2017年2月19日 「神を待ち望む」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神を待ち望む」     (19/02/2017) ◆神を待ち望む [詩篇27:14] ― 『待つこと』は、「弱い者のすること」ではない! ◎2通りの「待ち方」がある。 ①人事を尽くして天命を待つ [イザヤ40:28-31] ②悪あがきをせず、ひたすら待つ [詩篇37:7] ・ただ「我慢する」だけではなく、神の前に安息する。[詩篇131:2-3] ・今日のポイントは、この②の方。「やがて来るべきもの」を信じて待つ。[詩篇130:6] ◆神の何を待つのか?    ①みことば [詩篇130:5-6] ― 励まし,導き,知恵 ・私たちの神は「語られる神」。[詩篇115:2-6] ・しかし、私たちの側が聞いていない![エレミヤ7:13] ②救い [詩篇130:5-6] ― 具体的な助け ・「義なる神」による救い。[箴言20:22] ・「慰め主」による救い。[詩篇42:5] ◆「神を待ち望む」ことの実践 ・1曲賛美した後、しばらくの間、各自静まって「神ご自身」を慕い求め、待ち望む。   Outline of the sermon      “Wait upon the LORD.”    (19/02/2017) ◆Wait upon the LORD. [Psalm 27:14] ― It is not ‘passive’ to “be waiting”! ◎There are 2 Read more…

(248) “陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。”

今日は『喜び』と『幸せ』の違いについて述べたいと思います。ひと言で言うなら「『喜び』がなければ『幸せ』にはなれないが、『幸せ』でなくても『喜び』を味わうことができる」ということです。すなわち『幸せ』は私たちの外側(経済状態、健康状態、人間関係など)によって左右される「感情的なもの」であるのに対して、『喜び』は私たちの内側(無条件に神から愛されていることの確信)から生まれるのです。 日本語でも「笑う角には福来る」と言いますが、私たちが笑う(喜びに満たされている)ことは、多くの良い物をもたらします。それはストレスを解消し、頭痛を癒し、感染や高血圧を抑制します。また「大笑いすること」は適度な運動と同様にあなたの腹・胸・肩その他の筋肉を引き締め、血圧や脈拍をいったん上昇させてから元に戻し、体や気分を大いにほぐしてくれるのです。 この世には、私たちの気分を落ち込ませるものがたくさんあります。しかし神はそのような状況の中でさえ私たちが喜べるように私たちをデザインなさいました。すなわち、私たちが「環境の奴隷」となるのではなく、「神の愛の奴隷」となるように造られたのです。環境は常に変化します。しかし『神の愛』は私たちの外見や人間性、能力や持ち物、また出来・不出来などには決して左右されません。この『神の愛』に心を支配されながら人生を歩み時、他の人々にとって「何1つ喜べる材料が見当たらないような状況」の中でも、喜びに満たされて生きることができるのです。

2017年2月12日 「神が祈りを聞かれる理由」

メッセージ(含証し)をダウンロードして聴く 説教あらすじ        「神が祈りを聞かれる理由」     (12/02/2017) ◆ご自身のご性質の故に [ルカ18:1-8] ・神は私たちに「辛抱強く」祈ることを望まれる。それは「駄々をこねる幼子」のように、自分の欲しい物をしつこく 求めれば、神は『根負け』をして仕方なく答えてくださる、というのとは全然違う。 ・[3,5節]の表現の直訳は「正当に扱う」。すなわち「神の義」を行っているご自分の民が不当に扱われているの をご覧になって、神は「正しいさばき」(8節)をしてくださる。[マタイ5:6] ・私たちは、『神の義』が軽んじられているこの世(例:「幼児虐待」「盗み」「オカルト」「不倫」 etc)にあって、忍耐強く あきらめることなく、『義なる神』に訴え続けることが求められている。 ◆私たちは『神の子ども』だから [ルカ11:5-8] ・このたとえ話の直前には、「父よ…」で始まる『主の祈り』が述べられており、直後は、「求めなさい。そうすれば 与えられます… たとい悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与える…」と続いている。すなわち、 神は「私たちがご自身の子どもであるから」こそ、私たちの祈りを無視できない。 ・[8節]の直訳は、「あつかましさの故に」。「子どもであること」の特権は、私たちが立派であるかないかに拘らず ただ親の愛を疑うことなく、無遠慮にその胸に飛び込めること。 ・しかもここでは、「自分のため」ではなく、「旅の途中にある友人のため」に求めている。神は私たちが「隣人へ    の愛の動機」によって求める祈りに、心を動かされる。   ✰ しつこく「義なる神」に訴えよう! また『神の子ども』として、あつかましく求めよう!   Outline of the sermon     “Why does God answer our prayer?”   (12/02/2017) ◆Because who He is. [Luke18:1-8] ・God likes our “persistent” prayer.  It does Read more…

