2021年3月21日 「正しい秤で量る」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「正しい秤で量る」(21/03/2021) [マルコ 4:24~25] ◆『秤』とは?   ・「聞いていること」(24節)とは、『神のことば』。みことばは、「神の国の価値観(神の心)」に基づいている。これを『真理の光』に照らしながらではなく、「この世の価値観」で理解しようとすると、そのエッセンスを受け取れない。   ・『秤』とは? ⇒ 物事を判断する基準。この「秤」がどれだけ「真理の光」に照らされているか、が問われる。 ◆正しい秤を持つ   ・「持っている人」とは? ⇒ 「真理の光に照らされた秤」を持っている人。神のことばを正しく素直な心で聞き、「この世の常識に従って自分の利益のために当てはめようとする心の態度」に対して『No』と言い、敢えて「神に喜ばれること」「人々のために真に益となること」に心を向けて、信仰によってみことばを実践して行こうとする時に、私たちの地上での歩みは「神の国の実」を結ぶようになる。   ・逆に、「この世の価値観」にこだわり、『真理の光』からズレた歩みを続けていると、「神の心」から遠ざかり、せっかく約束されている『神の国の豊かさを味わいながら生きる人生』を地上で体験できない。神は私たちが「救われる」だけでなく、「神の国の豊かさをもって生きる(『真理』を味わう)」ことをも望んでおられる。[Ⅰテモテ2:4] ✰今日のキーワード:正しい『秤』 ◎更に深い学びのために  ①「聞いていることに注意する」とは、「何を」「どんな態度で」聞くことを指しているのでしょう?  ②私たちが持っている『秤』とは、どんなものですか? それをどのように使うことが求められているのでしょう?  ③[25節]のことばは一見「不公平」なように聞こえますが、何故これが『神の国の原則』なのだと思いますか? Outline of the sermon      “Use the right measure.”     (21/03/2021) [Marki 4:24~25] ◆What is “the measure”?  ・“Words of God” come from “God’s heart”(Value of His kingdom).  We Read more…

2021年3月14日 「真理の光」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「真理の光」 (14/03/2021) [マルコ 4:21~23] ◆『明かり』とは?   ・「明かりを持って来る」のは誰か? ― 『世の光』であるキリスト。では『明かり』とは? ⇒ はっきり見えていないものを照らして悟らせるもの = 「神の国の真理」+「真理であるキリスト」。   ・まずこの『真理』を受け取り、その『真理の光』によって物事を見る時に、新しい世界が見えてくる。 ◆『神の国の真理』   ①天地を造られた唯一まことの神がおられ、私たちを愛しておられる。   ②人は自分勝手な「罪の心」の故に、この神が分からず、その愛も体験できない。   ③キリストは、神と私たちを結ぶ道として来られ、私たちが悔い改めて神の許に立ち返ることを求めておられる。   ④私たちが神との個人的な愛の関係に結ばれる時、自分が何者であり、世がどのような場所であり、また神が 私たち1人1人を通して、どのように『キリストの光』を輝かせようとしておられるのかが見えてくる。   ・「人生の意味が分からない」、「自分の目標が定まらない」のは、この『光』が何か別のものでさえぎられているから。その「さえぎるもの」を見つけ、取り除いて行く。(「自分の力」によってではなく、『神の恵み』によって) ✰今日のキーワード:『光』を輝かせる ◎更に深い学びのために  ①このたとえで言われている『明かり』とは何でしょう? また「燭台の上に置く」とは、どんな意味でしょう?  ②私たち1人1人に与えられている『明かり』は、どんなことによってさえぎられてしまうことがあると思いますか?  ③私たちの人生の中で「真理を知ること」によって明らかにされるものには、どんなものがあると思いますか? Outline of the sermon      “The light of the truth.”     (14/03/2021) [Mark 4:21~23] ◆What does “a lamp” represent?   ・Who brings “a lamp”? Read more…

