2021年12月12日 「わたしに何をしてほしいのか?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「わたしに何をしてほしいのか?」    (12/12/2021) [マルコ 10:46~52] ◆強い願い [46~48節]   ・エリコは古くから「エルサレムへの途上の宿場町」として栄えていた。この盲人はイエスのうわさを聞いて以来「この方はきっといつかエルサレムにいらっしゃるに違いない。その時が自分にとってただ1度のチャンス」と   思っていたのかもしれない。そして『その時』が訪れた。もはや彼を止められる人は誰もいない。 ◆神のあわれみ [49~52節]   ・必死の叫びはイエスに届いた!「心配しないでよい…」の言葉は、イエスを求める人々への私たち皆のセリフであるべき。私たちは人々を『イエスの許』に連れて行く存在。50節のバルティマイの反応は注目に値する。   ・「何をしてほしいのか」は無意味な質問に聞こえるが、イエスは敢えてバルティマイに『切なる願い』を口に出させたかった。そして彼の目は開かれ、彼は「イエスについて行った」。これがイエスと出会った者の当然の反応。   ・ダビデには『ただ1つの願い』があった[詩篇27:4]。あなたの『ただ1つの願い』は何か?主はあなたの『本気』に答える用意がある。イエスがバルティマイにそうしたように、あなたの心を既に知っておられてもなお、敢えてイエスがあなたに言わせたくなるような『切なる願い』を抱いて、今週も大胆に神に近づこう! ✰今日のキーワード: ただ1つの願い ◎更に深い学びのために  ①「イエスが近くに来ておられる」と知った時のバルティマイの思いはどのようなものだったでしょうか?  ②イエスは何故あえて「私たちの願い」を口に出させるのでしょう?  ③あなたの『切なる願い』は何ですか? もしはっきりしないなら、主に心を探っていただきましょう。 Outline of the sermon      “What do you want me to do?”      (12/12/2021) [Mark 10:46~52] ◆One desire. [Verses 46~48]   ・Jericho has been prospered as “a door way city to Jerusalem”.  This Read more…

2021年12月5日 「仕える者となる」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「仕える者になりなさい」     (05/12/2021) [マルコ 10:35~45] ◆『栄誉(報い)』を求める心 [37,41節]   ・ヤコブとヨハネだけでなく、2人に腹を立てた弟子たち全員が「誰が1番偉いのか」ということにこだわっていた。イエスに従い始めた頃は皆「すべてを捨ててイエスに従う」という純粋かつ確固たる献身の思いを抱いていた   はずだが、この『献身』は日ごとに更新されなければならない。[ルカ9:23] 「自分の十字架を負って」とは、「日々おのれに死ぬこと」であり、また「十字架によって結ばれたイエスとの関係を毎日思い起こす」ということ。◆「仕える者」となる [43b~45節]   ・イエスは「真の栄誉を求めるなら、『仕える者』になれ」とおっしゃった。「自分もそのために来たのだから」と。そして彼にとって『仕える』とは、「自分のいのちを与えること」だった。『贖いの代価』とは、「私たちの罪(神に対する的外れ)のための代価」。これを受け取りながら、相変わらずこの世の栄誉を求め、神から目をそらして生きているなら、それは「再度イエスを十字架にかけること」にほかならない!   ・パウロは地上での人生を次のように描写した。[ガラテヤ6:14] 『主にある歩み』とは、この世で得をすることを求めず、『天での報い』を望み見ながら、この世では『与えること』を心がけて生きることではないだろうか?✰今日のキーワード: 受けるより、与える ◎更に深い学びのために  ①弟子たちが『初心』を忘れてしまったのはどうしてでしょう? どうすれば『初めの愛』を保つことができますか?  ②イエスにとって「仕える」とはどんなことでしたか? 私たちが「互いに仕え合う」には、どうすれば良いでしょう?  ③[ガラテヤ6:14]を深く黙想しましょう。『世』、また『自分』がまだ十字架につけられていない部分はどこですか? Outline of the sermon        “Be a servant.”        (05/12/2021) [Mark 10:35~45] ◆Seeking to “honor ourselves”. [Verses 37,41]   ・Disciples forgot their “original commitment” and started seeking to “honor themselves”.  “Commitment”     has Read more…

