2021年8月8日 「信仰のあるべき姿」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「信仰のあるべき姿」(08/08/2021) [マルコ 7:24~30] ◆異邦人の地へ [24~26節]   ・イエスはガリラヤから北へ向かい、異邦人の多い地域に滞在された。律法学者たちの頑なさに疲れ、彼らが近づきたがらない地域でリフレッシュしようと思ったのだろう。(律法学者たちは異邦人を『犬』と呼んで軽蔑していた) ◆ギリシア人女性の信仰 [27~29節]   ・「子供たち」とは、ここでは「神の選びの民であるユダヤ人」を指す。イエスの応対は少し冷たい感じもするが、彼は御父から遣わされていることに忠実だった。[マタイ15:24] しかし「小犬扱い」されても、この女はひるまなかった。彼女の態度は「信仰のあるべき姿」を力強く表現している。    ①あきらめない ― 「自分のふさわしさ」ではなく、『神の恵み(あわれみ深さ)』にしがみついた。    ②つまずかない ― 「犬扱い」されるつまずきを飛び越える勇敢さ。(自分がどう思われようとも…)    ③見ずに信じる ― 『信仰』は、「結果」に先立つ。(『見えるもの』ではなく、「イエスの約束」に信頼した)   ・イエスの29節のことばに注目しよう。神はしばしば「私たちの信仰」を見たいがために、人生にチャレンジを送る。そんな時、イエスにここまで言わせる「一見バカげているほどに大胆な信仰」をもって応答する者になろう! ✰今日のキーワード:そこまで言うのなら… ◎更に深い学びのために  ①7章前半のパリサイ人や律法学者たちの態度と、このギリシア人の女の態度とは、どんな違いがありますか?  ②この女(母親)がこれほどまでに執拗にイエスに求めた原動力は何でしょう? また、どうしてそう思いますか?  ③この女に見倣いたいと思う要素はありますか? それはどんな部分ですか? 互いに分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon    “This is how our faith should be.”    (08/08/2021) [Mark 7:24~30] ◆Jesus went to the region of Read more…

2021年8月1日 「『内側』が大切」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『内側』が大切」(01/08/2021) [マルコ 7:14~23] ◆『外側』のこと [18~19節]   ・弟子たちは何か律法学者たちよりも優れていたから選ばれたのではなく、主イエスが「みそばに置くため」に選ばれた。私たちも同じである。また「洗わない手で食べること」は肉体的健康のためには理想的ではないが、『神の国の視点』では、「肉体的健康」よりも「内面的・霊的健康」の方がはるかに重要である。 ◆『内側』のこと [20~23節] ― この『心の中』こそが、見張るべき部分![箴言4:23]   ・「人から出て来るもの」は全て悪いのか? ⇒ 答えは『YES』。 人から出て来るもの、すなわち『人間的考え』は    いつも自己中心的であり、『人(地上)』のことを考える。[マルコ8:33] 私たちが一生懸命に考えれば考えるほど頭の中が「この世の常識・人間的な考え」中心になって行く。では、それの何が悪いのか?   ・『この世の常識』に根差して生きることは人間的な計算に基づいており、『信仰による(見えるところによってではない)歩み』と相容れないから。[ローマ14:23] 「信仰によって歩む」ためには、私たちの心から雑草を抜き取り、『みことば』で満たす必要がある。[ヤコブ1:21] 頭に浮かんでくる「常識的な思考パターン」を、みことばで置き    換えるクセを付けよう! ✰今日のキーワード:内なる変革 ◎更に深い学びのために  ①なぜ『外側』よりも『内側』の方が大切なのですか? 例を挙げながら考えてみましょう。  ②なぜ「人から出て来るものは悪い」と言えるのですか? それを実体験した証しがあれば分かち合いましょう。  ③私たちが内側から「良いもの」を出すためにどうすれば良いでしょう? そのために今日から何ができますか? Outline of the sermon    “‘Inside’ is more important.”    (01/08/2021) [Mark 7:14~23] ◆Things from “outside”. [Verses18~19]   ・Disciples were Read more…

