(593) “私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。”

 私がクリスチャンになったのは大学生の時ですが、それ以前から『クリスチャン』という存在に対して(実際に会ったことはありませんでしたが…)何となく好感を持っていました。まあ「『クリスチャン』って良い人な気がする」という程度ですが。どうしてそう感じていたのか思い出してみると、たぶん「きっとクリスチャンは『良いこと』をしていないと神様に叱られるのだろう」と考えていたような気がします。しかし、そうではないことが、自分がクリスチャンになってみて、よぉく分かりました。  『クリスチャン』が人々に好印象を与えるのは、「良いことをしないと救われないので、一生懸命にガンバっているから」ではなく、むしろ「自分のようにろくでもない人間が、『神からの一方的な恵み』によって救われたので、ただ嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいで、ついつい神に喜ばれることをしてしまう」ということなのです。  またある人は、「『クリスチャン』の人たちは、どうして『布教活動』をするのだろう?何か『ノルマ』のようなものがあるのだろうか?」と感じているかもしれません。これも大きな誤解です。『クリスチャン』には、『ノルマ』のようなものは全くありません。彼らが人々に「キリストによる救い」を宣べ伝えるのは、自分が受け取ったその『救い』があまりに素晴らしいからです。  私はラーメンが大好きです。日本に一時帰国するたびに「美味しいラーメン屋探し」をします。最近ではこのニュージーランドにもかなり高水準のラーメン屋が出現して来ました。こうなると私は黙っていられません。まず自分で食べて確かめてから、「これは美味しい」と感じたなら、ついつい友人たちに「美味しいラーメン屋を見つけたぞ~!」と宣伝しまくります。それが皆のためになると固く信じているからです。『クリスチャン』が他の人々にキリストを伝えようとするのも、全く同じ理由なのです。  ここまで聞くともしかすると、「『キリストの救い』がそんなに素晴らしいものならば、神様はどうしてもっとダイナミックな形で人々に『無理にでも信じるように』させないのだろうか?」と感じる人もいるでしょう。きっと神がそのようにはなさらないのは『私たちの自由意志』を尊重されるからだと思います。神が望んでおられるのは、単に私たちが「神の救いを信じること」ではなく、「私たちと『愛の関係』に結ばれること」なのです。『真実の愛』は「強制されること」によっては培われません。そのため神様は私たちに(聖書などを通して)必要な情報だけは与え、あとは私たちがご自身の愛に気付いて振り返り、歩み寄って来るのをひたすら待っておられるのです。  あなたも、この『神との愛の関係』に結ばれて、日々を歩んで行きたいとは思いませんか?

2024年11月24日 「パウロの祈り」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「パウロの祈り」   (24/11/2024) [ピリピ人への手紙1章9~11節] ◆神の栄光 (11節)  ・パウロの祈りは、「あなたがたが祝福を受け、守られるように」ではなく「あなたがたを通して『神の栄光と誉れ』が現されるように」であった。パウロの思いの中にはいつも、「私たちの営みの全ては『神の栄光のため』である」という意識があった。そしてピリピの教会もこのパウロの思いを共有していたのである。私たちも同様でありたい。  ・全てのキリスト者が知っておくべき「2つのこと」がある。  ①私たちは生まれつきの自分のガンバリでは、決して「神を喜ばせること」も「神の栄光を現すこと」もできない。  ②キリストにある「永遠のいのち」とは、地上にあって「神の喜び」となり、神の栄光を現す『人生』そのものである。 ◆神の国の価値観 (9~11節)  ・パウロは祈りの前半で「神の栄光が現される前提」のために祈っている。それは私たちが「大切なことを見分けられるようになる」こと、すなわち『正しい価値観(神の国の価値観)』を持つようになるということ。  ・「この世の価値観」と『神の国の価値観』では全く違う。私たちは自分自身を明け渡し、日々次のように祈るべき。 「主よ、今日も私自身をあなたに明け渡します。『この世の価値観』ではなく、『神の国の価値観』によって歩ませてください!」 今日の要点 『神の国の価値観』に生きるために、自分自身を明け渡す ◎更に深い学びのために  ①パウロはピリピの教会のためにどんなことを祈りましたか? また、それはどうしてだと思いますか?  ②私たち『キリスト者』は、この地上で「キリストにあって」生きるために、どんなことを知っておくべきですか?  ③『神の国の価値観』には、どんなものがあるでしょう? また、それに沿って歩むために必要なことは何ですか? Outline of the sermon  “Paul’s prayer for Philippians.”  (24/11/2024) [Philippians 1:9~11] ◆Glory of God. (Verse 11)  ・Paul prayed for Philippians not for their health or prosperity but for Read more…

(592) “イエスは、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。”

