こんな言い回しがあるのをご存じですか?「無神論者の人たちが神を見出すことができない理由は、逃走中の真犯人が警察官を見つけることができない理由と同じである。」 すなわち「見つけてしまったら、大変な(自分の立場がなくなる?)ことになるから」というわけです。確かに、神様を見出せずにいる間は、自分が自分の人生の『神』でいられるわけですから、「神様なんか、いない!」というより、「神様なんか、いて欲しくない!」というのが本音なのかもしれません。
しかし実際には、神様は様々な方法でご自身の存在を私たちにアピールしておられます。
1.ご自身がお造りになったものを通して。
・警察が犯人を見極める方法に、しばしば『指紋』が使われますが、この世の美しい大自然や、超精密に造られた私たちの人体などは、いわば「神様の指紋」のようなものだと言えるでしょう。これらはまさに『創造者』がおられることの「動かぬ証拠」と言えるのではないでしょうか。
2.私たちの内なる『良心』。
・私たちは、誰に教えられたわけでもなく、悪を行ったり人の心を傷つけたりしたときに「胸の痛み」を感じます。また、特に信仰深い人でなくとも、聖書に書かれたキリストの教えを読むならば「自分もこのように生きることができたら、どんなに素晴らしいだろう」と言います。聖書は「人は神のかたちに似せて造られた」とあります。私たちの『内なる良心』こそ、私たちが神によってデザインされた存在であることを示しています。
3.キリストの十字架。
・神がお造りになったものを通して、私たちが「神の力・神の御手」を見るとしたら、キリストの十字架は私たちに「神の心・神の愛」を示しています。神は決して私たちから遠く離れておられる方ではなく、いつも私たちを見つめ、またみもとに招いておられる方なのです。
フランスのヴォルテールという人は、無神論者として有名で、その存命中次のように言い放ちました。「もしたった12人の無学な漁師その他の人々がキリスト教を広めたのならば、この偉大な1人のフランス人の手でそれを撲滅してみせる!」 さて、歴史は何を証明したでしょう。ヴォルテール亡き後、彼が住んでいた豪華な家は、何と現在ヨーロッパ最大の「聖書配布センター」として用いられているのです!
これでもあなたは「神はいない!」と言い続ける勇気がありますか?
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