(247) “心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。”

私が大学生の時(ずいぶん前のことですが…)『教育学』の授業で「誉め方・叱り方」についてのリサーチをしたことがありました。いくつかの小中学校でアンケートを取ったのですが、その結果からはっきり分かった1つの意外なことは「人は叱られた経験よりも誉められた経験の方が強く心に残っている」ということでした。しかし大変残念なことに、ほとんどすべての学生たちにとって「誉められた経験」よりも「叱られた経験」の方がずっと多かったのです。 どうして私たちは、人を誉めたり励ましたりするよりも、むしろ叱ったり批判したりすることを選んでしまうのでしょう?恐らくその1つの理由は「長所よりも短所の方が見つけやすい」もしくは「自分の欠点を直すよりも、他人の欠点を指摘する方が楽だから」ではないでしょうか? 私たちは『自分自身の価値』というものを「自分が持っているもの」に求めがちです。すなわち「自分の知識」「自分の長所」「自分の能力」「自分の経験」などです。ですから、自分よりも多くを持っている人と出会うと、妬んだり落ち込んだりするし、逆に自分よりも少なく持っているように見える人と出会うと、優越感に陥ったり、何とか相手を修正してあげようと余計なお世話をするのです。 誰も、この天地を造られた『創造主なる神』以上に多くのものを持っている人はいません。しかし神は私たちに対して優越感を抱いたり、私たちを無理やり修正しようなどとは決してしません。むしろ私たちの弱さをあわれみ、いつくしみ、そしてその弱さを通してご自身の栄光を現そうとしてくださいます。ですから私たちは安心して、この神様に自分自身の弱さを明らかにし、それを受け止めていただくことによって大きく励まされ、そして今度は周囲の人々の「あるがままの価値」を認めて喜び、その弱さを受け入れ、一緒に神様の優しさを求めていくことで成長していくことができるのです。 誰もが「人生のチアリーダー」を必要としています。ところが今や自分の家族からでさえ、そのような『声援』を受けることなく大人になってしまう人々が増えています。あなたも「神との関係に生きる者」となることを通して、人を妬んだり批判したりする毎日から脱出して、周囲を奮い立たせる人生を送りませんか?

2017年2月5日 「神の専門分野」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「神の専門分野」      (05/02/2017) ◆神の専門分野 [ルカ18:27] ・私たちは、なぜか「自分でも何とかできること」を神に求めることが多い。 「学業成就」「家内安全」「無病息災」「経済繁栄」などなど ― 神のわざが見えにくい。 ・神は「ご自分の栄光が他の者に奪われること」を嫌う。[イザヤ48:11] 真に神が働かれた時(例:ラザロの復活)は、驚きと賛美と喜びが湧き起こるはず。 ◆『信仰』を働かせる ・現代社会は、産業の発達・物質の蔓延のため、「信仰を働かせる機会」が見つけにくい。 実は、主イエスは、このような社会になることを予見しておられた。[ルカ18:1-8] ・先週、「聞かれる祈り」の1つの要素は、『信仰による祈り』だと学んだ。 今週のチャレンジ ◎日々周囲を観察し、「人間的には解決が無理と思える」人々の必要を見つけて、そのために祈らせてもらう。 [マタイ19:26]   ✰まずJCFの中で、互いに「不可能に思える切実な祈りの課題」を分かち合おう!   Outline of the sermon     “God’s specialized field.”   (05/02/2017) ◆God’s specialized field. [Luke18:27] ・Somehow we tend to ask God something we are able to handle by ourselves. e.g. successful school work, Read more…

(246) “人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。”