2021年3月7日 「たとえの目的」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「たとえの目的」(07/03/2021) [マルコ 4:1~20] ◆『たとえ』で話す理由   ・イエスの周りには様々な思惑をもって集まった群衆がいた。純粋に「神の国の真理を求める者」だけではなく、食べ物のおこぼれに預かろうとする者、隙を見てイエスを陥れようとする者もいた。そのような中でイエスは「本気で聞こうとしている者」だけが『神の国の真理』に至ることができるようにと、敢えて『たとえ』を用いた。   ・イエスの近くにいた人たちだけが『解き明かし』を聞くことができた。これは「えこひいき」なわけではなく、いわば「教会に来ている人たちだけが、みことばの解き明かしを聞く機会がある」というのと同じ。神が人を選り好みしているわけではなく、人々の側が「神に対する誤った態度」の故に機会を逸している。[ヤコブ4:8] ◆自分はどんな『土地』か?   ・このたとえ話には『種』と「4種類の土地」が出てくる。『種』は「みことば」、つまり『種』は完全に良いものである。しかし『土地』、すなわち「みことばを聞く私たちの態度」によって差が生じる。この後更に3つの『たとえ』が続く。その導入としてイエスはこの「種蒔きのたとえ」を語ることで、私たちに「自分はどんな土地か」を吟味させようとしたに違いない。神はいつでも『良い種』を蒔いてくださっている。『良い土地』になり、『良い実』を結んで行こう! ✰今日のキーワード:聞く耳 ◎更に深い学びのために  ①イエスは何故『たとえ』を用いたのでしょう? また『たとえ』はあなたの「聞く態度」にどんな影響を与えますか?  ②教会に来て「みことばの解き明かし」や「バイブルスタディ」に参加することは、どんな益をもたらしますか?  ③これらの『4種類の土地』について考えてみましょう。どのようにして『良い地』に変えられて行けるでしょう? Outline of the sermon      “Why parables?”     (07/03/2021) [Mark 4:1~20] ◆How do “parables” work?   ・Jesus was always surrounded by lots of variety of people.  But not everyone was seeking “kingdom truth”.     Read more…

2021年2月28日 「神の家族」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神の家族」 (28/02/2021) [マルコ 3:31~35] ◆『肉の家族』と『神の家族』   ・この箇所は決して血縁関係を否定しているわけではない。肉の家族関係の中にももちろん神の摂理がある。しかし肉によって生まれる以前に、私たちは既に「神によって造られた存在」。そしてキリストを通して「新しく生まれた者」は、肉の家族を超えた「神によって生み出された家族」である。[ヨハネ1:12-13]   ・イエスは肉においては「ヨセフとマリアの子」として生まれたが、『神の子』としての自覚を持ってからは天涯孤独だった。そんなイエスにとって、神を自分の父として慕うようになった私たちは「心を許せる家族」となった。 ◆キリストを通しての人々との関係   ・教会における人間関係は、単なる「共通の価値観を持つ人のサークル」ではない。「キリストを通して神の子とされた『神の家族』」である。それは「キリストの故に互いがかけがえのない存在」とされた、切っても切れない関係。そしてこのような関係は、1人1人の『キリストとの親しい交わり』なしには起こり得ない。「神の家族同士の親しさ」は、それぞれの「キリストとの個人的なつながりの深さ」を反映する。 ✰今日のキーワード:キリストにある『家族』 ◎更に深い学びのために  ①「『肉の家族』以上に『神の家族』の関係が深い」と感じた経験があれば分かち合いましょう。  ②「他のクリスチャンとの関係」が『自分とキリストとの関係』と深い関わりがあると感じるのは、どんな時ですか?  ③JCFが『神の家族』として更に成長して行くために、あなたにはどんなことができますか? Outline of the sermon      “God’s family.”     (28/02/2021) [Mark 3:31~35] ◆“Family of flesh” vs “Family of God”.   ・It is God who planned you to be born in your physical family.  But before that Read more…

