(587) “イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。”

 イエスと12弟子たちの地元は『ガリラヤ湖』という湖の周辺であり、弟子たちの何人かは漁師でした。なので彼らは移動手段(特に湖の対岸へ行く場合)として「釣り舟」を使うことがよくありました。  ある日イエスは弟子たちに「舟で向こう岸へ行こう」とおっしゃり、皆で舟に乗り込み、対岸へと向かいました。ガリラヤ湖は直径20キロメートルほどの湖でしたが、地形上の理由で時々嵐に襲われることがありました。この時も同様の事が起こりましたが、イエスは疲れていたのか、船尾でぐっすり眠っていたようです。弟子たちはイエスの手を煩わすことなく何とか手を尽くして向こう岸まで辿り着こうとしましたが、万策尽きてイエスを起こし、「私たちを助けてください!」と懇願しました。するとイエスは起き上がり、風と波を叱りつけると、湖はそれまでの嵐がウソのように静まり返ったのです。弟子たちが改めてイエスの権威と力に圧倒されている時、イエスは弟子たちに言われました。「あなたがたの信仰はどこへ行ってしまっていたのですか?」  この出来事は私たちに1つの事を教えてくれます。私たちの人生にも『嵐』と思えるような困難がたびたび襲って来ますし、私たちはその度に『苦しい時の神頼み』として神に助けを求めようとします。クリスチャンとて同様です。ただ、クリスチャンである人たちには、そうでない人たちと少しだけ異なった点があります。それは「キリストが今日も自分と共にいてくださっている」ということを知っているということです。特に上記のストーリーにおいては「向こう岸に行こう」とおっしゃったのは他ならぬイエスご自身だったのです。イエスはご自身がおっしゃったことは必ず成し遂げるお方です。この時イエスは弟子たちに「わたしとわたしの言葉がいつもあなたたちと共にあるということを、決して見失うな」とおっしゃりたかったに違いありません。  「神が共におられる」ということ、そして「神は必ず言われたことを成し遂げる」ということをいつも心に握りしめている、これが私たちの人生に『揺るがない希望』を与えるのです。

2024年9月1日 「父たちへ」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「父たちへ」    (01/09/2024) *今日は『父の日』なので、「父としての『子育ての心構え』」について一緒に学びましょう。[エペソ6:4] ◆怒らせてはいけない  ・これは「子供を甘やかせ」ということではなく、「苛立たせるな」ということ。では何が子供を苛立たせるのか?  ・子供を苛立たせる大きな要因の1つは、親の態度の一貫性のなさ。「大人には大人の都合がある」は子供には通用しない。逆に「子供の情緒を安定させる秘訣」は、夫婦間の愛のある一致。父親は仕事に全てのエネルギーを吸い取られてはならない。「妻との対話の時間」「子供と過ごす時間」を死守しなければならない。 ◆主の教育と訓戒によって育てる  ・「子供のことは妻に任せてある」は大きな間違い!母親の方が子供と過ごす時間が多いのは止むを得ないかもしれないが、子供が「神を恐れ、神に従う成人」へと成長する責任は『父親』にある。だからこそ『家庭礼拝』などを 通して聖書や「神の人格」を教える。「『天の父』の人格」は、『肉の父親』との触れ合いを通してこそ伝わる。  ・不思議なことに、子供は母親と過ごす時間が多いのにもかかわらず、「お父さんは自分の事をどう思ってるのか」ということを気に掛ける。それ故父親は常に子供に気を配り、「時にかなった援助・励まし」を与えることが効果的。  ・「父親の子育て」に関しての最も大切なカギは、「自分自身が天の父の愛を十分に味わい、その愛の故に神に従う」という、父親自身の『日々の信仰の姿勢』にある。あなたの「父なる神との関係」が、そのまま「あなたと自分の子供との関係」に反映してくる。このことを決して忘れてはならない。 ◎更に深い学びのために  ①「子供を怒らせてはいけない」とは、具体的にどういうことでしょう?  ②子供を「神を恐れる成人」へと育てるために、父親と母親にはどのような役割分担がありますか?  ③定期的に『家庭礼拝』を行うために、どのような障害がありますか? それをどう乗り越えられるでしょう? Outline of the sermon   “Dear Fathers,”   (01/09/2024) *It’s “Father’s Day” today!  So let’s look at “fathers’ role” in the family![Ephesians 6:4] ◆Do not provoke your children to anger.  ・This obviously doesn’t mean, “Never upset your Read more…

