皆さんは「全く見知らぬ土地」を、何の手がかりもなしに歩いたことはあるでしょうか?結構簡単に道に迷いますよね?(まあ今の時代『グーグルマップ』があるのでとても便利ですが、Wi-Fiもないと仮定してください) ところがその土地にずっと住んでいる人が道案内として付いてくれたら、話は別です。迷うことなど全然心配せずにリラックスして気軽に散歩することができますよね?

 私たちの人生も、よく『旅』に例えられます。1秒先も分からない私たち人間にとっては、ちょうど「見知らぬ土地を歩く」ようなものではないでしょうか?いつ何が起こるかも分からないし、しょっちゅう分かれ道に出くわして、迷いながら選択し、後悔することも度々あります。だから「占い」などに頼る人も出て来るのでしょうね。

 聖書はちょうど「人生のためのロードマップ」のようなものです。目的地を示し、そこに到達するための最良の道筋を示してくれますが、どの道を通るかの選択は私たちに任されています。ただ私たちは「地図を読み間違えること」もありますよね?右に曲がるはずのところを左に曲がってしまったり、または気付かずに通り過ぎてしまったり… しかも「地図を使った旅」は私たちに緊張感を与え、『旅そのもの』を楽しめなくなってしまうことがあります。主イエスの時代のユダヤ人リーダーたちは正にそのような状態でした。

 イエス・キリストと共に歩む人生はまさに、信頼できる『道案内人』と一緒にリラックスして歩く旅のようなものです。何しろ彼は「地図の作者そのもの」なのですから、道を間違うことは決してありません。時に私たちが気まぐれに正しくない道を進もうとしても、それを止めてくれたり、時にはそのまま進ませて、後でちゃんと正しい道に戻れるように導いてもくれます。また、残念ながら私たちの人生を破壊しようとする『敵』も存在します。しかしイエス・キリストはその敵をも打ち破り、私たちを守ってくださる方です。

 このような『人生のパートナー』を伴わずに生きるなんて、実にもったいないと思いませんか?!

Categories: 聖書

0 Comments

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *