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2021年5月23日 「ならぬ信仰するが『信仰』」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「ならぬ信仰するが『信仰』」 (23/05/2021) [マルコ 5:35~43] ◆「ただ信じていなさい」 ・この[35節]のことばを聞いた時の会堂司の心はいかほどであっただろう。『絶望』という語が思い浮かぶ。それに対する[36節]のイエスのことばを、彼はどう受け止めたのだろうか?「目の前の現実」と「イエスのことば」のどちらを取るかは、まさに私たちの決断にかかっている。 ・「ならぬ堪忍するが堪忍」ということばがある。「これ以上我慢できない!」という状態に至った時点で、それを超えて我慢するのが、本当の我慢なのだという。「ならぬ信仰するが信仰」。もはや他に希望を置く場所がない。ただ「主イエスのことばだけが頼り」という状況の中で、あきらめることなく「主の語られたことは、必ず成る!」と信じる信仰を神は喜ばれる。[イザヤ55:11] ◆死人のよみがえり ・イエスにとって『死』は「長い眠りにつくこと」。全ての人は終わりの日に必ずよみがえらされ(目覚め)て、神の前に立つ。その時に「やったー!」と思うか、「しまった!」と思うかは、今をどう生きるか(選択)にかかっている。だからこそ「御声を聞くこと」は重要であり、「聞いたことばを信じて従うこと」が神に対してできる最善なのである。 ✰今日のキーワード:聞いて、従う ◎更に深い学びのために ①「神のことば」と「目の前の現実」の間で悩んだ事はありますか? その時どうしましたか? 分かち合いましょう。 ②聖書が教えている『信仰』とはどんなものだと思いますか? それぞれ「自分の言葉」に置き換えてみましょう。 ③「終わりの日のよみがえり」を信じていますか? それは今日のあなたの生き方にどう影響していますか? Outline of the sermon “Do not fear, only believe.” (23/05/2021) [Mark 5:35~43] ◆Believing what God has said. ・God sometimes puts us in the situation where is no hope other than Read more…
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2021年5月16日 「『信仰』に引き付けられる神」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『信仰』に引き付けられる神」 (16/05/2021) [マルコ 5:21~34] ◆人々の関心事 [21~29節] ・湖の向こう岸から帰って来るなり、イエスはまたもや『群衆』に囲まれた。これらの『群衆』が何を求めていたのかは不明。(単なる野次馬?) ともかく彼らは、ヤイロの娘を癒しに出かけるイエスについて行った。 ・『長血(長期に渡る「血の漏出」)』は旧約聖書の記述によると「汚れた状態」。それ故この女は、肉体的にも、精神的にも、経済的にも大きな苦しみの中にあったことが分かる。きっと彼女の中には「神様、何故?」という思いが渦巻いていたことだろう。それでも彼女は、咎めを受けることを覚悟の上でイエスの衣に触った。 ◆イエスの関心事 [30~34節] ・イエスは周囲の状況や出来事よりも「誰が衣に触ったのか」を知ろうとした。それは「神の力を引き寄せる信仰」を持っている人物を見つけたかったから。イエスはその人物を祝福したかった。 ・女は『全ての真実』を告白した。それは「弁解」というよりも、神に対する自分の誤った理解の「悔い改め」。この女に対しイエスは、慈しみを込めて「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃった。『救い』は私たちの『信仰』に対する神の応答であり、『悔い改め』は、その『救い』を体験した私たちの神への応答である。[へブル11:6] ✰今日のキーワード:『救い』は『悔い改め』に先立つ ◎更に深い学びのために ①イエスに従っていた『群衆』と、その中に紛れていた「長血を患った女」との違いはどんなところでしょう? ②この女がイエスの許に辿り着くまで、彼女の「神に対する思い」には、どんな浮き沈みがあったと思いますか? ③この女の身に起こったこと、またイエスの反応から、神のどんなご性質が分かりますか? Outline of the sermon “Our ‘faith’ attracts God.” (16/05/2021) [Mark 5:21~34] ◆Our concern. [Verses 21~29] ・Jesus was always surrounded by “crowds”. Some of them were seeking something specific from Read more…
