2020年12月27日 「脱・習慣的信仰生活」

説教をYouTubeで観る 説教あらすじ 「脱・習慣的信仰生活」(27/12/2020) [マルコの福音書 2章18~22節] ◆何のための『断食』か? [18~20節]  ・ヨハネの弟子たちは「師であるヨハネの死」を悼んで断食をしていたが、パリサイ人たちは「宗教的習慣」として週に2度断食していた。新約聖書では『断食』はいつも「主への祈りや礼拝」と結び付けて行われている。「宗教的習慣」として特定の形で行うものではなく、個人個人の「神との関係」において、「時・理由・方法」を選んで行う。  ・イエスはご自分を『花婿』と表現し、のちに来る「ご自身と教会(人々)との新しい関係」に関して暗示している。 ◆新時代の到来 [21~22節]  ・「新しいもの」と「古いもの」とを一緒に用いることはできない。古い「宗教的習慣」に捕らわれていると、イエスによってもたらされる「ただ1度のいけにえによる完全な罪の赦し」を理解することはできない。  ・今の時代に生きる私たちも、「個人的なイエスとの明確な出会い」を体験したなら、必ず生き方が変わるはず。 *『新しい年』が来ようとしている。「形式的・習慣的にイエスに仕える」のではなく、 1人1人がそれぞれの「創造的・ユニークな形」で、主イエスに仕えよう! ✰今日のキーワード: 新しい皮袋 ◎学びを深めるための質問  ①断食をしたことがありますか? どういう理由・方法でしたか? 断食を通して新しく学んだことは何ですか?  ②あなたが主イエスと出会ってから、「新しくされた」と実感できることは、どんなことですか?  ③2021年を迎えるに当たって、神様から受けているチャレンジがありますか? もし無いなら、求めてみましょう。 Outline of the sermon    “Get out of ‘customary Christianity’.”   (27/12/2020) ◎[Gospel of Mark 2:18~22] ◆What is “fasting” really for? [Verses 18~20]  ・“Fasting” is not just “a religious Read more…

2020年12月13日 「イエスが来たのは…」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「イエスが来たのは…」(13/12/2020) [マルコの福音書 2章13~17節] ◆登場人物紹介 [14~16節]  ・「アルパヨの子・レビ」:『マタイ』?『ヤコブ』?   ・「取税人や罪人たち」:人々の間でさげすまれていた。  ・「パリサイ人」:『パリサイ』はヘブル語で「分離する」。律法に従わない人々(異邦人や罪人たち)からの分離。   *イエスは罪人たちと「共に食事を」していた。神のみこころは『分離』ではなく、『共にいる(インマヌエル)』こと。 ◆わたしが来たのは… [17節]  ・「医者を必要とするのは…」は、当時のことわざ。「わたしが来たのは…」が示しているのは、    『正しい人』:自分を「正しい」とするパリサイ人たちを指す。    『罪人』:パリサイ人たちが言うところの「罪人」だけではなく、パリサイ人たち本人をも指している。  ・イエスは『罪の赦し』のために来た。(「奇跡を行うため」ではない!) たとえ今の状態が「きよく」なくても、神に渇き神を求めてイエスの許に来る者は、この『罪の赦し』を受けるにふさわしい。[使徒10:15]  ・そして実は私たちも、イエスによって「罪人の許」に遣わされている![ヨハネ20:21~23] ✰今日のキーワード: 罪人を招くために ◎学びを深めるための質問  ①パリサイ人たちとイエスとでは、どんなところが違いますか?どうしてそのような違いが生じるのでしょう?  ②あなたはパリサイ人とイエスとのどちらに似ていますか? また、どうしてそう思うのですか?  ③あなたはイエスによって誰の許へ遣わされていると思いますか? その「イエスの召し」にどう答えますか? Outline of the sermon    “Jesus came to call who?”   (13/12/2020) ◎[Gospel of Mark 2:13~17] ◆Those who are on the scene. [Verses14~16]  ・Levi son of Alpaeus: Is Read more…

