ある日マザー・テレサは、もう1週間も何も食べずに暮らしている貧しい7人家族がいると聞き、お米がたっぷり入った袋を携えて訪問しました。あばら家では栄養失調の子供たちを抱えた母親が大喜びでマザーを迎えました。ところがその母親は興味深いことを始めたのです。もらったばかりのお米を2つに分け、その1つを持ってどこかへ出かけていきました。戻ってきた母親にどこに行っていたのかとマザーが尋ねると「近所に私たちと同じようにお腹をすかせている家族がいるので、お米を届けてあげたのです」と答えました。この一連の出来事を振り返り、マザーは次のように述べています。「この母親がせっかくもらったお米を分けてあげたことは別に驚くことではありません。何故なら貧しい人々はいつも気前が良いものだからです。ただ私が驚かされたのは、自分たちが飢えの極致にいたにも関わらず、この母親が近所の人々の抱えていた問題にも気を配っていたということです。人間は通常、自分たちが大きな問題を抱えている時は、他の人のことなど考えてはいられないものだからです。」
「蒔いたものを刈り取る」これは、神が定めた『全世界共通の法則』です。しかも普通は、1粒の種を蒔いたら、その何倍もの収穫を刈り取ることになります。もし私たちがこの『1粒』を惜しんでしまうなら、後に与えられるはずの大きな収穫を受け損なう結果になります。
イエス・キリストは「与えなさい。そうすれば与えられます」とおっしゃいました。ここで問われているのは「自分がどれだけ持っているか」ではなく、「どれだけ与えるか」だけです。この世の常識に基づくならば「有り余るほど持っている人だけが分け与えるべきであって、自分は余るほどは持っていないのだから、分け与える必要はない」と考えるかもしれませんが、自然界の法則はそのようには働きません。
この天地を造られた神は『気前の良いお方』です。彼は善人悪人に関わらず、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださいます。そしてこの神は、ご自分と同様に「気前良く生きる人々」を祝福せずにはいられない方なのです。
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