上記の聖書の言葉は、『黄金律』とも呼ばれる、イエス・キリストが残された教えの中でも最も有名なものの1つです。「言うのは簡単そうだけど、実際にこのように生きるのはとても難しい!」と感じてしまいそうですが、何も大それたことをする必要はありません。「自分にしてもらいたいことを、他の人にもしてあげるチャンス」は、日常生活の中でいくらでもあるものです。
私が働いている教会は、街の大通り沿いにあり、隣りには大きなスーパーマーケットもあるので、1日にたくさんの人々とすれ違います。ちょっと観察してみると、それぞれ「忙しそうな顔」「思案げな顔」「幸せそうな顔」「落ち込んでいる顔」など表情は様々ですが、ある時ふと、「幸せそうな顔の人」を見かけると自分も何だか幸せな気分になり、「落ち込んでいる顔の人」を見かけると暗いことを考えてしまう傾向があることに気付いたのです。そして「では自分はいつもどんな顔をして歩いているのだろう?」と思わされました。
教会で歌われている賛美歌の1つに『スマイル』というタイトルの賛美歌があり、その歌詞は次のようなものです。「『スマイル』、それは誰もが持っている宝物。『スマイル』、それは買うことも借りることもできない。『スマイル』、それがなくても生きていけるほどの、強い人も豊かな人もこの世にはいない。神様がくれた素晴らしい贈り物。幸せを運び、減ることがない。」 そう、『笑顔』は人に微笑みかけても少しも減ることがなく、かえって相手の心に微笑みをもたらすことができます。「そうだ!私はこれから外を歩く時、1人1人に微笑みかけながら歩こう!」 そう決めました。すると、外を歩くのが楽しくなりました。実際、微笑みかけながら歩くと、多くの方々は微笑み返して下さるのです。
ところが時には、微笑みかけるとかえって迷惑そうな表情をする人もいます。その顔はいかにも「アンタは幸せそうでいいねぇ。こっちは踏んだりけったりで、アンタのその笑顔を見ると、逆に落ち込んでくるよ」とでも言っているかのようです。そんな時は「あまりむやみに微笑みかけるのも良くないかな?」などと思ってしまいます。
『ほほえみ』という詩があります。その詩の終わりは次のように結んであります。「もしあなたが誰かに期待したほほえみが得られなかったら 不愉快になる代わりに あなたの方からほほえみかけてごらんなさい ほほえみを忘れた人ほど それを必要とする人はいないのだから」
カトリック系の大学学長を40年も勤めていらっしゃる渡辺和子さんは次のようにおっしゃっています。「時々わたしからのほほえみを無視する人たちがいました。そんな時にはこう考えることにしたのです。『今のわたしのほほえみは、“神様のポケット”に入ったのだ』と。」
あなたはいつもどんな顔をして歩いていますか?
0 Comments