最近『断捨離』が流行ってきているように思います。個人的には良い傾向だと感じています。世の中少々「余計な物」が多すぎるのではないでしょうか?聖書には『目の欲』ということばが出てきますが、確かにちょっと気の利いた品物が視界に入ると、初めは「別に要らない」と思っていても、何度も見ているうちに(あるいは「見せられているうちに」?)なんだか欲しくなってきて、つい買ってしまう、なぁんてことを経験したことがある方も多いのではないでしょうか?
私たち家族が『キリスト教宣教師』として1996年に日本を出発することになったとき、結婚してから8年間のうちに溜まってしまっていた品々を徹底的に処分して、スーツケース数個分にまで減らしました。これを聞くと多くの方々は「うわぁ、もったいない!何もそこまでしなくても…。さぞかし大変だったでしょう?」などのような反応をしてくださるかもしれませんが、実際その当時のことを思い出してみると、本当に「清々した」気持ちでした。物が減って行くたびに気持ちが軽くなって行ったのをよく覚えています。日本のような『物質社会』で暮らしていると、「多く持っているほど安心できる」と錯覚してしまいがちですが、実際「持ち物は少なければ少ないほど気楽」なのです。
この後私たち家族が暮らした「南太平洋の小さな島」には、電気も水道もなく、人々の暮らしは実に質素なものでした。でもそこには『真の豊かさ』がありました。島で暮らしていた300人余りの人々は、互いの不足分を補い合い、皆家族のように当たり前に助け合い支え合って暮らしていました。その時つくづく感じたものです。「物質的な豊かさと心の豊かさは反比例するものなのだなぁ」と。そしてその島で神様に祈った時、本当に神様をとても近く感じたものです。文明社会の中で『神のリアリティ』をなかなか実感できないのは、「物の豊富さ」が邪魔をしているのかもしれません。
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