「聖書の中で最も大切な教えは何ですか?」と訊かれたら、恐らく多くの方々(私自身も含めて)は上記の1節を挙げるでしょう。イエス・キリストは地上での歩みの中で『神の愛』を具体的に表現され、そして私たちに「自分が愛されたように、人々に『愛』というものを表現するように」とおっしゃったのです。
私たちは「緊張感やプレッシャー」の中では、なかなか本来の実力を発揮できないものです。今までに一体何人のオリンピック選手が「国民の代表」というプレッシャーに押しつぶされて、本番の大舞台で本来の力を発揮できずに涙をのんだことでしょう。そして同様のことは、そのような大舞台だけではなく、日常生活の中、しかも私たちの身近で起こっているのです。
ほとんどの親たちは、自分の子供たちに成功を収めて欲しいと思っていることでしょう。ですから悪気はないのですが、知らず知らずのうちに「もっと頑張りなさい」とか「あの子に負けちゃダメよ」とか「どうしてこの前教えた通りにできないの!」などの声をかけ、子供たちに「負い切れないプレッシャー」を負わせてしまっています。しかし子供たちの力を伸ばし、「ここぞ!」という時に本来の実力を発揮させるには、そのようにプレッシャーを与えるのではなく、むしろ「失敗しても大丈夫。何かが出来ても出来なくても、あなたのことを大好きよ。」と安心させ、リラックスさせることが大切です。
子供についついそのようなプレッシャーを与えてしまうのは、恐らくその親自身がそのようなプレッシャーの中で育って来たからなのかもしれません。誰でも「自分が受けたもの」しか、他の人に与えることができません。「ありのままを受け入れてもらう経験」がなければ、自分の子供でさえも「ありのまま受け入れること」は出来ないのです。では、どうすれば良いのでしょう?私たちは誰のところに行けば、このようなプレッシャーから解放されることができるのでしょうか?
イエス・キリストはおっしゃいました。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と。イエス・キリストは今日もあなたを招いておられます。彼はあなたがこの地で「本来の実力を存分に発揮して生きるため」に、不必要なプレッシャーを取り除いてくださいます。そしてまた、これが「誰かを愛する」ということの1つの具体的な表し方なのです。
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