(201) “あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。”

以前クライストチャーチでお会いした方から、最近こんなお手紙をいただきました。 「ニュージーランドで1番利率の高い銀行を紹介していただけませんか?日本にある私たちの貯金の大部分をそちらの銀行に移したいと思うので…」 恐らくほとんどの人々は『お金持ち』になりたいと思っていることでしょう。もしかするとある方々は「もしもっとお金が貯まったなら、きっともっと気前よくなれて、いろいろな場面で施したり寄付したりできるようになるに違いない」と思っておられるかもしれませんが、実際は、『お金持ちであること』と『気前のよさ』とはあまり関係はないようです。数年前のイギリスの調査では、収入の少ない方から20%の方々は、その収入のうちの3.2%を寄付していて、収入の多い方から20%の方々は、収入のうちの0.9%しか寄付していないそうです。 金融関係に関する専門家のダニエル・レビン氏は次のように言っています。「『経済的繁栄』とは、どれだけ稼いだかによって測られるものではなく、むしろどれだけ与えたかによって測られるものである。」つまり、本当に気前の良い人というのは、自分がどれだけ持っているかに拘わらず、いつも『与える機会』を捜している人のことを指します。そしてもし私たちがしっかり目を開けて生きているなら、この『与える機会』というものはそこらじゅうにあるものです。 イエス・キリストは「あなたがたがこれらの小さき者たちにしたのは、わたしにしたのだよ。」とおっしゃいました。神にとっての1番の宝物は『お金』ではなく『人(私たち)』です。神は私たちに「2番目以下の宝を、1番の宝のために用いること」を願っておられるのです。

(200) “わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。”

皆さんは『台風直撃』の経験をしたことがあるでしょうか?私たち家族はバヌアツ共和国にて宣教師として働いていたとき、電気も水道もない小島にある粗末な小屋でそれを経験しました(ですから『停電』や『断水』の被害の恐れはありませんでしたが…)。いやぁ、なかなかの迫力でしたよ。その辺のジェットコースターその他のアトラクションとは格段の差がありますね。 ところで『台風』には面白い構造上の特徴があります。あれほどの破壊力を持つ自然現象であるにも拘らず、その中心部にある『台風の目』と呼ばれる部分は比較的穏やかで、その部分にいるときは一瞬「あれ、もう台風は去ったのかな?」と勘違いしてしまうほどです。ところがその中心から少しでもズレているいわゆる『中心付近』では物凄い暴風と大雨にさらされます。もし私たちが台風の様子を遥か上空から眺めることができたなら、恐らく「荒れ狂う風雨のど真ん中に存在する不思議な静けさ」を見てビックリすることでしょう。 私たちの人生にも「台風の真っ只中」のような時期がありますよね?「泣きっ面に蜂」ではありませんが、ただでさえ苦しい状況にあるのに、更にまた試練が増し加わるようなことがあります。思わずも「神も仏もない!」と叫びたくなるような…。 こんなとき、神様がそれらの試練を直ちに解決してくだされば良いのに、滅多にそういうことはありません。何故なのでしょう?神様は私たちをもてあそんでおられるのでしょうか?そうではありません。神は私たちに「困難なしの人生」を約束してはおられませんが、「どんな困難の中でもわたしは必ずあなたと共にいて、あなたを守る」と約束してくださっています。神は私たちに「何の困難もないお気楽人生」を与えることによってご自身の愛を現されるのではなく、かえって「神様の助けなしには耐えられそうもない試練」の中にあって『不思議な平安(静けさ)』を体験させることを通して、ご自身の私たちに対する深い愛を伝えようとしておられるのです。

2016年2月7日 「罪と罪責感からの解放」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「罪と罪責感からの解放」      (07/02/2016) ◆人生で最も大切なもの = 「神との親密な関係」 ・これを妨げるもの ― 神の側にとって:私たちの『罪』, 私たちの側にとって:『罪責感』(罪の咎め) *イエス・キリストは、これらの両方を解決するために十字架にかかられた![イザヤ53:5] 1 私たちはイエス・キリストによって「神の前」に『罪なき者』とされた。[ローマ8:1] ・『罪』とは、「ルールに違反すること」ではなく、「誤った信仰による態度」。[ローマ14:23] ・私たちが『罪なき者』とされたのは、ただキリストの贖いのみわざによる。[ローマ3:23-24, Ⅱコリント5:21] *一体何の得があって神はそんなことをされたのか? ― 何よりも「私たちとの関係の回復」を望まれたから。 2 神はご自身の子供たちが『罪責感』から解放されて、いつでもどこでも大胆に御前に出ることを望んでおられる ・悪魔の神の民に対する攻撃は「罪を犯させること」よりはむしろ「神との交わりを妨害すること」。主イエスが罪 の贖いを成し遂げてしまった今、悪魔は私たちの内側にくすぶる『罪責感』を突くしかない。 ・これに対し神は「たとえ自分では『汚れている』と感じても、信仰によってわたしの光の中に出なさい!」と招く。 『信仰』とは、「自分がどう感じるか」ではなく、「神が何とおっしゃっているか」を基準に判断すること。[Ⅰヨハネ1:7-9,3:20] *じゃあ、罪を犯し続けてもいいのか? ― 答えは、『YES』。 ・ただ、『神との関係』が深まるにつれて、私たちはやがて罪を憎み、罪から離れて行くようになる。 まとめ ①神は、あなたの過去・現在・未来すべての罪を赦し、忘れてくださった。もはやあなたは、神にとって 『完全な愛の対象』でしかない! ②神は、あなたが「罪の汚れにまみれている」と感じるままで御前に出てくるのを待っておられる。神の目 には、それらの汚れは既に洗われており、あなたも「自分自身から神の御顔へ」と視線を移す時、それら の汚れは純白の衣で覆われる。[黙示録7:13-14]   Outline of the sermon        “Be free from Sin & Guilt.”    (07/02/2016) ◆What is the most important in our lives? = “Intimacy Read more…