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2021年5月9日 「母たちに贈ることば」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「母たちに贈ることば」 (09/05/2021) ◆『母』の影響力! ・家庭のリーダーであり最高責任者は『父親』であるが、実際的に子供たちと触れ合う時間が多いのは『母親』。そのため当然子供たちは、霊的にもパーソナリティにおいても母親の影響を強く受ける。それ故ぜひ「神を恐れる母親」として、子供たちと次のことを一緒にして欲しい。①みことばを覚える。②賛美する。③祈る。 ・「神を恐れる母親」の責任は、『ことば』においても『行い』においても「キリストを体現すること」。そのための最も強力な実例は、「夫(父親)を愛し、敬い、従う姿」。(キリストが御父を愛し、従われたように) 子供たちは『夫婦(両親)の関係』から無意識のうちに「神に信頼し、従う」とはどういうことなのかを学び取る。 ◆「良き模範」となるために ・「それは自分には難しすぎる」とか、「ウチは父親不在である」という方々。ハナからあきらめたりしないで、まず自分自身が「神との正しく豊かな関係」をしっかりと確立することから始めよう。また「自分たちには子供はいない」とか、「もう子育ては終わった」という方々も、このJCFに与えられている『子供(若者)たち』は皆、「私たちの子ども」です!彼らが『神との豊かな関係』に生きられるように、まず私たちが日々「みことばと祈り」によって神様と深く結ばれることによって、『生きる模範』として歩んで行きましょう! ◎更に深い学びのために ①子供たちに対する「母親の影響力」とは、どのようなものですか? ②私たちはどのようにして、「キリストを体現する」ことができるのでしょう? ③あなたは今日から、JCFに集う子供たちのための『生きる模範』として、どんなことを意識して行きたいですか? Outline of the sermon “Gift of words for ‘Mums’.” (09/05/2021) ◆Huge influence of “Mums”! ・Even though “fathers” are the leaders of home and have ultimate responsibility over their family, “mums” are the Read more…
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202152 「イエスに対する反応」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「イエスに対する反応」(02/05/2021) [マルコ 5:14~20] ◆2つの違った反応 [16~18節] ・住民たちはイエスに「この地方から出て行って欲しい」と言った。目の前に「御国の権威に満ちたメシヤ」がいたにも関わらず、彼らはイエスと関わることを拒んだ。一方、悪霊につかれていた人は、「お供させて欲しい」と願った。非常に対照的。これは現代において「イエスについて聞いた時の人々の反応」にも共通している。ある人々は、できるだけ関わることを避けようとする。自分の今の「そこそこ平和な生活」を変えたくないから。他の人々はもっとイエスについて知ろうとする。それは、「自分の真の必要を満たすものが見出せるかも…」と思うから。 ◆それぞれの使命 [18~20節] ・使徒たちのように、「家族を離れて、イエスと共に神の国を伝え歩く」という使命を与えられる人もいれば、この男のように「家族の許へと遣わされる人」もいる。どちらにしてもイエスは「その人を通してしか、イエスの真実を聞くチャンスのない人々」へと私たちを遣わす。[ヨハネ20:21] ・私たちが語るのは「難しい神学的メッセージ」ではなく、「イエスが自分の人生にどのような素晴らしいことをしてくださったのか」という『証し』。私たちは全員が『伝道者』である必要はないが、『証し人』でなければならない。 ✰今日のキーワード:キリストの証人 ◎更に深い学びのために ①この地方の住民たちと、悪霊につかれていた人との「イエスに対する反応」が違う理由は何だと思いますか? ②イエスは何故、この男が自分たちに同行するのを許さず、生まれ故郷へと送り返したのでしょう? ③『伝道』と『証し』はどう違いますか? 私たちはどのようにして「優れた証し人」となることができるでしょうか? Outline of the sermon “How do you response to Jesus?” (02/05/2021) [Mark 5:14~20] ◆2 different ways of response. [Verses 16-18] ・Responses between people and “the man” to Jesus were completely Read more…
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2021年4月25日 「『力』の正しい使い方」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『力』の正しい使い方」 (25/04/2021) [マルコ 5:1~13] ◆「悪霊につかれた人」との出会い [1~4節] ・「悪霊に憑かれた人」の意識の中には「自分と悪霊」が混在している。悪霊はイエスを恐れているのだから、「墓場から出て来てイエスを迎えた」のは彼自身の意志であろう。 ・悪霊は「誰かれ構わずとり憑く」ことはできない。何かきっかけ(足場)があったはず。考えられることは、この男が恐るべき『力』を持っていたことから、悪霊にとり憑かれる前の彼が「執拗に『力』を求めていた」ことがきっかけとなり、悪霊に自分を明け渡してしまったのかもしれない。しかし今はそれを後悔し、解放を求めている。 ◆神の子イエスvs悪霊 [7~8節] ・悪霊たちは、私たち以上に『御子イエス』のことを知っており、また恐れている。私たちが悪霊を恐れる必要はない。悪霊たちこそ、「私たちの内におられる主イエス」を恐れている。