2025年3月23日 「主にあって」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ   「主にあって」   (23/03/2025) [ピリピ人への手紙4章1~3節] ◆『主にあって』とは?(1節)  ・パウロは彼の手紙の中で「主にあって」「キリストにあって」という表現を40回以上も使っている。彼にとって『クリスチャン』とはまさに「キリストにあって歩む者」であった。「キリストにある歩み」とは、「自分はこう思う、こうしたいから…」ではなく、「私の主イエスが望んでおられるから」という理由で選択・行動する、言わば『愛による選択』。  ・主イエスは「わたしがあなたがたを愛したように(ヨハネ13:34)」とおっしゃった。つまり「主にあって歩むこと」は、キリストの愛を個人的に受け取り、日々経験しているのでなければできないこと。その愛とは、十字架で身代わりに死なれた愛、すなわち「この世のものを用いて自分を喜ばせることを放棄した愛」である。[ヨハネ15:5] ◆一致できない理由(2~3節)  ・ピリピの教会にさえも、一致できないでいる人々がいた。彼らはパウロと共に「福音のために戦った人たち」であった。この点では一致できていたのなら、きっと一致できないでいたのは些細なことであったに違いない。パウロ  はここでも「『主にあって』同じ思いになれ」と言っている。「同じ思いになれない」のは、『自己実現』にこだわるから。つまり「キリストが主」ではなく、『自分』が主人公になってしまっているのである。パウロは「自分は世に対して  十字架にかけられた(ガラテヤ6:14)」と言った。互いに協力し合い、助け合いながら「主にある歩み」をして行こう! 今日の要点: 「キリストにあって」 選択する ◎更に深い学びのために  ①「キリストにあって」とは、どんな意味ですか? またパウロはどうしてこの表現を多用したと思いますか?  ②[ヨハネ15:5]でイエスが言われた「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」とは、どういうことでしょう?  ③どんなものが「キリスト者の一致」を妨げますか? また、どのようにしてそれらを避けることができますか? Outline of the sermon     “In the Lord.”     (23/03/2025) [Philippians 4:1~3] ◆What is “in the Lord” like?(Verse 1)  ・In his letters Paul used the expression like “in the Lord” “In Christ” over 40 Read more…