2019年12月22日 「キリストにあるアイデンティティ」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ  「キリストにあるアイデンティティ」  (22/12/2019) ◆『世』から取り出された [ヨハネ15:18~19]   ・イエスは私たちをご自身の『友』として世から選び出された。私たちは「世から離れよう(無理に違った生き方をし     よう)」とするのではなく、「キリストに近づこう」とすれば良い。そうすれば結果として『世』からズレて行く。   ◎ここでの「イエスの祈り」[ヨハネ17:14~19]の要点は、次の3つ。    ①私たちはキリストを信じ受け入れた時点で、既に「この世のものではない」。[14,16節]    ②神のみことば(真理)が私たちを『聖別』する。[17,19節]    ③これらのことは、キリスト自らが御父に祈ってくださったことなので、必ず成就する。   *注意事項 ・みことばは、「私たちの努力目標」ではなく、「どれだけこの世の垢が落ち、キリストの香りが身に             付いてきたか」を測るバロメーター。「自分の現状とのギャップをさばく材料」として用いるな! ◆「1つとなるため」に選び出された [ヨハネ17:23]   ・「1つとされる」とは、「皆が同じようになる」ということではなく、私たち1人1人が「キリストが地上を歩まれた時と    『同じ心・同じ意識』をもって生きるようになる」ということ。私たちはそれぞれ「違った才能・興味・感性」を与えら    れている。それらを「キリストにある調和」の中でフルに用いて『神のわざ』を表現して行こう! ✰今日の大切なひと言: 『世』から取り出され、『世』に遣わされている。 ◎学びを深めるための質問  ①「この世のものではない」と言われて、どんな気がしますか? それを自覚させられるのは、どんな時ですか?  ②あなたは今まで聖書をどんな意識で読んでいましたか? その意識をどこか改善すべき点はありますか?  ③違った個性を持つ者同士が『調和』を保って生きていくために必要なことは、どんなことだと思いますか? Outline of the sermon        “‘Who we are’ in Christ.”      (22/12/2019) ◆Chosen from “the world”. [John15:18~19]   ・Jesus has chosen us from the world Read more…

(369) “神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。”

 書店に行って、最近流行りの『自己啓発に関する本』の書棚へ行くと、「あなたは『なりたいアナタ』になれる!」といったタイトルの本を良く見かけます。確かに「なりたい自分になれる」という言葉には真実も含まれてはいますが、「全てが真実」というわけでもありません。例えば1匹の犬が「飛べるようになりたい」と願ったところで飛べるわけではないし、魚が「1度でいいから吠えてみたい」と頑張ったからといって吠えるようになるわけでもありません。つまり肝心なのは「神がどのように造ってくださったのか」ということです。神はすべての被造物にそれぞれの特徴を添えてお造りになり、その持ち味を存分に発揮して活動するように導かれます。同様に神は私たち人間1人1人にユニークな才能や感受性をお与えになり、それらを最高に活かして生きるように導かれるのです。  上記の聖書のことばの中の「良い行い」という語の意味は、単に『善行』ということではなく、周囲の人々や社会のために役に立つ、「神がその人を地上で最も活躍させたい分野で実を結んで生きる人生」のことです。ワシが風に乗って大空を悠々と飛び回り、チーターが風を切りながら颯爽と走り回るように、神は「あなただからこそ活躍できる分野」を思い描きながら、その役割に最適な存在としてあなたをこの世に生み出されました。だからこそ、全ての人間は「神と出会い、その愛と知恵とを伝授されながら」生きるようになることが重要なのです。  自己啓発本で学ぶことも悪いことではありませんが、それ以上に『聖書』を通してあなたの創造者である神と出会い、この方から、人生で最高・最善のコーチングを受けながら「自己最高の人生」へと向かって行きませんか?