神がこの天地万物をお造りになった時、最初の人間アダムとエバの間には、何も隠し事はありませんでした。彼らは体も素っ裸だったし、心も素っ裸でした。「相手に知られたら困ること」は何もなかったのです。 このアダムとエバが悪魔にだまされて神様から離れたときに、彼らは多くのものを失いましたが、それらの中の最も大切なものの1つは『親密な関係』です。以来私たち人間は「神との親密な関係」を体験することができなくなり、また人間同士の間(最も親密であるはずの夫婦関係においてさえ)でも、本来味わえるはずの『親密さ』を持てなくなりました。 私たちがこの『親密な関係』を築けない大きな原因となっているのは『恐れの心』です。「もしあの人が私の本当の姿を知ったならば、きっと私から離れて行くに違いない」「私が彼の要求に十分に応えられなかったら、きっと彼は私にガッカリしてしまうに決まっている」「アイツにこの弱みを握られてしまったら、一生アイツの奴隷としてこき使われてしまうかもしれない」などなど。私たち人間は皆「真に信頼し合える関係」を切望しながらも、これらの『恐れ』によって自然と「心を許し合う関係」から遠ざけられてしまうのです。 では、一体どうすれば私たちはもう1度、神が私たちに人間に本来与えてくださっているこの『親密な関係』を回復することができるのでしょう?その方法はたった1つ。創造主である『神との関係』を回復することから始まるのです。 神は、自分の罪によって神から離れてしまっている私たちのために、『和解の使者』としてイエス・キリストを遣わし、その十字架の死によってすべての罪を清算し、ご自身との関係を回復する道を備えてくださいました。このイエス・キリストを通して神との関係を回復された者同士が、共に「すべてをお見通しの神」の前に『裸の心』で進み出ることによって初めて、お互いのことをもありのまま受け入れることができるようになるのです。これは「神に心を開いた者」だけが体験できる、驚くほど喜びに満ちた特権です!

2017年1月29日 「聞かれる祈り」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「聞かれる祈り」      (29/01/2017) ◆神は祈りを聞かれるお方 ・私たちが必要を訴えに来るのを待っておられる。[イザヤ30:18] ・神はケチではなく、豊かに答えてくださる。[エペソ3:20] ◆聞かれる祈り = 「神のみこころにかなう祈り」 [Ⅰヨハネ5:14] *「みこころにかなう」とは、何か特定の内容を指しているわけではない! ①「あわれみの心」に基づいた祈り [マタイ5:7] ・神はあわれみ深い方であり、「あわれみの心」に敏感に反応される。[ルカ6:36] ・イエスは、しばしば「あわれみによって」人々を癒された。[マタイ14:14,9:35-38] ②信仰による祈り [マルコ11:24] ・神は私たちの「良い行い」にではなく、『信仰』に惹きつけられる。[ヘブル11:6] 神の前に、私たちは「キリストのような存在」であることを忘れるな! ・『信仰』とは、単に口で「信じます!」ということではなく、答えを受け取る前に、既に受け取ったかのごとく 行動を起こすこと。   ✰「あわれみの心」と「信仰」とをもって、1日に何回でも主の前に出て行こう!   Outline of the sermon    “Pray with faith & compassion.”  (29/01/2017) ◆God answers our prayers. ・God is longing for you![Isaiah 30:18] ・Our God is not stingy.  He does Read more…

(245) “少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。”