2021年7月25日 「『神の心』を見つめる」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『神の心』を見つめる」(25/07/2021) [マルコ 7:1~13] ◆『律法』と『言い伝え』 [3~4節]   ・ユダヤ人には『律法』以外に、自分たちの習慣や「律法厳守」の精神に基づいた『昔からの言い伝え』と呼ばれる「文字化されていない様々な規律」があった。パリサイ人たちは「神に従っているつもり」で、実は「自分の欲や信念の故」にこれらの『言い伝え』にも厳格に従い、また人々にも強要していた。   ・私たちは、自分が信じ従っているのが「神のことばそのもの」なのか、それとも「人間的な解釈」なのかを見分けることが大切。そのためにこそ、いつも言っている『神との個人的な関係』が何よりも重要。 ◆『神の律法』と『神の心』 [6~8節]   ・イエスは「律法を敬っている」と言いつつ、パリサイ人の『心』が神から遠く離れてしまっているのを嘆かれた。   ・[Ⅱコリント3:6]のみことばは「聖書を読むことを軽視させる」のではなく、聖書を読む時は「ただ文字面を読む」のではなく、聖霊に拠り頼みつつ、そこから『神の心』を汲み取るべきだということ。聖書は『神の心』の現れ。   ・イエスは「神のことば」としてこの地上に来られた。彼の地上での歩みは『神の心』そのもの。このイエスの歩みをじっと観察することを通して日々『神の心』を見つめ、味わいつつ生きて行こう![詩篇34:8](JCF年間聖句)  ✰今日のキーワード:『神の心』を味わう ◎更に深い学びのために  ①なぜパリサイ人たちは、「昔からの言い伝え」を守ることに一生懸命になってしまったのだと思いますか?  ②私たちが『神のことばそのもの』でなく、「それと似た別物」に捕らわれてしまうのはどんな時だと思いますか?  ③みことばを通して『神の心』に触れた経験があれば、互いに分かち合いましょう。 Outline of the sermon    “Jesus, revelation of ‘God’s heart’.”    (25/07/2021) [Mark 7:1~13] ◆“Law of Moses” and “Tradition of elders”. [Verses 3~4]   ・The Jews not only had “the law” but also Read more…

2021年7月11日 「御霊に支配された教会」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「御霊に支配された教会」(11/07/2021) ◆『守り行う』のではなく、『成就する』  ◎JCFのビジョン = 「3つの愛の関係において成長する」      ①神との関係 ⇒ ②神の家族との関係 ⇒ ③神の家族以外との関係 における成長   ・「キリストにある救い」を受け取ったら、自然とこの順序に進んで行く。まず私たちの心に芽生えるのは「伝道しよう!」という思いではなく、「神への愛と感謝」。誰に勧められることもなく祈りたくなるし、聖書を読みたくなる。    次に起こるのは「『神の家族』との交わりを求める思い」。[Ⅰヨハネ5:1] 「神のみことば(みこころ)」というものは私たちが「努力して守り行うもの」ではなく、神が私たちを通して「成就してくださるもの」。 ◆『考える事』の危険性   ・人間は「考える事」が好きなので、つい「まだ救われていない人がたくさんいるのだから、もっと伝道しなきゃ!」と考え、まだまだ『神との関係』も『神の家族との関係』も不十分なのに、③に進もうとする。ところが悪魔は「人間の思い」につけ入ることができるので、このように進んで行くと『分裂』や『燃え尽き』に至る恐れがある。   ・私たちが目指しているのは「御霊に導かれたキリストのからだ」。『自分の思い』の中で思い煩い始めたら、すぐに祈りによって神様のところへ行こう![ピリピ4:6~7] 神は私たちの思いを超えて働いてくださる。 ✰今日のキーワード:3つの関係 ◎更に深い学びのために  ①「JCFのビジョン」はどんなことですか? どうしてこのような順番なのでしょう?  ②信じてから今までの間に、あなたの「神との関係」や「神の家族との関係」は、どのように変わってきましたか?  ③自分の力で頑張って「燃え尽きて」しまいそうになったことはありますか? そこからどうやって回復しましたか? Outline of the sermon      “Spirit‐filled church.”      (11/07/2021) ◆Not “to achieve” but “to be fulfilled”.  ◎Vision for JCF = To grow in 3 relationships. Read more…

2021年7月4日 「イエスの人間性と神性」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「イエスの人間性と神性」(04/07/2021) [マルコ 6:45~56] ◆イエスは『人』だった [45~46節]   ・イエスはしばしば「祈るために」時を過ごされた。「神である方が祈る必要があるのか?」という疑問が湧くが、地上で肉体をもって歩まれた間、イエスは確かに『人』であった。弟子たちもそう思っていたからこそ、イエスが嵐を静めたり、水の上を歩いたりするのを目の当たりにして心底驚いていた。   ・イエスが「人として生きた」ことを知ることは、私たちにとって慰めであり励ましである。彼は私たちの弱さ・痛み そして「ことばに表せないうめき」さえも理解できる。だからこそ恐れずに神の前に出て行ける。[へブル4:15~16] ◆イエスは『神の完全な現れ』だった [50b~51節,56節]   ・イエスは多くの奇跡をなさった。彼は「わたしを見た者は神を見た」「わたしと神とは1つ」とおっしゃった。父なる神はイエスを通して全ての願いを成就することができた。イエスはその理由をこう言った。[ヨハネ5:30,6:38]   ・ちょうど「天の父が私たちへの愛ゆえに最善以外なさらない」ように、イエスもその御父への愛ゆえに「御父の願うこと以外はなさら」なかった。まさに御父はイエスを通して『ご自身の心』を表現されたのだ。[Ⅱ歴代誌16:9] そしてこの歩みこそ、「神の子どもとされた私たち」にとって最もふさわしい生き方なのである。 ✰今日のキーワード:イエスを見つめる ◎更に深い学びのために  ①「イエスが地上を歩まれた時は『生身の人間』だった」と知ることは、あなたの日々の歩みにどう影響しますか?  ②『御父の完全な現れ』として生きることを通して、イエスはどんな「喜び」や「葛藤」を経験されたと思いますか?  ③『人』であり『神の完全な現れ』として歩まれたイエスを思う時、浮かんでくる思いを互いに分かち合いましょう。 Outline of the sermon    “Jesus, ‘a man’ as well as ‘God’.”    (04/07/2021) [Mark 6:45~56] ◆Jesus was “a human”. [Verses 45~46]   ・Jesus “prayed”.  Did he need to “pray”?  Yes, because he Read more…

