2025年1月12日 「神の御手を体験するため」

礼拝全体の様子をYoutubeで観る 説教あらすじ    「神の御手を体験するために」    (12/01/2025) [ピリピ人への手紙2章5~11節] ◆神によって高く上げられる(9~11節)  ・キリストが人となって地上で成し遂げられたことの故に、神はキリストに『すべてにまさる名[主]』をお与えになった。そして私たちが「イエスは主です」という時、それは父なる神に対し、「あなたは最期まであなたに従順に歩ま  れたキリストを『主』とされた、必ず約束を守る誠実なお方です」と、その栄光を讃えることになる。  ・神はキリストのみならず、ご自身の前に身を低くし従う時、私たちをも時に適って高く上げてくださると約束された。[Ⅰペテロ5:5-6] では、「神の前にへりくだる」とは、どういうことなのだろう? ◆「神の下にへりくだる」とは?(5~8節,「キリストにある『この思い』を抱く」)  ・キリストは「神と等しい」という自分の『あり方』を「捨てられない」とは考えず、「神としてのすべての特権」を放棄された。最初のアダムは「神のようになろう」としたために、人としての『本来あるべき姿』さえ失ったが、最後のアダム(キリスト)は、神である方なのに、敢えて「人となられた」ために、神に高く上げられた。  ・「自分を捨てる」とは、単なる『自己犠牲』ではなく、キリストの模範に従い「全く異質の相手をも尊重し、その必要に仕える」ということ。[ルカ9:23] このように御父の願いを全うすることがキリストの喜びだった。[へブル12:2]  ・『自己実現』ではなく「神に与えられた道をひたすら走り切ること」、それが真の満足をもたらす。[Ⅱテモテ4:6-8] 今日の要点: 分かったことに従い通す ◎更に深い学びのために  ①なぜ「イエスは主です」と告白することが、父なる神に栄光を帰することになるのでしょう?  ②「自分のあり方を捨てられないとは考えない」とは、あなたにとってどんなことを意味しますか?  ③「イエスの前に置かれていた喜び」とは何でしたか? それは「あなたにとっての喜び」とどう異なりますか? Outline of the sermon   “‘To experience mighty hand of God.”   (12/01/2025) [Philippians 2:5~11] ◆Be exalted by God. (Verses 9~11)  ・Jesus was exalted and given the name above all names because of Read more…