聖書
(243) “若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。”
今日は「まもなく思春期を迎えるお子さんをお持ちの親御さん」向けのお話です。 子供が思春期に突入した後になって、あれこれと教えたり指図したりしても手遅れです。何故なら彼らはもはや親の言うことにほとんど耳を貸さないからです。ですから、自分の子供たちが正しい道へと進んで行って欲しいと望むなら、「思春期に差し掛かる前にどれだけのことを伝えておけるか」が勝負どころです。 『思春期手前の子供』を持つ親の役割は、あたかもシーズン間近を迎えたスポーツチームの監督のようなものです。これから新しい知識やテクニックを教え込もうとしても、かえって混乱を招くだけです。ですから選手たちをロッカールームに集めて、「今まで伝えてきたことを再度各自に思い起こさせ、それらを試合の中で精一杯発揮できるよう励ますこと」これが監督のできる最善策です。同様に、子供たちが思春期に突入する時、それは親たちにとって、それまでにどれだけしっかりと子供たちに「何が真に正しいことなのか?」「何を信じて生きたら良いのか?」「人生で最も大切なものは何なのか?」などの『人生における確固たる指針』を伝えていたかの成果を計るシーズンの始まりなのです。 それでは、子供たちが思春期に突入してしまった後は、親としてすべきことはもう何もないのでしょうか?いえいえ、また次の2つの責任が残っています。 ①「無条件の愛情を注ぐ」。子供たちに「どんな時でも愛していること(自分にとって都合が良い時も悪い時も)」を表現しましょう。どんなことがあっても、必ず自分だけは彼らの味方であること、そしてそれは生涯変わることがないことを伝えましょう。 ②「毎日祈りによって神に頼る」。子供がいくつになっても、「子供のために祈ること」は親としての責任であり特権です。ただ口先だけで祈るのではなく、「神は必ず私の祈りに答えてくださる」という強い確信を抱いて祈りましょう。神は「親が祈る子供のための切なる祈り」に必ず報いてくださいます。
メッセージ
2017年1月8日 「主イエス・キリスト」
メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「主イエス・キリスト」 (08/01/2017) ◆「救い主イエス」と「主イエス」[使徒2:36] ・イエスを『救い主』と信じるだけで、「天国に行く」ことができる。 ・イエスを『主』と認め、その権威の下に生きるなら、「地上に神の国をもたらす」ことができる。 ・イエスを主と認めることで、父なる神は栄光をお受けになる。[ピリピ2:9-11] ◆イエスを『主』とする [コロサイ2:6-7] *合言葉 ― 「キリストにあって」(「何をするか」よりも、『動機』を探れ!) ・『自分』を喜ばせるため? あるいは、自分が「クリスチャンらしい」と思いたいから? それとも、純粋に『イエスへの愛』(イエスを喜ばせたい)のため?[マタイ5:11-12] ・「イエスの喜び」は、その人自身をも喜びで満たし、そしてまた「教会全体」を喜びであふれさせる。 ◆キリストが「教会のかしら」 [エペソ1:22-23,コロサイ1:18] ・教会のかしらは、「牧師」でも「役員」でもない。 ・キリストを主権者として認めていない集いは『教会』ではない。 そんなの「堅苦しい」? また「何となく怖い」? ― 心配しなくても、イエスが導いてくださる。 ・キリストは「かしら」としてご自身の教会(私たち)を整える。[エペソ5:22-27] ✰キリストは、圧倒的な「愛と力」によってリーダーシップを取ってくださる。だから安心して すべてをささげてキリストに従い、「完全なキリストのからだ」へと整えられて行こう! Outline of the sermon “The Lord Jesus Christ.” (08/01/2017) ◆ “Jesus the Messiah” or “Jesus the Lord”. [Acts 2:36] ・You will “go to Read more…
聖書
(242) “この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。”
2017年、明けましておめでとうございます。皆さんはどんな思いをもって新年を迎えられましたか?希望に胸を膨らませていますか?それとも「今年もどうせ今までと同じで、何もワクワクすることなんてありはしない・・・」と感じていますか? 世界には(特に日本には)日々の生活を興奮させる様々な品物やイベントがありますよね?特にお正月には美味しい食事やお年玉、年賀はがきや大売出し。テレビでは連日「お正月特別番組」が目白押しです。大抵の人はこれらの風潮に踊らされて「毎日楽しい!」と錯覚してしまうのだろうと思います。 もちろん『楽しい』に越したことはありませんが、これらのほとんどのものは遅かれ早かれ「失われて」しまうものです。