(586) “この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。”

 『希望』という言葉から思い浮かぶイメージは、「欲しいもの・やりたいこと」という人が多いのではないでしょうか?「第1希望」「第2希望」などのように『願い』の強い順に並べ立てることが多い時代です。「あなたの希望は?」と訊かれて、「別に今は欲しいものがないんだよね~」などと答えることもあるかもしれません。  しかし実際には、『希望』というものはもっとずっと大きなものであり、私たちが生きる上での強力な支えとなるものです。もし『希望』がなければ、私たちの人生は味気ないものとなり、喜びや興奮は消え、優しさも失われて行きます。  聖書は「真の希望」は私たちの創造主である『神』から来る、と言っています。神は私たち1人1人を目的を持ってお造りになり、本来「永遠に生きる存在」として生み出されました。私たちはこの神に出会うことによって「真の生きる目的」を見出し、「神を求めて生きる者を、神はどんな時にも守られる」ということを知るのです。  「文明の発達」や「便利機器の開発」は確かに世の中を便利にし、生産性を向上させましたが、同時に人間から『創造性』や「より良い未来を夢見て、今の困難を乗り切ろうとする忍耐や努力」というものを奪ってしまっているような気がします。「神は目に見えないし、非現実的」と考えるかもしれませんが、いつだって人間に『希望』を与えて来たものは「目に見えないもの」だったのではないでしょうか?そして「愛と憐れみに満ちた聖書の神」は、その誠実さと人に対する情熱の故に、彼に信頼する者に「困難の中でも前に進もう」とさせる『希望』を与えてくださる方なのです。

2024年8月25日 「福音を説く(6)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(6)」    (25/08/2024) *我々クリスチャンにとって「信じる」という感覚は既に身に付いているが、そうでない人々にとっては「信じる」とはどういったものなのかよく分からないというのが、実際のところ。今日は2つのポイントから『信仰』について説く。 ◆『信仰』とは「方向性」である [ヨハネ8:12]  ・『光』を体験するには、自分が光の方を向かなければならない。光に背を向けていたら「自分の影」を見ながら生きて行くことになる。また光と自分の間に何か遮るものを置いたら光を体験できないように、神との間に「勝手な  先入観」や「神よりも優先するもの」を置いていたら、神を正しく感知する(信じる)ことはできない。 ◆『信仰』とは「応答」である [ヤコブ2:19]  ・神は私たちを「ロボットのように操れる存在」としては造らず、「自由意志を持つ存在」として創造された。それ故、私たちはたとえ神を認識したとしても、拒むこともできる。悪魔や悪霊どもは「私たち以上に神をよく知っている」が、彼らは敢えて神に逆らい、私たちをも神に近づかせないように働いている。  ・神からの「聖書」「被造物」「イエス・キリスト」を通しての啓示に対し、へりくだって「あなたが主権者であり、私ではありません。あなたを私の人生の王であり主として歓迎します。どうぞ私の人生を導いてください。従います」という態度で応答するなら、神は更に私たちの心を引き寄せてくださる。これが『信仰』の正しい姿である。[ヤコブ4:8] 今日の要点 『信仰』は「方向性」であり、「応答」である。 ◎更に深い学びのために  ①『信仰』の2つの特徴は何ですか? 何故そう言えると思いますか?  ②『方向性』という観点で自分自身の信仰を顧みて、自分の信仰を自分なりに評価してみましょう。  ③今までの神様に対するあなたの応答はどうでしたか? 更に改善の余地があるならば、どのような点でしょう? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (6)”  (25/08/2024) *We, Christians can understand what “faith” is like, whereas, others don’t really understand the concept of “faith”.  So today we are going to investigate what Read more…

(585) “わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。”