ある日マザー・テレサは、もう1週間も何も食べずに暮らしている貧しい7人家族がいると聞き、お米がたっぷり入った袋を携えて訪問しました。あばら家では栄養失調の子供たちを抱えた母親が大喜びでマザーを迎えました。ところがその母親は興味深いことを始めたのです。もらったばかりのお米を2つに分け、その1つを持ってどこかへ出かけていきました。戻ってきた母親にどこに行っていたのかとマザーが尋ねると「近所に私たちと同じようにお腹をすかせている家族がいるので、お米を届けてあげたのです」と答えました。この一連の出来事を振り返り、マザーは次のように述べています。「この母親がせっかくもらったお米を分けてあげたことは別に驚くことではありません。何故なら貧しい人々はいつも気前が良いものだからです。ただ私が驚かされたのは、自分たちが飢えの極致にいたにも関わらず、この母親が近所の人々の抱えていた問題にも気を配っていたということです。人間は通常、自分たちが大きな問題を抱えている時は、他の人のことなど考えてはいられないものだからです。」 「蒔いたものを刈り取る」これは、神が定めた『全世界共通の法則』です。しかも普通は、1粒の種を蒔いたら、その何倍もの収穫を刈り取ることになります。もし私たちがこの『1粒』を惜しんでしまうなら、後に与えられるはずの大きな収穫を受け損なう結果になります。 イエス・キリストは「与えなさい。そうすれば与えられます」とおっしゃいました。ここで問われているのは「自分がどれだけ持っているか」ではなく、「どれだけ与えるか」だけです。この世の常識に基づくならば「有り余るほど持っている人だけが分け与えるべきであって、自分は余るほどは持っていないのだから、分け与える必要はない」と考えるかもしれませんが、自然界の法則はそのようには働きません。 この天地を造られた神は『気前の良いお方』です。彼は善人悪人に関わらず、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださいます。そしてこの神は、ご自分と同様に「気前良く生きる人々」を祝福せずにはいられない方なのです。

2017年1月22日 「イエスの名によって」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ         「イエスの名によって」      (22/01/2017) ◆「イエスの名によって」 とは? ・イエスの名によって求めれば、受ける。[ヨハネ16:24] ・イエスは「父の名によって」来られた。[ヨハネ5:43] *『(誰かの)名によって』とは、「代理人」であることを意味し、その人の権威を帯びている。[Ⅰヨハネ4:17] また、その名の人の『所有』となり、その人の「完全な権威と保護」の下に置かれる。 ・私たちが「救われる」のも、「祈りが聞かれる」のも、「キリストのごとく変えられる」のも、すべて『イエスの名』によって。 ◆「イエスの名」 による力あるわざ ・私たちは「イエスの名によって」力あるわざを行う。[マルコ16:17-18] ・「イエスの名」を用いれば、誰でも奇蹟を行えるわけではない。[使徒19:13-16] ・「イエスの名を用いること」が、私たちを救うのではない。[マタイ7:21-23] *では、どうすれば「イエスに知られる」のか? ◆大切なのは、神との『愛の関係』 [Ⅰコリント8:3,マタイ10:32-33] ・『辱め』さえも耐え抜く愛。[マタイ5:11,Ⅰペテロ4:14] ・聖霊は「イエスの名によって」私たち1人1人に遣わされる。[ヨハネ14:26] ◎「イエスの名によって生きる」とは、良くも悪くも「キリストと同一視される」ということ。 ・父なる神からも、世の勢力からも「キリストと同様に」扱われる。[ローマ8:16-17] ✰「イエスの名によって」 神の前にイエスのごとく大胆に進み出て、 世に対しても妥協することなく、勇敢に行動しよう!   Outline of the sermon     “In the name of Jesus.”   (22/01/2017) ◆“In the name of Jesus”? ・We will receive if we ask “in the Read more…

(244) “よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。”

『成功者』という言葉を、もし「目に見える多くの成果をあげた人」にのみあてはめるとすれば、世の中には『成功者』と呼べる人はほんのひと握りしかいないことでしょう。しかし「人のうわべではなく『心』をご覧になる神」にとっては、『成功』とは、決して「目に見える成果をあげること」ではなく、「自分に与えられている状況下で心を込めて忠実に生きること」なのです。 以前アメリカの上院議員であったマーク・ハットフィールド氏が、マザー・テレサの運営する「死を待つ人の家」を訪問した折、次々と運び込まれてくる『半死人たち』に圧倒されたハットフィールド氏が思わず「到底回復する見込みのないこれらの人々の面倒を看るエネルギーが、一体どこから湧いてくるのですか?」とマザーに尋ねたところ、彼女は答えました。「親愛なる上院議員殿、ご心配どうもありがとう。でも私はね、「成果を上げるため」に神様に召し出されたわけではなく、「ただ『わたしに忠実であれ』と今日も招かれるお方」にお仕えしているだけなのですよ。」 神は今日もあなたに「心血注いで仕えるべき」十分な労を与えてくださっています。つぶやくことなく、決してあきらめることなく、ただただ神を見上げつつ、自分自身をささげていきましょう。