(518) “すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いを守ってくれます。”

 年を重ね、様々な責任を負うようになるにつれて、『大きな決断』を迫られる機会が増えてきます。しかもそれらの決断を「できるだけ早く」しなければならないようなプレッシャーを感じることが多いのではないでしょうか。そのような時にぜひとも気を付けなければならないのが、「疲れていたり、体調が悪い時には、重大な決断は下さない」ということです。  「そんなことを言っても、タイムリミットが迫っているんだから…」とおっしゃるかもしれませんが、冷静に考えてみてください。急いで誤った決断をし、その後始末に追われるのと、多少決断が遅れて責められたとしても正しい決断をするのとでは、どちらが優っているでしょう?当然後者ですよね?そのためには自分が今どのような体調や精神状態でいるかをしっかりと見極め、休息の時間を取り、神の前に静まる時を持つべきです。  現代の『疲れ』というのは、単に休息を取れば癒される「肉体的な疲れ」よりも、「考えなければならないことに追い立てられる『精神的な疲れ』」の方が多いと思います。『神への信頼』とは、「神は良い方で、私のために良い計画を持っておられ、私が自分自身よりもむしろ彼に頼るなら、最も良い道へと導いてくださる」と信じて、自分自身を委ねることです。「自分で何とかしなければ」という風に固く握ってしまっている手を放して、全能の神の御手に自分自身を委ねるならば、深い安息を体験できるだけでなく、正しい決断へも導かれることをきっと経験できるはずです。

2023年1月29日 「へブル人への手紙」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「へブル人への手紙」     (29/01/2023) ◆「へブル人への手紙」の特徴   ・今年は『へブル人への手紙』を学んで行く。この書は紀元1世紀に世界(特にヨーロッパ)に離散していた「主イエスや使徒たちと直接会ったことのないユダヤ人クリスチャン」を対象に書かれている。しばしば『神殿・聖所』に関する言及があるのは、これらの人たちが直接は『エルサレム神殿』を見たことがないことを示している。   ・『へブル人への手紙』の1つの大きな主題は、『永遠の大祭司であるキリスト』である。彼の「神と人との唯一の仲介者」としての役割をを詳しく描写するために、旧約聖書が多く引用されている。 ◆なぜ「へブル人への手紙」を学ぶのか?   ①旧約聖書の背景がない私たち『異邦人クリスチャン』にとって、この書を学ぶことは「神の救いのご計画」を更に深く理解するためにとても有益だから。   ②新約聖書(特にパウロ書簡)は、どちらかというと「救われた者に相応しい行いの規範」的な傾向が強い。しかし『へブル人への手紙』はむしろ、「そのような行いに至るための動機」を私たちの内側に生み出してくれる。   ③旧約聖書の時代においてユダヤ人たちが「地上の全ての民族を祝福するために選ばれた者」であったように現代において私たちも「全世界の人々を祝福するために神がお選びになった存在」だということを確認できる。 ✰今週のチャレンジ: 神の祝福を運ぶ『選ばれた存在』という自覚を持っていますか? ◎更に深い学びのために  ①『へブル人への手紙』を通読したことがありますか? この書に対するあなたの印象はどのようなものですか?  ②『へブル人への手紙』の主題は何ですか? また、この書には何故旧約聖書が多く引用されているのでしょう?  ③『へブル人への手紙』を学ぶことにどんな益がありますか? また、あなたはどんな期待感を持っていますか? Outline of the sermon      “The book of Hebrews.”    (29/01/2023) ◆Some characteristics of “Book of Hebrews”.   ・This year we are going to read together “Book of Hebrews”.  It is written for “Jewish Christians Read more…

(517) “すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。”