2020年12月6日 「なりふり構わぬ信仰」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「なりふり構わぬ信仰」(06/12/2020) [マルコの福音書 2章1~12節] ― 「罪の赦し」と「病の癒し」  ・[1~4節]「背景」:この『家』は恐らく「シモンとアンデレの家」。当時のパレスチナの家は通常ひと間で、屋根は毎年張り替える簡易な造り。そのため屋根に上がる階段もある。  ・[5節]イエスは「彼らの信仰を見た」。「神に向かって行こうとする、行いを伴った信仰」は『罪の赦し』に値する。  ・[6~8節]一方、律法学者たちは、罪の赦しを宣言するイエスの言動を「神への冒瀆」と考えた。イエスのなさる「奇跡的なみわざ」や「心の中を読む取る力」がイエスが神から遣わされていることを示していたのに、彼らは「自分たちの神学(思い込み)」に支配されていた。  ・[9~11節]イエスの目的は『罪の赦し』であり、病の癒しは単にそれに伴うしるしでしかなかったが、ご自身に『神の権威』が与えられていることを頭の硬い律法学者たちにも分からせるために『癒し』も行った。  ・[12節]群衆は「イエスをあがめた」のではなく、「神をあがめた」。彼らは「力あるわざ」の真意を理解していた。  ・[へブル11:6] 「神を求め、神に近づく」 これこそ『悔い改め』。神はこのような人々に心を惹かれ、彼らの罪を赦し、その信仰に喜んで報いてくださる。 ✰今日のキーワード: 神は『信仰』を見る ◎学びを深めるための質問  ①イエスはどんなことから「彼らの信仰を見た」のでしょう? また、どうして『罪の赦し』を宣言したのでしょう?  ②群衆に見えて、律法学者たちには見えなかったものは何ですか? どうしてそのようなことが起こるのでしょう?  ③神はあなたのどのような『信仰』をご覧になっていると思いますか? また、どうしてそう思うのですか? Outline of the sermon    “Faith without regard for appearances.”   (06/12/2020) ◎[Gospel of Mark 2:1~12] ― “Forgiveness of sins” and “Healing”.  ・[Verse 5] Jesus “saw their faith” and the faith Read more…

2020年11月29日 「キリストの心に近づく」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「キリストの心に近づく」(29/11/2020) [マルコの福音書 1章35~45節] ― 「イエスの心にあった2つのこと」に注目。 ◆『御父』を求める [35節]   ・イエスの1日はいつも「御父を求めること」から始まった。そしてイエスの自意識&存在意義は「御父のみこころを成し遂げること」だった。[ヨハネ4:34] 私たちも朝ごとに「お父さん、今日は私と一緒に何をなさりたいですか?」と問いかけながら1日をスタートしよう! ◆『福音』を伝える [36~38節]   ・イエスは「御父のみこころ」を『自分』が知るだけではなく、『人々』にも知ってもらいたかったそのためには何としても人々に「神との関係の回復」を体験してもらう必要があった。そのための「福音宣教」。   ・「病人の癒し」や「悪霊の追い出し」などは、『御父のあわれみ(神の国の到来)』を証拠づけるしるしに過ぎない。   ・[40~45節] イエスは「証拠としてのみわざ」が人々の不必要な興味を引き起こすと分かってはいても、内側からあふれ出る『御父のあわれみ』をとどめようがなかった。私たちに必要なのも、この『キリストの心』。 ✰今日のキーワード: 主イエスの心 ◎学びを深めるための質問  ①イエスの「御父を求める心」を自分のことばで表現してみましょう。あなたの心にそれに近いものを感じますか?  ②イエスの「福音を伝える動機」は何でしたか?福音を伝えようとする時、あなたはどんなことを考えていますか?  ③「キリストを慕い求める心」と「人々にキリストを伝えようとする気持ち」には、どのような関わりがあるでしょう? Outline of the sermon    “Come close to Jesus’ heart.”   (29/11/2020) ◎[Gospel of Mark 1:35~45] ― There were 2 things in the heart of Jesus. ◆Seeking his Father. [Verse 35]   ・Jesus Read more…