2021年11月28日 「キリストとの関係」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「キリストとの関係」     (28/11/2021) [マルコ 10:32~34] ◆エルサレムに向かうイエス [32節]   ・この時のエルサレムに向かうイエスの雰囲気が並々ならぬ様子であることを感じ取った弟子たちは、多少の戸惑いを感じているようである。他にもイエスについて行っていた人たちが「恐れを覚えた」というのがどういうことかはっきりとは分からないが、ルカの福音書の記述(13:33)から、人々が『預言者』と認めていたイエスがエル   サレムに向かおうとしていることに胸騒ぎを感じていたのかもしれない。 ◆イエスの受難と私たち [32b~34節]   ・イエスの受難告知を聞いても、弟子たちがイエスの身を案じている様子は見られない。次週の内容を見ると、むしろ「自分たちのこと」で頭がいっぱいのようだ。対照的に(ヨハネの福音書によると)べタニアのマリアは「イエスの埋葬の準備」をする。ここに「自分のためのイエス」と「イエスのための自分」という2つの考え方が見られる。   ・私たちはどうだろう?もちろん「イエスのために何かができる」などとはおこがましいが、少なくとも「心を込めてイエスに従う者」(コロサイ3:23)でありたいのでは?イエスが私たちに求めておられるのは、たった1つ。それは『真実な関係』。彼は「信頼できる友」を欲している。あなたは、そんな『キリストの友』として生きたいですか? ✰今日のキーワード: イエスのために ◎更に深い学びのために  ①この時の「エルサレムに向かうイエスの思い」を想像してみましょう。どんな新しいことに気付かされますか?  ②「自分のためのイエス」と「イエスのための自分」とではどう違うでしょう? 自分に照らし合わせるとどうですか?  ③イエスが求めておられるような『関係』に生きていますか? そうでないならどこから変えて行けば良いでしょう? Outline of the sermon     “Relationship with Christ.”    (28/11/2021) [Mark 10:32~34] ◆Jesus, heading to Jerusalem. [Verse 32]   ・Those who were following Jesus felt [afraid].  We are not sure why but maybe Read more…

2021年11月21日 「所有するか?されるか?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「所有するか? されるか?」     (21/11/2021) [マルコ 10:23~31] ◆『神』と『富』 [25~27節]   ・これは何も「金持ちになるのが悪い」と言っているわけではない。ただ「多くの財産を持っていることは、神を信じ従う上で障害となり得る」ということ。ここで弟子たちが驚いたのは、ユダヤ人の間では「富は神からの祝福」というイメージがあったから。確かにそういう面もあるが、「富を与えること」は、悪魔にだってできる。   ・弟子たちは「だれが救われることができるでしょう?」と問うたが、その答えは「自分の力で救われる人間は誰もいない」(富んでいることも、貧しいことも『救い』には貢献しない)。ただ神だけが(どんな人でも)救うことができる!◆何が『神の祝福』なのか? [28~31節]   ・弟子たちは「報いを求めて」すべてを捨てたのではなく、「イエスに魅せられて」従った。それ故イエスは「わたしのために…捨てた者は」とおっしゃった。これはパウロの言葉を思い起こさせる。[ピリピ3:7~8]   ・ここでの「家・兄弟・親を捨てる」は、「キリストを地上の富に優先する」の意。イエスは「その百倍を『迫害ととも に』受ける」と言われた。『この世』は異質なものを除去しようとする性質がある。[ヨハネ15:19] 私たちは「この世に属して地上の富を楽しむ者」ではなく、「神の国に属して永遠の富を楽しむ者」となるように召されている。 ✰今日のキーワード: 所属をはっきりさせる ◎更に深い学びのために  ①イエスは何故「富を持つ者が神の国に入ることは難しい」と言われたのだと思いますか?  ②28節のペテロの言葉をどう理解するのが適当ですか? 神は私たちのどんな信仰の姿勢を喜ばれるでしょう?  ③31節のイエスのことばがどのようなことを教えているのか、それぞれの考えを分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon  “Possessing? Or being possessed?” (21/11/2021) [Mark 10:23~31] ◆“God” and “Wealth”. [Verses 25~27]   ・“Wealth” itself is not evil but it can hinder us from obeying God. Read more…

2021年11月14日 「『良い方』の前に立つ」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ        「『良い方』の前に立つ」       (14/11/2021) [マルコ 10:17~22] ◆何が間違っているのか? [17節]   ・この人は律法を完璧に守っているつもりでいたが、『神の恵み』ではなく「自分の行い」に頼っていた。また『神』よりも『富』に信頼していた。しかしこれらは私たち現代のキリスト者も陥りやすい落とし穴。   ・多くのクリスチャンは、「救いは行いによらない」と信じているが、救いを受け取った後は「努力して『クリスチャンらしく』ふるまわなければならない」と信じているかのように歩んでいる。それでは『宗教』である。『宗教』の誤りは自分の努力次第で『神の基準』に到達できるかのように思わせていること。『神の基準』はそんなものではない!◆何が正解なのか? [21~22節]   ・私たちを「クリスチャンらしく(キリストに似た者と)」するのは、私たちの努力ではなく、『聖霊』の働き。「私たちがどれだけのものを持っているか」ではなく、むしろ「何も貢献できるものを持っていない」と気付き、「どれだけ神に委ねているか」による。この人は、ただ「こんな私を憐れんでください!」とイエスの前にひれ伏すべきだった。   ・「持ち物を分け与えること」は、「永遠のいのちの条件」ではなく、「天に宝を積むこと」。そうすればおのずと私たちの思いは『天』に向けられる。[コロサイ3:1] そしてこれが「イエスとの親しい関係を築く秘訣」でもある。 ✰今日のキーワード: 天に宝を持つ◎更に深い学びのために  ①イエスの許に来たこの人物の思い違いは何でしたか? 私たちも陥りやすい同様の思い違いとは何でしょう?  ②21節のイエスの言葉はどんなことを教えていますか? この人はどのように応答するべきだったのでしょう?  ③「神が『良い方』である」ということには、2面性があります。それらはどのようなものですか? Outline of the sermon      “Stand before ‘Real Good’.”     (14/11/2021) [Mark 10:17~22] ◆What is wrong? [Verse 17]   ・This man was trusting his own strength rather than “God’s grace”, and relying on his Read more…