 私たちの日々の生活の局面には『変化』が付きものです。職場や学校、家庭やその他の人間関係において「変わらないもの」は何1つありません。人によって多少の差はあるにしても、私たちには「様々な環境に『慣れる』」という能力が備わっています。と同時に、「せっかく慣れ親しんだ物や環境が失われることを嫌う」という傾向性も持っています。「不安定さ、不確実さ、予期せぬ出来事」というものに対する心備えが出来ていないのです。しかし実際には「不変な世の中」などは存在しません。生きていれば『変化』は避けられないのです。  ある意味『変化』は「突然」しかも「思わぬ時に」やってきます。仕事場での異動、肉親の死、自然災害など。そしてこれらの『変化』は私たちの人生をぺしゃんこにしてしまうこともできますし、また私たちを大きく成長させるきっかけになることもあります。そしてそのどちらになるかは「変化の種類」によるのではなく、「私たちの側の選択」にかかっているのです。  この世界で唯一『不変』なもの、そして私たちが真に「人生の不動の礎」として頼ることができるのは、天地創造の神だけです。そして、この世に変化が付きものなのは、この『不変の神』が、私たちを「誤ったものに頼ること」から守ろうとしておられるからに違いありません。神は、私たちが日頃頼ってしまっている様々なこの世のものが「実は全く頼りにならない」ということをよぉくご存じなのです。  「この世のものは全てはかないのだから、『世捨て人』のように生きなさい」と言っているわけではありません。ぜひ1日1日を大切に、目の前にある責任や人々を精一杯大切にして、全力を傾けて生きてください。ただ、1つのことだけ忘れずに。創造主なるまことの神だけが、あなたが『人生の拠り所』とすることができる唯一のお方なのだということを!

(516) “私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。”

 イエス・キリストは、その『教え』や『みわざ』の卓越性のゆえに「近寄りがたい存在」というような印象を与えますが、決してそんな存在ではありません。彼は『神の子』として地上に来られましたが、あくまで『人』として生きられたのです。勝手なイメージで美化しすぎることなく聖書が描く「イエス・キリスト」を観察するならば、彼がいかに「人間臭い」かが見えてきます。イエスは私たちと同じように1人の女性から生まれました。私たちと同じように疲れを感じ、のどが渇き、お腹をすかせました。腹を抱えて笑い、怒り、涙を流しました。そして時には仲間たちと酒を飲みながらどんちゃん騒ぎもしました。  そんな中で聖書が伝えるイエス・キリストの素晴らしさは、ご自身の体験を通して「私たちの痛みを分かってくださる」ということです。私たちは深い悩みや心の痛みの中にいる時、あまりの辛さのゆえに、周囲の慰めに対して、「あなたたちになんか、この私の痛みが分かるわけない!」と毒づきます。しかし実際は、「誰かにこの辛さを分かって欲しい」と心底思っているのです。ただ、うわべや口先だけの慰めに嫌気がさしてしまうだけなのです。しかし、聖書をじっくり読めば分かることですが、イエス・キリストは実に「筆舌尽くしがたい悩み・苦しみ」を経験された方でした。自分に与えられた使命を家族にさえ理解されず、人々は「イエスご自身」ではなく、「イエスから受ける利益」だけを目当てに近づいてきました。親友は無残に殺され、信頼していた弟子には裏切られ、社会的リーダーたちからは敵視され、ついには『十字架刑』という極刑に処せられて殺されたのです。あなたの知り合いに、これほど惨めで悲惨な人生を歩んだ人はいるでしょうか?  このイエスが、十字架刑から3日目によみがえられ、今日も生きて私たちとともに歩んでくださるのです。私たちの悩みや痛みを完全に理解してくださるのです。何故ならご自分が「同じように試みにあわれた」からです。このイエスこそまさに、あなたが必要としている『救い主』なのです!

