日本の学校では「人類の起源を説明するセオリー」として『進化論』しか教えられていませんよね?下等なものから高等なものへと、何億年もかけてゆっくりと進化して行った。最終的には『サル(類人猿)』から『人』へと進化した、と。もし本当にそれが事実であれば、現代に生きる『人類』は、相当「高等な生き物」ということになりますが、本当にそうでしょうか?
確かに現代の科学や産業の発展だけを見るならば、そのように感じられる部分もあります。しかしそれらの発展の背景にある思想は必ずしも「高等なもの」とも言えません。「より便利に」「より早く」「より利益を生むために」というのがほとんどの動機であって、本来人間が求めるべき「より崇高な存在として」といった『進化』はあまり見られません。『便利』ということばそのものの名前が付いた『コンビニ』では、毎日何十個もの「手付かずのお弁当」が捨てられています。お金欲しさに『援助交際』という名の下で不道徳な行為が行われています。いわゆる「下等動物」と呼ばれる獣たちは、どんなに獰猛な性質でも、お腹いっぱいになれば、不必要な殺傷はしませんが、「人間世界」では、欲得の理由で殺傷事件が後を絶ちません。これが本当に『進化』でしょうか?
聖書は「神が人をご自身のかたちに創造された」と教えています。そして神は『人』を通してご自身の崇高さを表現しようとされたのです。ところが『人』は神の指導の許に生きることを好まず「自分勝手な道に進んで行った」と聖書は記しています。現代の人類の『堕落』は、その成れの果てなのです。
しかし神はそのように世界がただ堕落して行ってしまうのを黙って観ていることを好まず、もう1度『人』を「ご自身のかたち」に回復しようと、「本来の人間のモデル」である、ひとり子イエス・キリストをこの地上に遣わし、彼を通して私たちのために「本来生きるべき人生へと立ち返る道」を備えてくださったのです。このイエス・キリストを通して『神との関係』の中で生き始めることを通して、私たちは本物の『進化(回復)』へと進む人生を開始することができるのです。
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