2021年2月14日 「人の基準と神の基準」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「人の基準と神の基準」       (14/02/2021) [マルコ 3:20~30] ◆人の基準 [20~22節] ― 『家』は恐らく、1章29節にも出てきた「シモンとアンデレの家」。  ・「イエスの身内の者」にしても、「律法学者たち」にしても、イエスに関する評価は「自分が不利益をこうむりたくない」という『自己防衛』から出ていた。一方イエスはそのようなことを恐れず、常に『神の国の真理』を証しすることにフォーカスを置いていた。[Ⅱコリント13:8] ◆神の基準[28~30節] ― この28節は驚くべきことば!  ・例えば「神様のバカヤロー!」と叫んだとしても、神はそのようなことを気になさるお方ではない。  ・「聖霊を冒瀆する」とは、特定の行為ではない。聖霊は人々の内側に働きかけ、「周囲で起こっていること」や「心に思い浮かんだこと」が『神からのものかどうか』(別の言葉で言うなら、『真理』かどうか)を見極めさせようとする。それは私たちが『信仰』によって常に『真理』を選択し、日々神に近づくように招くため。  ・「聖霊を冒瀆する」とは、この『聖霊が示す真理』に意識的に逆らうこと。[へブル10:28-29] 人が悔い改めることなく、敢えて「神に逆らう選択」を続けるなら、その人は「自分の選択の結果」として『滅び』に向かうことになる。 ✰今日のキーワード:『捨て身』で従う ◎学びを深めるための質問  ①『自己防衛』のために、正しい道を知っていながら別の道を選んで後悔した経験があれば分かち合いましょう。  ②「どれほど神を冒瀆することを言っても赦される」のは何故だと思いますか?  ③「聖霊を冒瀆する者」とならないために、私たちが心に刻んでおくべきことは、一体どんなことでしょうか? Outline of the sermon    “Criterion of man and God.”   (14/02/2021) [Mark 3:20~30] ◆Human criterion. [Verses 20-22] ― From Mark 1:29, this “home” must be Simon & Andrew’s.  ・Both “family Read more…

2021年2月7日 「『選び』ということ」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『選び』ということ」       (07/02/2021) [マルコ 3:13~19] ◆『選び』ということ [13~15節] ― ルカによると、イエスは前夜徹夜で祈りの時を持った。[ルカ6:12-13]  ・聖書に見られる「神の選び」に関して、特に「選ばれた理由」を自分の中に捜す必要はない。アブラハムとその子孫(ユダヤ民族)は『全世界の祝福の基』として選ばれたが、バプテスマのヨハネは「神は石ころからでも『アブラハムの子孫』を起こすことができる」と言った。大切なのは「選ばれたこと自体」よりも「その目的」を理解すること。  ・イエスは12使徒を「ご自分のそばに置くため」に選ばれた。それは『宣教や霊的戦い』のために整えるため。「神のわざ」のために遣わされる前に、私たちがそれらのわざを『キリストの心』で行えるよう整えられる必要がある。 ◆イエスの態度 [16~19節]  ・イエスと出会うことによって「新しい名」を与えられた弟子たちがいた。ペテロは「揺れ動く葦」から「堅固な岩」に変えられ、「『雷』のように怒りっぽかった」ヨハネは『愛の使徒』と呼ばれる者へと変えられた。  ・「イエスと出会うと変われる」というよりも、「イエスを通して『創造主なる神』との交わりの中で『神のかたちを帯びた本来の姿』へと回復されて行く」ということ。私たちはそのように変えられて、キリストと共に遣わされて行く。 ✰今日のキーワード:『祝福の基』となる ◎学びを深めるための質問  ①神が「特定の人を選ぶ」のは『えこひいき』でしょうか? そうでないとすれば、どうしてそう言えるのでしょうか?  ②イエスが、ご自分がお選びになった人々を「みそばに置かれた」のは何故だと思いますか?  ③「キリストと出会ってから変わってきた」と思える点はありますか? 『傾向性』で言えば、どのような点ですか? Outline of the sermon    “What does ‘appointed’ mean?”   (07/02/2021) [Mark 3:13~19] ◆“Be appointed”. [Verses 13-15] ― According to Luke’s gospel, Jesus prayed all the night for this. [Luke 6:12-13] Read more…