[使徒19:11-16] しかし、単に「イエスの名を唱えること」には『力』はない。「イエス・キリストの御名による『罪の赦し』を受け、『神の国の権威』の下に生き『御国の福音』を宣べ伝える者」のために、主イエスは「神の国の支配が働いていることのしるし」を現される。 ・[11~13節] イエスは、何千匹もの豚を犠牲にしてでも、1人の男が悪霊から解放されることを選んだ。 ✰今日のキーワード:『人』が尊い ◎更に深い学びのために ①この男が「悪霊に憑かれる前」と「憑かれた後」の変化を想像し、「悪霊にどう対処すべきか」を考えてみましょう。 ②使徒19章に登場する『巡回祈禱師たち』は、何が間違っていたのでしょう? ここからの教訓は何ですか? ③ここでイエスがなさったみわざを観察し、『神の国の権威』の正しい用い方について話し合いましょう。 Outline of the sermon “Right way to use ‘Power’.” (25/04/2021) [Mark 5:1~13] ◆“A man with an unclean spirit”. [Verses 1-4] ・Evil spirits cannot possess random people. Read more…
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2021年4月18日 「みことばは成就する」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「みことばは成就する」(18/04/2021) [マルコ 4:35~41] ◆「向こう岸へ渡ろう!」 [35~36節] ・この2節から分かること ― ①既に夕方だったので、この舟の旅は真っ暗な中。②1艘の舟には弟子たち全員が乗り切れないほど「小さな舟」。③イエスは1日中舟の上にいた。 ・5章の前半を読むと、彼らが「向こう岸」へいたのは短時間だけで、『たった1人の男性』を悪霊から解放するため。恐らくイエスは「御父からの導き」を受け取り、「どうしても行かなければ」と感じていたのであろう。 ◆嵐を静める [37~41節] ・暗闇の中での『湖上の嵐』は、『死』を意識させる。ここでイエスは「黙れ、静まれ」と権威をもって語ることで嵐を静めた。イエスは同じ権威をもって「向こう岸へ渡ろう」とおっしゃっていたのに、弟子たちには分からなかった。 ・イエスのフォーカスは『嵐』にはなく、「御父が向こう岸に招いておられる」ということだった。イエスは「御父がなさろうとしておられることは、必ず成就する」と知っていた。[イザヤ55:11] イエスは同じ『信仰』を弟子たちにも期 待していたに違いない。[ルカ1:45] 「聖書や祈りを通して『神のことば』に耳を傾ける」ということ、そして「御声を聞き取り、それに従う」という『信仰』は、とてつもなく重要なことなのです! ✰今日のキーワード:God is in control! ◎更に深い学びのために ①この聖書箇所を読んでの第1印象は何ですか?(「イエスの力あるわざ」,「弟子たちの不信仰」など) ②イエスは何故出発を翌日まで待たなかったのだと思いますか? 弟子たちも何故反対しなかったのでしょう? ③この体験を通して、弟子たちに最も印象づけられたことは何でしょう? またそれはどんな意味があるでしょう? Outline of the sermon “God’s Word never return empty.” (18/04/2021) [Mark 4:35~41] ◆“Let’s go across to the other side!” Read more…
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2021年4月11日 「広く・深く」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「広く・深く」(11/04/2021) [マルコ 4:30~34] ◆からし種 [30~32節] ・『からし種』は聖書の時代には「最も小さな種の1つ」として知られ、よく例として使われていた。実際『神の国』はイエス・キリストたった1人から始められ、彼に従った「ほんのひと握りの無学な人々」によって広められた。 ・『からし種』は成長すると数メートルの大きさになる。「最も小さな種」が大きく育つためには、当然長い時間がかかり、十分に地中深く根を張る必要がある。『神の国』もそのように、「広さ」と「深さ」において成長する。 ◆『たとえ(謎)』を解く [33~34節] ・『たとえ』は原文では『謎』。イエスが「たとえ」で語られたのは、「分かり易くするため」ではなく、聞く人1人1人に「自分で深く考えさせるため」。 ・イエスに従っていた者たちの中には、「途中で去った人々」と「最後まで従った人々」がいた。どちらも「悟りの鈍い者たち」だったが、最後まで残った者たちは「今はよく分からないけど、きっといつか分かる時が来る!」という信仰と希望によって踏みとどまり、イエスとの関係を深めて行った。『神の国』はこのように「イエス・キリストとそのみことばを通して神との関係を深めた人々」 によって広がって行ったのである。[詩篇1:2-3] ✰今日のキーワード:根気 ◎更に深い学びのために ①ここでは、なぜ『神の国』が「からし種」にたとえられているのだと思いますか? ②私たちが『たとえ』を使う理由と、主イエスが『たとえ』を使った理由とでは、どのように違いましたか? ③「イエスに従い続けること」の『難しさ』と『素晴らしさ』とを、それぞれいくつかずつ挙げてみましょう。 Outline of the sermon “Larger and deeper.” (11/04/2021) [Mark 4:30~34] ◆Mustard seed. [Verses 30~32] ・Just as “a mustard seed” is very little, the beginning of “God’s kingdom” Read more…
