皆さんの中で、床に置いてある30センチ幅で長さ5メートルの板の上を、端から端まで落ちないで歩き通すことができる人はいますか?恐らくほとんどの方が問題なく歩くことができると思います。では、その板を今度は隣り合った10階建ての2つのビルの屋上の間に渡したとしたら、渡ることができますか?きっと皆さん「お断りします」とおっしゃるでしょうね。どうしてでしょう?能力的には問題なく歩き渡れるはずです。なのに誰も渡ろうとはしない。それは『恐れ』が原因です。
このように、私たちは『恐れ』の故に、本来の能力を発揮できなくなることが多々あります。勉強が得意で、テストではいつも百点をとっているのに、授業中の質問には全く答えられない。「皆に見られている」と思うだけで、緊張して答えられなくなってしまうからです。
聖書は、「天地の創造者であり、私たちをこよなく愛しておられる神を知ることを通して、このような『恐れ』を克服できる」と教えています。何故なら聖書が語る神は、「良い方であり、すべてに勝って力ある方であり、そしてそのひとり子を身代わりに死なせるほどに私たちを愛しておられる方」だからです。
不思議なことに、私たちはこの『恐れ』によって「望ましくない出来事」を誘引してしまうことがあります。驚いたことに、ウサギや鹿などの弱小動物は、ライオンやトラが襲ってきたとき、生まれたばかりの赤ん坊を置き去りにして逃げるそうです。これは赤ん坊を見捨てるのではなく、かえって救うためです。何故なら猛獣たちは弱小動物たちの『恐れ』の波長をかぎつけて追いかけてくるからです。生まれたばかりの赤ん坊は『恐れ』を知らないので、襲われる危険性が少ないのです。
私たちはこの『恐れ』の波長を「恵みと力に満ちた『全能の神』に対する信頼」に置き換えることができます。私たちが『恐れ』を抱えている心の中のスペースは、本来はこの「創造者なる神」に対する信頼を据えるスペースなのです。このスペースを『空席』のままにしておくと、悪魔がやってきて、「シメシメ、こいつの『神様用』のスペースは空席のままだぞ」と言って、代わりに『恐れ』を放り込んでいくのです。
幼い子どもは暗い夜道を歩くことを恐れます。でもお父さんが一緒ならこわがることはありません。「お父さんはどんな敵よりも強くて、必ず自分を守ってくれる」と固く信じているからです。私たちの『父なる神』も、私たちがこのように彼に深く信頼し、『恐れ』から解放されて生きることを心から望んでおられるのです。
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