(507) “聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。”

 あるクリスチャン作家の方が「聖書とはどんな書物か」ということを分かりやすく述べておられる記事(原文は英語)を見つけたので、今日はそれをそのまま翻訳してお伝えしますね。  「聖書に書かれている内容は、言うなれば『神の思い』『人間の状態』『救いに至る道』『罪人の行く末』そして『信じる者に与えられている幸福』である。また聖書はあなたを導く光であり、あなたの心を養う食物であり、あなたを元気づける励ましである。それはまた、旅人にとっての道しるべのようなものであり、パイロットにとっての方向指示器のようであり、兵士にとっての武器のようであり、スポーツ選手にとっての戦略のようなものである。それは驚くほどの富へと至る鉱脈であり、本物の喜びがあふれる川である。その教えは神聖で、そこにある命令は厳格、そこに書かれた歴史は真実、そしてその決定は不変である。聖書はイエス・キリストを究極的な主人公として書かれており、またそれはあなたの最善のために綿密にデザインされており、その目的は神の栄光である。知恵を得るためにそれを読み、安全に生きるためにそれを信じ、たましいの健康のために書かれていることを実践せよ。またそれをゆっくり、じっくり、そしてこまめに祈り深く読むように。聖書の言葉があなたの思いを満たし、心を支配し、人生の1歩1歩を導くようにせよ。それは今のあなたの人生のために与えられており、やがて最後の審判の日にも開かれ、永遠に記憶される。この書は我々に人生最大の責任を突き付けると共に、人生の全ての労苦に対する最大の報いを約束している。この書に書かれていることを軽んじる者は神の裁きを免れない。」  聖書を『崇高な書物』と思っている人は多いでしょうが、実際に手に取って深く学ぼうとする人は少ないかもしれません。1つだけ確かなことは、「聖書の内容を知らないことは、人生にとってとてつもなく大きな損失である」ということです。

2022年11月13日 「真理 vs クリスチャンの思い込み― 『信仰』とは?」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「真理vsクリスチャンの思い込み ー 『信仰』とは?」 (13/11/2022) ◆『信仰』とは?   ・『信仰』とは、力んで自分で生み出すものではなく、「神を知ることを通して私たちの内側から自然に生まれて来る『神への応答』」。そのため「神をどれだけ知っているか」によっておのずと差が出て来る。   ・クリスチャンになると、つい「クリスチャンとしてどう生きたら良いか」ばかりを学ぼうとしてしまいがちだが、それよりも「神はどういう方なのか?」ということをもっと学ぶべき。神は全世界・全宇宙の中で最も魅力的な存在。 ◆どのように「神を知る」?   ・神は、私たちがご自身を知ることができるように、いくつかのツールを与えてくれている。    ①ご自身が創造された様々な『被造物』を通して。 ②神のことばの集大成である『聖書』を通して。   ③私たちの切実で具体的な『祈り』に答えることによって。 ④『聖霊』による個人的なアプローチによって。 ⑤既にご自分のことをよく知っている『神の民』を通して。 ⑥『御子イエス・キリスト』を通して。   ・「周囲の状況から」という人もいるが、これはかなり危険。世の出来事の中には「悪魔によるもの」や「人為的なもの」が満ちている。『周囲の状況』だけで神様を判別しようとすることは大きな過ちのきっかけになり得る。   ・[ホセア書6:3] より深く神を知り、内に生まれて来る『信仰』を、幼子のように素直に、世にアピールして行こう! ✰今日のみことば: ヨハネの福音書 17章3節 ◎更に深い学びのために  ①『信仰』とはどのようなものですか? 「信仰の成長」のために不可欠なものは何でしょう?  ②私たちはどのようにして「神を知る」ことができますか? 「身の回りの出来事」は、その中に含まれますか?  ③あなたはどのようにして「信仰の成長を願っている人々」を助けることができますか? Outline of the sermon    “Truth vs fixed idea ― What is ‘Faith’?”  (13/11/2022) ◆What is “Faith”?   ・“Faith” is not ‘artificial activity’ but ‘our natural response caused by knowing Read more…