(199) “私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。”

何年か前に、カナダのエドモントンで行われた陸上競技大会の4百メートルリレーにジャマイカのチームが出場しました。ちょうどそのリレー競技が始まる頃、そのチームの第3走者の親しい友人が、同じ競技場の別の競技に出場していました。まだ自分の走る順番が回ってこないと油断していたその第3走者は、ついつい友人の活躍ぶりに熱中してしまい、何と第2走者がバトンを持って自分に向かって突進してくるのに気づかず、2人は衝突してしまったそうです。言うまでもなく、ジャマイカチームは大切なレースに惨めな敗北を喫してしまいました。どうしてこんな悲劇(喜劇?)が起こってしまったのでしょう?それはもちろんこの第3走者が『自分のレース』に集中する代わりに「他の人のレース」に注目しすぎてしまったからです。 神様は私たち1人1人に「全力で走るべきレース(人生)」を与えてくださっています。そして見つめるべき場所(人)も。それは「周りにいる目を引く人々」ではなく『イエス・キリスト』です。 『人生』はある意味「リハビリテーション・ルーム」のようなものです。そこに集まる人々のニーズは1人1人違っており、それぞれの現在のレベルも異なっています。お互いを眺めながら一喜一憂していても始まりません。ただしそこに集まっているすべての人に共通する『1つの目標』があります。それは「本来あるべきコンディションに回復する」というものです。そして私たちすべてが目標とすべき『人間として本来あるべき姿』それがイエス・キリストなのです。 オリンピックの「ボート漕ぎレース」をご覧になったことがあるでしょうか?複数の漕ぎ手がペースを合わせてボートを漕ぎながらゴールを目指すのですが、肝心のゴールは自分たちの背後にあるので見えないのです。それでは彼らはどこを見つめて進むのでしょう?それは選手のために号令をかけ、また軌道修正を命じる『キャプテン』です。このキャプテンは自分では少しもボート漕ぎに参加しません。しかし彼はメンバーを力強く励まし、正しい方向へと導き、全員がゴールの栄冠を勝ち取ることができるように最善を尽くします。そして漕ぎ手たちはそれを微塵も疑うことなく、ただキャプテンを見つめながら力を出し切るのです。 私たちもこの『人生最高のキャプテン』であるイエス・キリストを見つめながら、力いっぱいそれぞれの人生を進んで行きましょう!

(198) “私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。”

皆さんは飛行機に乗ったことがありますか?搭乗手続きの最初にはいつも『手荷物検査』という場所を通ることになります。そしてそこには「金属探知機」があって、そこを通るためにポケットなどに入れている金属類やアクセサリーなどをいったん全部外さなければなりません。さもなければ金属探知機が反応して危険を知らせるからです。もしナイフや銃などを隠し持ってでもいたなら、拘置所に連れて行かれることでしょう。 私たちの心の中にもそのような「危険を知らせる探知機」があります。それは『良心』です。そして私たちがイエス・キリストに人生を明け渡して生きるようになると、聖霊なるお方がその良心を清め、より敏感に私たちの人生を破壊しようとする悪に反応し、私たちを「悔い改め」と「聖い歩み」へと導いてくださいます。 残念ながら今の世の中には、この大切なセンサーである『良心』が鈍らされてしまっている人々もいます。何度も警告を受けたにもかかわらず、それらを無視して自分の欲を優先し続けた結果です。 皆さんの多くは「タイタニック号の悲劇」をご存知だと思います。「決して沈むことのない豪華客船」といううたい文句で出港したタイタニック号は、迫りくる危険のために周囲の船から多くの警告を受けながら、それらを無視し続けて、結局大きな氷山に衝突して沈没し、多くの命が失われました。 ニュージーランドの多くの住居では「不法侵入者防止のためのアラームシステム」が用いられています。家が留守になる時に、最後に家を出る人がアラームをセットするのです。帰宅した時には、通常ドアを開けてから30秒以内にアラームを解除しないと、けたたましいベルが鳴り響き、近所中から「何事が起ったのか?」と注目を浴びる羽目になります。 神が私たち1人1人に与えて下さっているアラームシステムである「心の中の良心」も同じように働きます。そして私たちはこの『良心の声』に対して3通りの反応から選ぶことができます。①スイッチを切っておく。②聞こえないふりをする。③その声に素直に従い、正しい対応をする。 さて、あなたはどれを選んで生きて行きますか?

