説教あらすじ 「罪を赦す権威」 (27/10/2019)
◆信仰による罪の赦し [マタイ9:1~8] ― 先週話した「死にもの狂いの信仰」の一例
・イエスは「神と心を1つにして歩む者」として、この中風患者とその友人たちの信仰に強く心を動かされ、喜びの
あまり思わず『罪の赦し』を宣言した。 = 神は何よりもまず「私たちの罪の問題」を解決したい!
・律法学者たちは、そんな『神の心』を理解せず、「罪は簡単に赦されるべきではない」(自分勝手な神のイメージ)
に基づいて判断していた。実はこの態度こそ「神を冒瀆」している。= イエスの評価は『悪い考え』。
・イエスは「罪の赦し」を宣言しただけでなく、さらに分かりやすく『病の癒し』をも宣言され、病人は癒された。
*「霊的(見えない)世界」で起こったことの当然の結果が、「目に見える世界」において現象として現れる。
◆『罪の赦し』の結果
・エデンの園には病がなかったことを考えると、「すべての病は罪の結果」と言うこともできる。それ故キリストに
よる『罪の赦し』を信じた人々に、私たちは主イエスの御名によって『病の癒し』を信じて祈ることもできる。 [ヤコブ5:15-16]
健康な教会(キリストのからだ)の営み
①キリストによる『赦し』を体験する ②キリストが赦されたように、互いに赦し合う ③癒しのために祈り合う
・すべては「今日も生きて働く神がおられる」からこそ起こることであり、「神の栄光があがめられる」ため。[8節]
✰今日の大切なひと言: 「『罪を赦す神』は、病をも癒す。」
◎学びを深めるための質問
①『罪の赦し』に関して、イエスと律法学者の間にこれほどの意識のズレがあるのは、どうしてだと思いますか?
②イエスは何故ここで、いつものように最初から「病の癒し」を行わず、まず『罪の赦し』を宣言されたのでしょう?
③『キリストのからだ(の1部)』として、教会(あなた自身)にはどんな使命が与えられていると思いますか?
Outline of the sermon “Authority to forgive sins.” (27/10/2019)
◆Forgiveness by faith. [Matthew 9:1~8] ― This is one of the examples of “desperate faith”.
・Because “fundamental sin” is “to go away from God”, “coming to Jesus by faith” is “the way to forgiveness”.
But the teachers of the law did not understand this. Their hearts were very far from God’s.
・This “paralytic” was healed because what happened in “spiritual world” consequents in “visible world”.
◆Consequence of Forgiveness.
・There was no sickness in the garden of Eden. It came as one of the results of our sins. We can, therefore,
experience “God’s healing hand” in Jesus name by faith as well as forgiveness of sins. [James 5:15-16]
Characteristic of healthy church(body of Christ).
①Experience “forgiveness” of Christ. ②Forgive one another as Christ did. ③Pray for each other for healing.
・All are for “God to be glorified” because He is the one doing everything among us. [Verse 8]
✰The word for this week: “God of forgiveness” also heals the sickness.
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