(506) “平和の神が、あらゆる良いものをもって、あなたがたを整え、みこころを行わせてくださいますように。”

 向上心を持つことは良いことですが、自分のありのままの姿を受け入れることなく「もっとあんなだったら良かったのに…」「あの人みたいだったらいいのに…」と、『別人』になることばかりを夢見ることは少々不健康であると言えるかもしれません。  『パーソナリティ』に良し悪しはありません。皆がそれぞれ違ったパーソナリティを持っているからこそ、世界は輝くのです。また、それぞれの人間性の違いは、創造主である神様の「豊かな創造性」を表現していると言えるでしょう。ですから「自分はこんな風じゃなかったら良かったのに…」という人は、ある意味「神様、あなたは私のことを間違って作ったでしょ?!」と文句を言っているようなものです。  ある人は「自分で何でもやりたがるタイプ(私はそうです)」かもしれないし、別の人は「できるだけ他の人にやらせようとするタイプ(私の妻がそうです)」かもしれません。またある人は「独立心が強いタイプ」で、別の人は「誰かと一緒にするのが好き」ということもあるでしょう。どちらも良い面があります。何故なら、神はご自身の願いを込めてあなたをそのように造られたからです。  「神様、私はこんな自分のことは嫌いです。もっと別の人格にしてください。できればぜひあの人のようにしてください!」そう祈りたい人は、トコトンそのように祈ってみたら良いでしょう。でも恐らく最後にはあなたの方がギブアップして「ありのままの自分を受け入れる」という道へと導かれるかもしれません。神様は「私たちを別人のように変える」というよりも、むしろ「自分にしかない魅力に気付かせ、そしてそれを更に伸ばすことができるように」と働いてくださる方なのです。

(505) “できる限り、全ての人と平和を保ちなさい。”

 『人間関係』というものは、生きている限り避けられないトピックであり、またしばしば私たちの頭を悩ませる課題でもあります。時々「人間関係をこじらせないためには、自分の信念を曲げたり、妥協したりすることは避けられない」という言葉を聞きますが、本当にそうでしょうか?  英語に「Win-winな解決」という表現があります。どちらかが妥協する代わりに、どちらにとっても益(勝利)となるような第3の案によって解決することです。何かを交渉したり、和解を試みたりする時、ついつい自己中心的になって自分が損をしないことばかり考えてしまったり、相手のあら捜しをしようとしたりしてしまいがちですが、そのような態度で交渉の場に臨むと、物事を多角的に見ることができず、せっかく神様が与えようとしている『最善の道』を見失ってしまいます。この「Win-winな解決」に至るためにはまず自らを「第3者」の立場に置いて状況を客観的に眺め、双方が抱えている課題や真の必要を見極める必要があります。  ここで難しいのが、それらを判別するには「自分自身のプライドを捨てること」や「自分の都合で決めたタイムリミットを変更すること」などがしばしば要求されることです。『予定変更』や『信念を曲げること』を好む人はあまりいません。しかしそれが「自分だけにとっての益」ではなく、「他の人と共に勝利感を共有する」という結果を生むなら、それは『価値ある犠牲』と呼ぶことができるのではないでしょうか?