 皆さんは『ストラディバリウス』というバイオリンの機種をご存知でしょうか?「世界最高峰の音色を生み出す名器」と呼ばれ、有名なバイオリニストや世界の資産家たちが競って手に入れようとするこのバイオリンは、最初『アントニオ・ストラディバリ』という貧しいバイオリン職人によって製作されました。アントニオはとても貧しかったので、他の人々が使うような立派な材木を手に入れることができず、近所のさびれた船着き場を巡りながら、水浸しになっている木材の中から使えそうなものを拾って、きれいに洗って乾かし、バイオリンとして仕立てていたのです。  どうしてそのような、いわば「廃材」から『名器』が生まれたのでしょうか?調べによると、海辺で水浸しになっている間に微生物が木材の中に入り込み、微生物には食べられない「固い繊維質」だけを残して木材の中身が食い尽くされていたことが、かえって「美しい反響を生み出すバイオリン」を生み出す結果となったのです!  もしかして皆さんの中にも「自分は何も取り柄がなくて、生きている価値もないつまらぬ存在である」と思っておられる方がいるかもしれません。しかし『神の御手』にかかればそんなことはありません!この天と地を創造され、あなたをこの地上に生み出された神様は、あなたをこよなく愛し、傷ついた心を癒し、辛い過去や苦々しい思い出を洗い流して、美しい音色を生み出す存在へと生まれ変わらせることがおできになる方です。  あなたも、この大いなる『神の愛の御手』に、自分の人生を委ねてみませんか?

(591) “夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。”

 聖書を深く読んで行くうちに、『関係』というものが重視されているという事が分かってきます。それは主に「神と人との関係」、そして「人と人との関係」などです。そしてこの2つが微妙に結びついていることも見えてくるのです。  また聖書が語る『人間関係』の中で最も崇高で高い基準が要求されているものは、『夫婦関係』です。どれくらい崇高かというと、「夫婦関係が壊れることは、『自分が神に造られた存在である』という自己認識が破綻することである」というほどです。『夫婦関係』は、単なる「人間関係の1つ」ではなく、「肉体的、精神的、かつ霊的な親密さを要求するもの」であり、人生のエネルギーの全てを尽くす価値があるほどの『関係』なのです!  このような「親密で強固な関係」というものを形造る上でどうしても必要な要素は『愛と信頼』です。これらはどちらも「自然発生的に生まれるもの」ではなく、意識的な日々の努力や決断によって育まれるものです。相手の最善を願って、そのために自分ができる努力を惜しまない。また、相手の善意を信頼し、その善意に誠意をもって全力で応えようとする。夫婦が互いにこれらに怠りなく務めているなら、神は私たちの夫婦関係を祝福せずにはおられない、神とはそういうお方なのです。

2024年11月10日 「教会の真の姿」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「教会の真の姿」   (10/11/2024) [ピリピ人への手紙1章7~8節] *インターネットも無い時代に、パウロはどうやってピリピの教会との『一体感』を保っていたのだろう? ◆『神の恵み』に共にあずかる (6節)  ・『恵み』と聞くとつい「心地良いもの」ばかりをイメージするが、決してそうとは限らない。『恵み』とは「受けるに値しないのに与えられるもの」、すなわち『報い(報酬)』の反対語である。『報い』に「喜ばしいもの」と「そうでないもの」とがあるように、『恵み』にも「喜ばしくないもの」もある。  ・キリストの「身代わり」の故に、本来私たちが受けるべきであった『報い』をキリストが引き受け、代わりに私たちは「本来キリストが受け継ぐべきであった『神の恵み』(仮にそれが『迫害』だとしても)」を受ける。[ピリピ1:29] ◆キリストの愛の心 (8節)  ・キリストが何よりも望んだ事、それは「神と人との交わりの回復」である。それ故『キリストの愛の心』とは、「相手が神からの恵みを受け取ることを妨げているものを、何としても取り除こう」とする、決してあきらめない心。  ・『教会』は「キリストのからだ」、すなわち『キリストの心』を反映する存在である。だからこそ私たちは「恵みによって神から与えられるものを共に喜んで共有し、日々神に近づくよう力の限り励まし合い、助け合う者」であろう! 今日の要点 『神の恵み』に共にあずかり、『キリストの心』を共有する ◎更に深い学びのために  ①「キリストにある恵み」とは、実際のところどういうものですか? 何故そう言えますか?  ②「キリストの愛の心」は、どのような形で現わされますか? 何故そう言えますか?  ③JCFが「キリストのからだ」としての本領を発揮して行くために、あなたにどんなことができますか? Outline of the sermon   “True figure of ‘the church’.”   (10/11/2024) [Philippians 1:7~8] *How did Paul keep “unity” with Philippians without internet? Let’s find out! ◆Partaking “grace of God”. (Verse 7) Read more…

(591) “あなたの愛する妻と生活を楽しみなさい。”

