との妥協がない) ― 神のことば無しの信仰は、世と混合する。 ・私たちは時々「自分のアイディアをバックアップするための聖書のことば」を捜す。      ➝ 大切なのは「私たちの願いの成就」ではなく、「神の最高・最善のご計画の成就」。 ◎そのためにどうしても必要なこと = 『神に対する絶対的(不動の)信頼』と『そのみことばに対する従順』。 ◆陥りやすい落とし穴   ①聖書は『急ぐ』ことは教えていない     ・それが『神の』計画であるなら、あなたの生涯の終わりまでに成就する必要はない。[へブル11:13-16]   ②『状況』から神のしるしを見出そうとするな![マタイ16:4]     ・私たちが頼りとするのは「不動の神のことば」。 状況なら、サタンでも変えられる。 ☆みことばに徹底的に従うことによって、『この世とのバトル』に打ち勝って行きましょう!     Outline of the sermon    “Our battle against the world.”     (24/03/2013) [John 17: 14-19] ◆ We are not of Read more…