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2021年4月4日 「復活の意義」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「復活の意義」(イースター・メッセージ) (04/04/2021) ①「罪と死の力」は打ち破られた! ・クリスチャンの間では、キリストの『復活』よりも『十字架』の方が強調される傾向がある。これは恐らく「身代わりに十字架で死んでくださったこと」の方が『神の愛』というものを感傷的に受け取りやすいからであろう。 ・しかし実際は『十字架』だけでは、私たちの救いの保証としては不十分。[Ⅰコリント15:16-17] キリストが「死を打ち破られてよみがえられた」からこそ、私たちは「確かに主イエスは私の(全人類の)罪の代価を支払い終え、救いのみわざを完成してくださった」と確信し、今日もキリストと歩むことができる。[ローマ4:24-25] ②「よみがえりのいのち」によって生きる ・『復活』のもう1つの意義は、「神がキリストをよみがえらせたのなら、彼の血によって罪の代価を支払っていただいた私たちも、必ず同様によみがえらせていただける」と信じることができること。[ローマ8:11] ・この『復活のいのち』は既に私たちの内に働いている。私たちはこの地上で、生まれつきの「古い肉のいのち」によって生きて行くこともできるが、「新しい御霊によるいのち」に生かされることもできる。ただそのためには、この慣れ親しんだ「古い肉のいのち」に死ななければならない。[ローマ6:4-5] ・キリストは、私たちが単に「十字架での身代わりの死」を信じて天国への切符を手に入れるだけでなく、この地上においても「キリストの復活のいのち」に生かされて、今日も生きて働いておられるキリストのいのちを、私たちの身を通して人々の間で現して欲しいと願っておられる。[Ⅱコリント5:14-15] ◎更に深い学びのために ①キリストの「身代わりの死」だけでなく、「よみがえられたこと」を知り、信じることが、どうして大切なのでしょう? ②キリストの『復活』は、私たちの「キリスト者としての日々の歩み」と、どのような関係がありますか? ③私たちは『復活のいのち』を体験する前に『死』を通らなければなりません。それはどのように起こるのでしょう? Outline of the sermon “Significance of Resurrection.”(04/04/2021) ①Jesus defeated the power of “Sin and Death”! ・“Crucifixion of Christ” seems to be more emphasized among Christians than his “resurrection”. This is Read more…
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2021年3月28日 「神の主権と人の役割」
礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神の主権と人の役割」(28/03/2021) [マルコ 4:26~29] ◆「神の国」の原則 ・『神の国』とは「神の主権が及んでいるところ」。イエスを救い主と信じていても、相変わらず『自分自身』を「自分の人生の主権者」として生きているなら、実質上その人の許にはまだ『神の国』は来ていない。 ・このたとえ話は「神の主権の下に生きる人」に起こることを表している。私たちは自分の『一生懸命さ』によって神の働きに貢献することはできない。私たちはただ「種を蒔き、時が来たら収穫する」。ではその間はどうしていれば良いのだろうか?ただ手をこまねいて、指をくわえて待っているしかないのか? ◆『祈り』の役割 ・イエスが教えた『祈り』の中で、「御国が来ますように」という1節がある。これこそ、私たちが福音の種を蒔いた後、刈り取りを待ちながらしているべきこと。 ⇒ 「私が種を蒔いたあの人の上に『御国』がきますように!」 ・『祈り』とは本来、「神をこき使うため」にあるのではなく、「自らを神の主権の前にへりくださせるため」にある。私たちは『祈り』を通して、この「神の主権」というものをしっかりと知らされるべき。 (福音の)種を蒔こう!目を覚まして祈ろう!そして時を見極めて刈り取ろう! ✰今日のキーワード:分をわきまえる ◎更に深い学びのために ①『神の国』とはどのようなものですか? 「神の国のみわざ」のために私たちはどんな貢献ができるでしょう? ②『祈り』とはどんなものですか? なぜ主イエスは私たちに「御国が来ますように」と祈るよう命じたのでしょう? ③あなたは「神の国の中」に生きていますか? だとしたら、神が今のあなたに望んでおられることは何でしょう? Outline of the sermon “Sovereignty of God and our role.” (28/03/2021) [Mark 4:26~29] ◆The principle of “God’s kingdom”. ・“Kingdom of God” is not a Read more…