 3組に1組の夫婦が『離婚』という結末に至ってしまうという現代ですが、その多くの原因が「結婚生活というものに飽きてしまったから」というものだそうです。  多くの人々は「子供の教育」「自分のキャリア」また「将来のための貯蓄」というものには一生懸命『投資』しているにもかかわらず、それらの基盤となる『結婚生活』にはあまり『投資』してはいないのではないでしょうか?結婚生活が進んで日々の生活に慣れて来るにつれて、私たちには時間やエネルギーに余裕が出来てきます。そして何故かその『余裕』を「更に2人の関係を高めたり深めたりすること」には使わずに、「不倫・ポルノ・ゲーム」など、ひまつぶしのために浪費してしまうのです。  「夫婦関係をより強固なものにする」とは、それほど難しいことではありません。1つの良い例は「毎晩食事を共にして、その日にあったことを分かち合う」というようなことです。『愛する』とは、言わば「相手に興味を持つこと」であり、相手が今日1日をどのように過ごしたのかを共感しながら聞くことから始まります。また時には一緒に公園を歩いたり、映画を観に行ったり、素敵なレストランで食事をしたりするのも良いでしょう。(ちなみに私たち夫婦は毎週デートしています!)  聖書は「お互いの成長に役立つことを追い求めなさい」とあります。ちまたには様々な「OOコース」や「OO教室」のようなものがあったり、スポーツジムやスイミングプールなどもあります。それぞれが知的・肉体的に自分を磨き、その日その日の成果を分かち合い、称え合う。そのような「結婚生活への『投資』」をすることは、人生の『幸福感』を豊かにする大切な秘訣だと言えるでしょう。

2024年11月3日 「喜びをもって祈る」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「喜びをもって祈る」    (03/11/2024) [ピリピ人への手紙1章3~6節] ◆人々の信仰の故 (4~5節)  ・ピリピの教会は「最初の日から」パウロと共に『福音を伝える』という神からの使命を担い続けていた。パウロたちが捕らえられ、牢獄に入れられたのを見て、「もうこの人たちとは関わらない方が良い」と結論付けても止むを得ない状況で、彼らはパウロの働きを支え続けた。きっとパウロは「自分は1人ではない。共に『救霊の思い』をもって進んでくれている人たちがいる!」と大いに励まされ、困難の中でも喜び続けることができたに違いない。 ◆神のみわざの故 (6節)  ・パウロの心の中にはいつも、「私が仕えている神は良い方で、ご自身のご計画を必ず成就なさる真実なお方である」という確信があった。彼の願いは単に『福音宣教』だけではなく、「信じた人々が『神の子ども』として日々聖霊によって造り変えられ、やがてキリストの似姿へと完成されて行くこと」だった。彼は、神がご自身の全能の力により、日々このみわざを成し遂げておられるのを見ながら、言いようもない『喜び』に満たされていた。  ・私たちも「神の家族と共に福音のために労すること」、また「自分の周りで行われている神のみわざを見つめること」によって、『喜びをもってとりなす者』とされて行こう! 今日の要点 「喜びをもってとりなす者」とされる ◎更に深い学びのために  ①パウロは、ピリピの人々のことを思うたびに、なぜ『感謝と喜び』に満たされたのでしょう?  ②人々のために祈りをもってとりなそうとする時、あなたの心から『喜び』を奪うものは、どんなものですか?  ③「喜びを持ってとりなす者」となるために、心掛けておくべきことは何ですか? Outline of the sermon   “Make our prayer with joy.”   (03/11/2024) [Philippians 1:3~6] ◆Because of people’s faith. (Verses 4~5)  ・Philippians were always supporting Paul for his mission since very first days.  They committed themselves even Read more…

(590) “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、1人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”

 キリスト教で言われる『救い』をひと言で言うなら、「罪の赦しと永遠のいのち」です。ところが残念なことに、この『罪』という概念が正しく理解されないがために、しばしばキリスト教に対する誤ったイメージを抱かれてしまうことがあります。  思うに、ほとんど全ての人は「良いことをしたい」と思っているのではないでしょうか?ところがついつい私たちは「自分中心の考え方」や「その時の都合」などを理由に、いわゆる「良くないこと」をしてしまいます。聖書はこのような私たちの傾向性を『罪』と呼んでおり、それは私たちが「神に背を向けて歩んでいるからだ」と教えているのです。  私の友人で癌を患っている方がいます。癌細胞は放っておくと次第に患者の肉体を蝕んで行き、最終的には『死』に至らしめます。ですから現代医学では「抗がん剤治療」や「放射線治療」などによって、何とかこの癌細胞を撲滅しようとするわけです。  同じように、私たちの『罪』は癌細胞のように私たちの人格を次第に蝕んで行き、最終的には「死と滅び(神との永遠の断絶)」へと追い込むのです。キリスト教が提供する『救い』(いわば『特効薬』)とは、この「罪がもたらす死と滅び」からの救いであり、それは神が私たちの罪を身代わりに負わせるために遣わされたひとり子「イエス・キリストの十字架のみわざ」を『自分の事』として個人的に信じ受け入れることから来るのです。これは「人類すべて」にとって必要な『救い』であり、また「信じる者は誰でも」受け取ることのできる『救い』なのです!