2023年1月15日 「神は良いお方」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ     「神は良いお方」     (15/01/2023) ◆神は、どんなふうに『良い』のか?   ・神は『良い方』である。神は初めこの世界(私たちを含め)を「良いもの」として造られた。[創世記1:31] それを私たちが台無しにしたにも関わらず、私たちを罪と滅びの渕から救い出すために、ひとり子をこの世に送り、十字架の代価によって贖い、私たちを再び『ご自身のかたち』に生きるように回復してくださった。これが「神の良さ」!   ・私たちは、この「神の良さ」を表現するように召されている[エペソ2:10]が、自分の力ではできない。[ローマ7:18-20] 『良い行い』というのは単なる「善行」のことではなく、1人1人の生き様を通して現される「神の良さ」のことである。そのために「キリスト・イエスにあって」造られた。すなわちキリストが日々聖霊によって「御父の臨在の中」で過ごしていた、その模範に倣う。何故なら御父だけが『良い方』だから。[ルカ18:19] ◆『神の良さ』を日々味わう   ・主イエスと私たちとでは『神の良さ』の理解度が大きく違う。まず「神が良い方であること」をじっくり味わうことから始めよう。[詩篇34:8] それにはまずスローダウン。イエスは決して「行動に急ぐ」ことはなかった。次に「みことばを心に満たす」。これが御父に近づく秘訣である。イエスは「わたしが道・真理・いのち。わたしを通してでなければ父の許へは行けない」とおっしゃったが、『みことば』もこれと同じである。[詩篇119:105,ヨハネ17:17,6:63] ✰今週のチャレンジ: 神が『良い方』であることを、どれだけ知っていますか? ◎更に深い学びのために  ①あなたが個人的に「神は良い方である」と言う時、それは神のどんな『良さ』について言っているのでしょう?  ②[エペソ2:10]をじっくり読みましょう。ここで言う『良い行い』とは何ですか? どのようにそれは成就しますか?  ③あなたが更に『神の良さ』を味わうために、どんなことができますか? それをぜひ今日から始めましょう! Outline of the sermon      “The good Father.”    (15/01/2023) ◆How much “good” is our God?   ・God created everything “good”(Genesis1:31) because He is “good”.  Adam spoiled it but God redeemed us by    sacrificing Read more…

(515) “たとえ、死の陰の谷を歩むとしても、私はわざわいを恐れません。あなたが、ともにおられますから。”

 ある子供が近所の森に『キノコ狩り』に行ったそうです。よくありがちなことですが、彼はキノコ探しに夢中になって、どんどん森の奥の方に入って行き、ふと気が付くと全く見覚えのない場所に迷い込んでいて、自分の家の方向がまるっきり分からなくなってしまったそうです。少年は物凄く不安になりました。幸いその森はそれほど広くはなかったので、何とかかんとかやっとのことで家に辿り着けたそうですが…  それから何日か経って、その子供はもう1度『キノコ狩り』に行ったそうです。懲りない性格ですね。そしてまた前回と同じようにキノコ探しに夢中になってどんどん森の奥に入って行きました。しかし今回は迷うこともなかったし、不安になることもなかったそうです。何故でしょう?実は、今回は少年のお父さんも一緒に来ていたのです。少年はキノコ探しに夢中になりつつも、常にお父さんが見えるところにいることをちゃんと確認していたのです。  聖書の中には多くの「神の約束」がありますが、恐らくそれらの中で最もすばらしくて力強い約束は、「共にいてくださる」ということだと思います。私たちはできることなら「何の問題もない人生」を過ごしたいと願いますが、残念ながら神を信じていても信じていなくても問題は起こります。「神様が私を愛してくれているなら、どうして問題なんて起こるの!」と文句を言いたくなるかもしれませんが、ある面『問題のない人生』は、『成長のない人生』です。神は私たちの人生に『困難』が起こることを容認することを通して、私たちを「成長させる」とともに、『私たちと神との関係』というものを、より深く豊かなものとしようとされているのです。

(514) “これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。”

 1日1日は神からの贈り物です。1日でも浪費してしまうことは、実にもったいないことです。皆さんは誰かから『贈り物』をもらった時どうしますか?まず贈ってくれた人に感謝し、ワクワクしながらその贈り物の包みを開けて、その中身を楽しみますよね?私たちは1日1日をそんな風に楽しむことができるのです。  忙しい日々を送っていると、つい「時間を無駄にしないように」と考えて『計画的』に時間を過ごそうとします。そのこと自体は悪いことではないのですが、それが高じると常に「先のことばかり」を考えてしまって、『今目の前にあること』を存分に楽しむ余裕を失ってしまうことが多くあります。常に「より生産的であろう」とするがあまり、自分の心の中はドンドン余裕がなくなって、その日のノルマをこなすことで精いっぱいで、次の日が来るのが恐ろしくなってくることさえあるのではないでしょうか?  この新しい年、そのような悪循環から脱出してみませんか?朝目覚めたらまずゆっくりくつろげる場所に行き、新しい1日が与えられその日を生きるためのいのちも与えられていることを神に感謝する時間を取りましょう。そして今日という1日が神からの贈り物であり、神が用意してくださっている感動や驚きがあちこちに散りばめられていることを期待しつつ、ゆっくりと心の余裕をもって『宝探し』のような気持ちで過ごしてみましょう。1年を通してそのような態度で過ごすことができたなら、年の終わりには昨年の終わりとは全く違った気持ちに変えられているに違いありません。