 皆さんは「真の暗闇」を体験したことがありますか?私の生まれ故郷に「子供冒険の森」という児童施設があって、フィールドアスレチックなどの様々な設備があるのですが、その中に『勇気の洞窟』というものがあります。そこは長さたった30~40メートルの洞窟なのですが、入口と出口のドアを閉めてしまうと、わずかな光の差し込む隙間さえない『真っ暗闇』なのです。私は大人になってから子供たちと一緒に行ったのですが、正に「息をのむ体験」でした。1歩前に進むのさえおっかなびっくりで、出口に至った時に「『光』というものの有難さ」が身に沁みたのを覚えています。  人生には「視覚的な暗闇」だけでなく、「精神的な暗闇」もあります。実際、こちらの方が更に扱いにくいものです。何か大切なものを失ってしまった時、困難な状況が続いて疲れ果ててしまった時など、肉体的な目は見えてはいても、生きて行くための希望は見えない、そのような『人生の暗闇』の中で、私たちは何を頼りに生きて行けば良いのでしょう?  イエス・キリストは「わたしは『世の光』だ」とおっしゃいました。夜に帰宅して暗い部屋の照明のスイッチを入れれば暗闇が逃げ去って行くように、私たちの人生にイエス・キリストを迎えるならば、暗かった私たちの心に『光』が灯って、潮が引いて行くように「心の中の暗闇」が拭い去られて行くのです。  『勇気の洞窟』の中を進んで行った時、普段は気付かなかった『光』というもののかけがえのなさを痛感させられたと共に、「誰かが一緒にいてくれる」という心強さも経験することができました。暗くて何も見えない中で「お父さん、何も見えないよ~!」と不安そうに声を上げる子供たちに、「大丈夫。お父さんがここにいるよ!」と声を掛け合いながら、互いに励まし合って出口に辿り着くことができました。同じように、あなたがイエス・キリストに人生を委ねて生きるなら、「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と約束されたキリストが『光』となってあなたの人生を照らし、共に進んで行ってくださるのです。

2024年8月18日 「福音を説く(5)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(5)」    (18/08/2024) *以前にも話したが、神は私たちの思いを遥かに超えた方だから、私たちの知恵や努力によっては悟ることができない。しかし、神は私たちにご自身の事を知って欲しいと願っておられ、また私たちの「心をご覧になる方」だから、私たちが『本気で』真理に飢え渇き、神を探し求めるならば、私たちにご自身を現わされる。 ◆『御子イエス』に現された、神の性質 [へブル1:3]  ①神の力と権威[マタイ8:23-27]  ②心をご覧になる方(罪を赦す権威)[マルコ2:5-8]  ③愛と憐れみ[マタイ8:1-3] ④イスラエルに対する執着[ルカ13:34]  ⑤ご自身の証言[ヨハネ14:8-9]  ・これだけイエスを通して『神の性質』がはっきり現されたのにもかかわらず、イエスを「まことの神の子」と信じる者は少なかった。主な理由は「神が人の姿で現れるはずがない」という先入観と、もう1つは… [マタイ16:13-17] ◆なぜ「信じる人」と「信じない人」がいるのか?  ・イエスは「父が引き寄せてくださらなければ…」とおっしゃった。[ヨハネ6:44] 神は「本当に見ようとする者」にしか見出すことができないようにしておられる。[マタイ13:13-17] しかし「熱心に捜す者は見つける」とも約束しておられる。[箴言8:17,エレミヤ29:12-14]  ・神は私たちの救いを望んでおられる。[Ⅰテモテ2:4] だからあきらめずに福音を宣べ伝えよう![ローマ10:9-14] 今日の要点 「分かったら、信じる」のではなく、「信じれば、分かる」! ◎更に深い学びのために  ①私たちは『御子イエス』を通して、神のどのようなご性質を垣間見ることができますか?  ②なぜ神は、私たちが「本気で求めよう」としない限り、私たちにご自身をお示しになろうとしないのでしょう?  ③「熱心に伝道したからといって、相手が信じるわけではない」のに、なぜ福音を宣べ伝えるべきなのですか? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (5)”  (18/08/2024) *We cannot understand “who God is” unless He reveals himself to us.  But He does reveal himself because Read more…

(584) “主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。”