2021年1月31日 「神を求める理由」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神を求める理由」(31/01/2021) [マルコ 3:7~12] ◆人々の飢え渇き [7~10節](人々はイスラエルの国中、また国境の向こうからもイエスの許へやってきた!)  ・ユダヤ人は「遠慮深い日本人」と違って、なりふり構わずイエスに迫って行った。そんな彼らの必要にイエスはいつも喜んで答えた。「苦しい時の神頼み」という言葉があるが、確かに人々は『苦しみ』の中で神を求める。『苦しみ』自体が神から来るわけではないが、人が神を求めるようになるために、神は敢えて『苦しみ』が人を襲うのを許されるのかもしれない。 ◆イエスの態度 [11~12節]  ・イエスは『悪霊』や「癒された人々」に対し、しばしば「誰にも知らせないように」と戒めた。悪霊たちはイエスが『メシヤ(神の子)』であることをよく理解していたが、彼らの証言を聞く『人々』は「霊的に盲目」だったので、彼らの証言を正しく理解できないことをイエスはよくご存じだった。[ヨハネ6:14∼15]  ・私たちが通常持っている『神観(メシヤ観)』は、「自分のために何かをしてくれる存在」。しかし「神が私たちに知って欲しいと願っておられるご自身の姿」とは、「絶対的な愛と信頼の対象としての、『良い父』」である。 ✰今日のキーワード: 神の前で『幼子』になる ◎学びを深めるための質問  ①「苦しい時の神頼み」的な信仰は、良くないことでしょうか? また、どうしてそう言えるのでしょうか?  ②イエスが「自分のことを知らせないように厳しく戒めた」のは何故でしょう? 私たちも黙っているべきでしょうか?  ③天の父は、私たち1人1人に「どのような心で」ご自分のことを求めて欲しいと願っておられるのでしょう? Outline of the sermon    “Why do you seek God?”   (31/01/2021) [Mark 3:7~12] ◆People are hungry for Jesus. [Verses 7-10](They came from all over the country and even from outside of border!) Read more…

2021年1月24日 「『善』と『悪』の見分け方」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『善』と『悪』の見分け方」(24/01/2021) [マルコ 3:1~6] ◆律法にかなっているのは?[4節]  ・ユダヤ社会の律法理解では、「安息日の労働」は禁じられており、「病人の治療」は『労働』とみなされていた。  ・イエスは「労働か否か」というあやふやな基準ではなく、「善を行う(いのちを救う)こと」か、それとも「悪を行う(殺す)こと」かという『絶対的基準』で彼らに迫った。しかし彼らは「黙って」、ただイエスの行為のみに関心を払った。 ◆イエスの「怒り」と「嘆き」 [5~6節]  ・パリサイ人たちにとって『善』とは「律法を(自分たちの基準で)守ること」であるにもかかわらず、イエスが安息日に   人を癒した結果、律法に逆らって「イエスを殺すこと」を計画し始めた。このように「自分たちの都合に合わせて『善悪』、そして『神』や『律法』までも定義しようとする態度」 に、イエスは深い「怒り」と「嘆き・悲しみ」を抱いた。  ・神が求めておられるのは、「形だけの良い行い」ではなく、『関係』である。相手(それが『神』であっても「人」であっても)に直接尋ねることもせずに、自分の経験や勝手な思い込みによって「良い行い」をしようとしても、それは神を喜ばせない。神が喜ばれるのは、私たちが「ご自身との『愛の関係』」、また「人々との『愛の関係』」に生きること。 ✰今日のキーワード: 『関係』は 『善行』に先立つ ◎学びを深めるための質問  ①パリサイ人たちは「律法を守ること」に関して、どのような点において間違っていましたか?  ②一般的に言われる『善行』と、イエスが教えられた『善を行うこと』には、どのような違いがありますか?  ③なぜ『関係』は『善行』に先立つのだと思いますか? 真の意味の『善行』を行うには、何が必要でしょう? Outline of the sermon    “How to distinguish ‘good’ from ‘evil’.”   (24/01/2021) [Mark 3:1~6] ◆Which is lawful?[Verse 4]  ・In Jewish society, they forbid any labor on the Sabbath.  And “healing Read more…