神は私たちを「日々新しい知識を得るように」とデザインし、創造されました。それは何も「学生時代だけ」とか「定年まで」とかではなく、「死ぬまで」です。このことを軽んじることは実に愚かなことです。人間の脳の平均重量はたったの1.4キロしかありませんが、神経科医たちの研究によると、私たちは皆毎秒新しいことを学ぶことを3億年間続けられるほどの「学ぶ力」が備わっているそうです。物凄いと思いませんか?もし『学ぶこと』をやめてしまったら、それはあなたの人生における損失なだけでなく、この世界にとっても大きな損失なのです。
よく「私たちは日常、自分の脳のわずかなパーセンテージしか活用していない」と言われますが、確かなことは、私たち1人1人は私たちが想像している『最高の自分自身』よりもはるかに優れた可能性を秘めているということです。それなのに何故それを生かせないのか?それはほとんどの人間が、それらの「未知の可能性」に注目しないで、「記憶(既に学んだ事)」に頼って生きているからです。「新たな事を学ぶ意欲」を失った瞬間、私たちはある意味「死に向かい始めて」いるのです。
聖書は「神を知ることが『知識』の初めである」と述べています。私はクリスチャンとしての歩みを始めて40年以上経ちますが、神のことを知れば知るほど「自分は神のことが全然分かっていない」と痛感させられます。そして「もっともっと神のことを知りたい」と思わされるのです。ある意味「自分が無知であることを思い知らされる」というのは『痛い経験』ですが、考えようによっては、「どれだけのことを知っているか」よりも「まだどれだけ知らないことがあるのか」ということを知る方が価値があるのかもしれません。
この新しい年の初めに当たって、「まだ知らないこと(特に『神』という存在について)をもっと知って行こう」という意欲をもって更に高嶺を目指して行きましょう!
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