20221030 「真理vsクリスチャンの思い込み―イエスの名によって」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ 「真理vsクリスチャンの思い込み ー イエスの名によって」 (30/10/2022) ◆「イエスの名によって」 = 「イエスの権威の下で」   ・「イエスの名によって」は、単に祈りの結びの言葉ではない。新約聖書には、イエスの名によって「教える・罪の赦しを受ける・迫害される」また「すべてのことをする」などの表現が出て来る。すなわち「イエスの名」は『祈り』だけでなく、日常生活全般に関わってくる。では「イエスの名によって」とは、どんな意味があるのだろうか?   ・[マタイ28:18] 私たちの生活の中で『イエスの主権』を認める必要のない領域はない。そして「イエスの権威の下で生きる者」だけが、地上で「イエスの名によって」主イエスの権威を行使することができる。 ◆「イエスの名によって」実を結ぶ   ・[ピリピ2:9-11] イエスの名に権威を与えたのは、御父。「イエスの名によって生きる者」は、父なる神に栄光を帰する。「イエスの名によって生きる」とは、「人生のすべての領域に喜んでイエスを迎える」ということ。   ・[ヨハネ15:16] 私たちは『残る実』を結ぶために「選ばれた」。神は私たち1人1人にユニークな『良い(実を結ぶ)計画』を与えておられ、そのために必要なものを「イエスの名によって」与えると約束しておられる。つまりそれらの『良い計画』は、決して私たちが「自分の力だけで」成し遂げることができるようにはされていない。神のみこころは、私たちが自分の人生のフォーカスを「プロジェクト」に置くのではなく、『イエス・キリスト』に向けること。 ✰今日のみことば: コロサイ人への手紙 3章17節 ◎更に深い学びのために  ①「イエスの名によって」を他の言葉で表現するなら、どのような言葉になりますか?  ②「イエスの名によって生きる」とは、具体的にどのような態度で生きることでしょう?  ③私たちはどのようにして「イエスの名によって実を結ぶ人生」を生きることができるでしょう? Outline of the sermon    “Truth vs fixed idea ― Christian likeness”  (30/10/2022) ◆“In Jesus name” = “Under Jesus’s authority”.   ・“In Jesus name” we do not only “prayers” but Read more…

(504) “それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。”

 聖書は『愛する』ということを重んじますが、現代人にとって「愛する」という言葉を聞くと、どうしても「男女間の愛」というものを想起させてしまいますよね?聖書が語る『愛』というものは、むしろ「周囲の人々に対して深い関心を抱く」というようなものです。すなわち「自分のことばかりに終始してしまうのではなく、他の人にとっての『最善』というものにも関心を払え」といった感じでしょうか?聖書には「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」という言葉もあります。神が私たちに『共感』してくださっているように互いに『共感する』ことは、神に造られ愛されている者としてふさわしい歩みなのです。  「周囲の人々に関心を払いながら歩む」という生き方には、次のようなものがあると思います。  ①『話す』よりも『聞く』 ― 誰でも自分の話に耳を傾けてくれる人を求めています。聞いてもらえるだけで「自分は大切にされている」と感じるのです。職業柄いろいろな方をカウンセリングする機会がありますが、半数近くの方は、こちらが親身になって話を聞いてあげるだけで、スッキリした表情で帰って行きます。  ②相手の肯定できる部分を肯定し、励ます ― 日本の教育はどちらかというと「誤りを正す」ということが重んじられるようです。「甘やかすのは良くない」という考えから出ているのかもしれませんが、「ほめる・励ます」ということは「甘やかす」こととは違います。幼い子供がブランコに乗る時に、よく親が後ろから押してあげることがありますよね?ところが子供たちはいつの間にか「自分でブランコを漕ぐこと」を覚えます。人は「誰かからちょっと背中を押してもらうこと」を必要としているのです。  私は毎朝犬の散歩に出かけますが、すれ違う人と微笑みを交わす時、何とも言えないポジティブな気持ちになれます。これが日本に一時帰国した際、東京などの大都市を歩いていると「無表情で自分の前だけを見つめて歩いている群衆」とすれ違い、何とも虚ろな気持ちになります。『微笑み』1つで周囲の人の心を豊かにすることができるのです。お金も時間もかかりません。周囲に対するほんの少しの心遣いです。あなたも試してみませんか?

