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私の友人が自分のエレキギターのソフトケースを注文しました。しばらくして朝にメッセージが届き、そこにはこう書いてありました。「ご注文のギターケースは、今朝7時に発送されました。」 ちょうどその日は夕方にある場所で演奏する予定があったので、「7時に発送されたんじゃ、きっと午前中のうちに届くだろうから、夕方の演奏の時には新しいケースに入れてギターを持って行けるな」と、彼はとても喜びました。
ところが、お昼になっても荷物は届きません。彼は少々ガッカリしましたが、「ここはニュージーランドだから、日本のようには行かないよな。でも出発まではまだ4時間もあるから、まあ余裕だろう」と、特に焦ることもなく、荷物の到着を待ち続けました。ところが、3時を過ぎても、3時半になっても、いまだに荷物が届きません。さすがの彼も焦り出して、神様に向かってこう祈りました。
「ねぇねぇ、神様ぁ~、何とかしてくださ~い!ボクは今日は新しいケースにギターを入れて持って行きたいんですぅ。」
全く『礼儀正しい』とは言えない祈りでしたが、彼の心からの真実な叫び(?)でした。すると、出発準備を始めた3時45分頃になって、宅配のトラックが家の前に停まりました。彼は胸を高鳴らせて、「来た~!」といさんで荷物を受け取りに行きました。
ここでストーリーは終わりません。彼が受け取った荷物は、およそ「ギターケースが入っている箱」には見えない、30センチ四方くらいの立方体だったのです。「ウソでしょ!」と彼は慌てて発送元を確認すると、それは確かに彼がケースを注文した会社。「もしかして、間違った品物を送ってきたのか?」と不安に感じつつも、恐る恐る箱を開けてみると、そこには丁寧に3つ折りにされた『ソフトギターケース』が収められていました。
神様は、ご自身の愛する子供たちの祈りに耳を傾け、それに応えてくださいます。ところが『神様からの祈りの答え』というものは、必ずしも「私たちがイメージしている形」で与えられるとは限りません。神様は私たちよりも遥かに偉大で、知恵と力とに満ちたお方です。ですから、私たちは「自分勝手なイメージ」で神様のことを定義してしまうことなく、ただその愛と誠実さに信頼して歩んで行きましょう。
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