 まず質問です。もしあなたがある企業の人事課で働いており、新規に採用する社員を1人だけ選ぶための面接をしているとします。最終面接に残ったのはとても対照的な2人の人物でした。1人は能力的には「即戦力」として働ける技術を持っている若者ですが、経歴を見ると、これまでいくつもの会社を数カ月で解雇になっており、見るからに態度も悪そうです。もう1人は最近まで銀行員として20年以上働いてきた中年の男性で、ずっと介護してきた母親を最近看取り、長年の夢であった希望の職種である当企業に思い切って応募してきたという、技術的には1から指導しなければならないど素人。さあ、あなただったらどちらの人材を採用しますか?  もちろん、その時の会社のニーズにも大きく左右されることでしょう。「即戦力」を必要としているのか、はたまた「育てるのに多少の時間はかかっても、忠実に働いてくれる人材」が欲しいのか?もし経済的に余裕があるならば、両者とも仮採用して、しばらく様子を見るということもできるかもしれません。しかし状況が許さないとすれば、一体どちらの人材を採用することが適当なのでしょうか?  1つ言えることは、「技術ならばある程度『教育』によって養うことができるけれど、性格は簡単には変えられない」ということです。『責任感』『時間厳守』『礼儀作法』『仕事への情熱』『愛社精神や同僚との関係』などなど、単なる『能力』以外にも、共に働く人材に求められる要素は数多くあります。私なら「後者の人材」を選ぶような気がします。  私たちをこの世に送られた神様は、この地上において私たちと共に成し遂げたい多くの「みわざ」をお持ちです。ではそのために私たちが「1日も早く技術を磨くこと」をお望みでしょうか?いいえ、むしろ神様は私たちの内側に「ご自身のわざを担うべき品性」を培うことに熱心なお方です。聖書はその「第1の資質」として『神を恐れること』を挙げています。この『恐れる』とは「怖がる」ということではなく、「畏れ敬う」という意味です。神の「神たるご性質」を正しく理解し、心からの尊敬と信頼を置くこと、神は私たちの内にそのような態度が培われることをまず第1に願い、日々関わってくださるのです。

2024年8月11日 「福音を説く(4)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(4)」    (11/08/2024) *先週は「誘惑者である悪魔」、そしてその悪魔のわざを打ち破るために来られた「神の子イエス」について確認した。そしてこの『神の愛』に対するふさわしい応答が「信頼と従順によって現わされる『私たちの愛』」であることも。 ◆『いのち』とは? [ヨハネ10:10,14:6,ローマ6:23]  ・『盗人』というのは、まさしく『悪魔』のこと。そしてイエスは「いのちを豊かに与えるため」に来られた。この『いのち』というのは単に「生物学的ないのち」のことではなく、主イエスご自身、すなわち「神との親しい関係の中で生きる人生」のこと。これが主イエスの与える『救い(永遠のいのち)』であり、神の一方的な恵みによって与えられる。 ◆『いのち』があるのと無いのとでは、どう違うのか?  ・『いのち』とは、「いのちの源である『神』とつながっている」こと。このいのちが無いのは、電源につながっていない電気器具のように「存在しているだけ」。本来の役割を果たすことができない。では「私たちの本来の役割」とは?  ・私たちは『神の作品』。[エペソ2:10] 神の目的にふさわしく造られている。この『良い行い』というのはいわゆる「善行」のことではない。「良いお方」が私たち1人1人にふさわしく用意してくださったわざだから『良い行い』。  ・イエスは単に「神との関係を修復するため」に来ただけでなく、ご自身が『いのちそのもの』。[Ⅰヨハネ5:12] 彼はご自身を歓迎する者の人生に入って来られ[黙示録3:20]、決して私たちから離れることはない。[へブル13:5] 今日の要点 『永遠のいのち』とは、神との交わりの中でキリストと共に生きる「興奮の人生」 ◎更に深い学びのために  ①イエス・キリストを通して神が与える『いのち』とは、どのような『いのち』ですか?  ②神が私たち1人1人に与えておられる『本来の役割』とは? また、それをどうやって見出すことができますか?  ③イエス・キリストを『救い主』と信じて生きることは、そうしないで生きることと、具体的にどのように違いますか? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (4)”  (11/08/2024) *Last week we learnt how much God loved us so that we can respond to His love with our “trust and obedience”. Read more…