2021年6月27日 「神のわざを見る人々」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神のわざを見る人々」(27/06/2021) [マルコ 6:30~44] ◆「神の国」に飢え渇く『群衆』 [33~34節]   ・この群衆は、何も食べ物目当てに「追っかけ」をしていたわけではない。イエスと弟子たちを通して現される「神の国のリアリティ」を追い求めて、後先考えずに「イエスのおられる所(神の臨在のある所)」に身を置こうとした。   ・イエスの「教えた内容」は書かれていないが、大自然に囲まれた『寂しいところ』で、[マタイ6章]にあるような内容を教えたのではないか。そしてまさにその内容通りのことが起ころうとしていた。 ◆神に用いられた『弟子たち』 [35~38節]   ・疲れ切った体を休めようとしていた弟子たちは、イエスの教えがいつ終わるのか待ち遠しく感じていたに違いない。そんな彼らは、「あなたたちで食べ物をあげなさい」というイエスの提案を一体どう受け取ったことだろう?   ・ヨハネの福音書の並行記事には、「イエスはご自分がしようとしていることを知っていた」とある。弟子たちが弱さを自覚していた正にこのタイミングでイエスは、「無から有を生み出すこと」ができるにもかかわらず、敢えて    「手元にあるもの」を捜させ、それを用いてみわざを行われた。「必要を抱えた人々」、「弱さの中で信仰をもって仕える神の民」、そしてそこに「イエスのあわれみ」が加われば、『神のわざがなされる条件』は揃っている。 ✰今日のキーワード:小さな『私』 + 大きな『神』 ◎更に深い学びのために  ①主な登場人物(イエス,弟子たち,群衆)の内面に注目しながら、この場面の情景を思い浮かべてみましょう。  ②もしあなたが『弟子たち』また『群衆』の1人だったら、どんな風に感じ、また行動したかを分かち合いましょう。  ③彼らは素晴らしい「神のわざ」を体験しました。あなたが同様の体験をするために、変わるべき点は何でしょう? Outline of the sermon    “Those who experience God’s power.”    (27/06/2021) [Mark 6:30~44] ◆This crowd was thirsty for “God’s presence”. [Verses 33~34]   ・This crowd was so passionate to Read more…

2021年6月20日 「時が良くても悪くても」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「時が良くても悪くても」(20/06/2021) [マルコ 6:14~29] ◆「良い機会」 [21節]   ・『良い機会』の見方は人によって異なる。私たち信仰者であっても、しばしば単に「自分にとって都合の良い機会」を「神が与えてくださったチャンス」とみなすことがあるが、残念ながら悪魔も私たちを「神以外のもので思いを捕らわせる」ために、敢えて『良い機会』を与えることもある。(「良い投資になる家」,「より給料の高い仕事」etc)   ・主にあって何らかの目標やビジョンを持つことは良いことだが、『神ご自身』以上に「念願を果たす良い機会」を求めることに夢中になってしまうことは危険信号。 ◆神は『状況』をも超える方   ・では、そのようなサタンの罠にはまらないためには、どうしたら良いのだろう?それは常に「神のことば」で思いを満たし、『物質』や『事が成就すること』に固執しないで、『主ご自身』そして「神の約束」に集中すること。   ・使徒パウロはテモテに書き残した。[Ⅱテモテ4:2] もちろん神は愛する者のために「状況を整えてくれる」こともある。しかしむしろ神は「状況を超えて」働かれる方。また「逆境を通して私たちを精錬する」方。「人目を恐れる」のでも「状況に左右される」のでもなく、「いつでも、どこでも」みことばを正しく聞き、それに従う者となろう! ✰今日のキーワード:「にもかかわらず」 ◎更に深い学びのために  ①今日の聖書箇所に登場する『良い機会』は、神が与えたものでしょうか? またどうしてそう言えるのですか?  ②自分に都合の良い機会を「神が与えたチャンス」と解釈した経験はありますか? 何故そう解釈したのでしょう?  ③与えられた機会を「神からのものかどうか」見極めるために、どんなことが助けになるか話し合ってみましょう? Outline of the sermon    “In season and out of season.”    (20/06/2021) [Mark 6:14~29] ◆“An opportunity”. [Verse 21]   ・We may think “every opportunity” is “a gift from God”.  Watch Out!  Read more…