2019年12月15日 「キリストにあって共に生きる」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ   「キリストにあって共に生きる」   (15/12/2019) ◆キリストとの喜びの共有 [ヨハネ15:9~11]   ・ここでイエスが言っておられるのは「戒めに従うことが愛にとどまる条件」ということではなく、「真の愛の関係で   結ばれているのでなければ、決して戒めを守ることはできない」ということ。イエスご自身もその深い愛の関係の   故、御父のみこころを行うことが何よりの喜びだった。イエスの願いは、同じ喜びを私たちと『共有する』こと。 ◆キリストとの友情の共有 [ヨハネ15:12~17]   ・主イエスは私たちを『友』と呼び、「生涯共にいる」と約束された。私たちは「十字架の上で『死なれた方』への恩   返しのための熱意で生きる者」ではなく、「自分と生涯一緒にいるためによみがえられ、今日も自分の内に『生き   ておられる方』と共に生きる者」である。イエスは私たち1人1人を、ご自身と「喜びも悲しみも共有して生きる   『友』」として特別にお選びになった。私たちはこのことを誇りとして生きていくことができる。   ・そしてまた、イエスは「私たちお互い」を『キリストとの友情を共有して生きる仲間』として、計画を持って集めら   れた。私たちは皆、イエスから「究極の友情表現[Ⅰヨハネ3:16]」を教えられた者。この「イエスによって選ばれた   者同士」でしか味わうことのできない『友としての愛情』を共有しながら生きて行こう! ✰今日の大切なひと言: キリストを『共有』して、一緒に生きる。 ◎学びを深めるための質問  ①「愛にとどまるために戒めを守ること」と「愛の関係の故に戒めを守ること」とはどんな風に違うでしょう?  ②あなたは、どんな関係にある『友』のためにならば「いのちを捨てる」ことができると思いますか?  ③同じ教会に集う『神の家族』として、あなたは兄弟姉妹たちにどのように「友としての愛情」を示したいですか? Outline of the sermon        “Live together in Christ.”      (15/12/2019) ◆Sharing “Joy” of Christ. [John15:9~11]   ・Jesus knew how joyful to obey someone (Father) who is in true Read more…

(368) “あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。”

 人生には「やることはこんなにあるのに、十分な時間が無い!」と感じさせられることが、確かにありますよね?でももしあなたが絶えずそのようなプレッシャーの中に生きているとしたら、それはやがてあなたの「仕事」や「人間関係(家族関係)」、更には『日々の生活』や『人格』にまで深刻なダメージを与えるようになります。気を付けてください!  もし皆さんの中で、「それはまさに自分のことだ!」と思い当たる方がいるなら、ぜひ下記の2つのことを心掛けましょう。 1.祈りの中で、神に「自分が負うべきではないのに負ってしまっている重荷が何なのか」を尋ね、示していただく。  ・神は私たち人間を「活動し続けるように」は、お造りになりませんでした。かえって「週6日だけは働き、1日は十分に休息し、また神を礼拝するために集まるように」とお命じになりました。もしそれ以上の時間を費やしてもやり切れないほどのタスクがあるとしたら、それはアナタが負うべきではない余計なことまで抱えてしまっているのです。「本当に自分が請け負うべきものはどれなのか?」を見分ける知恵を、神に求めましょう。 2.他の人に任せる。  ・聖書に登場する中でも最も偉大なリーダーの1人であった『モーセ』という人物でさえ、忙しさの故にバーンアウトしそうになったことがありました。しかしその時彼は神から知恵を与えられ、側近の者たちの何人かに自分の仕事を分配したのです。すると自分の負担が軽くなったばかりか、今まで自分が気が付かなかった「他の人たちの中にあるポテンシャル」を見い出すことができたのです。自分で全てを請け負ってしまうことは、自分を潰してしまうばかりでなく、他の人々の成長の芽を摘み取ってしまうことにもなるのです。

(367) “私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。”