2023年1月1日 「聖書・キリスト・そして聖霊」

礼拝全体の様子をYouTubeで観る 説教あらすじ   「聖書・キリスト・そして聖霊」   (01/01/2023) ◆聖書にはどんなことが書いてあるのか?   ・聖書には、まず「神について」書かれている。「創造主・全知全能・祝福といのちの源・悪と妥協しないお方」として、そして何よりも「人を創造し、常に人と関わろうとする存在」であると述べている。次には「人とは何者なのか」が書かれており、「神を離れては真の存在意義を見出せない存在」として描かれている。また新約聖書に関して言うならば、「神と人との仲介者として世に来られた『神の子キリスト』」を中心として書かれている。 ◆キリスト=神のことば   ・イエス・キリストは、何故この世に来られたのか?それは聖書が示しているのと同様、「神とは誰か」「人とは何者なのか」をもっと分かりやすい形で私たちに示すためだった。まさに「神のことばが人となられた」のである。   ・「キリストにあって歩む」とはすなわち「神のことばである聖書」に沿って歩むということ。しかし私たちが『ことば』というものに注目して生きようとする時、どうしても律法的になりやすい。この「律法的になること」から私たちを守ってくれるのが、「聖霊の働き」である。[Ⅱコリント3:6,ローマ8:3-4]   ・この新しい年、「キリストにあって歩む」ために、①キリストが成し遂げられた歩みに憧れ、②「御父が望むことを行いたい」という願いをもって聖霊の導きを待ち望み、③聖霊の導きを確信したら、迷わずに実行して行こう! ✰今週のチャレンジ: 聖霊に導かれたら、迷わず従おうとしていますか? ◎更に深い学びのために  ①「聖書にはどんなことが書いてあるのか?」と尋ねられたら、あなたはどう答えますか?  ②イエス・キリストが、「神のことばが人となられた存在である」と言えるのは、どのような視点からでしょう?  ③律法的になることなく、神のみことばを実践していくために、どうすればいいですか? Outline of the sermon      “Bible, Christ and the Spirit.”    (01/01/2023) ◆What does the Bible talk about?   ・First of all the Bible talks about “who ‘God’ is”.  And it talks about “who ‘human being’ is”.  Then it Read more…

(513) “からだの明かりは目です。ですから、もしあなたの目が健やかなら全身が明るくなります。”

 『ビジョン』とは、神から与えられる「まだ見ていないものを見る」能力です。「単なる希望や夢」は誰でも持つことができ、ただ漠然と思いの中に抱いているだけですが、『ビジョン』はより具体的であり、いつも「心の目で見ている」必要があります。  旧約聖書の時代に神がアブラハムに「あなたは大いなる国民の父(始祖)となる」とおっしゃられた時、彼は既に75歳であり、しかもまだ子供は1人もいませんでした。普通に考えるなら「不可能」ですよね?きっとアブラハムも初めはそう考えたことでしょう。しかし神はアブラハムを宿営の外へ連れ出して星空を眺めさせ、「あなたの子孫は、今あなたが観ている空の星のように地に増え広がるであろう」とおっしゃいました。アブラハムは、ただ『聞く』だけでなく、『見る』必要があったのです。実際彼が1人目の子供を授かるまでにまだ20年以上もかかったのですが、アブラハムはきっと夜空の星を見上げるたびに、神の約束を思い起こしていたに違いありません。  いのちあるものを生み出すためには、何よりもまず、内に「身ごもらなければ」なりません。そしてそれはあたかも「心のキャンバスに描く」ようなものなのです。それを日々じっと見つめながら、今できることに全力を尽くすのです。  偉大な彫刻家ミケランジェロは、他の人には単なる石の塊にしか見えないものの中に『ビジョン』を見、「私はこの中に閉じ込められているものを解放してやらねばならないのだ」と言って次々と作品を作り出していったそうです。神様は私たちの人生の中にも『傑作』を閉じ込めています。来たる2023年、私たちは神様が見せてくださる『ビジョン』を共に見つめながら、この「自分の内に秘められた神の傑作」を解放するべく、ひたすら励んで行きましょう!