2016年1月24日 「神の子とされた!」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神の子とされた」      (17/01/2016) *福音の中身① 「キリストにあって『神の子』とされている」![ガラテヤ3:26] ◆「神の子どもとされる」とは? ・旧約聖書における神とユダヤ人との関係とは全く違う、後の世まで続く『永遠の愛の関係』。[ヨハネ1:11-13] ◆父なる神が、その子供たちにしてくださる2つのこと ①その必要をすべての良きもので満たす [マタイ6:25-26] ・神はご自分の子供たちを特別に扱われる。私たちがひもじかったり、暗く沈んでいることを望まれない。 ・神は「物質的な必要」と「内面的な必要」の両方を『ご自身の良きもの』で満たしてくださる。 ②成長を助ける ― キリストに似た者と変えていく(御国の住人として整える) ・神は「私たちの努力」によるのではなく、『信仰による応答』を用いられる。 ・主な2つのもの(「聖霊の働き」と「試練」)によって。[へブル12:6-8, 10] ― 『聖霊』については、また後で ・いつまで? = 霊的な『大人』とされるまで。 成長の度合いは人によって異なる。 ・『訓練』は、「子供のポテンシャルを最大限に引き出したい」という、子に対する父親の愛情表現。 ◆[ヨハネ15:16] ・私たち1人1人がイエスを通して「子とされるため」に選ばれたのは・・・     ①人生において「いつまでも残る実」を結ぶため  ②そのための必要を父に求めて受け取るため ・ただじっと『現状維持』を保って、私腹を肥やすためではない! ✰私たちは、イエス・キリストによって神の子供とされ、イエス・キリストによってそれぞれの人生へと 遣わされ、イエス・キリストによって必要を与えられながら、いつまでも残る実を結んでいくのです!   Outline of the sermon      “He made us children of God!”  (17/01/2016) *What has God given to us with Jesus?  Read more…

(197) “若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。”

現代ほど子供たちを正しい道に育んで行くのが難しい時代はないかもしれません。テレビ、雑誌、インターネット、ユーチューブ… ありとあらゆるところから強烈で不純な情報が入り込み、子供たちはそれらを適切に取捨選択する術を知りません。「一体どのようにして愛する我が子をこのような『世の悪影響』から守ったら良いのだろうか」と頭を痛めている親御さんもきっと多いことと思います。 でも決して希望を捨てないでください。何故なら様々な調査や研究の結果は「『その子の親』以上に子供たちに影響力を持つ存在はない」ということを証明しているからです。友人や学校、そしてメディアさえも、子供たちの人格形成に対して、決して親たち以上の影響力は持っていないのです。 ちょっとリレー競走のことをイメージしてみてください。リレーの勝敗を決定するのは多くの場合「どれだけ速く走れるか」ではありません。むしろ「どれだけ上手にバトンを渡せるか」にかかっています。ですから、決してバトンを落としてはなりません。すなわち「自分たちの信念(信仰)を次の世代に受け継がせること」を怠ってはならないのです。私たちはあらゆる努力をして、自分が築き上げてきた優れた人生観を自分の子供たちに受け継がせ、子供たちがそのしっかりとした土台の上に更に積み上げていけるようしてあげるべきです。もし親である私たちが本気でこのことに身をささげて生きるなら、神は必ず私たちの『愛ある努力』に報いてくださいます。

2016年1月17日 みつるくんの証し

みつるの証しをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「みつるの証し」      (17/01/2016) ◆エゼキエル3:1~6 その方はまた、私に仰せられた。「人の子よ。さあイスラエルの家に行き、わたしのことばのとおりに彼らに語れ。わたしは あなたを、むずかしい外国語を話す民に遣わすのではなく、イスラエルの家に遣わすのだ。あなたを、そのことばを聞いて もわからないようなむずかしい外国語を話す多くの国々の民に、遣わすのではない。もし、これらの民にあなたを遣わすな ら、彼らはあなたの言うことを聞くであろう。 ◆ピリピ2:13 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。 ◆ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅び ることなく、永遠のいのちを持つためである。 ◆Ⅰヨハネ4:9~10 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示 されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を 遣わされました。ここに愛があるのです。 ◆ヨハネ14:23~24 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を 愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。 あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。       Outline of the sermon      “Mitsuru’s testimony.”  (17/01/2016) ◆Ezekiel 3:1~6 He then said to me: “Son of man, go now to the people of Israel and speak my Read more…