ある人の日記から。
「買い物から帰ってきて、数時間前にピカピカにきれいにしたばかりのキッチンに入ってみて、ビックリ!そこらじゅうにネバネバになった小麦粉が飛び散って、チーズやチョコレートのかけらが散らばって、おまけに流しは鍋やボールや泡立て器などでいっぱい。どうやら幼い娘が留守中に『クッキー作り』に奮闘した模様。もう疲れと落胆でしゃがみ込みそうになった私の目に留まったのは、つたない文字が書かれた紙の切れはし。『ママのために一生懸命作ったの。きっと美味しいよ!あなたの天使より』 ですって。とたんに私の脳裏には、喜々としてクッキー作りに励んでいる幼い愛娘の様子が思い浮かび、ついさっきまでとはまるで正反対の幸福感に満たされたわけです。」
私たちをお造りになられた神様は、私たちの『出来の悪さ』を嘆くような方ではありません。むしろ、私たちが自分自身を低く見積もりすぎて萎縮してしまい、思い切ったチャレンジの機会にいつも尻込みしてしまうことを嘆かれるのです。
聖書の『タラントのたとえ話』の中で、イエス・キリストは、3人のしもべの中の2人が、主人から預けられたものを一生懸命に生かして倍に増やしたことにより、最高級のほめ言葉(上記)をいただいたことを語り、一方で、残りのもう1人のしもべは、預けられたものを地に埋めてしまい、後に主人から「怠け者のしもべだ!」と叱咤されてしまったことを教えられました。主人は「失敗を恐れないで、チャレンジ」して欲しかったのです。
神様は私たちに、「ちゃんとできないのなら、やらないでいい!」などとは決しておっしゃらない方です。むしろ、私たちがとにかくやってみて、そして失敗してもそこから学び、成長していくことをこの上なく喜ばれるのです。
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