聖書
(606) “神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。”
ルネサンスの時代に、優れた芸術家・彫刻家として活躍したミケランジェロに関して、次のような逸話が残されています。 ある時、ミケランジェロが1つの彫刻作品を削り始める前に、材料となる大理石をじっと見つめている様子を隣りで見ていた友人が、「おいミケランジェロ、キミはいつもどうやってあんなに素晴らしい作品のアイディアを思いつくんだい?」と尋ねました。するとミケランジェロは、こう答えたそうです。「いや、ボクが良い作品の構図を思いつくわけじゃない。こうして祈りつつ大理石を見つめていると、大理石の中に閉じ込められている作品が見えてくるんだ。ボクはただ、その作品をこの大理石の檻から解放してあげているだけなんだよ。」 聖書には、「神は私たち人間を『ご自身のかたち』に創造された」と書いてあります。もちろんそれは、「神には人間のような目鼻がある」という意味ではないでしょう。恐らくそれは、「人間1人1人の内に、神の麗しさ、神の優しさ、神の力強さ、神の知恵、神の聖さなど、『神の栄光を表現する要素』が秘められている」というような意味なのだと思います。 聖書の別の箇所には、「神は人を『ご自身の栄光を現すため』に創造した」とも書かれています。そして私たちの内にあるそれらの「神の栄光を表現する要素」は、ミケランジェロが言った『大理石の中に隠された傑作』のように、祈りと共に発掘されるべきものなのではないでしょうか? 私たちの人生の最大の課題は、この「自分の内に秘められている『神のかたち』」を、神への祈りのうちに見出し、日々その『発掘作業』に精を出し、自分を通して現される『神の栄光』を体験して、喜び感謝することであるに違いありません。