聖書
(596) “人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。”
クリスマスのシーズンがやってきました。巷ではクリスマス・キャロルが流れ、お店はより良いクリスマス・プレゼントを捜す買い物客で大賑わい。ここニュージーランドでは、『クリスマス・デー(25日)』はほぼ全てのお店がお休みなので、今日(24日)が混雑のピークです。 多くの方々が「『クリスマス』は、キリストの誕生を祝う記念日だ」ということをご存知ですが、私たちクリスチャンにとっては少しニュアンスが違います。「キリストの誕生を祝う」というよりも、「神が人々を憐れんで、人間の姿をとって地上に現れたことを覚え、祝う」といった感じです。「『神が人となる』なんてあり得ない、バカバカしい」と考える方々もいると思いますが、それが聖書が伝えていることなのです。 では、何故神がわざわざ人間になって地上に現れたのでしょう?聖書は「失われた者を捜して救うため」と書いています。すなわち、私たち人間は本来「神の愛と支配の許、神との親しい関係の中で生きる存在」として創造されたのに、神の許を離れ、この世の『欲』に翻弄されてさまよっている。そんな私たちを「もう1度ご自身との関係の中で豊かに生きるように」と招くために、人の姿をしてこの世に来られたのです。 「だったら、『人間になる』なんてややこしいことをしないで、天から大きなスピーカーか何かで呼びかければいいじゃないか」と思われる方もいるでしょう。確かにそういう方法を取ることもできたかと思います。しかし神は、ご自身の『愛』や『あわれみ』を、私たちにとって1番分かりやすい形で示すためには、「人となって現れる」のが最善であると判断したのではないでしょうか? あなたは、既に「神に見い出された者」ですか?もしそうでないなら、このクリスマス、「神様、私を見つけて、憐れんでください」とお祈りしてみてはいかがでしょうか?