『最新型』の品物を手に入れても、1年後にはありふれた物になってしまう時代に私たちは生きています。「時代の進歩」とはこんなものなのでしょうか? 聖書は何千年も前に記された「ふる~い書物」ですが、現代に生きる私たちにも十分通用する「変わることのない真理のことば」に満ちています。そしてそこに著されている「イエス・キリストを通しての神との生きた関係」は、『いつでも・いつまでも』私たちを豊かに満たすいのちをもたらします。私たち「血の通った人間」に真に必要とされているのは、見た目に魅力的に映る品々ではなく、私たちの『命の源』である創造主なる神なのです。 この新しい年2017年こそ、聖書を読み始めることを通して「真の意味での人間らしい人生」を発見してみませんか?聖書をお求めの方は、<ken_shibu@xtra.co.nz>までご一報ください。
メッセージ
2017年1月1日 「『ゲッセマネの祈り』に学ぶ」
メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「『ゲッセマネの祈り』に学ぶ」 (01/01/2017) ◆祈りにおけるイエスの模範 ゲッセマネの祈り [マルコ14:36] *3つのポイント ①神は全能者 ②神は恵み深い ― どんなことでも祈って良い ③神は主権者 ◆神は主権者 [ローマ9:16] *このみことばは、あっさりとは受け入れ難い。しかし・・・ ・もし『願い』によるなら、もはや神は「主権者」ではなく「しもべ」。 ・もし『努力』によるなら、人は高慢に陥り、弱肉強食の世界。 ・「神は最善をご存知で、必ずそれをなさる。」 だからこそ、私たちの心を打ち明けた上で「神のみこころ」が 成し遂げられるのを待つ。 ◎重要なのは「願いが叶うこと」ではなく、「神である方が、私たちの祈りに耳を傾けておられる」という事実! ・私たちの試練のただ中で、「神は私たちと共におられる」。[ルカ22:42-43] ✰世に属する人々は「自分に都合の良い神」を選ぶ。しかし私たちは、 私たちを選んでくださった「唯一まことの主権者である神」だけを礼拝しよう! Outline of the sermon “Learn from the prayer in Gethsemane.” (01/01/2017) ◆Learn from the prayer of Jesus. The prayer in Gethsemane. [Mark14:36] *3 points to Read more…
聖書
(241) “私が彼らにほほえみかけても、彼らはそれを信じることができなかった。しかし私の顔の光はかげらなかった。”
クリスマスシーズンの興奮も終わって、ホッとひと息ついておられる方も多いことでしょう。皆さんは今年のクリスマスをどのように過ごされましたか?ある方は「生涯忘れられないクリスマス」を過ごしたかもしれませんし、またある方は「何1つ楽しいことはなかった」とおっしゃるかもしれませんね。 「今の私には『微笑む』理由などどこにも見つけられない!」という方は、上記の聖書のことばが「つい最近子供たちの死を経験し、全財産を失い、自分の健康さえも失った『ヨブ』という男性によって語られたことばである」ということに心を留めていただきたいと思います。どんな状況の中にあっても私たちは『微笑み』を失わずに生きることが出来るし、またそのような『微笑み』の力は、かえって状況さえも変える力を持っているのです。 あるクリスマスシーズンに、大手ショッピングセンターが『微笑みの力』という次のような広告を出しました。 「『微笑み』それは一銭もかからないけれど、多くを生み出す力を持つ。『微笑み』それは与える側に何1つ損をさせることなく、受ける側に大きな利益をもたらす。『微笑み』それはあっという間に創り出すことができ、しかもそれはしばしば受け取る人の心に消えることのない思い出を残す。どんなに裕福な人でも『微笑み』なくして生きることはできず、どんなに貧乏な人でも『微笑み』を与えられないほど貧しくはない。『微笑み』それは家庭の中に幸福感をもたらし、職場の中に善意を育て、互いの間に友情があることを確認させる。『微笑み』それは疲れ切っている人に安らぎを与え、落胆している人に希望の光を照らし、悲しんでいる人を慰め、人生の様々な問題を最も自然な形で解決へと導く。『微笑み』それはお金で買うことはできず、請い求めるものでもなく、貸し借りすることもできず、盗まれることもない。何故ならそれは誰かから誰かへと与えられるまでは神の手の中に隠されているからである。というわけで、もし私たちのショッピングセンターにあるお店のどこかで、あなたに応対する店員が疲れていてあなたに『微笑み』かけてあげられなかった時、どうか彼らにあなたの『微笑み』をわけてあげていただけないでしょうか?何故なら、人が誰かに微笑みかけてあげられなくなっている時、その時ほど人が『微笑み』を必要としている時はないのですから。」 年末年始の忙しいこれからの1週間、『微笑み』を浮かべながら過ごすことによって、あなたの周りの世界でどんな奇跡が起こるか試してみませんか?