 ある人がとても広い農場を持っていました。彼の家族はそれを先祖代々受け継いできたのですが、彼の死後とうとうその農場は他の人に買い取られました。ある日その農場の新しい持ち主が、新しく手に入れた自分の農場をのんびりと散策していると、1本の細長い石の塊が地面から突き出ているのを見つけました。興味深く思った彼は、それを引き抜いて家に持ち帰り、良く洗ってから試しに宝石店に持って行って調べてもらいました。すると何とその石の塊は何億円もの価値を持つ『エメラルドの原石』であることが分かったのです!この原石は恐らく何百年、いや何千年も前からその場所にあり、何百人もの人々が何百回もその側を通ったはずですが、誰もそんなに価値があるものがそこに眠っているとは気付かずに「ただのありふれた石」と思って見過ごしていたのでした。  私たちが何かを『発見』する時、実はその「何か」はずっと以前からそこにあったものなのです。私たちは「自分の人生にもっとエキサイティングなことはないのか?」「自分は何のために生まれて来たのか?」「もっと自分の個性を活かした生き方はないのだろうか?」と、いろいろな本を読んだり、セミナーに参加してみたりしますが、実はそれらの『宝』を見い出すカギは、初めから「自分自身の中」にあるのです。  私たちがこの『自分の内にある宝物』を見つける1つのヒントとなるのは「その特徴を知っておく」ということです。この農場の新しい持ち主がこのエメラルドの原石の側を単に歩き去らなかったのは、この原石を見かけた時に「これは普通の石と違うんじゃないかな?」と感じたからです。同様に私たちが「人生の教本」である『聖書』に日々親しみ、私たちの「人生の完全な模範」であるイエス・キリストとの関係の中に生きる時、神があなたを母親の胎内で形造った時からあなたの中に組み込んでおられた『人生の宝』を見つける感覚を磨くことができるのです。

(366) “主は答えられた。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことはわずかです。あるいは1つだけです。」”

 皆さんが日常的に使っている『便利品』は何ですか?と尋ねられたら、きっと多くの方々は「スマホ!」と答えるのではないでしょうか?『スマホ』って便利ですよね~。電話はかけられる。ラインなどでビデオ通話もできる。Eメールやフェイスブックもチェックできる。カーナビ機能もある。他にもカレンダー、ビジネスダイアリー、懐中電灯、紛失したときの探索機能・・・数え上げたらキリがありません。  実は最近知り合いがこのスマホを外国滞在中に失くしてしまって、探索のための設定をしていなかったために見つけることができず、ものすごく困ってしまったことがありました。あまりにもスマホが便利だったために、それを失くしてしまった時の影響も膨大なものになってしまったわけです。皆さん、スマホに頼りすぎるのは危険ですよ~。  そもそも人はどうして「便利さ」を求めるのでしょうか?初めは恐らく「便利になることによって物事が能率よく進み、時間に余裕ができて、よりゆったりとした生活をするため」だったのだと思うのですが、実際は「便利になることによって物事が能率よく進み、よりたくさんのことをしたくなって、自分の許容量以上の物事をこなそうとして、かえって忙しくなりすぎて自分自身を見失う」ようになってきてしまっているのではないでしょうか?よく言われることですが「忙しい」の『忙』の漢字は「心を亡ぼす」を意味しています。私たち人間は、忙しくなると「心が滅びて」いくのです。  私たち家族は、1999年から2003年まで「バヌアツ共和国・ウリピブ島」という、電気もガスも水道もない未開の孤島で暮らしていました。生活に慣れるまでは本当に苦労しましたが、この『シンプル・ライフ』に慣れると、毎日の暮らしが本当に生き生きと楽しくなったことを覚えています。何よりも素晴らしかったことは、「不便な分、他の人たちと協力して暮らさなければならず、島の人々とドンドン親しくなって行って、1年経った頃からは『本当の家族』のようになっていった」ということです。『不便さ』は、「人と人とを近付けてくれる」ようです。ということは、『便利さ』は「人と人とを疎遠にする」のかもしれません。  主イエスは「必要なことは、ほんのわずか」とおっしゃいました。そしてそのほんのわずかな『本当に必要なこと』を見つけるためには、まずペースダウンして「周りの人との関係」というものを重視した生活を始めるべきなのかもしれませんね。

