2021年7月25日 「『神の心』を見つめる」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「『神の心』を見つめる」(25/07/2021) [マルコ 7:1~13] ◆『律法』と『言い伝え』 [3~4節]   ・ユダヤ人には『律法』以外に、自分たちの習慣や「律法厳守」の精神に基づいた『昔からの言い伝え』と呼ばれる「文字化されていない様々な規律」があった。パリサイ人たちは「神に従っているつもり」で、実は「自分の欲や信念の故」にこれらの『言い伝え』にも厳格に従い、また人々にも強要していた。   ・私たちは、自分が信じ従っているのが「神のことばそのもの」なのか、それとも「人間的な解釈」なのかを見分けることが大切。そのためにこそ、いつも言っている『神との個人的な関係』が何よりも重要。 ◆『神の律法』と『神の心』 [6~8節]   ・イエスは「律法を敬っている」と言いつつ、パリサイ人の『心』が神から遠く離れてしまっているのを嘆かれた。   ・[Ⅱコリント3:6]のみことばは「聖書を読むことを軽視させる」のではなく、聖書を読む時は「ただ文字面を読む」のではなく、聖霊に拠り頼みつつ、そこから『神の心』を汲み取るべきだということ。聖書は『神の心』の現れ。   ・イエスは「神のことば」としてこの地上に来られた。彼の地上での歩みは『神の心』そのもの。このイエスの歩みをじっと観察することを通して日々『神の心』を見つめ、味わいつつ生きて行こう![詩篇34:8](JCF年間聖句)  ✰今日のキーワード:『神の心』を味わう ◎更に深い学びのために  ①なぜパリサイ人たちは、「昔からの言い伝え」を守ることに一生懸命になってしまったのだと思いますか?  ②私たちが『神のことばそのもの』でなく、「それと似た別物」に捕らわれてしまうのはどんな時だと思いますか?  ③みことばを通して『神の心』に触れた経験があれば、互いに分かち合いましょう。 Outline of the sermon    “Jesus, revelation of ‘God’s heart’.”    (25/07/2021) [Mark 7:1~13] ◆“Law of Moses” and “Tradition of elders”. [Verses 3~4]   ・The Jews not only had “the law” but also Read more…

2021年7月11日 「御霊に支配された教会」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「御霊に支配された教会」(11/07/2021) ◆『守り行う』のではなく、『成就する』  ◎JCFのビジョン = 「3つの愛の関係において成長する」      ①神との関係 ⇒ ②神の家族との関係 ⇒ ③神の家族以外との関係 における成長   ・「キリストにある救い」を受け取ったら、自然とこの順序に進んで行く。まず私たちの心に芽生えるのは「伝道しよう!」という思いではなく、「神への愛と感謝」。誰に勧められることもなく祈りたくなるし、聖書を読みたくなる。    次に起こるのは「『神の家族』との交わりを求める思い」。[Ⅰヨハネ5:1] 「神のみことば(みこころ)」というものは私たちが「努力して守り行うもの」ではなく、神が私たちを通して「成就してくださるもの」。 ◆『考える事』の危険性   ・人間は「考える事」が好きなので、つい「まだ救われていない人がたくさんいるのだから、もっと伝道しなきゃ!」と考え、まだまだ『神との関係』も『神の家族との関係』も不十分なのに、③に進もうとする。ところが悪魔は「人間の思い」につけ入ることができるので、このように進んで行くと『分裂』や『燃え尽き』に至る恐れがある。   ・私たちが目指しているのは「御霊に導かれたキリストのからだ」。『自分の思い』の中で思い煩い始めたら、すぐに祈りによって神様のところへ行こう![ピリピ4:6~7] 神は私たちの思いを超えて働いてくださる。 ✰今日のキーワード:3つの関係 ◎更に深い学びのために  ①「JCFのビジョン」はどんなことですか? どうしてこのような順番なのでしょう?  ②信じてから今までの間に、あなたの「神との関係」や「神の家族との関係」は、どのように変わってきましたか?  ③自分の力で頑張って「燃え尽きて」しまいそうになったことはありますか? そこからどうやって回復しましたか? Outline of the sermon      “Spirit‐filled church.”      (11/07/2021) ◆Not “to achieve” but “to be fulfilled”.  ◎Vision for JCF = To grow in 3 relationships. Read more…

