世の中において(特に日本人)は「断言すること」を避ける傾向がありますよね。私たちの会話の中に頻繁に登場する言葉に「たぶん」「恐らく」「まあ、きっと」「もしかしたら」「望むらくは…」「だといいけどねぇ」などなど、あやふやに言葉を濁すことがよくあります。
聖書のことば、またイエス・キリストのことばは、そうではありません。イエスが好んで用いた表現で「まことにあなたがたに告げます」で始まるフレーズがありますが、これは「これから言うことはとても大切な『不動の真理』だから、耳の穴をかっぽじいてよぉく聞けよ」というような意味です。そしてそのフレーズに続けて「わたしの言葉を聞いて信じる者は永遠のいのちを持ちます」「人は新しく生まれなければ神の国を見ることはできません」というように言われたのです。そしてそれらの言葉通り、イエスの生涯は確信と力に満ちていました。そして彼の確かな言葉に信頼して生きるなら、私たちも同様な「あやふやではない生き方」ができるようになるのです。
よく知られている『詩篇23篇』という箇所で、作者であるダビデ王は「まことに私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来る」と書きました。ダビデは確かに立派な王ではありましたが、その生涯は決して完ぺきではなく、言ってみれば現代の週刊誌のゴシップ記事のトップを飾るようなヘマをいくつもやらかしたのです。しかしそんなダビデを神は決して見捨てるようなことをなさいませんでした。同じように、現代でも神に信頼する者には、その人が立派であるか否かに関わらず『神のいつくしみと恵み』がいつも付いてくる、と聖書は約束しているのです。
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