2021年10月31日 「子どものように」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ        「子どものように」       (31/10/2021) [マルコ 10:13~16] ◆子供の特徴   ・『子供』は遠慮がなくしつこい。また率直かつ大胆であり、純粋で疑うことをしらない。『大人』として接するにはある意味「恐ろしい」存在。ところがこれらは「神を大いに喜ばせる要素」でもある。   ・ダビデは「子供のように」神に対して率直に心の思いを打ち明けることができた。[詩篇109:6~12] 彼は、「自分は神の前に100%受け入れられている」という確信をもって、何の不安もなく自分自身をさらけ出したのである。 ◆「子供のように」神の国を受け入れる [15節]   ・イエスはここで、「私たちが『神の国の民』としてどのような態度で生きるべきか」を教えようとしておられる。子供たちの自然な振る舞いが大人たちを戸惑わせるように、「神の国の民の自然な振る舞い」は『この世』を戸惑わせるはず。もしそうでないとしたら、「この世と調子を合わせよう」としているのかもしれない。[ローマ12:2]   ・また、私たち大人が「子供たちの自然な振る舞い」に戸惑ってしまうのは、私たちの中にある『プライド』や『保守的な姿勢』が原因。イエスは初めから『捨て身』だった。そしてその「イエスの捨て身の愛」によって私たちは父なる神にありのままを受け入れられている。だから今週も「子供のように」大胆に神に近づいて行こう! ✰今日のキーワード: さらけ出す ◎更に深い学びのために  ①弟子たちが子供を追い払おうとしたのは何故でしょう? またイエスはどうしてそれを止めたのだと思いますか?  ②私たちが神に近づこうとする上で『子供たち』から学べるのはどのような点か、互いに話し合ってみましょう。  ③神の前に自分自身を「さらけ出す」ために障害となっているものは何ですか? 互いに分かち合ってみましょう。 Outline of the sermon      “Become like a little child.”     (31/10/2021) [Mark 10:13~16] ◆Characteristic of a little child.   ・“Little child” is unreserved and persistent.  They are open, bold and pure.  And Read more…

2021年10月24日 「結婚関係の意味」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ        「結婚関係の意味」       (24/10/2021) [マルコ 10:1~12] ◆『離縁状』の役割 [2~5節]   ・『離縁状』の由来は申命記24章。これは「夫の権利のため」というよりも、「離縁された女性の再婚」のため。   ・[6~9節] イエスがここでおっしゃりたかったのは「離婚は罪だ」ということではなく、「結婚は創造のみわざの初めから神が定めた素晴らしい祝福である」ということ。しかし、人に『自由意志』をお与えになった神は、ご自身の願いに反する『離婚』という現実が起こることも考慮され、『離縁状』という対応策をも備えてくださった。 ◆『結婚』の真の意味 [10~12節]   ・マタイの福音書には、イエスのこの言葉に対する弟子たちの反応が書いてある。彼らには「男が妻に対してそ こまで献身するなんて…」というマインドセットがあった。しかしイエスはその模範を示された。[エペソ5:31~32]  ・「結婚関係」は夫と妻との間の『献身』によって結ばれている関係。そしてそのイニシアティブを取るのは『夫』。キリストが私たちの「喜びや痛み」を自分のことのように感じてくださるからこそ、私たちも彼の愛に応えたくなる。同様に、夫が妻の「喜びや痛み」を自分のことのように受け止めるなら、妻もその愛に応えられるようになる。「キリストの愛による豊かな人間関係」こそが、人々に『神の愛』を証しする最強の武器である。[へブル13:4] ✰今日のキーワード: 『関係』への誠実さ ◎更に深い学びのために  ①パリサイ人たちの企みはどんなことでしたか? イエスの応答に対して彼らはどのように感じたと思いますか?  ②今日の内容から『結婚関係』ということに関してどんな発見がありましたか? 互いに分かち合ってみましょう。  ③神が求めておられる「関係への誠実さ」とはどのようなものでしょう? 自分の中に足りないものは何ですか? Outline of the sermon    “What is‘Marriage’really for?”   (24/10/2021) [Mark 10:1~12] ◆“Certificate of divorce”. [Verses 2~9]   ・Jesus was not saying, “Divorce is sin”.  Instead, he was saying, “Marriage is Read more…