2021年7月4日 「イエスの人間性と神性」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「イエスの人間性と神性」(04/07/2021) [マルコ 6:45~56] ◆イエスは『人』だった [45~46節]   ・イエスはしばしば「祈るために」時を過ごされた。「神である方が祈る必要があるのか?」という疑問が湧くが、地上で肉体をもって歩まれた間、イエスは確かに『人』であった。弟子たちもそう思っていたからこそ、イエスが嵐を静めたり、水の上を歩いたりするのを目の当たりにして心底驚いていた。   ・イエスが「人として生きた」ことを知ることは、私たちにとって慰めであり励ましである。彼は私たちの弱さ・痛み そして「ことばに表せないうめき」さえも理解できる。だからこそ恐れずに神の前に出て行ける。[へブル4:15~16] ◆イエスは『神の完全な現れ』だった [50b~51節,56節]   ・イエスは多くの奇跡をなさった。彼は「わたしを見た者は神を見た」「わたしと神とは1つ」とおっしゃった。父なる神はイエスを通して全ての願いを成就することができた。イエスはその理由をこう言った。[ヨハネ5:30,6:38]   ・ちょうど「天の父が私たちへの愛ゆえに最善以外なさらない」ように、イエスもその御父への愛ゆえに「御父の願うこと以外はなさら」なかった。まさに御父はイエスを通して『ご自身の心』を表現されたのだ。[Ⅱ歴代誌16:9] そしてこの歩みこそ、「神の子どもとされた私たち」にとって最もふさわしい生き方なのである。 ✰今日のキーワード:イエスを見つめる ◎更に深い学びのために  ①「イエスが地上を歩まれた時は『生身の人間』だった」と知ることは、あなたの日々の歩みにどう影響しますか?  ②『御父の完全な現れ』として生きることを通して、イエスはどんな「喜び」や「葛藤」を経験されたと思いますか?  ③『人』であり『神の完全な現れ』として歩まれたイエスを思う時、浮かんでくる思いを互いに分かち合いましょう。 Outline of the sermon    “Jesus, ‘a man’ as well as ‘God’.”    (04/07/2021) [Mark 6:45~56] ◆Jesus was “a human”. [Verses 45~46]   ・Jesus “prayed”.  Did he need to “pray”?  Yes, because he Read more…

2021年6月27日 「神のわざを見る人々」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神のわざを見る人々」(27/06/2021) [マルコ 6:30~44] ◆「神の国」に飢え渇く『群衆』 [33~34節]   ・この群衆は、何も食べ物目当てに「追っかけ」をしていたわけではない。イエスと弟子たちを通して現される「神の国のリアリティ」を追い求めて、後先考えずに「イエスのおられる所(神の臨在のある所)」に身を置こうとした。   ・イエスの「教えた内容」は書かれていないが、大自然に囲まれた『寂しいところ』で、[マタイ6章]にあるような内容を教えたのではないか。そしてまさにその内容通りのことが起ころうとしていた。 ◆神に用いられた『弟子たち』 [35~38節]   ・疲れ切った体を休めようとしていた弟子たちは、イエスの教えがいつ終わるのか待ち遠しく感じていたに違いない。そんな彼らは、「あなたたちで食べ物をあげなさい」というイエスの提案を一体どう受け取ったことだろう?   ・ヨハネの福音書の並行記事には、「イエスはご自分がしようとしていることを知っていた」とある。弟子たちが弱さを自覚していた正にこのタイミングでイエスは、「無から有を生み出すこと」ができるにもかかわらず、敢えて    「手元にあるもの」を捜させ、それを用いてみわざを行われた。「必要を抱えた人々」、「弱さの中で信仰をもって仕える神の民」、そしてそこに「イエスのあわれみ」が加われば、『神のわざがなされる条件』は揃っている。 ✰今日のキーワード:小さな『私』 + 大きな『神』 ◎更に深い学びのために  ①主な登場人物(イエス,弟子たち,群衆)の内面に注目しながら、この場面の情景を思い浮かべてみましょう。  ②もしあなたが『弟子たち』また『群衆』の1人だったら、どんな風に感じ、また行動したかを分かち合いましょう。  ③彼らは素晴らしい「神のわざ」を体験しました。あなたが同様の体験をするために、変わるべき点は何でしょう? Outline of the sermon    “Those who experience God’s power.”    (27/06/2021) [Mark 6:30~44] ◆This crowd was thirsty for “God’s presence”. [Verses 33~34]   ・This crowd was so passionate to Read more…