2020年11月22日 「御国の権威によって」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「御国の権威によって」(22/11/2020) [マルコの福音書 1章21~34節]                霊的世界の権威構造 ◆悪霊とは?   ・サタンに従った『堕天使』。「全知・全能」ではないが、人間よりは優れている。   ・神とその権威・力をよく知っており、自分に向けられることを恐れている。   ・私たちは「聖書の知識」や「信仰深さ」ではなく、「神の権威の下に身を置くこと」によって悪霊に立ち向かう。 ◆イエスの権威 [22,27節]   ・律法学者は「教えを教えとして教えるだけ」。しかし、イエスの権威は「神から委託」されていた。[ルカ1:30~33]   ・神の権威を用いること = 『神の国の到来』を示すこと。[マタイ12:28]   ・[34節]イエスが主に行ったのは、神の権威による『教え』『病人の癒し』『悪霊の追い出し』。そしてこれらを弟子たちにも行わせるために遣わした。[ルカ9:1~2]   ・復活後のイエスの権威。[マタイ28:18~19a] ⇒ 私たちも「弟子を造るため」に、この権威を委託されている! ✰今日のキーワード: 弟子を造る ◎学びを深めるための質問  ①『悪霊』とはどんな存在ですか? また『悪霊』に対抗するために気を付けるべき点は何ですか?  ②イエスは地上の人生において主にどのようなことをされましたか? それは何を意味していましたか?  ③あなたの「弟子としての歩み」に、主イエスはどのようなことを期待しておられると思いますか? Outline of the sermon     “Authority of the kingdom.”    (22/11/2020) ◎[Gospel of Mark 1:21~34]  Structure of “spiritual world”. ◆“Evil spirits”, what are they?   ・“Fallen angels” Read more…

2020年11月15日 「弟子への召命」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ  「弟子への召命」(15/11/2020) [マルコの福音書 1章16~20節] ◆弟子の特徴(共通点) ― イエスがまず最初になさった働きは、『弟子造り』!   ①イエスに呼ばれた。  ②すぐに従った。[Ⅱコリント5:7]   ③すべてを捨てて従った。    ・生涯かけてイエスに従うために必要なのは、「御声を聞いた」とか「みことばが与えられた」などの特別なしるしではなく、ただ「イエスとの関係の故」という動機。    ・「家族さえも捨てる」とは、過激すぎるように思えるが、1つ言えることは「他の誰も自分の人生のための責任を取ってはくれない」ということ。後になって後悔して他の人のせいにしようとしても、それはミジメな人生。 ◆弟子の受ける祝福 [マタイ19:27~30]   ・「(迫害とともに)その百倍を受ける」「永遠のいのちを受け継ぐ」。これらは、「御名のために捨てたもの」よりもはるかに価値のあるものに違いない。私たちの天の父は『良い方』。 ⇒ モーセの信仰。[へブル11:24~27]   ・『弟子』とは、「他の何を得るよりも、キリストに近づくことに夢中な人」。そしてそのような人になることは『努力』によるのではなく、『恵み』によって。私たちがそう願って心を開くなら、神はその心に働きかける。[Ⅱテモテ1:9] ✰今日のキーワード: イエスに夢中 ◎学びを深めるための質問  ①ペテロやヨハネは、何故このように単純にすぐ「何もかも捨ててイエスに従った」のだと思いますか?  ②「キリストの弟子として歩む」という人生にはどんな祝福がありますか? それはあなたにとって魅力的ですか?  ③あなたは「キリストの弟子」ですか? または「そうなりたい」ですか? そう思う理由は何ですか? Outline of the sermon     “Called to be his disciples.”    (15/11/2020) ◆Common features of “disciples”. [Mark 1: 16~20]   ①Called by Jesus.  ②Followed at once. [ⅡCorinthians 5:7] Read more…

