ある人々は、「クリスチャンの人たちはよく『お祈り』をするけど、一体どんな風にお祈りしたらいいの?」 と尋ねます。実のところ、そのような人々は「どう祈ったら良いのか分からない」のではなく、「どうやったら『あの人々のように』祈れるのか分からない」のです。
イエス・キリストは『祈り』に関して教えるとき、「形式や言葉遣いなどにこだわらなくて良い」とおっしゃいました。何故なら、神は私たちの祈る『ことば』に関心があるのではなく、『心』に関心があるからです。その祈りがどれほど口先で上手に表現されていても、その人の心が深く神様につなげられていないなら、その祈りは神の前に価値のないものなのです。
『祈り』はある面『呼吸』のようなものです。私たちは通常ほとんど意識することなく、本能的に『呼吸』をしています。それは私たちのからだが「酸素」なしには一瞬たりとも生きられないからです。すなわち『呼吸』は、「わたしたちが酸素にどれほど依存しているか」をありのまま表現しているのです。
『祈り』も同様です。私たちは何も格好をつけて「自分を信仰的に見せるため」に祈るわけではありません。それは「私たちが神様にどれほど依存しているか」をありのままに表現した、いのちの営みなのです。『祈り』を通して私たちは、今日も生きて働いておられる神様と、親しい関係を保ちながら歩むことができるのです。
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