聖書
(240) “人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。”
うつ病に悩む人、しばしば自殺にまで踏み切ってしまう人が激増しています。何が人をそこまで追い込むのでしょうか?もちろん外から来るプレッシャーも少なくはないでしょうが、多くの場合、その原因はその人自身の内面的な葛藤から来ているようです。 ある人々は、実際の出来事以上に『自分の感情』に重きを置き過ぎて、悪循環に陥ります。ある1つのことに失敗したことが原因で、自分のことを『失敗者・人生の落伍者』のように感じてしまうのです。しかし考えてもみてください。失敗は誰にでもあることです。大切なのは「失敗した過去の自分」に注目するのではなく、「失敗から学び、成長した将来の自分」に希望を置くことです。偉業を成し遂げた人々は皆、私たちよりもずっと多くの『失敗』を経験した人々なのです。 またある人々は「他の人と比べること」によって落ち込みます。そして面白いことにほとんどの場合は「相手の長所と自分の短所」を比べて落ち込むのです。誰にでも「得意・不得意」はあるものです。それは私たちが1人で生きるのではなく、互いに助け合うためです。何でも自分でやってしまおうと思う(実はこれは高慢な態度です!)のではなく、へりくだって相手の助けを歓迎できる者になりましょう。 もう1つの落胆の原因は「自分で負う必要のない責任まで負ってしまっているから」です。神は私たち1人1人に『自由意志』をお与えになりました。相手に助言をすることはできても、「相手のために決断してあげること」はできません。あなたの『失敗』が学習の過程であるのと同様に、周囲の人々の『失敗』もその人に必要な「成長のプロセス」なのです。神様があなたに与えている『責任』を超えてまで、他の人の動向に気を回し過ぎないようにしましょう。
メッセージ
2016年12月18日 「目をさまして祈る」
メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ 「目をさまして祈る」 (18/12/2016) ◆「目を覚まして」祈る ・聖書は「絶えず祈れ」というが、実際的には無理? ⇒ 霊的に「目をさましている」。[エペソ6:18] ・悪魔は様々な『思い煩い』によって、私たちを霊的に眠らせ(神の国から目をそらせ)ようとする。[Ⅰペテロ5:7-9] ・この世は「よぉく考えること」を要求するが、「人間的思考パターン」はむしろ聖霊による啓示を妨げ、私たちの 視点を『神の国』から「この世のパターン」へと引き戻す。 “Do not think, but Listen!” ◆『この世の視点』 と 『神の視点』 *禁断の木の実を食べた時から「目(この世の視点)が開かれた」。[創世記3:7-8] そして神から隠れた。 ・『目をさましている』: この世の価値観に惹かれず、「神の視点・神の国の栄光」に開かれている。 ・『目が開かれる』: この世の価値観に心を奪われ、神の国に対する魅力を失う。 ・イエスは私たちの『霊的視力』を逆転させるために来られた![ヨハネ9:39] *『祈り』とは、「神が見せたいと思っているもの」に焦点を合わせること。 ◆「信じること」 と 「待ち望むこと」 ― 『神の国』を見るために ・「四つ葉のクローバー探し」に似ている 「必ずある」という確信と、辛抱強さが重要。[ヘブル10:36] ✰『神の国(神の臨在)』はすぐそこにある。この世のあれこれから目を離し、 熱心に神との交わりを求めそこにとどまる、『霊的リハビリ』を始めよう! Outline of the sermon “Be alert and keep on praying.” (18/12/2016) ◆Be Read more…
聖書
(239) “何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。”
上記に掲げた言葉は、一般に『黄金律』と呼ばれ、イエス・キリストの教えの中でも最も有名であり、また重んじられているものの1つです。非常に分かりやすくて実際的ですよね?ただ唯一の問題は「言うには易し、行うには難し」という点でしょう。でも後述の3つの点に気を付けるようにすれば、誰でもこの優れた『行動の規範』を自分のものとすることができるのです。 ①信頼すること ・『信頼』なしには、決して豊かな人間関係を育むことはできません。長年アメリカ大統領の秘書を務めたある女性が次のように言っています。「私が秘書としての務めの中で学んだ最も重要なレッスンは、人は『信頼されること』によって『信頼できる人』へと成長して行く、ということです。逆にいつも疑われていたら、人はドンドン『信頼を裏切る人』へとしつけられて行くのです。」ある方々は「信頼していた人に裏切られた経験があるから、もう2度と人を信頼しないことに決めた」とおっしゃるかもしれません。でも「人を信頼することによって失うもの」は、「人を信頼しないことによって失うもの」よりもずっと少ないのです。 ②感謝すること ・相手の存在をどれほど感謝しているかをちゃんと相手に伝えることは、とても重要です。私たちの多くは「そのうちに伝えれば良い」と考え、そして結局そのチャンスを一生つかめないで終わるのです。「受けるべき正当な賛辞」を受けられなかったことによって、自信を失ったりあきらめてしまったりする人たちがどれほどいることでしょう?特に日本人の基本的な性質として「改めて言わなくても分かる」ということを美徳とする傾向があります。私たちはそれが必ずしも「相手を生かす」ことにならないことを知る必要があるのではないでしょうか? ③相手の価値を認めること ・ある調査によると、辞職する人の理由の70パーセントは「正しく評価してもらえなかった」ことにあるそうです。誰も「歓迎されていない」と感じる場所にとどまりたいと思うわけがありません。どんな人にも短所はあるでしょうが、どんな人に対しても「その人の短所よりも長所を積極的に見つけようとする人」こそが良いリーダーとして用いられて行くに違いありません。 ぜひこれら3つのことを自分の習慣として身に付けられるよう心がけてみましょう。