聖書の学び会で「心配事は祈りの中で神様にゆだねれば良い」と学んだ女性が、牧師にこう尋ねました。「つまらない些細なことで神様を煩わせるのは申し訳ないので、神様に打ち明けるのは『大きな問題』だけにした方が良いと思うのですが…」 すると牧師はこう答えたそうです。「ご心配には及びません。私たちが持って行くどんな大きな問題も、神様にとっては『ちっぽけなこと』ですから。」

どうやら神様は、私たち人間を「悩み事を自分で負うように」とは造られなかったようです。かえって私たちを『弱い者』としてお造りになり、ご自身に頼るように招いておられるのです。それ故聖書の様々な箇所で「重荷は神の許に降ろしなさい」と勧められています。一見些細な問題に見えたことでも、いつの間にか私たちの思いの中で増幅し『思い煩い』に発展してしまうことはよくあることです。そんな風にならないうちに、さっさと祈りの中で神様の前に持って行くのです。

上記の聖書のことばの「神にゆだねる」という語の直訳は『放り出す』という意味です。通常『思い煩い』は、お行儀よく私たちの思いの中の片隅でじっとしてはいません。なんとか私たちの日常生活を破壊しようと「絡みついて」くるのです。「思い煩いを祈りの中で神の許に持って行く」とは、そのようにしつこく絡みついてくる悩み事を、「お任せします!」と言って神様に向かって「かなぐり捨てる」ことです。神は「そうしてもよい」、いや「そうしなさい!」とおっしゃっているのです。それなのに、「いや、これは私個人の問題だから、神様に押し付ける事なんてできない」などと良い子ぶるのは、かえって「神に対する不従順」でしかありません。

神様は弱々しい存在だと思いますか?神様は遠くにおられて、忙しくてアナタのことなど相手にして下さらないとお思いですか?もしアナタが「思い煩いを神の前にかなぐり捨てる」ことができたなら、その時アナタは「神が近くにおられ、アナタを心にかけてくださっていること」を体験するのです。

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