2021年6月20日 「時が良くても悪くても」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「時が良くても悪くても」(20/06/2021) [マルコ 6:14~29] ◆「良い機会」 [21節]   ・『良い機会』の見方は人によって異なる。私たち信仰者であっても、しばしば単に「自分にとって都合の良い機会」を「神が与えてくださったチャンス」とみなすことがあるが、残念ながら悪魔も私たちを「神以外のもので思いを捕らわせる」ために、敢えて『良い機会』を与えることもある。(「良い投資になる家」,「より給料の高い仕事」etc)   ・主にあって何らかの目標やビジョンを持つことは良いことだが、『神ご自身』以上に「念願を果たす良い機会」を求めることに夢中になってしまうことは危険信号。 ◆神は『状況』をも超える方   ・では、そのようなサタンの罠にはまらないためには、どうしたら良いのだろう?それは常に「神のことば」で思いを満たし、『物質』や『事が成就すること』に固執しないで、『主ご自身』そして「神の約束」に集中すること。   ・使徒パウロはテモテに書き残した。[Ⅱテモテ4:2] もちろん神は愛する者のために「状況を整えてくれる」こともある。しかしむしろ神は「状況を超えて」働かれる方。また「逆境を通して私たちを精錬する」方。「人目を恐れる」のでも「状況に左右される」のでもなく、「いつでも、どこでも」みことばを正しく聞き、それに従う者となろう! ✰今日のキーワード:「にもかかわらず」 ◎更に深い学びのために  ①今日の聖書箇所に登場する『良い機会』は、神が与えたものでしょうか? またどうしてそう言えるのですか?  ②自分に都合の良い機会を「神が与えたチャンス」と解釈した経験はありますか? 何故そう解釈したのでしょう?  ③与えられた機会を「神からのものかどうか」見極めるために、どんなことが助けになるか話し合ってみましょう? Outline of the sermon    “In season and out of season.”    (20/06/2021) [Mark 6:14~29] ◆“An opportunity”. [Verse 21]   ・We may think “every opportunity” is “a gift from God”.  Watch Out!  Read more…

2021年6月13日 「悪魔に立ち向かうには?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「悪魔に立ち向かうには」(13/06/2021) [マルコ 6:6b~13] ◆イエス、12弟子を遣わす   ・ここで主イエスが弟子たちに与えているものは、主に2つ。「悪霊を制する権威」と「持っている物ではなく、与えてくださる方に信頼するように、とのアドバイス」。『福音宣教』とは、単に「人がキリストを信じて天国に行けるよう導くこと」ではなく、「地上における『神と悪魔との支配権争奪戦』への参戦」である。イエスが地上に来られたのは、この戦いに決着をつけるべく、悪魔に決定的なダメージを与えるため。[Ⅰヨハネ3:8] ◆悪霊との対決   ・悪魔の究極的な狙いは、「神様に対する嫌がらせ」。そのために最も効果的なのは、神が愛してやまない私たち人間を神から遠ざけること。現代において悪魔は、文明未発達の「偶像礼拝が盛んな地域」では、聖書の時代のようにあからさまに人々を惑わすことによって、また先進国においては、人々を『物質主義』に没頭させ「神を知り、悪霊を警戒する」という霊的世界に無関心にさせることによって活発に働いている。   ・イエスは「悪霊との戦いには、しばしば『断食』が必要だ」とおっしゃった。[マタイ17:21] 肉体が弱くされることによって「神にだけ頼る者」とされることは、悪霊との対決のために重要な要素である。 ✰今日のキーワード:神への依存 ◎更に深い学びのために  ①イエスが弟子たちを遣わす際に与えた注意事項から、どんなことが分かりますか?  ②『神』『人間』『悪霊』の関係はどのようなものですか? また、イエスはそれにどのような影響を与えましたか?  ③今日、悪霊たちはどのように働いていますか? そのために私たちは、日々どのように備えたら良いでしょう? Outline of the sermon   “How do we resist the devil?”   (13/06/2021) [Mark 6:6b~13] ◆Sending 12 disciples.   ・Jesus sending them(and us) with authority over evil spirits.  We don’t just proclaim “Good News” but Read more…