20221023 「真理vsクリスチャンの思い込み ― クリスチャンらしさ」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ  「真理vsクリスチャンの思い込み ー クリスチャンらしさ」 (23/10/2022) ◆「クリスチャンらしさ」の思い込み   ・「教会へ通っている」「聖書を毎日読んでいる」「品行方正」などは『クリスチャンらしさ』ではない。クリスチャンでなくても立派な人はたくさんいる。このような勘違いは時には害になることがある。[ローマ2:15b]   ・「クリスチャンになると個性を失うのでは?」と考える人もいる。しかし「皆がキリストに似た者と変えられて行く」というのはなにも「皆が同じようになる」という意味ではなく、1人1人が「キリストのからだの器官」として個性的かつキリストにある調和の中で生きるようになること。[ローマ12:4~5] ◆真の「クリスチャンらしさ」とは?   ・『クリスチャン(Christ + ian)』は、「Magician」「Musician」などと同様に、「そのことに従事している」、すなわち「キリストがその人の世界の中心になっている」ということ。もし『クリスチャンらしさ』というものがあるとすれば、それは「教会へ行く」などの行動パターンではなく、むしろ『心の姿勢』。以下の3つくらいのことが考えられる。    ①心と思いとが『キリスト』に向いており、「キリストが自分の人生の王である」と認めている。    ②神が自分のことを、ご自身の栄光のためにスペシャルに造ってくださったことを信じている。    ③神が地上においてご自身のみわざを成就するために、喜んで自分自身を神に差し出す準備がある。 ✰今日のみことば: エペソ人への手紙 2章10節 ◎更に深い学びのために  ①「クリスチャンらしさ」に関してどんな誤解がありますか? あなたはそのような誤解についてどう思いますか?  ②クリスチャンの行動パターンが『マニュアル化』されてしまう可能性について、どう考えますか?  ③真の意味での「クリスチャンらしさ」とは、どのようなものが考えられるか、グループで話し合ってみましょう。 Outline of the sermon    “Truth vs fixed idea ― Christian likeness”  (23/10/2022) ◆Wrong impression about “Christians”.   ・There are all sorts of impressions about “Christians” such as “regular attenders Read more…

(503) “指導がないことによって民は倒れ、多くの助言者によって救いを得る。”

 最近ご主人を亡くされたあるご婦人の手記を見つけたので、今日はそれをそのまま引用させていただきます。 「長生きしている者の1つの特権は、これまでに自分が学んだ事を他の人に分かち合うことだと思うので、今ここでそれをさせていただきます。3つのことを書きますが、これらがそれを読む方の人生を少しでもより良きものとする助けとなりますように。  1.『時』というものは大変貴重です。それを無駄にしないように気を付けましょう。夫を天国に見送ってから、私は友人家族のお宅に居候させていただいています。ある晩彼らは口論を始め、しまいにお互いに口を利かなくなってしまいました。ええ、つい口喧嘩してしまうのは分かります。主人と私にも時々ありました。でもその度に「あぁ、こうして誰かと一緒にいられるって、何てかけがえのないことなんだろう」って思わされたものです。だからぜひ、やがてこの世での別れが来る大切な相手と一緒にいられる時間を無駄に過ごさないようにしてください。何をするにも心を通わせ、互いに愛を表現し合いながら行いましょう。どんなに長く一緒に過ごしている相手でも、やがてそれが過ぎ去った時、必ず「もっと一緒にいたかった」と感じるものなのですから。  2.今が思い出作りの時なのです。『良い思い出』をたくさん作りましょう。夫との人生を振り返る時、多くの「忘れ難い思い出」に溢れていることを、神様に心から感謝せずにはいられません。夫が天に召された日、そうとは知らず私は見舞いを終えて自宅に帰る前に、(いつも別れる前にそうしていたように)私は夫にキスをしました。そしてその日の晩に彼は天国へと旅立ったのです。「あの日も忘れずキスして良かった!」と、何度も思い返します。ぜひ『今』を大切にしましょう。あとで「後悔の念」にさいなまれないために。  3.『出来事』が重要なのではなく、それらに「どう反応したか」が大切なのです。誰の人生にも多くの困難や試練が襲って来ます。そしてもしあなたが神に信頼しているなら、あなたは必ずそれらのチャレンジの中に『成長の機会』を見出すことができるでしょう。今私たち夫婦の人生の道のりを振り返ってみると、自分たちが望んでいなかった出来事にも遭遇しなければならなかったことを認めざるを得ません。きっとそれらは誰にとっても避けられないことなのです。だからこそそれらの「困難な出来事や状況」のさなかで、後々振り返った時に「神様はあんなこともこんなことも、私を成長させる機会として用いてくださっていた」と神様に感謝できるような心の態度で1つ1つに対処してみてくださいね。」