2019年6月30日 「この世の知恵と神の知恵」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「この世の知恵と神の知恵」    (30/06/2019) [Ⅰコリント2:6-10] ◆神の知恵の性質 [6~7節]   この世の知恵: うまく世渡りするため  神の知恵: 私たちの永遠の益のため ・神は「世界の始まる前から」私たちを『神の栄光を現す存在』として定めておられた。しかし私たちは「神から独 立して生きること」を選び、神の計画よりはるかに低レベルの人生に満足を見出している。[エレミヤ2:11-13] ・おまけに『世』は、「神の知恵であるキリスト」をも理解しようとしない。(「栄光の主を十字架につけはしなかった」の2重の意味) ◆御霊による啓示 [9~10節] (『啓示する』 = 隠されているものの覆いが取り除けられる) ・『神の知恵』は、「研究や努力」によってではなく、「神からの一方的な恵み」によってのみ理解可能。 ・この知恵は私たちの心を「永遠に価値あるもの」へと向け、人々に分け与える者へ造り変える。[ヨハネ7:37-39] ◎『救い』が「神の恵みのわざに対する、私たちの信仰による応答」によって起こるのと同様に、『御霊の知恵による歩   み』も、「『神が恵みによって知らせてくださる知恵』に対する『私たちの信仰による応答』」によって成し遂げられる! ✰今日の大切なひと言: 「神の知恵を理解するのは、努力ではなく御霊による」   Outline of the sermon    “Wisdom of this age and God’s Wisdom.”   (30/06/2019) ◆What is “God’s Wisdom” like? [ⅠCorinthians 2:6-7]   Wisdom of this age: To live well temporarily in Read more…

(344) “神はあなたがたに、試練と共に脱出の道も備えていてくださいます。”

問題点を指摘し、文句を言うことは誰にでもできます。しかし問題点を見つけ、その解決法を探り、実際的な解決に至る人は、残念ながらあまり多くはありません。 20世紀初頭、オハイオ州の学校で用務員をしていた「ジェーム・マーレー・スパングラー」は1つの悩みを抱えていました。彼の主な役割の1つに「学校の廊下の掃除」があったのですが、実は彼は「埃アレルギー」だったのです。その当時『掃除』といえば「掃き掃除」しかなく、彼は毎日廊下を掃きながら「何とか埃を舞い上がらせずにキレイに掃除する方法はないものか?」と考えあぐねていました。するとある日彼が神に祈っている時に1つのアイディアがひらめいたのです。「埃を掃く代わりに、吸い込んでしまったらどうだろう?」彼は扇風機や枕カバーなどを使って「埃を吸い込んでキレイにするシステム」を開発しました。これが現在の『電気掃除機』の原型です。 私たちは人生の中で様々な問題や困難に直面します。そんな時私たちはつい「神様、どうしてですか?」と文句を言いがちですが、神は実はそれらの試練の中に「私たちを向上させるチャンス」を隠しておられるのです。そしてそれを見つけることができるのは、物事の否定的な面ばかりでなく、「神は良い方であり、私のために最善の道を用意してくださっている」と信じて生きる人たちなのです。

2019年6月23日 「『神の国の富』に目を留める」

メッセージをダウンロードして聴く 説教あらすじ     「『神の国の富』に目を留める」    (23/06/2019) ◆「神の御霊に導かれた歩み」の特徴 ― 目には見えないものを重要視する。[Ⅱコリント4:18] ・人間が本来必要としているものは「決して変わらないもの・永遠に続くもの」であって、それらは神様からしか 来ない。(尽きることのない喜び,変わることのない愛と平安,決して失われることのない希望etc) ・私たちが「見える世界での充実」以上にこれらのものを追求して生きるなら、神はご自身の『神の国の富』に よって私たちの人生を祝福してくださる。そしてそれらは永遠に神の国にまで続く。 ◆御霊による知恵 ・箴言には「知恵の重要さ」が描かれているが、この箴言に出てくる『知恵』という語を『御霊』に置き換えてみると 非常にしっくりする。また、新約聖書の中で『知恵』はしばしば『御霊』と関連して登場する。 ・使徒パウロは、私たちのために『知恵と啓示の御霊』が与えられるように祈った。[エペソ1:17] *神は私たちがこの世にあって「神の国の知恵・価値観」によって生きるようにと、御霊を与えてくださった! ✰今日の大切なひと言: 「この世で『正しい知恵』に従って生きるには、神の霊が不可欠!」   Outline of the sermon     “Fix our eyes on the riches of His kingdom.”     (23/06/2019) ◆A characteristic of “God’s Spirit-led life”. ― Take seriously “what we cannot see”. [ⅡCorinthians 4:18] ・Our fundamental needs Read more…

(343) “人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。”

基本的に私たち人間は『わがまま』な生き物です。ですから知らず知らずのうちに「世の中が自分の思い通りに動いてくれないこと」に腹を立てている自分を発見したりします。そんな時に私たちは大抵周囲のせいにしたり、世間をうらんだり、自分の生い立ちを呪ったり、果てには信じてもいない『神』を罵ったりします。 キリストの使徒パウロは、ローマにある教会宛に書き送った手紙の中で「近い将来スペインに行く予定があるので、その途中で必ずあなた方の教会に立ち寄りますね」と約束しましたが、それは決して実現しませんでした。何故なら彼はその手紙を書いた後、捕らえられて投獄されてしまったからです。しかしその投獄中に彼は現在聖書の中に遺されている多くの優れた書簡を書き綴ったのです。必ずしも「私たちの計画がくずれること」が「私たちの人生を不幸に陥れる結果」になるとは限らないのです。もしアナタが「人生が思い通りにならないことに対する不平不満」ばかりを思い巡らし、それらの『計画倒れ』から驚くべき祝福を生み出すことのできる神のわざを見つけることができないでいるのなら、それこそ「人生の大きな損失」です。 皆さんはあの美しい『真珠』がどのようにして作られるかご存知の事と思います。小さな砂粒などの「異物」が真珠貝の中に入り込んでしまった時、貝はその『痛み』の故にカルシウム分や有機質を分泌し、それらが何重もの層になって、やがてそれが美しい『真珠』となるわけです。言うなれば「想定外」のことが起こらなければ、あの美しい宝石は生まれないのです。 「苦しいときの神頼み」と言われますが、私たちは物事が自分の思い通りに進んでいる時には『神』の存在など忘れてしまうものです。しかし『神』はもしかしたら、そんな私たちにご自身を思い出して欲しくて、また私たちの人生を通して「私たちの思いを超えた豊かで美しいもの」を生み出したいがために、敢えて私たちの人生が「自分の思い通りに進まないこと」を許されるのではないでしょうか?