2021年6月13日 「悪魔に立ち向かうには?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「悪魔に立ち向かうには」(13/06/2021) [マルコ 6:6b~13] ◆イエス、12弟子を遣わす   ・ここで主イエスが弟子たちに与えているものは、主に2つ。「悪霊を制する権威」と「持っている物ではなく、与えてくださる方に信頼するように、とのアドバイス」。『福音宣教』とは、単に「人がキリストを信じて天国に行けるよう導くこと」ではなく、「地上における『神と悪魔との支配権争奪戦』への参戦」である。イエスが地上に来られたのは、この戦いに決着をつけるべく、悪魔に決定的なダメージを与えるため。[Ⅰヨハネ3:8] ◆悪霊との対決   ・悪魔の究極的な狙いは、「神様に対する嫌がらせ」。そのために最も効果的なのは、神が愛してやまない私たち人間を神から遠ざけること。現代において悪魔は、文明未発達の「偶像礼拝が盛んな地域」では、聖書の時代のようにあからさまに人々を惑わすことによって、また先進国においては、人々を『物質主義』に没頭させ「神を知り、悪霊を警戒する」という霊的世界に無関心にさせることによって活発に働いている。   ・イエスは「悪霊との戦いには、しばしば『断食』が必要だ」とおっしゃった。[マタイ17:21] 肉体が弱くされることによって「神にだけ頼る者」とされることは、悪霊との対決のために重要な要素である。 ✰今日のキーワード:神への依存 ◎更に深い学びのために  ①イエスが弟子たちを遣わす際に与えた注意事項から、どんなことが分かりますか?  ②『神』『人間』『悪霊』の関係はどのようなものですか? また、イエスはそれにどのような影響を与えましたか?  ③今日、悪霊たちはどのように働いていますか? そのために私たちは、日々どのように備えたら良いでしょう? Outline of the sermon   “How do we resist the devil?”   (13/06/2021) [Mark 6:6b~13] ◆Sending 12 disciples.   ・Jesus sending them(and us) with authority over evil spirits.  We don’t just proclaim “Good News” but Read more…

2021年6月6日 「神のみわざを見るために」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神のみわざを見るために」    (06/06/2021) [マルコ 6:1~6a] ◆イエス、故郷へ帰る   ・主イエスは「自分は故郷では敬われない」(4節)とご存知でありながら、敢えてナザレを訪問された。故郷の人々の反応は予想通り。(2~3節) 彼らがイエスに『つまずいた』のは、「目の前に見ているイエスの姿」よりも、「ずっと前から自分が持っているイエスに関する知識や記憶」を重視したから。私たちも同様に、自分の知識や経験をもとに「神のみわざや教え」を判別しようとすると、その真価を見失ってしまう。[ヤコブ1:21] ◆イエスの嘆き [6節]   ・ここでの『驚いた』という語がイエスに関して用いられているのは、聖書中2度だけ。もう1つは「百人隊長に現された、異邦人とは思えないほどの『信仰』に感心させられた時」。イエスの深い落胆が感じ取れる。   ・私たちは、「神様のみわざを見たいのに、神様は私の求めに応えてくれない!」と嘆く。しかし逆に神は、「もっとこの地でわたしの力を現したいのに、受け取ってくれる器がない!」と嘆いておられるのでは? [イザヤ59:16,Ⅱ歴代誌16:9]   ・神のみ力は、私たちの「幼子のように純粋で、ひたむきな信仰」に引き寄せられるのである。 ✰今日のキーワード:神は『人』を捜しておられる ◎更に深い学びのために  ①イエスは「自分は故郷では敬われない」と知っていながらも、何故わざわざ故郷へ赴いたのだと思いますか?  ②故郷の人々が「イエスにつまずいた」のと同様な経験(先入観によるつまずき)があったら分かち合いましょう。  ③神はどのような人を捜していますか? また、あなたがそのような存在となるためにどうしたら良いでしょう? Outline of the sermon   “To experience God’s power.”   (06/06/2021) [Mark 6:1~6a] ◆Jesus, visiting his hometown.   ・After many months(or years?) Jesus visited his hometown.  But people there missed this great opportunity by Read more…