2021年6月6日 「神のみわざを見るために」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「神のみわざを見るために」    (06/06/2021) [マルコ 6:1~6a] ◆イエス、故郷へ帰る   ・主イエスは「自分は故郷では敬われない」(4節)とご存知でありながら、敢えてナザレを訪問された。故郷の人々の反応は予想通り。(2~3節) 彼らがイエスに『つまずいた』のは、「目の前に見ているイエスの姿」よりも、「ずっと前から自分が持っているイエスに関する知識や記憶」を重視したから。私たちも同様に、自分の知識や経験をもとに「神のみわざや教え」を判別しようとすると、その真価を見失ってしまう。[ヤコブ1:21] ◆イエスの嘆き [6節]   ・ここでの『驚いた』という語がイエスに関して用いられているのは、聖書中2度だけ。もう1つは「百人隊長に現された、異邦人とは思えないほどの『信仰』に感心させられた時」。イエスの深い落胆が感じ取れる。   ・私たちは、「神様のみわざを見たいのに、神様は私の求めに応えてくれない!」と嘆く。しかし逆に神は、「もっとこの地でわたしの力を現したいのに、受け取ってくれる器がない!」と嘆いておられるのでは? [イザヤ59:16,Ⅱ歴代誌16:9]   ・神のみ力は、私たちの「幼子のように純粋で、ひたむきな信仰」に引き寄せられるのである。 ✰今日のキーワード:神は『人』を捜しておられる ◎更に深い学びのために  ①イエスは「自分は故郷では敬われない」と知っていながらも、何故わざわざ故郷へ赴いたのだと思いますか?  ②故郷の人々が「イエスにつまずいた」のと同様な経験(先入観によるつまずき)があったら分かち合いましょう。  ③神はどのような人を捜していますか? また、あなたがそのような存在となるためにどうしたら良いでしょう? Outline of the sermon   “To experience God’s power.”   (06/06/2021) [Mark 6:1~6a] ◆Jesus, visiting his hometown.   ・After many months(or years?) Jesus visited his hometown.  But people there missed this great opportunity by Read more…

2021年5月23日 「ならぬ信仰するが『信仰』」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「ならぬ信仰するが『信仰』」    (23/05/2021) [マルコ 5:35~43] ◆「ただ信じていなさい」   ・この[35節]のことばを聞いた時の会堂司の心はいかほどであっただろう。『絶望』という語が思い浮かぶ。それに対する[36節]のイエスのことばを、彼はどう受け止めたのだろうか?「目の前の現実」と「イエスのことば」のどちらを取るかは、まさに私たちの決断にかかっている。   ・「ならぬ堪忍するが堪忍」ということばがある。「これ以上我慢できない!」という状態に至った時点で、それを超えて我慢するのが、本当の我慢なのだという。「ならぬ信仰するが信仰」。もはや他に希望を置く場所がない。ただ「主イエスのことばだけが頼り」という状況の中で、あきらめることなく「主の語られたことは、必ず成る!」と信じる信仰を神は喜ばれる。[イザヤ55:11] ◆死人のよみがえり   ・イエスにとって『死』は「長い眠りにつくこと」。全ての人は終わりの日に必ずよみがえらされ(目覚め)て、神の前に立つ。その時に「やったー!」と思うか、「しまった!」と思うかは、今をどう生きるか(選択)にかかっている。だからこそ「御声を聞くこと」は重要であり、「聞いたことばを信じて従うこと」が神に対してできる最善なのである。 ✰今日のキーワード:聞いて、従う ◎更に深い学びのために  ①「神のことば」と「目の前の現実」の間で悩んだ事はありますか? その時どうしましたか? 分かち合いましょう。  ②聖書が教えている『信仰』とはどんなものだと思いますか? それぞれ「自分の言葉」に置き換えてみましょう。  ③「終わりの日のよみがえり」を信じていますか? それは今日のあなたの生き方にどう影響していますか? Outline of the sermon   “Do not fear, only believe.”   (23/05/2021) [Mark 5:35~43] ◆Believing what God has said.   ・God sometimes puts us in the situation where is no hope other than Read more…