2019年11月24日 「『新しく造られた者』として生きる」

メッセージをダウンロードして聴く メッセージをダウンロードせずに聴く 説教あらすじ    「『新しく造られた者』として生きる」    (24/11/2019) ◆イエス・キリスト = 神のことば [ヨハネ1:1-5, 14]   ・文脈から『ことば』とは、イエス・キリストのこと。ギリシャ語では「ロゴス」(実際の意味は「宇宙に内在する神的原理」)。   ・神は「全宇宙」そして「人間」をこの『ことば(ロゴス)』によって造った。そこに「キリストの命(光)」があった。[4節]   ・「神のことば」であるキリストは、世の初めに全世界や人類を創造されたのと同様に、そのご自身のいのちによ    って、私たちを内側から「新しい人」として再創造のわざを始めておられる。[Ⅱコリント5:17] ◆キリストを見つめる ― 『恵み』の前に降参して生きる   ・『恵みとまこと』[14節]とは、「神ご自身が『真理』であって、そのご性質に従って、(私たちではなく)神ご自身が    その主権によってみわざをなさる」ということ。そこに『私たちの努力』が介入する余地はない。   ・つまり「キリストを見つめる」とは、私たちが「自分で何とかしようとすること」に降参し、積極的に『神のことば(キ    リスト)』を取り入れ、神が『恵み』によって私たちの周囲で行っているみわざをよく観察すること。[ガラテヤ2:20] *この世(暗闇)にあって、人は『光(キリストのいのち)』によって「神のことばによって造られた世界」をよく観察し そこに働いている「神の法則(ロゴス)」を発見して、それを正しく活用して生きることを望まれている。 ✰今日の大切なひと言: 「神のことば(キリスト)」によって、新しく造られる。 ◎学びを深めるための質問  ①「イエス・キリストが『神のことば』である」とは、実際的にどういうことを表しているのだと思いますか?  ②キリストに出会って以来、神はあなたの内にどのような「再創造のみわざ」を行っていますか?  ③今のあなたにとって「キリストを見つめて生きる」とは、具体的にどんな風に生きることでしょう? Outline of the sermon        “Live as ‘A New Creation’.”      (24/11/2019) ◆Jesus Christ = The Word of God. [John1:1-5, 14]   ・God created the Read more…

(365) “あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、・・・保たれていますように。”

 もうずい分昔のCMですが、『シャット』というトイレの消臭剤のコマーシャルのキャッチフレーズで「クサイにおいは、元から断たなきゃダメ!」というものがありました。そりゃあそうですよね。いくら表面だけを取り繕っても、原因そのものが解決されなければ、いずれまた同じ問題が浮上してくるのは目に見えています。  世の中には『宗教』と呼ばれるものが数多くありますが、それらのほとんどは「修業や教育」によって人間の悪習慣や精神的弱さを『矯正』させようとするものです。まあ多少の効果は期待できますが、前述のCMのように、いくら外側に現れている症状だけを緩和しても「元を断たなければ」本当の解決とはなりません。  聖書は、人間の存在は「3つの部分」すなわち『体』『たましい(心)』そして『霊』によって構成されている、と教えています。そして1番内側にあるこの『霊』の部分(ココが私たちの創造者である『神』を認識する部分なのですが…)が、私たちの『罪』の故に生まれつき死んでしまっていて、私たちは神を認知することができないのです。その『霊』を再び生かすために地上に来られたのが『イエス・キリスト』です。私たちがこの方を個人的な「救い主」として信じるなら、私たちの『霊』は息を吹き返し、「創造主である神との豊かな関係」の中で生きる者とされるのです。  ところで、『信じる』とは一体どういった感覚なのでしょうか?一生懸命に「信じるぞ~、よぉしオレは信じる!信じま~す!!」と自分自身に言い聞かせることでしょうか?もちろん、そんなことではありません。聖書は「幼子のようにならなければ神を信じることはできない」と書いてあります。つまり、幼子が全く疑うことなく自分の親の言うことを真に受けて喜んで従うように、素直な心で単純に「神様は良い方で、私を心から愛し慈しみ、私を救い、最善の道へと導いてくださる」と信じて、心を開き、神からの働きかけを受け取ることです。そうすると神はあなたの心の内にある『霊』の部分に触れて生き返らせ、あなたが自分の力ではどうしようもできなかった怒り・寂しさ・心の痛みなどを優しく癒し、内側から造り変えてくださるのです。「イエス・キリストを信じて生きること」は『宗教』ではなく、このような『神との関係』に生きることなのです。