(583) “この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。”

 皆さんは、どんな人になら「心から信頼する」ことができますか?正直な人?愛情深い人?力の強い人?経済力のある人?恐らく多くの人は、相手を信頼する上で、その人の『能力』以上に『誠実さ』を重視するのではないでしょうか?ただ、1つの難しさは、いわゆる『善意の人』ほど「八方美人的」になってしまう傾向があり、そういう人は複雑な人間関係の中で「板挟み」になりやすく、結局約束を守れなくて相手をガッカリさせてしまうことが起こったりするのが世の常です。  それでは、一体どんな人が「信頼に値する」のでしょうか?もしかしたらそれは「自分に対して特別な思い入れを持ってくれている人」なのかもしれません。たとえその人が「皆に信頼されるタイプの人」でないとしても、自分の事だけは『特別扱い』してくれる。たとえ他の人をガッカリさせることはあったとしても、お互いの間だけは信頼を保ち続けることができる。そんな人を1人でも持っているなら、その人はきっと安定した心で日々を暮らせるに違いありません。  私たちを造られた「天の父なる神」は、私たち人類を『十把一絡げ』で愛しておられるわけではありません。1人1人に心をかけ、『特別に愛して』くださっているのです。そしてこのお方は「愛と善意」に満ちておられ、全知全能であられ、しかも決してあきらめることもないお方なのです。彼は「必ず約束を守ることのできるお方」であり、「自分自身を偽ることのできないお方」です。それ故このお方は「私たちからの『信頼』」を常に求めておられます。  身近に「心から信頼できる存在」がいる人(私と妻の関係のように…)はとても幸いです。しかしたとえそのような存在が1人もいなかったとしても、天地万物の創造主である『神』は、あなたにとって「信頼に足るお方」なのだということを、ぜひ覚えていてください。

2024年8月4日 「福音を説く(3)」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「福音を説く(3)」    (04/08/2024) *神は私たちの『絶対的な信頼』をお求めになる。しかしそれを好まない悪魔は、私たちの邪魔をする。 ◆悪魔の誘惑 [創世記3:1-6]  ・ここで蛇(悪魔)は木の実を用いて「3つの領域」において人を誘惑している。(6節) ①食べるのに良さそう  ②目に慕わしい ③賢くしてくれそう 現代でも私たちが神を見失い『罪』に陥るのは、同様の誘惑による。  ・神が私たちの傾向性を知っていながら同様にして導かないのは、「ご自身の性質に反する(ヤコブ1:13)」から。神は私たちが『ご自身の似姿』として「誘惑に勝利し、正しいものを選ぶ生き方」をして欲しいと望んでおられる。 ◆神の方法  ①神は私たちが「欲に負けてばかりいたら身を滅ぼすことを学べる」と知っている。神は私たちの成長を待つ。  ②神は『人』を「見えないものにも目を留めることのできる特別な存在」としてお造りになった。それ故あえてリスクを冒してでも、私たちに『優れた選択』をすることを期待して忍耐される。[Ⅱコリント4:18]  ③神は私たちが「神を愛する故の選択」をする余地を敢えて残された。[Ⅰヨハネ2:15-17]  ・神が御子イエスを遣わされたのは、悪魔のわざを打ち壊すため(Ⅰヨハネ3:8)であり、私たちに対する愛を明らかにされる(ローマ5:8)ため。それ故、神に対する唯一の正しい応答は「信頼と従順によって現わされる『愛』」。 今日の要点 「信頼と従順」によって、『神の愛』に応答する。 ◎更に深い学びのために  ①悪魔が私たちを誘惑してくる「3つの領域」とは何ですか? あなたの弱点は特にどの領域でしょう?  ②神の方法は、悪魔の策略とどのように違いますか? また、それはどうしてだと思いますか?  ③神は私たちのどのような『応答』を欲しておられるでしょう? それはあなたの今日の歩みにどう影響しますか? Outline of the sermon  “Preach the Gospel (3)”  (04/08/2024) *God desires our “absolute trust” which the devil absolutely hate it! ◆Satan, the tempter & accuser. [Genesis 3:1-6]  ・Here Read more…