2021年10月17日 「神の国の価値観」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ        「神の国の価値観」       (17/10/2021) [マルコ 9:38~50] ◆神の目に尊く映る人々 [38~41節]   ・ここでのヨハネの発言は「自分たちに属しているか否か」を問いている。しかしイエスは「キリストに属しているか否か」、そして「それらの人々にどう接するか」を神はご覧になるとおっしゃった。これが『神の国』の視点。   ・実際には「御名だけを唱えて悪霊を追い出すこと」を警告する聖書箇所もある。それらは『行為』だけに気を取られて「イエスとの関係」を軽んじる姿勢を問題視している。神は「うわべ」ではなく『心』をご覧になるお方。「何をしているか」ではなく、「誰に対して(どんな心で)行っているか」が重要。⇒ [コロサイ3:23] ◆何が神を悲しませるのか? [42~43節]   ・ここからのキーワードは、「わたしを信じる者をつまずかせる」。すなわち「人をキリストとの関係から遠ざけるもの、また遠ざけようとする行為」に対する神の断固たる見解が描写されている。[へブル12:1b~2a, 4]   ・[49~50節] ここで言う『塩気』とは、「キリストとの親密な関係」。「人がキリストから引き離されること」を神は嫌う。私たちも「神の家族がキリストから引き離されそうになっている」のを見たら、全力でその人を助けよう。[ローマ14:15] 『真の友』とは、自分の役に立つ存在ではなく、「自分にキリストを思い起こさせてくれる人」。 ✰今日のキーワード: 『塩気』を保つ ◎更に深い学びのために  ①「神の目に尊く映る人々」とは、どのような人々ですか? それは『この世の価値観』とどのように異なりますか?  ②ここで言う『つまずかせる』とは、どんなことでしょう? 過去にそういう体験があれば、分かち合ってみましょう。  ③神はどのようなことを悲しまれるのですか? そうならないために、私たちはどう気をつければ良いのでしょう? Outline of the sermon    “The value of God’s kingdom.”   (17/10/2021) [Mark 9:38~50] ◆Those who God is pleased. [Verses 38~41]   ・God is pleased those who “belong to Read more…

2021年10月10日 「イエスの名のゆえに」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ      「イエスの名のゆえに」     (10/10/2021) [マルコ 9:30~37] ◆弟子たちの思い [30~32節]   ・イエスは再びはっきりと『受難の予告』をなさった。しかし弟子たちは理解できなかった。何故? 恐らく彼らの中には『イエスが死ぬ』ということを認めたくないというマインドセットがあったに違いない。⇒ [33~34節]   ・この世において「偉くなること」は「自分の思い通りに事を運べるようになる」ということを意味する。しかしイエスはここで「『神の国』においてはそうではなく、むしろ『仕える者になること』である」と教える。 ◆イエスの期待 [35~37節]   ・『子供』は「取るに足りない存在」の象徴。人の目には取るに足りない存在でも、それらを造られた神にとってはすべてが『かけがえのない存在』。イエスがここで弟子たちに知らせようとしておられるのは「目の前にあるものを『キリストとの関係』に基づいて取り扱う」ということ。主イエスが私たちに期待されていることは、「ご自身との関係のゆえに、ご自身が切望しておられることに共感し、それを地上で体現してくれる存在」として生きること。   ・[Ⅱコリント2:15] 私たちは「この世を主イエスに託され」ている。何をしても自由だが、主イエスの顔に泥を塗るようなことはしたくない。まずは『主イエスの愛に応える心』が自分の内に豊かに育まれることを待ち望もう! ✰今日のキーワード: 人々は私の内に誰を見るのか? ◎更に深い学びのために  ①何故弟子たちは『受難予告』を理解できなかったのでしょう? 彼らの思いを占めていたものは何でしたか?  ②『偉い人』という概念は、「この世」と「神の国」とでは、どのように違いますか? 何故そうなのだと思いますか?  ③「キリストの名のゆえに受け入れる」、また「主にあって行動する」とは、どのようなことだと思いますか? Outline of the sermon    “To live in the name of Jesus.”   (10/10/2021) [Mark 9:30~37] ◆Mind of the disciples. [Verses 30~32]   ・Why didn’t disciples understand what Jesus was Read more…