2020年11月1日 「人となられた神の子」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「人となられた神の子」  (01/11/2020) ◎マルコの福音書 1章9~15節 ◆3つの疑問   ①何故イエスも洗礼を受けたのか? ⇒ すべての点で私たちの『模範』となるため。[マタイ3:13~15]   ②受洗後、イエスは何故まず『荒野』へ行ったのか? ⇒ 『荒野』は必ずしも「試練の場所」ではない。   ③イエスは何故わざわざガリラヤへ戻ったのか? ⇒ 「神が用いようとされた人々」とは?[使徒4:13]   *神のみこころは、イエスが地上においてすべての点で「人として」歩み、しかもすべての点において「神と共に」 歩むこと。『福音』は、そのようなイエスの歩みを通して成し遂げられた! ◆『神の国』は、主イエスと共に [14~15節]   ・人が『神の国』から断絶されたのは、神から離れた結果。だからこそ「人として神と共に歩むイエス」の中に、新たに『神の国』が実現している。   ・「自分の努力」によるのではなく、このイエス・キリストを通して表された「神と人との和解」を受け入れるならば、『神の国』はその人のうちにやって来る。[Ⅱコリント5:20~21] ✰今日のキーワード: 神の国の到来 ◎学びを深めるための質問  ①主イエスが「人としてこの世に来られた」ということには、どのような意味がありますか?  ②「人生の荒野」を経験したことがありますか? それはどのような状況で、そこからどんなことを学びましたか?  ③あなたにとって『神の国』とは、どのようなものですか? それは「どこに」ありますか? Outline of the sermon     “Son of God became human.”    (01/11/2020) ◆3 Questions. [Mark 1: 9~15]   ①Why did Jesus get baptized? ⇒ To Read more…

2020年10月25日 「真の悔い改め」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「真の悔い改め」  (25/10/2020) ◆先駆者ヨハネ [1~4節]   ・『福音(良い知らせ)』の中心は、「神の子、イエス・キリスト」。そして彼が地上に遣わされることはずっと以前から神ご自身によって計画(預言)されていた。「バプテスマのヨハネ」もそこに含まれている。   ・ヨハネは「主の道を用意する者」としてキリストの前に遣わされ、「罪の赦しに導く、悔い改め」のバプテスマを説いた。「主の通られる道」とは、『悔い改め(方向転換)』によって主の前に用意する道。 ◆『バプテスマ』を受ける [7~8節]   ・「バプテスマ」は、「きよめの洗い」として以前から存在していた。   ・『水』は人の「外側」をきよめる。隠れた部分も洗うため、各部分をよく開かなければならない。そして『聖霊』は人の「内側」をきよめる。「水の洗い」と同様に、内側の隠れた部分(あらゆる領域)をも明け渡さなければならない。これが「主の通られる道をまっすぐにする」ということ。 ◎キリストとの親密さを増すために、「自分自身の全て」を聖霊に明け渡そう! ✰今日のキーワード: 明け渡し ◎学びを深めるための質問  ①神は何故、主イエスを遣わされる前に、まずバプテスマのヨハネを遣わしたのだと思いますか?  ②人々はどんな心でヨハネの許に来たと思いますか? あなたが主イエスの許に来た時の気持ちと共通点はありますか?  ③「主の通られる道を真直ぐにする」ということを、自分の信仰生活にあてはめて具体的に言い換えてみましょう。 Outline of the sermon        “True repentance.”       (25/10/2020) ◆A messenger ahead of Jesus. [Verses 1~4]   ・Essence of “Gospel(Good News)” is “Jesus Christ, the Son of God”.  His coming had been planned(prophesied) by God Read more…